「さすがにショーケンが死んだときは、こたえた」 沢田研二70歳が涙を流した日

6月6日(木)19時0分 文春オンライン

 5月9日、東京国際フォーラムで行われた沢田研二(70)のツアー初日。2曲歌ったところで、突然語り出した。


「時間は過ぎていく。年齢も重ねていく。死んでいく人もいる。長生きすることが必ずしもいいことだとは思っていませんが……」


 そして、沢田は言葉を絞り出した。


「さすがにショーケンが死んだときは、こたえた」


◆◆◆



萩原健一


 沢田と、今年3月に死去した2歳下のショーケンこと萩原健一。2人を知る音楽業界関係者が語る。


「かつてはPYGというバンドを共に組んでいた2人ですが、少なくとも、ここ十数年は交流がなかった。それだけに、自分のコンサートでショーケンに触れたのには驚きました」


 沢田のザ・タイガースと萩原のザ・テンプターズ、それにザ・スパイダースのメンバーを加えて1971年に結成されたPYGは、GSのスターたちによるバンドだった。


「ところがコンサートになると、ジュリーのファンとショーケンのファンがケンカして、お互いのソロパートでタンバリンを鳴らすなど歌の邪魔をする始末。次第にコンサートの客足も悪くなり、所属のナベプロはジュリーを守るためにソロ活動にシフトさせ、PYGは実質1年ほどの活動で自然消滅しました」(同前)


 萩原も後年、テレビ番組でこう語っている。


「ショーケンで2万人、ジュリーで2万人(呼べる)と言われたのが、実際は500人。こりゃダメだと思った」



「ライバルは沢田研二だ」と言っていたショーケン


 だが、当人同士は仲が良かった。沢田の元マネジャーの森本精人氏が明かす。


「77年のレコ大でジュリーが『勝手にしやがれ』で大賞を獲った時に、ショーケンにサプライズで祝福してもらおうと、会場の帝国劇場に来てもらったんです。忙しかったはずですが快く引き受けてくれて、『おい森本、(大賞を)本当に獲れんのかよ』なんて言いながら、控室でモニターを見て待っていました。ジュリーは相手に合わせて歩み寄ろうとするタイプで、ショーケンは他人のことなんか考えてられるかというタイプ。全く違った個性でしたね」


 萩原は歌手から俳優にシフトしていくが、その後も2人の人生は互いの知らぬところで交錯していく。


「ショーケンの代表作『傷だらけの天使』(74年)は当初はジュリーが主演を務めるはずだったのは知る人ぞ知る話。一方でジュリー主演の映画『太陽を盗んだ男』(79年)は当初はショーケンの主演で企画が進んでいました。ショーケンは松田優作などと比較されることが多かったですが、本人は『ライバルは沢田研二だ』とハッキリ言っていました」(萩原の知人)



 冒頭のコンサート。涙ぐんだ沢田の言葉はこう続いた。


「あいつなんか、死んだら俺となんか比べられるんだよ。昔の事とはいえ、『ショーケンといえばジュリー』と言われちゃうんだよ。俺は腹が立った。ショーケンはそんな奴じゃないぞ。もっと凄い奴だぞ。俺なんて生き方が上手じゃない。ショーケンはもっと上手じゃなかった。それで、萩原健一だ。萩原敬三(本名)だ。俺はあいつが大好きだ」


 その日の7曲目『そっとくちづけを』の歌い出しは、「神様お願い」で、ザ・テンプターズのヒット曲のタイトルと同じ。ジュリーの声は震えていたという。



(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年5月23日号)

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