「絵画鑑賞って……?」戸惑いを消し去る画家のたった一言で「絵の始まり」が見える

6月8日(土)11時0分 文春オンライン

「結局、何を描くかじゃないんだ。いかに描くかを考えているんだよ」


 キッと前を見据えて、画家の小林正人さんが言い切った。


 東京六本木のギャラリー、シュウゴアーツで始まった小林正人「画家とモデル」展の初日。会場で本人の話を聞けたときのこと。





 なるほどアーティスト自身がそう表明してくれると、観る側のモヤモヤも吹っ切れる。古い名画はともかくとして、近代から現代にかけての絵画と対面したときにはとかく、「これって何が描いてあるの? よくわからない」と戸惑ってしまうものだから。


 描く側から「何を描くかは問題じゃないんだ!」と断言してもらえれば、こちらの観る態度もぴたり定まるというものだ。


 ならば、と会場で「何を描いている?」との疑問をいったん脇に置き、展示を眺め渡してみる。


手で描かれた荒々しくも明るい絵


 ここにあるのは2017年から制作が始まったシリーズで、メインとなる大きな絵画はふたつある。手前の部屋に、うしろを向いて横たわる女性の巨大な像の絵。銃痕だろうか、背中の肉が一か所ひしゃげているのが目に焼きつく。



 奥の部屋を覗くと、さらに大きい馬の絵があって気圧される。痩せ気味で、毛並みも乱れているけれど、思うまま走るにはじゅうぶんな筋骨がしっかり備わっている様子。くわえているのは絵筆だ。ということは、この馬は絵を描く者なのか。


 どちらの絵も、筆のタッチは独特だ。べたりと生々しく、大味な塗り方に見えるけれど、馬の毛や女性の肌の質感はよく伝わってくるし、そこに光の粒がたまり留まっているようにも思える。じつはこれ、筆代わりに自身の手を用いて描かれている。荒々しくも明るい印象は、この筆致からくるのだろう。



「絵画とは」の思い込みにまったく縛られない


 作品のかたちも、通常とは大きく異なる。ふつう絵画作品は、木枠に布を張って画面がつくられるけれど、小林作品はそこからはみ出している。木枠が歪んで剥き出しになっていたり、継ぎはぎされていたりするのだ。



 女性の絵のほうは、画面となるべき布が床に垂れ下がっていて、その端には、制作の際に使っていたのだろう汚れた布切れが、無造作に丸めて置かれている。絵画とは四角い画面に絵筆で色を塗っていくもの、そんな思い込みにまったく縛られない作品群がここにはある。



絵画の理想形が描かれた絵か?


 馬が描かれたほうの大画面に目を凝らすと、背の上にごく薄っすらと人物らしきもののシルエットが見える。もう一枚のほうの絵に見られる女性像が、馬に跨がるかたちでいちど描かれて、のちに上塗りされ消されているような……。



 これはなにを意味しているのだろう。展名が「画家とモデル」なのだから、馬が画家で女性はモデルだと推測していいか。ならば、「馬=画家」の上に「女性=モデル」が乗っかり人馬一体となった状態とは、描くものと描かれるものが一体化した、絵画の幸福な完成形を表している? 


 今展で観られる馬の絵は、絵画のなりたちそのものを表さんとして描かれたものと捉えていいんじゃないか。絵画のなりたちを一枚の絵に込めようとして、画家は馬と女性をいかに描くかを考え抜き、創作を進めていったのだ、きっと。画家はなぜこの絵を描いたのか。そして、人はなんで絵を描くのか。一枚の絵から動機を推し量るのは愉しいものだ。


 こちらの推測が合っているかどうか、ご本人には確認しそびれた。けれど対面したとき、しかとこちらを見据えて話す画家の両眼は、描かれた馬とそっくりの色彩豊かな輝きを放っていたのはたしかである。



写真=武藤滋生


小林正人

「画家とモデル」展示風景, 2019, ShugoArts


<credit>

copyright the artist

courtesy of ShugoArts



(山内 宏泰)

文春オンライン

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