【インタビュー】長谷川博己と考える哲学 直感と理屈のはざまでたどり着いた人生の真理とは――?

2022年6月10日(金)7時45分 シネマカフェ

長谷川博己『はい、泳げません』/photo:Jumpei Yamada

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こんなスマートで知性あふれる大学教授がキャンパスにいたら、学生たちが群がってさぞや大変だろう。そんなことを考えつつ、取材に臨んだが、話を聞いているうちに、やや失礼な考えが頭をもたげてくる——。こんな理屈っぽい男が身近にいたら、ちょっとめんどくさいかも…。

「本当にそう思います(笑)。周りからしたら、かなりめんどくさいヤツだろうなって。」

長谷川博己は自虐的な笑みを浮かべてそう語る。大河ドラマ「麒麟がくる」出演後、初の映画出演となる『はい、泳げません』で彼が演じているのは、泳げないどころか、水に顔をつけることすらできないが、一念発起してスイミングスクールに通い始める大学教授・小鳥遊雄司(たかなし ゆうじ)。

この小鳥遊、とにかく理屈っぽい! “理論派”などというカッコいい形容を飛び越えて、もはやイラっとさせられるレベルに達するほどの理屈っぽさなのだが、どこかチャーミングで不思議と憎めない“愛されキャラ”なところも含めて、長谷川博己のキャリアにおいて最も素に近いのでは…? と思えてくる。そんなチャーミングな男の内面やいかに?

出演を決めた理由「ちょっと飛び込んでみようかな」

——前半はカナヅチの小鳥遊の奮闘ぶりがコミカルに描かれる一方、後半に進むにつれて、なぜ彼が泳げるようになろうと決意したのか? その裏にある過去などが描かれます。長谷川さんはオファーを受けて、本作のどこに惹かれたのでしょうか?

何でしょう…最初に読んだ時、シュールなイメージがあったんですよ。ラストシーンを含め、準備稿と決定稿でかなり変わった部分もあったんですが、すごくユニークで面白いなと。なんとも言えないけど、得も言われぬ感動がある話だなって気はしましたね。

監督も渡辺謙作さん(『舟を編む』脚本など)で、世界観がユニークで楽しみだなって思いました。映像的な台本というか、そういう部分を感じられる作品になるんじゃないかなと思いました。

本だけを読むと、ものすごく飛躍している感じがあって、正直、どうなるかわからない部分もあったんですけど(笑)、そこに飛び込んでみたら面白いことになるんじゃないかというのが最初にありました。どっちにも転びうるというか、「一か八か」みたいなところもあったんですけど(笑)、そこを楽しんでみようと。

——「水泳」を人生そのものと重ねて描いているような、哲学的なテーマを含んだ作品ですね。

雄司が学生に「人はなぜ生きるんですか?」と聞かれるところは、この本の主題だなと思います。自分はどこから来て、どこに行くのか——? そういう問いって子どもの頃から持っているものじゃないですか。そんなこと考えてもしょうがないんだけど、それを考えることが哲学でもあったりするわけで、幼少期に僕は父親にその話をしたら「それは誰でも感じることだ。でもどこかで『そういうものだ』と思うようになって、そういうことを考えないようになる時期が来る』って。小学生の頃ですが、僕も「俺はどこから来たんだ?」「どこに行くんだ?」と悩んでました。それを改めて考えさせてくれる作品だなと感じました。

ちょっと不思議な感じがしましたね。プールの中に“記憶”を辿る場所があるというか、劇中でも言われていたような女性の胎内に通じるものがあるというのを感じつつ…。

——そんな「生きるとは?」という壮大かつ哲学的なテーマを描きつつも、小鳥遊が出会う様々な女性たちが発する言葉は、日常の生活レベルに根差した“真理”を捉えていて、刺さります。

そうなんですよね。男性からしたらグサっと刺さるようなセリフが多いですよね(笑)。

哲学的なことを考えることも大事だけど、もっと普通の考えもあるわけで、この映画はそっち(=日常)に引き戻してもくれるし、あっちにも行くし、そこが面白いなと思います。中盤からミステリのような要素も入ってきて、グーっと引きずり込まれていくような感じがあって、いろんなところに連れて行ってくれる。それは監督の手腕であり、すごいなと思います。

——小鳥遊と同じスイミングスクールに通う奥様方の「男って“委ねる”とか“身を任せる”ってできないのよね」という言葉だったり、思わず「ウッ…!」となる、身につまされるようなセリフも…。

脚本を読んで、プロデューサーの孫(家邦)さんに「これはフェリーニの『8 1/2』(※)のマストロヤンニ的な感じですね?」と言ったら、孫さんがそれを監督に伝えたらしくて、監督は「そんなドンファンじゃないし!」って…。そういう意味で言ったんじゃないのですが(笑)!

ただ、過去に一緒にいた人だったり、いろんな女性が出てきて、ファムファタール(=運命の女性)がいたり、現実に引き戻されたり…いろんな女の人たちに支えられている男の話という意味で、ある意味でそういう作品だなって思います。『8 1/2』もシュールなところがあるし、近いんじゃないかなって思います。完成した作品を観て日本版『8 1/2』なんじゃないかって(笑)。

——「これはフェリーニの『8 1/2』ですね?」という言葉自体、劇中の小鳥遊のセリフのようです(笑)。長谷川さんも小鳥遊のような理屈っぽく考えてしまうことろが?

自分では理屈じゃないと考えていても、それ自体が理屈で考えてるってことになるんですかね? そうやって思考を巡らすことは嫌いではないですし、僕それは役を演じる上で根源になってるのかなと思います。

——逆に感覚や直感に身を委ねたいという思いはないんでしょうか?

むしろその感覚の方が強いのかもしれません。だからこそ最初に言ったようにこの作品に関しても「ちょっと飛び込んでみようかな」と。

ちょっと話がずれてしまいますけど、いろんなことがあって大河ドラマが終わって、その後もコロナのことも含めて、すごく厳しい状況が続いている中で今後、どういうふうに仕事していくか? ということを考えた時、いろんなことをやっていこうかとも考えたけど、やはり「(コロナで)あの現場、止まったらしい」といった話も聞こえてきたりするんですね。そこで「じゃあ、しばらくこの状況を冷静に見つめて、自分のことや、何がやりたいのかを考えながら、ゆっくりしようかな?」と思っていたタイミングで、この本がたまたま目に入ったんです。お話自体は、大河の最中に孫さんからいただいてはいたんですけど。

そこでもう一度読んでみて「自分に向き合う」ということともシンクロもするし、いまやるのにいいんじゃないか? 「これはやるべきかもしれない」と思えて孫さんに「やらせてください」と言ったんです。



綾瀬はるかは「“感覚”の人」

——小鳥遊はカナヅチを克服しようと一大決心の末、スクールに通い始めます。長谷川さん自身は、苦手なものや過去のトラウマなどに向き合い、克服しようとするタイプですか?

俳優としていろんな役を演じる上で、いろんな劇的なことがあるじゃないですか? 実際にはできないけど、それに近いこと——そういうものを自分の経験の中から引きずり出すんですよね。そういう意味で、いろんな役をやることで、そういうもの(過去のトラウマや向き合いたくない自分自身)を引っ張り出していくので、その都度、演じることで…“成長”と自分で言うのは恥ずかしいですけど、何かがあるんですよね。

「良い役者」というものを考えた時に、解釈は様々だと思いますが、少なくても「良い役を演じていく」ことは不可欠だと感じます。その意味で「そういう(=苦手なものを克服しなくてはいけない)時が来る」というよりは、映画や芝居、ドラマで演技をする際にそういうものと向き合わざるを得ないというところがあるんでしょうね。

——お話を伺っていると、長谷川さんにとっては「演じる」ということは、自分自身と向き合う、内省的な部分が多いんだろうと感じます。本作で綾瀬はるかさんが演じた静香にとって、歩くよりも泳ぐほうが楽であるように、長谷川さんにとっては「演じる」ことが“標準”であり、いわゆる日常は“生きづらい”ものなのではないかと…。

それはあるかもしれません(笑)。普段、意外と休めないなって気がしましたね。どちらかというと、(作品に入って、役を)やっている時のほうが休めるというか…。何なんでしょうね? わりと長いお休みをもらったこともあったんですけど、意外と休めてないんですよね。なんか、ソワソワしちゃうんです(笑)。

——周りからしたら「もっと肩の力を抜けばいいのに」とか「何も考えずに休めば?」と思うのかもしれませんが、本人にとってはそういうものじゃなく…。

そうなんでしょうね。仕事をすると、明らかにエネルギーをもらったようになるんですよね(笑)。何なんだろうなぁ…? 不思議ですけどね。

——綾瀬さんとは大河ドラマ「八重の桜」で夫婦役を演じて以来の共演でしたが、久々にご一緒されていかがでしたか?

監督も言ってましたけど、彼女はいい意味での“バケモノ”だなと。何でもスーッと入っていける凄さがあるんですよね。

やっぱり“感覚”の人なんでしょうね…。彼女の中でリズムみたいなものがあるんだと思います。テンポというかリズムというか、彼女の中に“音楽”みたいなものが鳴っていて…こういう言い方すると、また余計にわかりづらくなるかもしれないですけど(笑)、スーッと入っていくんですよね。だから、指揮者とかが似合いそうな気がしますね、全体のこともよく見ているので。

——“感覚”の静香コーチと“理屈”の小鳥遊という組み合わせがいい方向に作用しているんでしょうか?

それはあったかと思います。そういった意味では自分の芝居が、役が、相手のお芝居、役と組み合わさり、完成した画の中でどの様に作用するのかは毎回楽しみでもあります。



作品から得た“哲学”は「もう少し身を委ねて生きていい」

——本作は前半部分で、かなりコミカルなやりとりが展開します。“笑い”に関して、それ以外のシーンと比較して、長谷川さんの中で意識の違いなどはあるんでしょうか? コミカルな芝居の難しさや面白さについて、どのようなことを感じているんでしょうか?

なんて言うんでしょうね…? 笑いにも“狂気的”な部分を感じるんですよね。何かに本当に打ち込んでる姿って笑える部分ってあるじゃないですか?

僕の場合は、笑いのシーンで大事なのは“勢い”みたいなものなのかな? 横山やすしさんが見せるような笑いに共感できるんですよね。スパーン! と勢いよくいくような、ああいう笑いに近いのかなぁ? あまりロジカルに考えて笑いを生むとかって感じではないんですよね。「ここで笑わせよう」と意識するわけでもなく、今回の映画にしても、小鳥遊が一生懸命にやってる、そのギクシャクした感じが笑えるんだろうなと思います。

そういう意味では、やはり勢いというか、あまり考えて“笑い”をやっているという感じではないんですね。「笑いをとろう」とするのって見ている側にも伝わっちゃうんですよね。

舞台をやっていた頃の経験として実感しているのが、お客さんって意外なところで笑うものだということなんです。そこは本当に予想がつかないもので、周りの俳優さんを見ても「ここは間違いないね」「鉄板だね」と思ってたところって、案外、本番ではコケたりするものなんですよね。その経験が根底にあるのかな?

自分も舞台上で演じている最中って、お客さんが笑ってくれることを全く期待しないんですよ。真剣にやればやるほど、それがおかしく見えるというのがいいんだなと思っています。

——いまおっしゃった、笑いと狂気が結びつくという点では『MOZU』で演じられた東という役などは、まさに狂気的な姿が、見ている側を戦慄させつつ、どこか笑いにもつながる部分があったかと思います。

たしかにそうですね。でも、あれはちょっとやり過ぎたかなって気がしていて(笑)。あの役を好きだと言ってくださる方は多いんですけど、自由にやり過ぎちゃったなって。いろんな俳優さんからお叱りの言葉もいただきました(苦笑)。

——最後に改めて、長谷川さん自身がこの作品から得た“哲学”について教えてください。


うーん、何だろう…? 「何で生きるのか?」というのは結局、無理して考え過ぎなくてもいいのかなって。もう少し身を委ねて生きていいのかなってことですね。人生、なかなか思い通りにはならないわけで、もう少し水の流れに身を任せて生きるってことも大事だなと思います。

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