Do As Infinityのヒット作『DEEP FOREST』にこのユニットの成り立ちとそのコンセプトを見る

6月12日(水)18時0分 OKMusic

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Do As Infinityが6月5日、自らの過去の楽曲をリアレンジした作品集『Lounge』を発表。ということで、今週は彼女たちのオリジナル作品の中で最高セールスを記録したという3rdアルバム『DEEP FOREST』を取り上げてみた。デビューから20年が経って、ヴォーカリストの伴都美子は二児の母となり、現在は生活の拠点を熊本市に移してマイペースに活動しているようであるが、デビュー間もない頃のDo As Infinityとはどんなユニットであったのか。『DEEP FOREST』をもとに振り返ってみた。

メロディーと歌詞にある大衆性

今回久々に『DEEP FOREST』を聴き直して、優れた工業製品のような音楽ユニットだなと思った。非の打ちどころがない…とは流石に言わないまでも、ポピュラー音楽としてとてもよくできている。語弊があるので誰のどの曲と…とは言わないが、まずそのメロディーは同時代のアーティスト、バンドと比べてもまったく遜色がない。いや、遜色がないどころか、どれもキャッチーでとても分かりやすい。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M8「Week!」、M9「冒険者たち」といった一連のシングルチューンはもちろんのこと、M3「タダイマ」、M5「翼の計画」、M9「Hang out」、M11「遠雷」などの旋律も実に親しみやすいものだ。さらに巧みだと思うのは、伴都美子(Vo)の声やレンジとの相性の良さ。彼女はさまざまな歌唱法を駆使するヴォーカリストでも、ことさら声量をひけらかすタイプでもなく、どちらかと言えば、生真面目な歌い方をシンガーと言えると思う。良くも悪くも個性的すぎないという言い方もできるかもしれない。だが、そこがいい。親しみやすさを助長するというか、簡単に言えば、その楽曲を誰もが口ずさみやすくしているのだと思う。

歌詞の内容がそこに拍車を掛けている。いい意味で具体性に乏しい歌詞が多いのである。以下、シングル曲を例に挙げよう。余白が多い故に行間を想像してしまい、そこに自身を重ねることができる歌詞ではなかろうか。

《僕たちは 生きるほどに/失くしてく 少しずつ/偽りや 嘘をまとい/立ちすくむ 声もなく》《僕たちは さまよいながら/生きてゆく どこまでも/信じてる 光求め/歩きだす 君と今(振り返る/道をとざし/歩いてく 永遠に)》《立ちすくむ声もなく 生きてゆく 永遠に》(M1「深い森」)。

《あの丘の地図さえ (見失って)/色あせてく このときめき/三日月の こもれ灯 (いつの間にか)/僕照らしてる この場所から/始めてみよう》《夜だからあの星は (輝けるよ)/知ってますか? 思い出して/ひび割れた大地に (水あげよう)/一つぶずつ 両手で雨/集めてみよう》(M2「遠くまで」)。

《ラッシュに飛び込んでく Monday/気に入らないスーツで Tuesday Wednesday/コピーにつまづいてる Thursday/切り抜けただけの Friday ずっと》《会えないまま 過ぎてく Weekday/空白になったまんまの Saturday/突然 彼氏のTEL Sunday/口ゲンカ だらけ BADな Holiday》(M8「Week!」)。

《揺らぐ陽炎(かげろう) 過酷な旅/道のりは遠きけど 後に 続け》《気まぐれでは行きつけない/思いつきなど まかり通る事なく》《例え 朽ち果てて/全て 失くしても/きっと 悔やみはしない/new frontier 待っていろ/いつか この後に/道は できるだろう》(M10「冒険者たち」)。

M8「Week!」は辛うじて現代の物語であることが想像できるが、それとて、心地の良くないことが連続していることが分かるのみで、どんな主人公であるか、その背景らしきものも示されてはいない。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」に至っては、歌詞だけではそのシチュエーションはほぼ分からず、進むべき道(と言ったらいいだろうか)が示されているのみである。

そして、これもまた伴都美子に合っていたと思う。ファンならずとも、当時のDo As Infinityを知る音楽ファンならば、彼女がクールな雰囲気の漂うアーティストであったことをご存知ではなかろうか。筆者は一度だけDo As Infinityにインタビューした経験があり、そこで伴と話したことがあるのだけれども、こちらがイメージする20代前半の女性に比較すると、随分と落ち着いた感じで話す人であったことを思い出す。そんな彼女のキャラクターがあったからこそ、聴く人が感情移入しやすかったのかもと想像する。

感情移入ということに関して言えば、“僕”という一人称が多いというのもその要因であろう。M1「深い森」、M2「遠くまで」、M10「冒険者たち」がそうだし、上記以外ではM5「翼の計画」もそう。老若男女問わず、歌詞の世界観に入り込みやすい作りが成されていたのではと思う。その一方で、これはアルバムならではのことだと思うが、M11「遠雷」のような歌詞があることも見逃せない。

《隙間ない入道雲の下 あの日は 母と二人/日傘を差して 手を引かれ 歩いてた 夏の道》《これからくる夕立の予感 響く遠雷/あれからの私達をまるで占うような》《あの日のあなたに近づいて はじめてわかる/突然しゃがみ込んで流した 最後の泪》(M11「遠雷」)。

余白は余白でも、シングル曲とは異なり、わりと明確なシチュエーションと、少ないがはっきりとした言葉だけを示して、聴いた者が考える余地を残している。優れた映画を見るかのような余韻がある。シングル曲で見せたDo As Infinityらしさの派生のようでありつつ、そんな歌詞の楽曲をアルバムのラストに置くことでユニット自体に対する捉え方自体も変わってくるかのようでもある。心憎いばかりのアクセント。この辺も巧みである。

Vo&Guならではの音作り

さらにこの人たちの優れたところは、そのサウンドに見出すこともできる。Do As Infinityは伴と大渡亮(Gu)とのふたり。ご存知の通り、ヴォーカリストとギタリストとのユニットである。どの楽曲にしても、ギターはアコースティック、エレキのいずれもがヴォーカルと拮抗するように配置されている。

柔らかでオーガニックな雰囲気のアコギの刻みから入るM1「深い森」。サビ頭のM2「遠くまで」では、その頭のサビ終わりで印象的なギターのリフが聴こえてくる。M3「タダイマ」のサウンドは、そのM1、M2の中庸といったところだろうか。アコギのストロークが歌に並走しながら、ポイントポイントでワイルドなエレキが鳴る。それに続く、ハードロック的なアプローチを強めにしたM4「Get yourself」辺りから、このユニットの本領があらわになっていく。前述の通り、伴はハイトーンを操るタイプのヴォーカリストではないので、所謂ハードロックとはまた違う印象ではあるのだが、ギターリフと歌が交差していく感じは如何にもロックバンドだし、このユニットの表現としては真っ当だ。

M5「翼の計画」もそう。同期を前面に出してリズムにはクラブっぽい音(死語)を導入しているのだが、基本的には伴、大渡のユニットであるのだからバンドサウンドにこだわる必要もない。それで言えば、M6「構造改革」はもっとイッちゃってる。冒頭からシタール&逆回転音と、完全なサイケデリックロック(その部分は、7thシングル「Desire」のカップリング「CARNAVAL」の逆再生らしい)。それからのジャングルビートが展開してホーンセクションも入って、しかも全体にはソリッドなギターが支配するという超カッコ良いナンバーである。何か総力戦を挑んできたような印象で、ユニットであることの利点を最大限に活かしていると思う。オリエンタルな雰囲気のM7「恋妃」は抑制が効いた感じでスタートするものの、Bメロからサウンドがガツンと重くなる、これもハードロック的なアプローチを見せるナンバー。ヴォーカルのテンションも高い(特に間奏明けがいい)。サビメロはキャッチーだがマイナー調で、初めて聴いた18年前には“こんなこともできるのか…”との感想を抱いたものだ。

以降、さわやかなメロディーを持つM9「Hang out」を、M8「Week!」とM10「冒険者たち」という両シングルナンバーに挟む形で収録し、そこからたおやかなスローバラードM11「遠雷」で本作は締め括られる。いい並びだと思う。前半と後半にシングルチューンを配し、本作の中でのロックサウンドの極北とも言えるM6「構造改革」とM7「恋妃」とを中盤に置くことで、大衆的でありつつも、それだけでないことをしっかりと示している。しかも、その“それだけでない”楽曲は全11曲中2曲。全体の20パーセントを切る割合で、決してマニアックな方向性を持ったユニットでないことも明白である(極北とは言ったものの、それはあくまでのこのアルバムの中で…ということは念押ししておく)。そう言えば、当時この辺のことをメンバーに尋ねた時、“チラ見せする程度がちょうどいい”とにこやかに語ってくれたことを思い出した。悪い意味でのエゴがない。その辺も彼女たちを優れた工業製品と言った所以である。

デビュー時にストリートで活動

工業製品なんて言い方をすると、彼女たちは作られたユニットであって、俗に言うお人形さん的な感じかと思われる方もいらっしゃるかもしれないので、決してそうではないことを強調して本稿を締め括ろう。まぁ、もともとメンバー同士で自発的に始めたユニットではないので、作られたユニットという言い方は一部では合っているのかもしれない。『DEEP FOREST』発売の時点ではフロントメンバーを離れていた、長尾大からDo As Infinityは始まっている。彼中心のユニットをレーベルが主導するかたちで発足させ、そこに伴、大渡が加わったというわけだ。しかも、それはすでにデビューシングル「Tangerine Dream」(1999年)の制作に入っていた頃だという話もあるので、少なくとも最初期において現メンバーのふたりは能動的に関わっていたとは思えない節もある。

しかし──ファンならばご存知の通り、ストリートライヴを行なうことでユニットとしての音を固めていく。最終的にはストリートでのパフォーマンスは100本以上にも及んだという。長尾はすでに浜崎あゆみhitomiらへ楽曲提供していたわけで、今となっては随分と泥臭いやり方を選んだものだとも思うが、それは見事に奏功。彼女たちは“バンドをやりたい”という意思を統一させた。その後、3rdシングル「Oasis」(2000年)からアレンジャーに亀田誠治氏が加わり、所謂ロック色を強めていく(亀田氏はサポートベーシストとしてDo As Infinityにも参加している。『DEEP FOREST』では、特にM10「冒険者たち」のランニングするベースラインが絶品!)。そして、先に述べたように伴の歌も、大渡のギターもしっかりと自己主張していき、表舞台に立たなくなったとは言え長尾にしてもコンポーズや楽器演奏においてその実力を発揮していったのは間違いない。

つまり、Do As Infinityとは誰かひとりが主導権を握るのではなく、そこに携わる人たちが持ち場を堅持することでそのフォルムを描き出したユニットだったと言える。もしかすると、音楽制作に携わった人たちだけでなく、CMタイアップを決めてきたスタッフもDo As Infinityの一要素だったと言っていいのかもしれない。端から大勢の意思を反映させて作品を創作するような方法論。それによって大量生産も可能になったのだろう。デビューから3年間で14枚ものシングルをコンスタントに制作し、それらをことごとくチャート上位に叩き込んでいる。これも立派なことだと思う。以上が彼女たちを指して工業製品のようだと言った理由であるが、往年のソニーの電化製品がそうであったように、あるいは現在のアップルの製品がそうであるように、そのコンセプトが優れていれば、工業製品と言えども実用一辺倒のものではなく、コアなファンを持つ芸術品にも近いものとなる。Do As Infinityも同様であろう。

TEXT:帆苅智之

アルバム『DEEP FOREST』

2001年発表作品

<収録曲>
1.深い森
2.遠くまで (Album Ver.)
3.タダイマ
4.Get yourself
5.翼の計画
6.構造改革
7.恋妃
8.Week!
9.Hang out
10.冒険者たち
11.遠雷

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