D・フジオカ『モンテ・クリスト伯』は視聴者を試す復讐劇

6月14日(木)16時0分 NEWSポストセブン

満足度は回を追うごとに上昇d(番組公式HPより)

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「賛否両論」は、昨今のヒット作のキーワードだろう。フォロワーもアンチも巻き込んで大きなうねりが発生した時、その作品はヒットの称号を得る。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が注目のドラマについて指摘する。


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 遠くまで見わたせる海。背後のボケ味が美しい。船、漁港、市場とロケを多用した匂いたつようなシーン。まるで額縁の中の絵のような映像を背景に、しかしピリピリと漂う緊張感。ドラマ『モンテ・クリスト伯−華麗なる復讐−』(フジ系木曜)がいよいよ今夜9時、拡大版2時間となって最終回を迎えます。


 このドラマ、「異色作」と呼んでもよいのではないでしょうか? あるいは、視聴者が試される「リトマス試験紙」とも。なぜなら、ザテレビジョンの視聴熱調査やテレビウォッチャーの満足度調査では高得点を叩き出し、満足度は回を追うごとに上昇し絶賛される一方で、「ずっこけドラマ」などと極端な酷評も見られるからです。こうもくっきりと評価が分かれるドラマも珍しい。


 いったいこの分裂、何に由来しているのでしょうか? このドラマは何を浮き彫りにしているのでしょう?


 原作は19世紀のフランス小説『モンテ・クリスト伯』。日本では『巌窟王』で知られる復讐の物語。その屋台骨の「復讐」という筋は保持しつつ、ディテイルは大胆な翻案によって現代の日本に置き換えられています。


 主人公は、片田舎の小さな漁港で漁師をしていた柴門暖(ディーン・フジオカ)。ある日、テロリストとの関係を疑わわれ逮捕されてしまう。結婚直前の幸せを破壊され奈落に落ちる。15年間も監獄に幽閉された後、柴門は脱出に成功。大金を手に名前を変え、「モンテ・クリスト・真海」という別人物として戻ってくる。自分を陥れた人々に復讐するために。


 そのモンテ・クリスト・真海の姿は……口髭、きっちりとなでつけた髪、スーツ。豪邸に住むシンガポールの大富豪であり投資家。日本語を話すけれど、どこか英語なまりの語尾。うさんくさくて浮き世離れしていて、背後に何かを隠していそう。


 徹底的にキッチュな役柄で「作り物」の面白さを際立たせています。そんな「モンテ・クリスト・真海」の存在をめぐって、視聴者の反応が四分五裂。キッチュな作り込み感が面白い、柴門がモンテ・クリスト・真海を演じる二重性を「フィクションならでは」の醍醐味と感じて楽しむ人もいる。その一方、不自然だと全否定する意見や拒否反応を示す人も。


 特に視聴者の間で議論になったのは、「柴門暖が姿を変えモンテ・クリスト・真海として現れた時、誰もその正体に気づかないのはオカシイではないか」という点(正確には元婚約者のすみれだけは最初から気付いていた、という解き明かしがされる)。演出担当の西谷監督は、ディーン・フジオカさんに正面から二役を演じさせた理由についてこう語っています。


「整形したのかとか昔はすごく太っていたのかとか、それを特殊メイクでやろうとかそういうのをいろいろ考えました。だけど、それも全部小手先だし、見る人にとっては同じ役者さんだってわかってるわけだし、そこは堂々といけばいいと思いました……意外と人間って他人のこと覚えてないなと思って」(西谷弘監督「マイナビニュース」2018.6.7)


 西谷監督のコメントで最も興味深いのは、「意外と人間って他人のこと覚えてない」。よく考えるとたしかに、そういう側面はあるかもしれません。


 しばらく前のことですが、子どもの記憶から作られた「似顔絵」が実に正確で、犯人逮捕の決定的な手がかりになった事例が続き話題になりました。その際、「子どもの目は大人よりも優れている」という指摘がされました。なぜか?


 大人はありのままを見られない。自分なりの意味や知識、解釈を加えてしまう。例えば、眼鏡や髪型、肩書きや高そうな衣服や時計などの属性によって、大きな影響を受けてしまいがち。しかし子どもは網膜に映った映像、形や色をそのまま受け取り覚えている。


「外部から『こうだったのでは?』と情報を入れられても、子どもは『違う』とはっきり否定できる。一方、大人は『そう言われればそうだったかも』などと、あやふやになってしまう」と専門家がコメントしていました。そう、西谷監督が指摘するように、日常の中で意外と、人は他者のことを正確には見ていないし覚えていない、ということも、ありうるのかもしれません。


 特に『モンテ・クリスト伯−華麗なる復讐−』というドラマは、フィクションとは何かを問う作品である点が、実に興味深い。当り前ですがお芝居では日本人が外国人になったり若者が老人になったりする。宝塚歌劇団では女性が髭ヒゲつけ男性になるし、歌舞伎はその逆も。


 そもそも歌舞伎は「ケレン」が見所です。登場人物がガマガエルに変身したり狐や桜の精になったり。「実は何々」「実は−」と変身するのが日常茶飯。観客も不自然と思わず「こういうシチュエーションね」と、いわばお芝居の約束事として受け入れ流れに乗って展開を存分に楽しむ。


 同じく、柴門暖がモンテ・クリスト・真海となって現れた時、「ああそういうことね」と受け入れるかどうかで、ドラマ世界の扉は開きもするし閉じもする。その意味でリトマス試験紙のようなドラマです。


 さて、今夜はいよいよ最終回。復讐劇はいったいどこに着地するのか。絶妙な演出と計算された脚本、アクの強い演技を見せる役者の力によって、ドラマ界に新たな潮流が生み出されるのか、注目です。

NEWSポストセブン

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