雅子さま、ご成婚25周年で会見を開かれなかった本当の理由

6月15日(金)16時0分 NEWSポストセブン

慰霊碑に花を手向けられた両陛下(撮影/JMPA)

写真を拡大

 降りしきる大粒の雨が地面を叩き、マントの肩には水染みが広がっていく。海から吹きつける冷たい風は、温度計の18℃という数字よりも格段に寒さを感じさせた。それでも、天皇皇后両陛下は、手向けられた白菊の花束の前で、静かに祈りを捧げられた。


 6月11日、両陛下は東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市に足を運ばれた。2泊3日の最終日となったその朝、美智子さまは38度を超える高熱に襲われていた。


「初日は25℃近い汗ばむほどの陽気だったのに、2日目に屋外で行われた全国植樹祭の式典では、小雨の中、16℃前後まで一気に冷え込みました。ご体調不良を受け、最終日は一部の予定をキャンセルすることも検討されたそうですが、美智子さまの強い要望もあり、すべてにお出ましになりました。大変おつらそうな様子でしたが、帰京のため福島駅に到着されたときにも、集まった地元住民に傘を差さずに手を振られ、別れを惜しまれていました」(皇室記者)


 来年4月末の退位を前に、天皇皇后としての最後の被災地訪問となる見通しだっただけに、これまで「祈りの旅」に全身全霊をかけてきた美智子さまの思いも一層強かった。


 両陛下が福島に到着された6月9日は、皇太子ご夫妻にとっても特別な日だった。1993年のご成婚から25年、ご夫妻は「銀婚式」を迎えられた。


《天皇皇后両陛下のご成婚25周年の折に、陛下に皇后様が差し上げられた「感謝状」という言葉以上に私の気持ちに相応しい答えが見つかりませんので、このお答えに私も倣わせていただいて、皇太子殿下にも「感謝状」を差し上げてもよろしいものでしょうか…》


 雅子さまは、25年という年月をともに歩まれた皇太子さまへの思いを、「文書」にそう綴られた。


「記念すべき節目ですから、宮内記者会は、おふたり揃っての『記者会見』を要望していました。来年5月の御代がわりを迎え皇后となられれば、記者会見は避けては通れません。宮内庁側も、会見の可能性を最後まで模索したそうです」(宮内庁関係者)


◆皇室に存在する絶対的序列


 雅子さまの会見は、2002年12月の誕生日などの会見が最後で、実に15年以上前だ。翌年の誕生日直前に帯状疱疹を発症し、その後長きにわたる適応障害の療養生活に入られてからは、一度も開かれていない。



 そもそも、記者団に囲まれること自体、大変な緊張を強いられる。加えて雅子さまの場合、過去の会見で言葉尻を取られ、かまびすしい批判が向けられたことがあった。


 今年4月、『女性自身』が《銀婚式「会見」を断固拒否で宮内庁&記者クラブと冷戦再び!》という見出しで、雅子さまがそうした「トラウマ」を理由に、会見を開かれないと報じた。


 たしかに、記者会見は行われなかったが、その理由はまったく別のものだ。


「ご夫妻の結婚記念日と、両陛下の『最後の被災地訪問』の日程が重なっていたことが本当の理由です。16年ぶりに雅子さまの会見が開かれたとなれば、各メディアはその報道で一色になり、両陛下の地方公務への関心が低くなってしまいかねません。


 皇室内には絶対的な序列が存在します。それは、一般の人が考えるような『上下関係』よりも重要視されるものです。両陛下の、しかも最後となる被災地訪問の“裏”で、会見を開くわけにはいかなかったんです。


 今回、文書回答が報道陣に届けられたのは、結婚記念日前日の15時頃。療養期間中、雅子さまの誕生日文書などは、発表予定時刻からずるずる遅れ、夜遅くなることも頻繁にありました。それだけ、文書回答とはいえお考えを出すのはかなりデリケートなこと。今回、例を見ないほど早かったというのは、それだけの余裕があったということです。実際には、雅子さまは会見を行うのに充分な気力も体力も快復されているのではないでしょうか。両陛下との“バッティング”がなければ、会見も実現していたように思われます」(前出・宮内庁関係者)


※女性セブン2018年6月28日号

NEWSポストセブン

「雅子さま」をもっと詳しく

「雅子さま」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ