日大「田中・内田体制」産みの親である元総長を直撃

6月15日(金)7時0分 NEWSポストセブン

警察OBらが教授となった日大管理学部(撮影/上野ヒトシ)

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“悪質タックル騒動”のなかで日本大学という組織の奇妙な構造が明らかになった。なぜ、相撲部監督が理事長にまで上りつめたのか。なぜ、アメフト部監督が人事を握る実質ナンバー2の常務理事となり、今なお、曖昧なかたちでしか責任を問われていないのか。


 権力体制のルーツは学生運動の時代に遡る。1968年、日大に20億円もの使途不明金が発覚したことから、学生や父母が古田重二良(じゅうじろう)会頭(故人)を追及し、全理事の退陣を求める運動に発展した。その時、古田会頭が用心棒として重用したのが柔道部、相撲部、アメフト部といった体育会に所属する学生たち。彼らは4000人の全共闘学生に対し、わずか300人で互角に渡り合ったという。この頃、日大の相撲部4年に前年の学生横綱のタイトルを獲得していた現在の理事長、田中英壽氏がいた。


“相撲部のスター”だった田中氏が大学トップの理事長まで昇格する過程について取材を進めると、その出世にも「運動部」が絡んでいるという証言を得た。元理事のX氏が明かす。


「保健体育審議会事務局の課長に過ぎなかった田中氏が出世するのは、1996年に始まる瀬在幸安総長の時代。総長選の頃から瀬在氏に接近した田中氏は、その後6年という短期間で、常務理事にのし上がる。“3段跳び”という見たこともない異例のスピード昇格でした。


 この時に田中氏は、34部ある体育会を権力獲得のツールとして利用するためか、将来の学部長になり得る教員を、運動部の“部長ポスト”にスカウトして取り込むことを繰り返したのです。医学部長だった瀬在氏も、競技経験ゼロなのに相撲部長に迎え、結果として後の総長との接点を作ることに成功した。今のアメフト部の加藤直人部長(副学長・文理学部長)も、アメフトの競技経験はありません」


 田中氏は体育会という基盤があったからこそ、出世の階段を上れたとみるのだ。別の大学関係者もいう。


「保健体育審議会はどのように運営されているか、他の教員にはよくわからない。かつて審議会に初めて出た教授によると、その予算規模は実に年間40億〜50億円。教員や監督の人件費を加味すると、おそらく全体で70億円近くはあるだろうと驚いていました。一つの学部よりも規模の大きい“独立王国”です」(日大広報に確認すると、「個別の予算規模はお答えできません」と回答)


 いまは田中理事長によって引き上げられたアメフト部前監督の内田正人氏が、この審議会の事務局長を務めているという事実を改めて確認しておきたい。ここに至るまでに田中氏は熾烈な学内競争も勝ち抜いてきた。


「瀬在氏が競わせるように重用し、同時に常務理事に取り立てられた職員がいました。ただ、2005年に田中氏がナンバー2として実権を握った後、このライバル職員は本部2階の窓のない資料庫の整理係に異動となり、最後は稲城の総合グラウンドの守衛に追いやられた」


 そうして田中氏は2008年、ついに理事長に就任し昨年9月には4選を果たした。配下で動いたアメフト部監督(当時)の内田氏は、常務理事にまで引き上げた。田中氏を出世街道に乗せ、田中−内田体制の“産みの親”ともいえる瀬在元総長に直撃すると、こう憂いを口にした。


「私は田中氏を特別に優秀な人だと見込んで引き上げたつもりはありません。今は学生のため、100万人の卒業生のためにも1日も早い正常化を望むばかりです。多くの真面目なOBからも大学を心配する声が私の元に寄せられている」


“体育会支配”という独特な発展を遂げた日大という組織は、これから一体どこへ向かうのか。


※週刊ポスト2018年6月22日号

NEWSポストセブン

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