「彼になりたい…」究極の《片思い》の描き方 〜角田光代『愛がなんだ』に見る名場面

6月17日(木)13時0分 婦人公論.jp

人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第5回は「片思い」の名場面について……

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第3回「《回想》名場面:森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』」はこちら

100%自分目線は、小説だからこそ


小説と映画の違いは何かといえば、「一人称で語れるかどうか」ではないだろうか。
もちろん小説と映画の違いはたくさんある。そもそも文章と映像では情報量が違う。触れている時間も違えば、物語の在り方も違うだろう。

しかしあるエピソードを描くとき、小説と映画で決定的に異なるのは、小説が「一人称」を使えることだ。

小説は、主人公目線でエピソードを描くことができる。私たちが普段生きているのと同じように、誰かひとりの目線で物事を綴る。

一方で映画は、カメラがそこにある限り、基本的には「三人称」のメディアである。もちろん主人公目線の映像を撮ることもできる(あるいは、ナレーションなどで工夫はできる)が、主人公と相手をカメラに収めていると、観客はそれを「三人称」の物語として受け取る。

100%自分目線でエピソードを語れるのは、小説だからこそ、なのだ。

さて、今回のテーマは「片思い」である。小説で片思いを描写するとき、それが一人称の語りだからこそうまく描かれている物語がある。角田光代『愛がなんだ』も、そのひとつだ。うーん、これは小説だからこそ描ける感情だなあ、と読んでいて唸る。

恋なのか愛なのか、それともただの執着なのか


『愛がなんだ』は、2019年に岸井ゆきのさん主演で映画化され、すごく話題になっていた。だから『愛がなんだ』をもしかしたら映画としてしか知らない人も多いかもしれない。映画もすばらしかった。が! 私は、『愛がなんだ』は、小説こそ読まれてほしい! そう心から思う。

だって『愛がなんだ』の片思い描写は絶品なので!

主人公・山田テルコは、友人が開催した飲み会で、マモちゃんという男性に出会う。そしてハンガーみたいに細いマモちゃんに、一気に恋に落ちてしまったのだ。それからテルコの片思いの日々が始まる。マモちゃんに呼び出されたらすぐに彼のもとへ向かう。テルコのなかで彼が最優先になってしまったから、会社の仕事も付き合いも疎かになる。当然、周囲からの評判は下がる。それでもよかった。マモちゃん以外のできごとは、「どうでもいい」フォルダに入ってしまったのだから。

テルコの片思いは、はたしてどこへ向かうのか? それはもはや恋なのか愛なのか、それともただの執着なのか?

テルコとマモちゃんの関係性を、テルコ目線で綴ったのが小説『愛がなんだ』なのである。

作者の角田光代さんを、私はものすごく小説が上手い人だと思っている。いや、みんな知ってるよ! 角田さんが小説上手いなんて今更だよ! それでも読む度に、家族の物語でも、女性の一生でも、女の友情でも、なんのテーマの物語でも、「わあ小説が上手い」と思う。

そんな角田光代作品のなかでも『愛がなんだ』は、読み返すたび、とくに胸がきゅんとしてしまう小説である。そもそも傑作なんだけど、それ以上に、テルコのとめどない衝動、パワー、そしてそれを成立させる説得力がすさまじい。「世の中において大切なものがここにある!」と言いたくなる。宝物を見つけたような心地になるのだ。

片思いの、ひりつくような孤独に耐えられるのは


若いころ特有の、意味のわからない片思いパワー。なぜか恋愛至上主義になってしまう主人公たち。『愛がなんだ』が描くそれらの背後にあるのは、若さを持て余したエネルギーと、それを誰にもぶつけられない孤独だ。

たぶん、人はエネルギーが余ってないと、「好きな人が、ぜんぜん自分のことを好きじゃない」という孤独に耐えられない。体力がない状態だと、自分のことを好きそうではない相手を、わざわざ追いかけようという気にならない。つまり片思いをするってことは、孤独に耐えられる頑丈さを持っている証だ。

片思いの、ひりつくような孤独に耐えられるのは、心も体もちゃんと若いからだ。——『愛がなんだ』は、そんな若さをこれでもかと描く。


角田光代『愛がなんだ』角川文庫

『愛がなんだ』の、テルコとマモちゃんのエピソードは、どれもすごく良い。たとえばマモちゃんと飲んだ後の話。

テルコは内心マモちゃんの家にこのまま転がり込みたいと思っているのだが、そんなことを期待してはいけないと下心を抑え込む。深夜にたっぷりごはんを食べ、お酒を飲んだ後、マモちゃんとテルコは、タクシーを待つ。

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「タクシー全然こないね」マモちゃんが言う。夜空は紫色だ。切り込みを入れたみたいな細い月がかかっている。冬はまだ先なのに、町は冬のにおいがする。

「あ、きたきた」マモちゃんは言って道路に走り出る。「山田さん、うちくる?」片手をふりまわしながら、いやになるくらいさりげない口調でマモちゃんは言う。
「へっ、いいの?」
 あんまりにも予想外の問いに驚いて、私の声は裏返っている。
 
「タクシーこないし、いっしょに乗っちゃおうよ」
 マモちゃんは言う。タクシーは私たちの前でとまり、マモちゃんが私を先に乗せる。自分も乗り込んで、世田谷代田お願いします、低い声で言う。
 世田谷代田、どの道つかいます? あ、空いてそうなとこならなんでもいいっす。
 後部座席で私は放心したまま、運転手とマモちゃんのやりとりを聞いている。期待しないように。放心しながら、頭の一番冷えている部分で私はくりかえす。始発電車で帰れと言われるかもしれないのだし。やっぱ帰ってくれるかな? と、着くなり言われるのかもしれないんだし。
「あーねむ」
 私が必死で考えている悲観的仮定とはしかしまったく無関係に、マモちゃんは座席からずり落ちそうな姿勢で目を閉じる。やがてしずかな寝息が聞こえてきて、ひどくとんちんかんだけれど、もし生まれ変わるのなら田中守になりたい、なんて、そんなことを思った。
(角田光代『愛がなんだ』角川文庫 p43)


ーーーーー

彼が他者じゃなくて、自分ならいいのに


……このエピソードのいちばんのキモは、最後の一文だ。テルコの片思いのありかたをこれ以上なく的確に描写した文章だと思う。

「やがてしずかな寝息が聞こえてきて、ひどくとんちんかんだけれど、もし生まれ変わるのなら田中守になりたい、なんて、そんなこと思った」。

ふつうなら、こんな台詞出てこない。だって、片思いの相手に対して願うのならふつうは「彼になりたい」ではなく「恋人になりたい」とかだろう。

だけどこの台詞が出てくることこそが、小説『愛がなんだ』の大切な核なのだ。

タクシーに乗ったテルコはわたわたと、今日は彼の家に泊まれるかどうか考える。期待しないでおこう、と必死に思う。

しかしそんな自分の思惑なんて知らず、ただマモちゃんは軽い眠りに落ちる。

そんなふうにテルコとマモちゃんは、まったくもって別の個体——違う人間だから当たり前なのだが——であることを、あらためてテルコは確認する。

「こっちはこんなにあなたに思いを掛けているのに、それをまったくあなたは知らないのだな」と。

そんなふうに、テルコはマモちゃんを他者だと実感したところで、ふと「彼が他者じゃなくて、自分ならいいのに」と、思う。

だからテルコは思うのだ。「ひどくとんちんかんだけど、もし生まれ変わるのなら田中守になりたい」と。

片思いは、相手が自分の思い通りにいかない完璧な他者だからこそ生まれる感情だ。だからふと願ってしまう。ああ、この他者性みたいなものを、なくせたらいいのに、と。

——片思いの究極の願望だなあ、と私はこのシーンを読んで、感じてしまった。

自分の思惑なんてまったく知らない彼


……でも、この感情の流れって、なかなか映像では説明しづらい。

いやべつに説明してもいいんだけれど、やっぱり文章で、ここまでテルコ目線の描写があったからこそ「もし生まれ変わるのなら田中守になりたい、なんて、そんなことを思った」という一文が読者に説得力をもって迫るんじゃないだろうか。

自分の思惑なんてまったく知らない田中守を見つめて、テルコは思う。この人が他者じゃなくて自分ならいいのに、と。

それは片思いの願望としては正解ではないんだろう。(だから「とんちんかん」とテルコも言う)。それでも、正直なテルコの言葉だと思う。もはや、彼が他者じゃなけりゃいいんだ。彼のことを考えすぎたら、そんなふうに思ってしまうこともあるだろう。
私はとても好きな場面だ。

小説の最後に、テルコのモノローグとしてこんな一文が登場する。

「私はただ、マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。」(p211)

単純な恋とか愛とか、恋愛がゴールの話ではない


『愛がなんだ』で描かれる「片思い」のありかたは、ちょっとどうかしている衝動的なエネルギーを、他者にぶつけてしまう、そしてそれが執着として続いてしまう、その様子なんじゃないだろうか。

単純な恋とか愛とか、恋愛がゴールの話ではない。

恋愛をしたい、という一般的欲望の隠れ蓑をまとった、自分の孤独と衝動を他者にぶつけるテルコの様子。

それを人は「恋愛」とか「片思い」と呼ぶのかもしれないけれど、私からするともっと原始的な、他者と自分の輪郭をなぞり、そしてその溝を埋めようともがく行為に見える。

『愛がなんだ』はその欲望を、徹底したテルコの一人称目線で描くからこそ、片思いを描いた小説の傑作になっている。

※次回は7月8日(木)配信予定です

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