故井上ひさし氏の三女「父のがん発覚後濃厚な時間持った」

6月17日(金)16時0分 NEWSポストセブン

亡くなって6年、井上ひさしさんを三女の麻矢さんが語る

写真を拡大

 女性セブンの好評企画「私の親のおくり方」(2015年から連載)をまとめた書籍『親のおくり方』(根岸康雄著、ポプラ社刊)が発売中だ。総勢11名が親への思いを語る、実録物語として読み応えある一冊であるとともに、「遺言状の書き方」「認知症の親の介護」「お葬式のこと」といった実用コラム情報も収録されている。


 そんな『親のおくり方』の著者である根岸康雄さんが、2010年4月に亡くなった脚本家で作家の井上ひさしさん(享年75)の三女である井上麻矢さん(49才)に、父への思いを聞いた。


 * * *

 ふだんは温厚な父ですが、プロデューサー役の母とのやり取りだけは違いました。


「江戸っ子が描けていないじゃない」と、歯に衣を着せない言葉に、「お、おれを馬鹿にしているのか!!」みたいな感じで始まる夫婦げんかは、みかんやスプーンが飛び交う。


 一つの作品を作るためには、ここまで意見を交わし合うんだ、と私は理解し、育ちました。


 パリに留学中の19才のとき、両親の離婚の噂は、(ひさしさんが主宰する)劇団こまつ座の新作芝居の宣伝だと思いました。しかし両親は離婚し、私たち家族はバラバラになってしまった。離婚の翌年、父が再婚し、お父さんは別の家の人になってしまいました。父との思い出は、心の奥の小部屋にしまったつもりでいたのです。


 井上家のことで、父と話し合わなければならなかったのは、疎遠になって二十数年後。


「しっかりした考えを持った大人になったんだね」


 話し合いの中で父は、私を認める言葉を何度も口にした。それから間もなく、仕事で近くに来たからと、シングルマザーの私の新居を訪ねてきました。


 父はじゃれつく犬を撫で、娘がいれたコーヒーを満足げに飲んで。父が駅までの帰り道を遠ざかっていく。


 お父さんも大変だったんだね…。父の後ろ姿に、初めて愛おしいという思いがこみ上げ、私の頬に温かい涙が伝わりました。


「経理を見てくれないか」。そんな父の頼みは、話し合いから間もない2008年秋のことでした。私は資格を取得し、再就職先が決まっていましたが、こまつ座は家業のようなものです。初めて父に懇願され、私は何かをしてあげたかった。


 こまつ座の経理を知ると、かなりの赤字でした。私も腹をくくり、経理の改善策を実行に移し、父に感謝されました。経理だけでなく制作の仕事にもかかわり始めた2009年秋、父の進行がんが発見されたのです。


「こまつ座の社長を代わってほしい」



 お前以外に誰が継ぐんだ、という父の言葉に、私への信頼を感じました。赤字を理由に断るのは、肉親のすることではありません。父には作品を書くことに専念してもらいたいという思いがありました。


 それから数か月間は、疎遠だった時を取り戻すかのように、父と濃厚な時間を持ちました。ほぼ毎晩、帰宅した11時過ぎから時には朝まで、こまつ座のことについて父と電話で語りました。膨大な父の言葉は“こまつ座を継続することの意味”を私の体に染み込ませる儀式だった気がします。


 井上ひさし戯曲の再演はこまつ座の大きな柱ですが、父が最後に取り組んだ、沖縄戦を題材にした戯曲『木の上の軍隊』を若い作家が完成させ、2013年に初演。今年11月に再演が決まっています。新作の上演、父の原作の映画化も続いています。


 父が亡くなって6年。私が生きる上ですべての源に父がいる、父は私にとって“ふるさと”のような存在です。


 お父さん、こまつ座は続いてますよ、そんな私の声に「麻矢、よくやっているな」と、父の言葉が聞こえる気がします。本当はもっと話をしたかった、新作をもっと書いてほしかったけど。


 お父さん、これからも私を守ってください。


【プロフィール】

井上麻矢/1967年、東京生まれ。高校在学中に渡仏。語学学校と陶器の絵付け学校に通う。帰国後、スポーツ新聞社やリゾート宿泊施設を運営する会社でギャラリーを企画。2009年7月、劇団こまつ座の支配人に。11月より代表取締役社長に就任。


※女性セブン2016年6月30日号

NEWSポストセブン

「ひさし」をもっと詳しく

「ひさし」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ