安楽死を遂げた女性「この考えを押しつけたいとは思わない」

6月17日(月)7時0分 NEWSポストセブン

小島さんと、取材する宮下氏

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 2018年11月28日、多系統萎縮症という神経の難病を患っていた小島ミナさんが、安楽死を遂げた。51才だった。正確には「自殺ほう助」と呼ぶ。劇薬の入った点滴のストッパーを、医師や家族に見守られながら自ら開く。すると間もなく息絶える。もちろん日本では許された行為ではない。だから彼女は、唯一外国人の安楽死が許されるスイスに行った。


 日本人としては初めて公になる安楽死事案である。ジャーナリストの宮下洋一氏はこのたび、その過程を記録したノンフィクション『安楽死を遂げた日本人』(小学館)を上梓した。同氏が取材に協力した『NHKスペシャル』(6月2日放送)も大きな反響を呼んだ。


 小島さんの姉たちは、新潟にある長姉・恵子さん宅で『NHKスペシャル』を視聴したという。次姉の貞子さんは今、こう振り返る。


「私たち姉妹は仲がよく、笑いが絶えませんでした。病気になってからの妹を見ていて切なく、とても『頑張れ』とは言えなかった。私たちができることは、普段通りに妹を楽しませて笑ってもらうことでした。これでいいんだ、これでいいんだ、と。そうしないと私たちの感情も爆発してしまいそうだったんです」


 貞子さんは、複雑な心境を明かした。一方で、番組を見て、改めて確信することもあった。


「ミナちゃんは自らの人生の幕引きを、自分で決めました。妹の強い勇気を誇りに思っています。最期は、本当によかったね、と思う。そういうふうに思わないと、これから私たちは生きていくわけだから。ひとりでミナちゃんのことを思い出した時には、ミナちゃんよかったね、と彼女に問いかけています」


 番組放送後、彼女の選択への共感が広がる一方で、一部では安楽死の道を拓いたことに対する懸念も見られる。寝たきり状態の患者に、重圧を強いることになる、と強い警鐘を鳴らす医療関係者もいる。


 ただし、小島さんも、安楽死が必ずしも正解とは考えていなかった。68日間に及んだ本誌・女性セブンの取材中、彼女はこう念を押していた。


「同じ難病を持つ人々に自らの考えを押しつけたいとは思わない。ほかの患者の希望を奪わないように、そこだけは配慮をお願いします」


 不治の難病を患う、もしくは余命宣告された際に、安楽死という選択を取るかどうか。そんな究極の問いを、彼女は提示したかったわけではないだろう。彼女は常々、こう語っていた。


「自らの死を考えることは、どう生きるかを考えるのと同じくらい大切なこと」


 宮下氏は話す。


「そもそも日本は安楽死を議論する土壌が不充分だと思います。死を巡る思考が深まっていない。宗教的な規範によって死生観が定められ、家族で食卓を囲む場でも死を話題にする欧米と違う」


 日本では余命宣告がなされるようになったのでさえ、ここ20年の話だ。宮下氏が指摘するように、公に死を語ることさえはばかられる。


 だからこそ小島さんの死を受け止めた私たちがすべきことは、安楽死の是非を語ることではなく、まずは、自らや家族が理想とする生と死について語り合い、お互いの人生にどう寄り添えるかを考えることなのではないだろうか。


 臨終の場でも、彼女は柔らかな笑みをたたえていた。昨年の取材中も、彼女は終始笑っていた。そのことを問うと、小島さんはこう答えた。


「私がこうして笑っているのは、泣いて過ごしても笑って過ごしても、私たちの病気というのは、結論が一緒だからですよ。だったら、泣いて周りの人を不快にさせるよりも、笑っていた方が、周りもハッピーだし自分もハッピーだなって」


 最期まで気遣いの人だった。難病を背負いつつも、いつも笑顔を作っていた。それは家族や友人に対しても、そうだったように思える。


「病を患う前から、夢やプライド、ひとりで生きていくという決意…たくさんのものを背負って生きてきた。病後、ますます重くなった。それらの荷物を下ろせた最期の瞬間だけは、心からの笑みを浮かべていたと、私は信じたい」(宮下氏)


※女性セブン2019年6月27日号

NEWSポストセブン

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