母乳からのHIVで子どもを亡くす瞬間に無力感も…FNSチャリティキャンペーン50年、佐々木恭子&倉田大誠アナが語る「伝える」意義

2024年6月23日(日)8時0分 マイナビニュース

●ローマ法王やブリジット・バルドーも参加
フジテレビ系列28局とBSフジが厳しい環境で暮らす世界の子どもたちを支援する「FNSチャリティキャンペーン」が、今年50周年を迎えた。テレビ局のチャリティと言えば、日本テレビ系『24時間テレビ』の印象が強いが、それよりも4年前にスタートした先駆的な取り組みだ。この一環で、倉田大誠アナウンサーがネパールを取材した『FNSチャリティキャンペーン2024 ネパール 見捨てられた20万人』『山で生まれて…“再生産される貧困”』が、同局系情報番組『めざまし8』(毎週月〜金曜8:00〜)で、25日・26日に放送される予定となっている。
この50年、どのような歩みをたどってきたのか。また、テレビ局がチャリティ活動を行う意義とは。フジテレビの吉川裕介執行役員社会貢献推進局長に話を聞くとともに、これまで4つの支援国を取材した佐々木恭子アナウンサーと、昨年度のパキスタンに続く取材となった倉田アナウンサーに、現地での忘れられない出会いや感じたこと、そして「伝える」ことについて語ってもらった——。
○初年度は大みそかに生放送の大型特番
「FNSチャリティキャンペーン」がスタートした1974年、フジテレビ開局15周年を迎えた。これを記念して新たな取り組みを立ち上げる気運が局内にあり、同年、こちらも現在まで続く『FNS歌謡祭』がスタートしたほか、150万人を動員した『モナリザ展』も開催されている。
そんな中、前年の第1次オイルショックにより高度経済成長が終えんを迎え、経済から心を大切にする時代に日本がシフトしていくのを捉え、当時の担当者が発案したのが、ユニセフ(国連児童基金)と協力したチャリティ活動。系列局も巻き込み、日本のテレビ局で前例のない大規模な運動を立ち上げることになった。
10〜12月をキャンペーン期間として、『小川宏ショー』『3時のあなた』といった全国ネットのワイドショーや系列各局のローカル番組で、海外アーティスト、政財界、文化界、スポーツ界などから寄贈された品でオークションを開催し、その金額をユニセフに寄付。ローマ法王やブリジット・バルドーといったビッグネームも参加したという。
そして、キャンペーンの集大成として、大みそかのゴールデンタイムに高島忠夫司会の特番『ユニセフ・ワールドショー“’74 世界の国から大集合”』を東京宝塚劇場から生放送。ユニセフ親善大使(当時)のダニー・ケイもゲスト出演し、全国各地に設置された募金箱も含めた集計で、募金総額は5,500万円以上に達した。
この成功を受け、「FNSチャリティキャンペーン」は、翌年以降も実施されることに。吉川局長は「50年前にとても先駆的な取り組みとしてスタートし、それが現在まで続いているというのは、当時の担当者の先見の明があったんだと思います」と感心する。
○支援国から気候変動の影響実感
3年目の76年度までアジア全域を支援対象としていたが、77年度からバングラデシュ、ネパール、パキスタンなど、具体的な支援国を掲げ、81年度にはウガンダとソマリアの難民救済でアフリカにも拡大。35年目を迎えた08年度からは、支援テーマを「世界の子どもたちの笑顔のために」に一新し、この年は南米・ガイアナ共和国が対象に加わった。
近年は年度の支援国を1つに絞って活動を展開。サイクロンの被害を受けたモザンビーク、モンスーンによる降雨で国土の3分の1が水没したパキスタン、温暖化で氷河が溶けて洪水が発生したネパールなど、「気候変動による自然災害が、地球規模で起こっているのを感じます」(吉川局長)と傾向があるという。
●“大縄跳び”に入るためインドネシア取材を志願
そうした中で、『おはよう!ナイスデイ』『とくダネ!』『めざまし8』と、朝の情報番組を担当するアナウンサーが支援国を現地取材し、番組でレポートするというスタイルが確立。2005年に志願し、インドネシア、マラウイ、パプアニューギニア、ガイアナの4カ国を取材したのが、『とくダネ!』でMCを務めていた佐々木恭子アナだ。
佐々木アナが志願した1つの理由は、阪神・淡路大震災。実家が全壊するという経験をしたものの、当時は大学生で横浜に住んでおり、知人が亡くなったり、周囲から「毎日悲鳴のような電話を受け取った」りした中で、「ある種の贖罪意識が芽生え、入社して、とにかく現場を取材する人になりたいと思っていたんです」という。
入社4年目で『とくダネ!』のMCに抜てきされるが、「2時間の生放送で、回っている大縄跳びにずっと入れない感覚があったんです。今みたいに丁寧に役割を与えてくれる時代ではなかったので、何も発言できない自分がいました」と壁にぶつかる。そこで、「自分が変わらない限り、一生この大縄跳びに入れない」と思い立ち、FNSチャリティキャンペーンで、スマトラ沖地震による大津波の被害を受けたインドネシアの取材に立候補した。
当時、情報番組の女性MCを長期の海外取材に派遣するのは異例のことで、上層部は「何かあったらどうするんだ」と反対。しかし、取材を担当する女性ディレクターが「私に行けと言っておきながら、佐々木アナは行かせないって、どういうことでしょう?」と交渉してくれ、無事取材に行けることになったそうだ。
○劣悪な衛生環境も…毎回1人は体調崩す
取材期間は、約2週間程度。今回ネパールを訪れた倉田アナは「毎日朝早くユニセフの車に乗って取材に出発するのですが、日没になると真っ暗で危険になるので、18時くらいまでしか動けないんです。それと、移動時間もかかります。今回、山火事で朝に搭乗予定だった飛行機が飛ばなくて、車で別の空港に移動して夕方に飛ぶということもありました」と、予定通りにいかない海外取材の難しさを明かす。
劣悪な衛生環境を取材することも珍しくなく、毎回1人はスタッフが体調を崩し、食事が原因でクルー全員がお腹を下すこともあれば、レポーターが高熱を出してしまうことも。水や生の食材には特に気をつけ、ユニセフの車に積んである水のみを飲んだり使用したりするという。そうした様々な制限がある中で日程をフルに使って取材し、放送されるVTRは12〜13分に凝縮される。
それでも、倉田アナは「やっぱり現地での生活に慣れることも必要になります」といい、佐々木アナは「シャワーの水に住血吸虫が湧いてくるから最小の時間で浴びてくれと言われましたし、水も透明じゃないけれど、現地の人がその環境で暮らしているのだから、自分が通用するのに時間はかかるかもしれないけれど、大丈夫」という発想になったという。
その結果、「私がFNSチャリティキャンペーンの取材に行って良かったと思っていることの1つは、自分のキャパシティが広がる感じがあったことです。交通もご飯も、思った通りにはいかないことが多いですが、究極を言うと“それでも生きていられる”と感じるようになりました」(佐々木アナ)と、自身の中で変化が生まれたそうだ。
●“命は平等”なんて言葉はウソだと
これまでの中で、それぞれに特に印象に残った取材を聞くと、佐々木アナが挙げるのはHIV/エイズで両親を亡くし、2人の妹たちを育てるマラウイの16歳の少女。
「当時30代前半で、自分のことばかり考えていた私は、その少女に“学校にも行けず、妹たちの世話をしなければならないことについて、どう考えていますか?”と聞いたんです。すると、“私は生きられている。この子たちを育てるのが私の仕事なんです”と答えてくれて、この年にして誰かのために生きることを選ばざるを得ない人がいる、でもそれを幸せだと語ってくれるということに本当に頭が下がる思いで、もっと支援があればと強く思わされました」
また、HIVに感染して孤絶されたパプアニューギニアの少年の姿も忘れられない。
「ご飯を食べさせてもらえず、会話もしてもらえず、屋根も壁もない吹きさらしの掘っ立て小屋で毛布をかけられているだけで、もう死を待つだけの状態だったんです。両親は亡くなっているのですが、お姉ちゃんは元気なので、親戚の家で大事に育てられ、学校に行っている。その時に、“命は平等”なんて言葉はウソだと思ってしまいました。彼らにとって将来稼ぎ手になってくれる未来はそっちにしかないわけなので、過度な貧困の状況では、とても責められないんです」
この経験は、その後のアナウンサー人生に大きく影響した。
「どんな環境でも生きようとしている人たちを見てきて、“自分には何もできない”と思わないようになったと思います。1歳6カ月の赤ちゃんに自分の母乳を通してHIVをうつしてしまったお母さんが、そのお子さんを亡くすという瞬間を見て、自分の無力感を感じたんです。でも、ユニセフのスタッフの方に言われたのは、“佐々木さんが自分は無力だと思わないでほしい。この事実を伝えてくれる人がいないと、この出来事はないことと同じになってしまう。ここで見たことをぜひ伝えてください”ということ。ここから、伝えること、人の話を聞くという行為とは何なのかを突き詰めて考えるようになり、アナウンサーとしての自分の基礎になったと思います」
○地震大国の日本だからこそできる支援
昨年は国土の3分の1が水没する被害を受けたパキスタンを、今年は大地震の被害があったネパールを取材した倉田アナは、「支援」という概念が大きく変わったと話す。
「パキスタンは非常に宗教色の強い国で、災害が起きてもすべて“神のおぼし召し”ということで片付けるんです。なので、またモンスーンが来て洪水が起こるかもしれないけど、彼らは同じところに住み続けるし、同じ材料でまた家を作る。それは今年行ったネパールも同じ考えでした。そこで私は“地震の勉強はしていますか?”と、いろいろなところで質問したのですが、どこに行っても“したことはないです”と返ってくる。“防災の術があるなら知りたいですか?”と尋ねると、みんな“知りたい”と言うんです。それを聞いて、支援の形として当然お金は最低限必要なのですが、地震大国の日本にできることとして、もしかしたらその“術”を伝えるということも、お金と並ぶくらい大きな支援なのではないかと思いました」
「最初は正直な気持ち、衛生環境などを見て、現地の人たちを憐(あわれ)むような気持ちがあったんです」と打ち明ける倉田アナ。「でも、我々は現地の水や生の食べ物でお腹を壊してしまうけど、免疫の違う彼らにとっては当たり前のものなんですよね。そうしたことに気づいた時、我々が自信を持ってできる支援として、“防災の術”があると思ったんです」と感じるようになったという。
●アナウンサーの原点を感じる直接対話の場
こうした貴重な体験を放送だけでなく、直接の対話によって伝える場として設けられるのが「取材報告会」。系列各局の協力で、主に全国の学校などを訪れ、若い世代の学生たちを対象に実施している。
佐々木アナは「“伝えてくださってありがとうございます”とか“知らないことを知ることができました”と言っていただいて、この話を聞いたのをきっかけに、その後国際支援の仕事を始めたという方もいらっしゃるんです。現地では無力感にさいなまれていましたが、顔が見える相手に伝えるという、アナウンサーの原点も感じることができて、すごくいい機会になりました」と、その意義を感じている。
倉田アナは、番組の映像では伝えきれないエピソードを共有できる貴重な場であると認識。
「今回ネパールに、日本からアルファ米を持っていって農村で夜食べたのですが、そのプラスチックの容器をゴミ箱に捨てますよね。でも、現地の人たちはプラスチック容器のゴミをどう処理していいのか分からなかったらしく、翌朝彼らの畑にそのまま捨てられていたんです。“これはいけない!”、“我々は何のために来たんだ!”と衝撃を受けて、その容器を拾って自分たちで持っていくことにしました。こうした些細なエピソードはVTRでは絶対使われない。小さいことだけど実は大事なことなので、それを語れるのが報告会だと思いますね」
○「世界でフジテレビしかない」パートナーシップ
国連が定めた「SDGs」が掲げる17の目標のうち、「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」など、該当する活動をいくつも行ってきた「FNSチャリティキャンペーン」。吉川局長は「これを50年前から先取りして活動しているということに加えて、単発で終わらず、継続してきたことが大きいと思います。特にコロナ禍の頃はイベントもできないので募金活動など苦労しました。やめることは簡単ですが、一度止まるとまた始めるのはとても大変なことですから」と語る。
SDGsの目標には「パートナーシップで目標を達成しよう」という項目もあるが、吉川局長は「これは、まさにテレビ局が一番大きな役割を果たせるところだと思います」と強調。倉田アナは「ユニセフの現地スタッフに、海外のメディアともこうした活動を一緒にしているのかを聞いたのですが、カメラクルーが2週間来て、リサーチして、車を出して、毎日ロケ取材するのは、世界でフジテレビしかないと言われたんです。このパートナーシップが続いているというのは、素晴らしいことだと思います」と胸を張った。
テレビ局が主体となって行うことで「信頼」が担保されているが、昨年、日本テレビ系列の日本海テレビで『24時間テレビ』の寄付金を着服するという「信頼」を大きく揺るがす不祥事があった。この件を受け、吉川局長は「お金の出金・入金は1人でやらず、必ず複数人で行うという体制が整っているか。我が社はもちろん整っていますが、系列各局にも改めて確認し、もう一度注意喚起を行いました」と説明しており、次の50年に向け、改めて気を引き締め活動していく姿勢を示した。

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