大ヒット曲『小さなスナック』 以後全国でスナック増加

6月23日(日)7時0分 NEWSポストセブン

デビューシングル『小さなスナック』(1968年)

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 グループ・サウンズ(GS)ブームまっただ中の1968年、デビュー曲『小さなスナック』が大ヒットしたパープル・シャドウズ。そのテクニックの高さでも知られたギター担当の今井久が、同年に映画化され社会現象にまでなった大ヒット曲とGSブームの思い出を語った。


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 元々兄がハワイアンミュージックをやっていて、僕も大橋節夫さんに憧れてハワイアンで生計を立てることを目指していたんですよ。でも時代がハワイアンからGSのブームになってきて。そんな時、大橋節夫&ハニーアイランダースのマネージャーから、サベージが所属している事務所を紹介されたんです。それが僕らのGSとしてのデビューのきっかけでした。


 おかげさまで僕が作曲したデビュー曲の『小さなスナック』がヒットして、それまで「純喫茶」という名称が主流だったのに、一気に全国に「スナック」が増えたようですね。「モデルはウチだ」という店があっちこっちに現われて……実際には、赤坂の当時の事務所近くにあったスナックがモデルだったんですよ。『小さなスナック』は藤岡弘(現・弘、)さん主演で映画化もされ、僕たちも出ました。松竹の大船撮影所に通いましたね。何しろ1シーンだけ撮ったらその日は終わりって言うんで、また東京に帰って……。何日もその繰り返しでした。


 あの時代の日本というのはちょうど高度成長期の後半で、テレビ文化は華やかでしたし、ジュークボックスもあっちこっちにあって、大衆に向けて音楽が放たれてましたね。仕事場としてはジャズ喫茶が多くて、ジャズ喫茶ではモンキーズとかレターメンとか、当時の流行りのポップスをやっていました。今思えば1960年代はポップスの黄金時代でしたね。


 曲が売れると急に忙しくなりました。あの頃のテレビは歌謡番組が全盛で、随分出演させてもらいました。東京12チャンネル(現・テレビ東京)に『ジャポップス・トップ10』という番組があって、ほとんどがGSばかりその番組に、僕らはレギュラーで出てました。ティーンズというダンスチームもレギュラーで、そこには後に「青い三角定規」に行く西口久美子がメンバーでいて、ゴーゴーを踊っていましたよ。


 よくギターマニアの人から聞かれるんですけど、もう50年以上使っている僕のギターはVOICEのフロンティアっていって、当時は高かったんですよ。ローンで買うことにして頭金を8000円だけ払ったら翌月、その楽器屋が倒産しちゃって。あのギターは自分の分身みたいな物で、長年の宝物になっています。


【パープル・シャドウズ】1968年デビュー。デビュー曲『小さなスナック』が大ヒット。他のGSとは一線を画すイージー・リスニング的サウンドが特徴のグループだった。GS時代のメンバーは今井久(リードギター)、綿引則史(サイドギター)、川合良和(ベース)、大場吉雄(ドラムス)、途中加入の岡村右(キーボード)。オリジナル曲の殆どを今井久が作曲していた。代表曲は『小さなスナック』『別れても好きな人』(のちにロス・インディオス&シルビアがリメイクしてヒット)など


※週刊ポスト2019年6月28日号

NEWSポストセブン

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