秋篠宮さま、紀子さまとの出会いと婚約時の世間の反応

6月29日(土)7時0分 NEWSポストセブン

婚約発表の記者会見を終え、安堵の表情で向かい合うおふたり(1989年9月、代表取材)

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 6月21日、ポーランドとフィンランドへの公式訪問(6月27日〜7月6日)にあたっての記者会見で、秋篠宮さま(53才)は長女・眞子さま(27才)の結婚問題について、こう語られた。


「それについては、私は娘から話を聞いておりませんので、どのように今なっているのか、考えているのか、ということはわかりません」


 いまだ進展を見せない眞子さまの結婚問題。皇族のご結婚は、そう簡単なものではないのは言うまでもないが、秋篠宮さまご自身の場合はどうだったのだろうか──。


◆“3LDKのプリンセス”に出会われて1年でプロポーズ


 学習院大学在学中に、運命の出会いがあった。秋篠宮さまが大学2年時の1985年4月、大学構内にあった書店での出来事だ。


「こちら、川嶋教授のお嬢さまです」


 店主からたまたま紹介されたのが川嶋辰彦学習院大学教授の長女で、1学年下の紀子さま(52才)だった。


 おふたりは秋篠宮さまが結成したサークル・自然文化研究会での活動を通じて親密な仲となり、神奈川県の三浦海岸などで逢瀬を楽しまれた。翌年6月、常連だった目白のスナックの帰り道でのこと。秋篠宮さまは駅近くの交差点で信号待ちをしていた時、「私と一緒になってくれませんか?」とプロポーズされた。


 突然の求婚に驚いた紀子さまは「よく考えさせていただけませんか」と返答されたが、後に結婚を承諾され、1989年9月に婚約が内定した。


「当時、紀子さま一家は3LDKで家賃3万3000円という学習院大の共同住宅に住み、お宅にはテレビがありませんでした。


 この頃の日本はバブル崩壊直前で、ジュリアナブームの真っ只中。そんな時代に紀子さまの可憐な微笑みを見た多くの人たちは、“まだ日本にこのような女性がいるのか”と一様に魅了され、空前の紀子さまブームが巻き起こりました。そのような女性を選ばれた秋篠宮さまにも、国民から感嘆の声があがりました」(皇室担当ベテラン記者)


 だが、当時は同年1月に崩御された昭和天皇の服喪期間中であり、宮内庁の一部からは、「この時期の婚約はありえない」「皇太子さまより先の結婚は好ましくない」との声が上がった。紀子さまが平均的な庶民であることから、「身分が違うのではないか」との声さえ聞かれた。


「それでも秋篠宮さまは、紀子さまとのご結婚を成就することを望まれました。


 両陛下も“皇族の相手の実家は、国民から見て堅実な家庭ならば問題ない”“交際が長引いて破談になる方がよくない”として、ご結婚をお許しになりました」(前出・ベテラン記者)


 おふたりは1990年6月にご成婚された。「3LDKのプリンセス」と呼ばれた紀子さまはその先の長い道のりを秋篠宮さまと歩むことになった。


 その後、1991年10月23日に眞子さま(27才)が、1994年12月29日に佳子さま(24才)が誕生された。


「おふたりとも命名されたのは秋篠宮さまでした。眞子さまの『眞』という字には“自然のまま、ありのまま”という意味が込められ、佳子さまには“心身ともに佳い子に育ってほしい”との思いが託されました」(前出・ベテラン記者)


 当時、小さい子供たちのために1日1箱吸っていたたばこをきっぱりとやめられたという秋篠宮さまは、親しい人にこんな言葉をかけられた。


「女の子は本当にかわいいですね。大きくなってもお嫁には行かせたくないですね」


 この頃の秋篠宮ご夫妻に大きな影響を与えたのは、ほかならぬ上皇上皇后両陛下だった。


「当時の秋篠宮家は両陛下と同じ赤坂御用地内にお住まいで、秋篠宮ご夫妻は乳母車を押して頻繁に御所を訪れられていました。そうしたふれあいの中で、両陛下の“皇位をつないでいくもの”としての帝王学や立ち居振る舞いなどが秋篠宮さまと紀子さまに引き継がれました。『常に国民とともにありたい』と願う両陛下のお考えは、若いご夫妻に多大な影響を与えました」(元宮内庁職員)


 とりわけ紀子さまは上皇后さまの姿勢に感銘を受け、「美智子さまに一歩でも近づきたい」と思うようになられた。


※女性セブン2019年7月11日号

NEWSポストセブン

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