改名王・せんだみつお 『二千田光雄』『浦島みつお』を経た今

7月2日(火)16時0分 NEWSポストセブン

自らを「ゴキブリ並みの生命力」と評すせんだみつお(公式ブログより)

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 40年続く“氷河期”にピリオドを打てるか──。6月29日、『ナハ!ナハ!』のギャグで知られるせんだみつお(71)が生島ヒロシとともに『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)に生出演。せんだ自ら“芸能界の恩人”と語る和田アキ子に、『生島企画室』の所属になったことを伝えた。同事務所の会長を務める生島は、せんだの契約形態について、「何かあると大変なんで、弁護士に相談して月極駐車場ならぬ月極契約タレントにしました。1か月単位です」と冗談交じりに話した。


 1970年代後半、『ぎんざNOW!』や『うわさのチャンネル』などテレビ、ラジオのレギュラーを10本以上持っていたせんだも、1979年から人気が下降。それでも、話題作りには事欠かず、芸能人の命である名前を何度も変えている。


 ムッシュ中野に始まり、せんだみつお、せんだ光雄、千田光雄、二千田光雄、せんだみつお、浦島みつお、せんだみつお……なぜ、これほど芸名を変更するのか。3年前、せんだは雑誌の取材でこう答えている。


〈売名です。この頃、前座が多いから『前座みつお』に変えようかと思って。死んだら『死んだみつお』にする〉(『FLASHダイアモンド』2016年10月27日号)


 一体、どんな経緯で改名をしてきたのか。当時の記事を振り返ってみよう。ミレニアムの2000年を迎える2か月前、スポーツ紙がこう伝えている。


〈せんだ光雄→「二千田光雄」“独断”ミレニアム改名宣言もマネジャーが反対〉(スポーツニッポン・1999年11月10日)


 当時、NHK時代劇『スキッと一心太助』に出演中で、年明けには蜷川幸雄演出の舞台『唐版 滝の白糸』が控えていた。取材で突然、改名を明かしたせんだにマネジャーが猛反対。役者としての仕事を抱えていることを考えれば、自然な反応と言える。結果的に、せんだ光雄から千田光雄への変更で話が落ち着いた。


 しかし、3か月後、驚愕の記事が掲載された。


〈2000年にちなみ、同時に「せんだ光雄」から「二千田光雄」に改名するつもりだったが、周囲の猛反対に遭い、名字を漢字にするだけであきらめたタレントの千田光雄(52)が、あらためて年内は呼称を「二千田」で通すことにした。(中略)所属事務所は「もう止める気はありません」とあきれて!?いる〉(スポーツニッポン・2000年2月25日)


“二千田光雄”の名はミレニアムの年限りで終了。芸名を元の“せんだみつお”に戻した翌年、せんだは慎吾ママの『おっはー』をアレンジした『ナッハー』というギャグを発表。当時、坂本九のカバーとしてヒットしていたウルフルズやRe:Japanの『明日があるさ』に便乗して『明日がないさ』を発売。精力的に活動するも、不発に終わった。


 芸能生活50周年を迎えた2009年には、“せんだ”の文字を外す大英断に出る。6月21日、BS11の『恐縮です!梨元勝です!』で「7月8日のナハ!の日から1年の期間限定で改名します」と宣言し、“浦島みつお”の芸名を発表。忘れられている自分の存在を思い出してほしいという意味を込め、再起を図った。


 だが、わずか4か月後、朝日新聞にこう報じられている。


〈7月に「浦島みつお」と改名するも仕事が減り、今月15日に元の芸名に戻した〉(朝日新聞・2009年10月26日)


 改名が上手くいかずとも、せんだはめげることなく、「ウケない金ない仕事がない」「ゴキブリ並みの生命力」と自虐で笑いをかっさらった。『アッコのいいかげんに1000回』で「第2黄金期を目指している」と宣言するも、なぜか爆笑を呼んだせんだ。ゾンビのごとく甦るか。


●文/岡野誠:ライター・芸能研究家。研究分野は松木安太郎、生島ヒロシなど。本人へのインタビューや関係者への取材、膨大な資料の緻密な読解で構成する著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の3刷が決定。同書では、1980年代から1990年代にかけてのテレビ史、芸能史、アイドル史も解き明かしている。

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