移動手段は長距離バスとヒッチハイクだけ。17歳と14歳のアメリカ横断2人旅

7月7日(日)11時0分 文春オンライン


『彼女たちの場合は』(江國香織 著)


 ロードノベルの傑作が圧倒的に多いのはアメリカだ。メルヴィルの『白鯨』、トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』などの古典から、ケルアックの『オン・ザ・ロード』、ナボコフの『ロリータ』、そして現代作家マッカーシーの『ザ・ロード』まで、どれも読み応えがあり、作者の代表作であると同時にその時代の代表作でもある。


 そんなアメリカを舞台にした和製ロードノベルが誕生した。主人公は十七歳の逸佳(いつか)と、十四歳の礼那(れいな)。逸佳は日本の高校をドロップアウトして大検に合格し、カレッジに入るまでニューヨークに住む叔母夫婦のところに世話になる予定だったが、従妹の礼那と二人で旅に出ることにする。交通手段は基本、長距離バスとヒッチハイク。大切なルールがふたつ。「この旅のあいだにあった出来事は、永遠に二人だけの秘密にする」「もし途中で帰りたくなっても、旅が終るまでは絶対に帰ってはいけない」。


 ただ旅がいつ終わるのか、どうなったら終わるのかは、二人ともわかっていない。行き先にしても、最初はある程度決めていたが、あとはニューヨークから、ボストン、ポートランド、マンチェスター、そして……。この旅には行き先もなければ目的もない。そのうえ、たいした変化もない。事件といえばクリーヴランドで、自転車にはねられて救急車で運ばれるおばあさんに付き添うことになったあげく、そのおばあさんのアパートで暮らしながら病院に見舞いにいくようになること。それからクレジットカードを親に止められて、逸佳がナッシュヴィルのライヴハウスでバイトを始めることくらいだ。


 ロードノベルという言葉から予想されるダイナミックなストーリー展開、疾走感、犯罪がらみの事件や事故などはほとんどない。そんなもののかわりに、この作品にはとても魅力的な二人がいる。「つけないと、なくなっちゃう気がするから」という理由でいつも日記をつけている礼那は、逸佳に「なくならないよ。事実はなくならない」といわれて考える。「もしなくならないのだとしたら、それらは日記以外の一体“どこ”に、あり続けられるというのだろう」。また、「きのう行った遊園地、すごくたのしかったよね」という礼那に、「また来ればいいじゃん」と答えながらも、逸佳は考える。それは違う、「いつか、また来ることは可能だろう。可能だろうが(中略)きのうの遊園地はきのうにしかないのだし、それはもう通り過ぎてしまった」。


 逸佳と礼那は、これまでの江國作品のなかで特別、作者にかわいがられているような気がする。この書評を書くために再読しながら、「わたしはこの二人に旅をさせたかった。わたしではなく、この二人に」というささやきがこの作品から聞こえてきてしかたなかった。英訳して、アメリカ人に読ませたい一冊。



えくにかおり/1964年、東京都生まれ。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞。



かねはらみずひと/1954年、岡山県生まれ。翻訳家。法政大学社会学部教授。『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』など。





(金原 瑞人/週刊文春 2019年7月4日号)

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