元バニラビーンズ・レナ「便所飯をしていた女子高生が異色のアイドルになるまで」

7月7日(日)17時0分 文春オンライン

 2010年ごろから「アイドル戦国時代」と言われはじめ、ももいろクローバーZ東京女子流、PASSPO☆がアイドルライブシーンを盛り上げていた。その「戦国時代」の中で異色な存在を示していたのがバニラビーンズだった。


 2007年にデビューしたバニラビーンズは、「北欧の風に乗ってやってきた、清楚でイノセントな雰囲気を持つ女の子のユニット」として、キャラクターもパフォーマンスも音楽性も他のアイドルグループと一線を画していた。


 またバニラビーンズは異色でありながら、卓越したトーク力で対バンライブに一体感を作り、多くのアイドルから愛されてきた。


 2018年10月にバニラビーンズが解散してからは、ソロで芸能活動を続けているレナさんに当時のことを聞いた。(全2回の1回目/ #2 へ続く)



元バニラビーンズ・レナさん


◆ ◆ ◆


モー娘。にもAKBにもチャレンジした


——レナさんにはなりたいアイドル像はあったんですか?


レナ アイドルになりたかったというか、テレビの中に入りたかったんです。最初に憧れたのが安室ちゃんで、その後、芸能界に入る近道を探した時にモーニング娘。のオーディションがあって。ラッキー7オーディションでは最終選考まで残ったんですけど、面談でつんく♂さんに「もしひとりでデビューできると言われたらどうしますか?」と聞かれて、「ひとりでデビューすることを選びます」と言ってしまったんです。


——それが受からなかった原因だと。


レナ つんく♂さんのリアクションで「集団行動ができる子を探していたんだ」と気づいたんです。そもそも「芸能界への近道」と考えていた心が見透かされたのかもしれません。


——つんく♂さんにはどんな印象がありましたか?


レナ こちらに目線を下げて話してくださる方だなと思いました。これは有名な質問なんですけど、面談で「モーニング娘。を焼きそばに例えたらどこになりたい?」とも聞かれて。麺という主役になりたいのか、色付けするソースになりたいのか……私は「マヨネーズ」と答えたんですよ。「さらに美味しくする役目」ということで。


——良さそうな例えじゃないですか。


レナ 結局、私が受けたラッキー7オーディションは「該当者なし」だったんですけど、その次に行なわれたオーディションで受かったのが久住小春ちゃんだったので、即戦力を求めていたのかなって。後から「いまのモーニング娘。は太麵だから私は細麵になります」くらい言えばよかったと思いました。



——AKB48のオーディションも受けていたんですよね。


レナ その頃、片っ端からオーディションを受けていたんです。私は17歳で滋賀から出たくて、説得するためには「東京で仕事がある」という理由を作らなきゃいけないと思って。



——モーニング娘。の最終審査までいけば「私、いけるんじゃないの?」と思っても不思議じゃないですよ。


レナ 姉がその頃『恋のから騒ぎ 女子高生スペシャル』(日本テレビ)のオーディションに私を推薦したんですよ。私としてはモーニング娘。を受けるのに悪いイメージを与えそうな番組に出たくなかったけど、オーディションがとんとん拍子で進んで出演することになって。しかも「エピソードをしゃべらなくていいから座っててください」と言われたんですよ。そうなると「東京で勝負できるんじゃないか」と思ってしまいますよね。


人見知りで便所飯をしていた学生時代


——学生時代はモテていたんですか?


レナ そんなことはなくて。めっちゃ人見知りで、コミュニケーションを取ることが苦手だったんです。人前でご飯を食べられなくて、今でいう“便所飯”をしたこともあって。まわりに「ここの養成所に入った」みたいな子はいたけど、私は「オーディションがここまで進んだ」とか一切言わなかったんです。夢って軽々しく口にするもんじゃないと思っていたから。


 心の中で「私だけはここから抜け出してやる」と唱えてました。今となってはそんなライバル心で損をしていたかもしれません。学生時代は楽しんだほうが良かったなって。友達とプリクラを撮ったり、カラオケに行くこともなかったので。



——友達と遊ばずに何をしていたんですか?


レナ 上京資金を貯めるためにめっちゃアルバイトをしていました。両親は「やりたいことがあれば自分でやりなさい」と言う人たちだったので。


 両親としては地元の短大に進んでほしくて、推薦も決まっていたけど、短大を卒業してから上京しても自分の賞味期限は切れているんじゃないかと思ったんです。今しかできないことをしたくて何もないのに上京して、専門学校に通っているお姉ちゃんの家に転がりこみました。


——東京にきて事務所を探したんですか?


レナ それが、お姉ちゃんと渋谷に行ったら、そこで5社くらいにスカウトされて、そのひとつがバニラビーンズの会社だったんです。


——普通の芸能事務所ではなかったんですよね。


レナ カゼプロという広告代理店、ミラクルバスという音楽制作事務所、最初の相方(リカ)が所属していた芸能事務所が共同で立ち上げたフラワーレーベルの所属になったんです。最初に聞いた時は謎すぎたけど、徳間ジャパンでデビューすることが決まっていたから、「じゃあ、ここにしよう」と。1stシングル発売後、リカが脱退して事務所も抜けて。「どうしよう」となった時、カゼプロの社長の知り合いのモデルの子が引っ張ってきたのがリサなんです。



「これ以上」を望まなかったバニビ


——ビジュアルイメージや「北欧から来た」という設定はすんなり受け入れました?


レナ 「何かになりたい」というのが根本的にないのですんなり入っていけました。私は芸能の世界で歌えていればよかったんです。ただ、ライブやリリースイベントは楽しかったけど、自分の実力のなさを痛感することにもなりました。もっと歌えると思っていたので。


——振り付けの動きが少ないのもバニビの特徴でした。


レナ 2ndシングル『ニコラ』の振り付け師は本来ならバリバリに踊る方だったんですけど、ほぼ素人の私たちはボックスすら踏めなくて。もっと振りがあったのに踊れないから削ぎ落としていって。それがバニビのスタイルになりました。「Winkみたい」と言われることはあったけど、振り付けの先生は「ヴォーギング」っていうダンスを意識していたみたいです。



——簡単な振りが進化していくアイドルグループもいますが、バニビはそうじゃなかったですよね。


レナ 私たちは「これ以上」を望まなかったんです。もっとステップを踏めるようになろうと思わなくて、その曲ごとの振り付けを完成させることがゴールになっていました。ボーカルもユニゾンで歌うことに納得していて。だから、個人の能力が伸びることもなかったんです。


——結果的にそれが個性になったと。


レナ 消極的な結果ですけどね(笑)。ただ、MCを頑張ろうという意識は高かったです。ライブで一体感を出せないならMCで一体感を出そうと方向転換して。それも自分たちじゃなくて他の出演アイドルの話をしていたんですよ。MCも盛り上がるし、主催者も喜んでくれるじゃないですか。



私たちが「北欧出身」設定をあまり理解してなかった(笑)


——レナさんへのインタビューも他のアイドルに関する話ばかりでした。


レナ そもそも自分の話をするのが苦手なんです。「レナさんってどんな人ですか?」「バニラビーンズってどんなグループですか?」と聞かれても答えづらいというか。


——性格的な問題ですか?


レナ それもありますし、バニラビーンズは作られたグループで、実は自分たちの意見が反映されていないんです。例えば「今回はどんな楽曲ですか?」と聞かれても、作詞作曲しているアーティストじゃないから「とりあえず聴いてください」と言うしかない(笑)。そもそも「北欧出身」みたいな設定を本人たちがあまり理解してなかったので。


——バニビの2人が制作に意見を出すことはなかったんですか?


レナ 意見を出したことはほぼなかったです。最後の最後にきっと事務所から私たちへの餞別として、セルフプロデュースで楽曲制作させてくれて、自分の好きなバンドさんに曲をお願いして、歌詞はデビューから10年間以上お世話になった作詞家の田形美喜子さんに20代の全てを注ぎ込んだアイドル人生、荒波にもまれた想いを込めて書いてもらいました。



“ガチ恋”のファンがいなかった理由


——17、18歳のアイドルとは違うわけで、「こうしたほうがいいんじゃないか」ともどかしく感じることはなかったですか?


レナ 逆に17、18歳の子のほうが強い意志があったかもしれません。20代後半になると「仕事だから」と割り切れていました。バニビの場合は所属が芸能事務所じゃなく広告代理店で、社長は宣伝マンだから、中身よりも「どうやって面白く展開できるか」を考えていたんです。だから、前半は社長の思い付きでいろんなイベントをやっていました。ただの宣伝トラックじゃなくて、私たちがその中で生活するとか。ファンの方の家に紅茶を入れにいったこともありました。そういう宣伝をしたいためにCDを出す、みたいな感じだったんです。


——本人は「これ面白いぞ!」と思ってたんですか、それとも「何をやっているんだろう」だったのか。


レナ 正直、最初は「何をやってるんだろう」のほうが強かったです。でも、やっていくうちに2人とも「その場を楽しんだほうがいい」という考え方に変わりました。


——ファンがシャレのわかる大人だったのもよかったんでしょうね。防護服を着てのハグ会もありましたし。


レナ 「女性」という売り出し方をしていなかったんですよ。社長が考えていたバニラビーンズが「北欧から来た意志を持たないフランス人形」だったので。活動の後半まではジャケット写真やMVは無表情で通していましたし。だから、恋愛対象として見ているファンがいなかったんです。今でいう“ガチ恋”がいなかった。ごく少数いたとしても、想いが届かないから天に召されたと思います(笑)。



「CDはひとり1枚でいい」


——いわゆる“釣り”みたいなことをやったほうがいいとは思いませんでしたか?


レナ やったほうが太いお客さんが掴めたのかもしれないですよね。バニビって相方がお金持ちと公言していた影響もあってか、「僕が支えなくちゃ」というファンの方が少なくて。それを私たちも自覚して媚を売ることをしなくなったんです。



——地下アイドルの場合はチェキの売り上げで収入も変わってくるので、“釣り”も必要になってくるのかもしれません。


レナ 「チェキでパーセンテージがもらえるから」と過剰に過激になっていく部分はあるのかなと思います。でも、私たちは給料制だったので、物販がどれだけ売れても直接プラスになることはなかっですし、CDだってひとり1枚でいいと思っていましたから。同じCDが何枚あっても聴くのは1枚でいいじゃないですか。


——CDが積まれることになるAKB48グループの選抜総選挙はどう見てました?


レナ 大変だろうけど、その分、彼女たちの報酬に跳ね返っていたらいいなと思っていました。バニビの場合は、相方がお金持ちだったことで、私だけ「給料を上げてください」とも言えなかったけど。2人組のいいところであり、悪いところでもあるんですけど、どちらかが少しでも飛び抜けることがよくないことと思っていましたね。



——例えば10人組のアイドルだったら飛びぬけた子がグループを引っ張るというパターンもあると思います。


レナ 2人組の場合はどちらかが飛び抜けるのは違うのかなって。2人組のアイドルは難しいと思います。最近のWHY@DOLLちゃんを見ていても感じます。はるなちゃん(浦谷はるな)はグイッといきたいんだろうけど、マイペースなちはるん(青木千春)を尊重したいだろうから難しいのかなって。WHY@DOLLちゃんからの相談に乗ったこともあるんです。2人組の悩みならアドバイスできるので。


 Winkさんみたいにパッと売ってすぐに引くならいいと思うけど、ジワジワ売ろうとするといろいろ出てきますから。他のグループのように五角形や六角形じゃなくて、2人だと向かい合ってしまうんですよね。


写真=川しまゆうこ


( #2 へ続く )


元バニラビーンズ・レナが語る“アイドルの辞めどき”「OLくらいの給料はもらってた」 へ続く



(大貫 真之介)

文春オンライン

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