【『ベルセルク』三浦建太郎×『ペルソナ』橋野桂&副島成記】ダークファンタジーの誕生で目指した“セックス&バイオレンス”の向こう側

7月9日(火)11時35分 電ファミニコゲーマー

 アトラスの橋野桂氏は、『ペルソナ3』『ペルソナ5』で、現代を舞台にしたジュブナイルRPGを作り続けてきた。アトラス社内に「スタジオ・ゼロ」を創設した橋野氏は現在、『PROJECT Re FANTASY(プロジェクト リファンタジー)』と呼ばれる新作ゲームを制作中だ。

 電ファミニコゲーマーでは、「真なる幻想世界(=ファンタジー)への回帰」というテーマを掲げて、本格的なファンタジーRPGに初挑戦している橋野氏と、『ペルソナ』シリーズのキャラクターデザインを手がけてきた副島成記氏による、連載シリーズをスタートさせている。

 「ファンタジーをよく知らないからこそ、あえてそれに挑む」と言う橋野氏と副島氏が、ゲーム、小説、コミックなど、日本の第一線で活躍するファンタジーの“達人”たちと語り合い、ファンタジーについての意見を交換するという企画だ。

 シリーズ第3弾となる今回は、長編ファンタジーコミック『ベルセルク』の作者である三浦建太郎氏をお招きして、橋野氏、副島氏の3名による鼎談を行った。

 日本のコミックやゲームにファンタジーが根づきつつあった1989年に連載が開始された『ベルセルク』は、隻眼・隻腕の剣士ガッツが“ドラゴンころし”と呼ばれる大剣を振るい、敵対する兵士や奇怪な魔物を容赦なく切り裂く大迫力の描写で、読者を圧倒してきた。

『ベルセルク』
(画像はベルセルク 1 (ヤングアニマルコミックス) | 三浦建太郎 | 青年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

 戦乱が渦巻き、魔物が人々の体と心を食らう過酷な世界で、自分と仲間たちに襲いかかった壮絶な運命に抗い続ける主人公ガッツのドラマは、おとぎ話のような雰囲気の古典的なファンタジーとは一線を画した“ダーク・ファンタジー”と呼ばれるジャンルを、コミックだけでなくアニメやゲームも含めた日本のエンターテインメントに確立することとなった。

 連載開始から30年が経過し、2018年の時点でコミックス単行本が40巻を数える『ベルセルク』は、日本から世界に向けて発信された、ダーク・ファンタジーの金字塔と言えるだろう。

 今回の鼎談では、『ベルセルク』の素地となっている三浦氏のファンタジー観をはじめ、『ベルセルク』の各要素を決定する際に意図したポイント、そして表現に込める想いまで、ファンタジーの話題だけでなく三浦氏の創作手法そのものについて、自ら詳しく語っていただいた。

 その意味で、『ベルセルク』や『ペルソナ』のファンはもちろんのこと、広く創作に興味のある人に必読の内容となっている。血と暴力のダーク・ファンタジーが生まれる過程には、メジャーな作品を作り上げるための理性的かつ論理的な意図があったのだ。

聞き手/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/なかJ
カメラマン/増田雄介

左から副島成記氏橋野桂氏

『ベルセルク』を生み出す上で参考にしたのは“ディズニー”の構造だった

──まずは『ベルセルク』が誕生した経緯について、お伺いしたいと思います。以前、インタビューで三浦先生は、「マンガがまだお行儀の悪かった時代に、いろんなものを取り込んで作られた」と語っておられましたよね。

 そのため『ベルセルク』はファンタジーであっても、ガッツの服装は『マッドマックス』【※1】っぽいとか、いろんなテイストがミックスされているとのことですが。でも、だからこそ『ベルセルク』は、『ダンジョン&ドラゴンズ』【※2】のような古典的な雰囲気のファンタジーとは違う、もっと新しいファンタジーとして受け入れられたんじゃないかと思うんです。

(画像はAmazon | マッドマックス2 [DVD] | 映画より)

※1 『マッドマックス』
ジョージ・ミラー監督によってこれまでにシリーズ4作品が製作されているカーアクション映画。1979年に公開された第1作では、暴走族に妻子を殺された警官マックスの復讐劇が描かれている。ところが1981年に公開された『マッドマックス2』以降は、最終戦争後に荒廃した世界でモヒカンヘアーの無法者集団が暴れ回る近未来SFへとシフトして、ポストアポカリプス物というジャンルを確立。『北斗の拳』『Fallout』をはじめ、その後のマンガやゲームに多大な影響を与え続けている。

※2 『ダンジョン&ドラゴンズ』
1974年に最初のバージョンが発売された、世界初のテーブルトークRPG。すべてのRPGの元祖としてコンピュータRPGも含めたジャンル全体に多大な影響を与えている。日本で1985年に発売された、通称「赤箱」と呼ばれるバージョンが有名だが、2019年現在、最新第5版の日本語ローカライズ版が刊行されている。

三浦氏:
 そうだったのかなぁ(笑)。
 自分としては、新しいファンタジーとして受け入れられたとか、そのへんの認識はよくわからないですけど。

橋野氏:
 三浦先生が『ベルセルク』を描き始める当時、日本にあったファンタジーというと、たとえば『ロードス島戦記』【※】ですよね?

(画像はロードス島戦記—灰色の魔女 (角川文庫—スニーカー文庫) |Amazonより)

※『ロードス島戦記』
「呪われた島」ロードスで巻き起こる戦乱を背景に、若き戦士パーンの成長と、ロードスの歴史を陰で操る「灰色の魔女」カーラの陰謀が描かれる。テーブルトークRPGのリプレイとして1986年にスタートし、小説やアニメなど幅広いメディアで展開された。

三浦氏:
 そうですね、『ロードス島戦記』がいちばんメジャーでしたね。

橋野氏:
 『ロードス島戦記』とかその後の『スレイヤーズ』など、ライト寄りのファンタジー作品がある一方で、『ベルセルク』のように死体がたくさん転がっていて、敵を文字通りぶった切っていくファンタジーというのは、それまでの日本にはあまりなかった気がするんですけど。あの時点でどうしてそういった作品を描こうと思ったのでしょうか?

三浦氏:
 僕が影響を受けたのは、『コナン・ザ・グレート』【※1】みたいな、ファンタジー映画のほうなんです。

※1 『コナン・ザ・グレート』……ロバート・E・ハワードの小説『英雄コナン』を原作として、ジョン・ミリアス監督が1982年に製作したファンタジーアクション映画。有史以前の荒野を舞台に、奴隷から自由の身となった屈強な青年コナンの冒険が描かれる。主人公のコナンを演じたアーノルド・シュワルツェネッガーは、本作で世界的に知られるようになった。
(画像はAmazon | コナン・ザ・グレート<特別編> [DVD] | 映画より)

 僕が中学生の頃にはまだ、日本にはファンタジーというものがそんなに根ざしていなくて。『ロードス島戦記』はもちろんのこと、『コナン・ザ・グレート』の映画すらまだなかったので。
 その前にやっていた『エクスカリバー』【※2】ぐらいじゃないですかね。

※2 『エクスカリバー』……1981年にジョン・ブアマン監督によって制作された歴史ファンタジー映画。アーサー王と円卓の騎士の物語を重厚なタッチで描いている。この映画の日本における影響は、本シリーズの第2回で出渕裕氏も言及している。
(画像はAmazon | エクスカリバー [DVD] | 映画より)

 僕のイメージだと、『エクスカリバー』が日本に最初にやってきた、ちゃんとした甲冑を着たファンタジー映画だと思うんです。
 今観るとちょっといい加減ですけど(笑)。

──『エクスカリバー』の日本公開が1981年で、『コナン・ザ・グレート』が翌年の1982年ですね。

三浦氏:
 ちゃんとしたファンタジーの映画が日本に入ってきたのは、そこらへんが最初で。それよりも先に入ってきたのは、ファンタジー小説ですよね。いちばんメジャーなのが『指輪物語』【※】で。

※『指輪物語』……J・R・R・トールキンが1954?55年に発表したファンタジー小説。すべてを統べる「一つの指輪」を巡り、ホビット、人間、エルフ、ドワーフといった「中つ国」の住人たちと、諸悪の根源である冥王サウロンとの壮大な対決が描かれる。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作として映画化されたことでも広く知られている。
(画像は新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫) | J.R.R. トールキン, J.R.R. Tolkien, 瀬田 貞二, 田中 明子 |本 | 通販 | Amazonより)

 『指輪物語』もその頃はまだ、日本ではそんなにメジャーではなくて。テーブルトークRPGがいつ頃からできたのか、僕はわからないですけど、そちらのほうでは『指輪物語』がすごくメジャーなものとして扱われていたみたいですよね。

 『ダンジョン&ドラゴンズ』は『指輪物語』あたりが元になっていて、そこから『ドラクエ』が生まれたという流れなんですよね、たぶん。

 でも僕が影響を受けたのは先ほどお話ししたように、映画のファンタジーのほうでしたから。たぶんそのせいで『ベルセルク』も、『コナン・ザ・グレート』みたいな野蛮系のファンタジーになったんだと思います。

──野蛮系というか、原作の『英雄コナン』シリーズに代表される、ヒロイックファンタジーのジャンルですね。

三浦氏:
 今となってはそっちは端っこに追いやられて、『指輪物語』の流れのほうが大きくなっちゃいましたけどね。

橋野氏:
 では、その当時の時代性だとか、読者の反応を見ながら「ダークファンタジーでいこう」とい切り口になったわけではない、ということなんですね。

三浦氏:
 そうですね。『ベルセルク』のきっかけになったのは、先ほど挙げた『コナン・ザ・グレート』の印象と、あとは永井豪さんだとか『北斗の拳』だとか、そういった血生臭い漫画がいっぱいあったので、その両方の影響じゃないですか。

 それこそ当時の漫画業界はお行儀が悪かったので、倫理コードみたいなものがまったくなかったので。

 あの頃はアニメのOVAとかも、本当に血生臭かったですから。死体描写もあったし、血もバシャバシャ飛んでいて。当時はそれがメジャーだったんだと思いますよ。

(画像は『ベルセルク』8巻22ページより)

──それがメジャーだったというのはスゴイですね。

三浦氏:
 僕の若い頃には、マンガにはメジャーとマイナーという概念しかなかったんです。要するに、メジャーなマンガ雑誌といえば『ジャンプ』『マガジン』『サンデー』とか、本当に少年誌数冊ぐらいで、青年誌すらまだほとんどない時代でしたから。

 なので、漫画家としてデビューしようと思ったら、メジャーにならないと駄目だという時代だったんです。

 僕がデビューする頃になってようやく、『コミコミ』とか『キャプテン』とか『コミックコンプ』【※】とかいった、オタクっぽいマンガ雑誌が少し出てきたんです。でもそっちはすごくマイナーな扱いで。
 メジャーな雑誌で漫画家にならなければ、あとは都落ち扱いというか(笑)。

 そんな感じだったので、僕が漫画家になろうとしたときには、メジャー誌でファンタジーをやるなんて不可能だったんですね。『少年マガジン』とかにも持ち込んだんですけど、その頃の『マガジン』に載っているマンガのほとんどが、学ランを着た不良が暴れる作品だったので(笑)。
 あとはスポーツ物ですよね。

 『ジャンプ』はちょっと異色でしたけど、そっちで出られる余地がなかったので。そういうなかでファンタジーをやろうと思うと、「メジャーなファンタジーってなんだろう?」ということを考えなくてはいけなくて。

 それで僕が、“いちばんメジャーなファンタジーだ”と思いついたのが、ディズニーなんです。

※『コミコミ』『キャプテン』『コミックコンプ』
いずれも月刊マンガ雑誌で、『月刊コミコミ』は1983年に白泉社によって、月刊少年キャプテン』は1985年に徳間書店によって、『月刊コミックコンプ』は1988年に角川書店(当時)によって、それぞれ創刊された。ちなみに『ベルセルク』はプロトタイプとなる読み切り版が、『月刊コミコミ』に掲載されている。

橋野氏:
 えっ、ディズニーですか!?

三浦氏:
 今ファンタジーをやろうと思うと、とりあえず異世界を細かく設定するじゃないですか。でもあの当時のディズニーのアニメは、「むかしむかし、あるところに」で始まるんですよね。

 「むかしむかし、あるところに」というのは、現実世界の昔のどこかなんですよ。『白雪姫』とかディズニーの一連のお話は、昔の中世のどこからしい場所で、奇妙なことが起こるわけじゃないですか。

 それに対して今のファンタジーは、いきなり異世界がドーンと用意されて、「さぁ、この世界に入ってください」という形になりますよね。でもそれだと、ファンタジーに興味のない人は入れないんです。
 特にまだ、ファンタジーがメジャーなものではなかった当時には。

 それならば、世界でいちばん有名なディズニーの構造を使うのが、理にかなっていると思ったので。それで『ベルセルク』は「むかしむかし、あるところに」として、本物の中世ヨーロッパで戦争をやっているような世界をまず用意して、その中で奇妙な出来事が起こるという形で描いたんです。

(画像は『ベルセルク』1巻12−13ページより)

 当時のマンガはみんなそのパターンだった気がしますけどね。『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部【※】も、そんな感じだったような気がします。

※『ジョジョの奇妙な冒険』……第1部『ジョジョの奇妙な冒険』は荒木飛呂彦氏によるマンガ作品。1986年に『週刊少年ジャンプ』で連載が開始されて、2019年現在は『ウルトラジャンプ』で第8部にあたる『ジョジョリオン』が連載中だ。『ジョジョ』第1部「ファントムブラッド」は、1880年代のイギリスを舞台に、奇怪な事件が巻き起こる展開となっている。
(画像はジョジョの奇妙な冒険 1 (ジャンプコミックス) | 荒木 飛呂彦 |本 | 通販 | Amazonより)

今の“なろう系”ファンタジーでは、主人公が人間の形ではなくなっている

三浦氏:
 『ペルソナ』シリーズもそうじゃないですか。「むかしむかし」ではないですけど、現実社会で若者たちが生活しているところがちゃんと描かれた上で、そこに影の世界が現れる。

『ペルソナ5』
(画像は学生ライフ | P5 – ペルソナ5 – 公式サイトより)

 だから僕が中世ヨーロッパでやろうとしていたことと、構造は同じだと思うんです。今度のファンタジー作品で、どんなふうにやられるのかはわからないですけど。

橋野氏:
 現代劇を作っていると、プレイヤーに身近な世界を作っているように思われるんです。

 でも現実の世界に生きている若者たちは、もちろん超能力を持っているわけでもなければ、巨大な敵に立ち向かってもいないし、チヤホヤされたりもしないじゃないですか(笑)。

 なので、今の現代的なファンタジーはリアルワールドのように見えて、じつはいちばん嘘くさい世界なのかもしれない、という認識をしてみようというのが始まりなんです。自虐的な話なんですけど(笑)。

三浦氏:
 いえいえ(笑)。僕もラノベを読むんですよ。今の若い子たちが何を考えているかわからなくなったらヤバいと思っているので。
 ただ、今アニメ化されている『転生したらスライムだった件』【※1】とか『オーバーロード』【※2】とかを見て「うわぁ、ついに主人公が人間の形をしなくなっちゃったよ!」と思ったんです。

 ああいった“なろう系”のジャンルって、中二病の極みじゃないですか。でも、中二病の万能感を持ったまま都合のいい世界に行ってチヤホヤされたいという願望は、僕は当たり前だと思うんです。

 それは、永井豪さんがマジンガーZに兜甲児を乗っけた僕らの子ども時代から、何も変わっていないと思うので。

『改訂版 マジンガーZ』
(画像は『改訂版 マジンガーZ(1)』(永井豪とダイナミックプロ)|講談社コミックプラスより)

 でもちょっと前までは、人間の形のままでチヤホヤされるじゃないですか。それが最近では主人公が人間の形をしなくなって、お餅みたいな形のスライムになっちゃう。

 自分を乗っけるアバターが、人間の形をしなくなっているんですよ。そうなるともう、カッコ良いとかカッコ悪いとか、そういうところからも外れていってしまいますよね。

 そこまで自分に自信がないのか……とまでは言わないですけど、女の子の目線から見て恋愛の対象ですらないじゃないですか。他人から見てカッコ良い、カッコ悪いという路線から外れるようなものとして、自分を見ているのかなと思うと、スクールカーストとか、そのへんがいろいろ厳しいのかなと想像しちゃいますね。

橋野氏:
 僕は40代半ばですけど、スタッフとゲームの主人公像について話すと、僕らの世代はやっぱり天才的ヒーローに憧れるんですよ。

 ところが20代、30代のスタッフから「そんなものにはなれないし感情移入もできないから、それを手伝う雑魚側の人間じゃないとRPGはできません」と言われることもあって。そこのギャップをすごく感じたんですね。
 今の三浦先生のお話は、それがついにスライムまでいっちゃった、という話なのかなと。

──『ペルソナ』シリーズは、主人公がわりとカッコイイですよね?

橋野氏:
 あれはもう、さっき先生がおっしゃられたように、ゲームの中の世界ぐらいは、とにかくカッコイイ理想的なキャラクターで遊んでもらいたいっていう気持ちがあるので。でも、その考え方も古いのかもしれないです。

『ペルソナ5』主人公
(画像は主人公 | P5 – ペルソナ5 – 公式サイトより)

三浦氏:
 僕らの時代は「何者かになりなさい」という時代だったじゃないですか。

 特別な人になりたい人たちがすごく多くて、それが良しとされていたんですけど。今はもうたぶんそれはなくて、その代わりに「生き残れ」という感じに見えるんですよね。そうなると、ファンタジー自体の意味も変わってきちゃうと思うんです。

 僕らの時代は、いっぱいある遊びのうちの1個がファンタジーだったので。
 僕らの時代にはオタクっぽい、ゲームが好きな子もいたんだけど、その一方で不良も多かったですし、暴走族もいましたし、部活を一生懸命やっている子もいて。
 そんな子たちがみんな、ちょっとずつはコミュニケーションがあったんですよ。

 僕にも不良の友達がいましたけど、今はそういうコミュニケーションがほとんどないと思うんです。みんなバラバラになって、今のファンタジーが好きな子たちは、遊びのなかの1個というより、ファンタジーが生活のかなりの部分を占めている気がします。

 そうなると、生きていることとファンタジーがすごく近くなっているから、ファンタジーの中に自分の欲望がビビッドに入っていってしまうし。僕らの頃とはファンタジーの重さが違っていて、逆にかなりの部分をファンタジーが占めちゃっているぶん、現実の部分が薄くなってるんじゃないですかね。

──ファンタジーに限らず、エンターテインメント的なコンテンツが、人間の生活の多くを占めているという。

三浦氏:
 そうですね。なので、僕らの時代の感覚で、いっぱいある楽しいことのうちのひとつみたいな感覚で若い子と話すと、ズレが生じるのかなぁと。でも逆に、じゃあ今の若い子たちに向けて何かやるには、どう考えたものかしらと思っちゃいますね。

 普通に考えると、そういうことに膨大な時間やお金を割くこと自体、「それでいいのかい?」と言ってあげたいですけど。

 でも、これから先の世の中を考えると、インターネットとかそういうものに膨大な時間を使う率のほうが一般的にも高くなりそうなので、僕らの時代の感覚で話しても、マトモに聞いてもらえるのかな、という気もするので。

 そこは悩みどころですね。僕も答えがぜんぜんわからないです。

日本中がゲームで盛り上がっていた時代を、マンガで潰してしまった

──三浦先生とゲームの出会いは、どういったものだったのですか?

三浦氏:
 自分は今50歳なんですけど、ちょうど高校時代にファミコンが出てきたんですね。でも自分は高校に入ってから漫画家を目指すようになったので、日本中がゲームで盛り上がっていた時代を、まるまるマンガで潰してしまったんです(笑)。

 ゲームをやる余裕ができたのは、漫画家になって少し経ったぐらいですね。

橋野氏:
 それは何歳ぐらいのお話ですか?

三浦氏:
 20代の前半ぐらいです。ちょうどスーパーファミコンが出た頃かな。スーファミだけじゃなくて、その前に出ていたメガドライブを買い直したりして。

 漫画家の森恒二君【※1】が、自分の家に遊びに来るんですけど、そのときに彼と一緒に遊べるふたり用のアクションゲームを買っていたんです。『マリオカート』とか。
 メガドライブだったら『ベア・ナックル』【※2】とか『エイリアンストーム』【※3】とか『フォゴットンワールズ』【※4】とか。

※1 森恒二
『ホーリーランド』『自殺島』などの作品で知られる漫画家。三浦建太郎氏とは高校時代からの友人である。森恒二氏の存在が『ベルセルク』の内容にさまざまな影響を与えており、以降の本記事でもその点が三浦氏自身によって詳しく語られている。

※2 『ベア・ナックル』
1991年にメガドライブで第1作が発売された、セガのベルトスクロールアクションゲーム。ふたり同時プレイが可能。以後、メガドライブで第3作目まで発売されたが、2019年現在、セガのライセンスを受けたインディーズゲームとして『Streets of Rage 4』が開発中だ。

※3 『エイリアンストーム』
1990年にアーケードでリリースされたセガのベルトスクロールアクションゲームで、1991年にはメガドライブ版も発売された。ふたり同時プレイが可能。

※4 『フォゴットンワールズ』
1988年にカプコンからリリースされたアーケードゲームで、アーケード版のタイトルは『ロストワールド』。1989年に発売されたメガドライブ版は『フォゴットンワールズ』、1992年に発売されたPCエンジン版は『フォゴットンワールド』と、それぞれ改題されている。ふたり同時プレイが可能。

橋野氏:
 『ゴールデンアックス』【※】とか。

※『ゴールデンアックス』
1989年にアーケードでリリースされたセガのベルトスクロールアクションゲーム。同年にメガドライブ版が発売されたのをはじめ、さまざまなゲームハードで移植版やリメイク版が登場した人気作である。

三浦氏:
 そうですね。そういうふたりでやれるアクションゲームがきっかけになって、少しずつゲームを遊ぶようになったんです。ひとりでじっくり遊ぶゲームだと、スーファミの『ゼルダ』ですね。これで初めて「ゲームってスゴいな」と思いました。

──『神々のトライフォース』【※】ですね。このゲームを遊ばれたときに「スゴイ」と思われたのは、どのあたりなんですか?

※『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』……1991年にスーパーファミコンで発売された、『ゼルダの伝説』シリーズの第3作。『ゼルダの伝説』第1作のコンセプトを受けて、“回転切り”や“ハートのかけら”といった要素から、ストーリーと謎解きの絶妙な配分まで、現在まで継承されている『ゼルダ』シリーズの文法を確立した、2Dアクションアドベンチャーゲームの名作である。
(画像はゼルダの伝説 神々のトライフォース | ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン | 任天堂より)

三浦氏:
 パズル的な要素もあれば謎解きもあって、「もうダメだ!」と思ったときにちょうど抜けられるようにできているじゃないですか。そのへんのバランスが本当にスゴかったですね。それまでの黎明期のゲームはとても難しかったので。『魔界村』【※】とか(笑)。

※『魔界村』……1985年にカプコンからリリースされたアーケード用の横スクロールゲームで、1986年に発売されたファミコン版をはじめ、さまざまなゲームハードで移植版やシリーズ作、リメイク的作品などが登場している。高難度のアクションゲームとして、レトロゲームを扱うTV番組などでもおなじみとなっている。
(画像は魔界村 | Wii U | 任天堂より)

 ウチには『魔界村』を2、3周するアシスタントがいましたけど、それは横で見ているだけでした。要するに、僕は普通の人なので、ゲームに青春を捧げた人たちのようにスゴいプレイができるわけではないですから。
 一般人がストレスがかかったときに、ちょうど気持ちよく抜けられるというのにハマったんじゃないかなと思います。ゲームバランスっていうんでしょうか、僕はよくわからないですけど。

──ということは、ゲームをやり込まれるというよりは、余暇に友人と一緒に楽しく遊ぶといった楽しみ方ですか?

三浦氏:
 最初はそうでした。でも漫画家になっちゃうと余暇が限られすぎていて(笑)。

 『ゼルダ』でアクションRPGが好きになったんですけど、そのあとハマったのはどちらかというと、シミュレーションRPGなんです。アクションだと、やっている間に疲れ切っちゃうんですよ。だから余暇のときに、チェスみたいに少しずつ進める感じで遊べるシミュレーションRPGがちょうど良かったんだと思います。

──シミュレーションRPGというと、『ファイアーエムブレム』ですか?

三浦氏:
 いえ、最初にハマったのは『ヴァンダルハーツ』【※1】ですね。内容が小難しくて、大人がやるようなゲームっぽく見えたんですよ。国の中の内政がどうだとか、戦争をやるときに相手の国はどうだとか、すごく細かく作られていて。これは子どもだましじゃないぞ、とだまされまして(笑)。

『ヴァンダルハーツ 〜失われた古代文明〜』
(画像はヴァンダルハーツ 〜失われた古代文明〜 | ソフトウェアカタログ | プレイステーション® オフィシャルサイトより)

 それをすごく楽しく遊んだあとにハマったのが、『伝説のオウガバトル』【※2】ですね。あれは自分で部隊を作って進ませて、ぶつかると勝手に戦いだ出すというのが変わっていて、すごく印象に残っています。
 それ以外に、『サクラ大戦』【※3】やギャルゲーもチョコチョコとやっていました。

『伝説のオウガバトル』
(画像は伝説のオウガバトル | Wii U | 任天堂より)

※1 『ヴァンダルハーツ』
1991年にコナミ(当時)から発売された、初代PlayStation用のシミュレーションRPGで、正式タイトルは『ヴァンダルハーツ?失われた古代文明?』。1997年にはセガサターン版も発売されたほか、2000年には続編となる初代PlayStation用ソフト『ヴァンダルハーツ2〜天上の門〜』が発売されている。

※2 『伝説のオウガバトル』
1993年にクエストから発売された、スーパーファミコン用のシミュレーションRPGで、初代PlayStationやセガサターンにも移植された。松野泰己氏が開発を手がけた『オウガバトル』シリーズの第1作だが、続編の『タクティクスオウガ』とは異なり、本作では複数のキャラクターを集めて編成したユニットによる、フルオートのバトルが繰り広げられる。

※3 『サクラ大戦』
1996年にセガから第1作が発売されたセガサターン用ソフト。ナンバリングタイトルが全5作を数えたほか、外伝的ゲームやアニメ、舞台といった幅広い展開が行われた人気シリーズだ。現実の大正時代とは異なる“太正”時代を舞台に、主人公は特殊部隊“帝国華撃団”の少女たちを率いて戦うことになる。完全新作となる「新・サクラ大戦」の制作が、2018年に発表された。

橋野氏:
 三浦先生は『アイドルマスター』【※】をすごく遊ばれていると、僕らの業界で伝え聞いているんですけど(笑)。

『アイドルマスター』
(画像はTHE IDOLM@STER WEBより)

※『アイドルマスター』
2005年にナムコ(当時)からアーケードでリリースされたアイドルプロデュースゲームを起点として、コンシューマゲームやスマホゲーム、アニメからライブイベントまで、現在では一大コンテンツとして成長している人気シリーズ。プレイヤーは芸能事務所のプロデューサーとして新人アイドルたちとコミュニケーションを取りながら、彼女たちを未来のスターへと育成していく。

三浦氏:
 『アイドルマスター』は、自分で言っちゃったせいで有名になっちゃって困っているんです(笑)。でも僕がやっていたのは、最初の『アイドルマスター』だけなんですよ。

──『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』などのRPGはどうでしょう?

三浦氏:
 『ドラクエ』や『FF』ってファミコンの頃、つまり僕がマンガで潰していた高校時代に有名になったものじゃないですか。だからなんとなく通り損ねちゃったんですよね。

 『FF』はCGのレベルが飛躍的に上がったときに、一回やってみたのかな? でもその後、イケメンだらけになってからは、やらなくなってしまいましたね。

──ファンタジーRPGは意外とプレイされていなかったんですね。

三浦氏:
 すいません(笑)。でも『女神転生』や『ペルソナ』も、大きなくくりでは十分にファンタジーだと思いますよ。ネタに使っている神様のこととか、すごく詳しく調べられているので。

橋野氏:
 ただ、現代劇のローファンタジーというジャンルなので。

三浦氏:
 ファンタジーも時代に合わせて作られるものだから、現代の若い子に必要なファンタジーとなると、たぶんそちらのほうが正当だと思いますけれど。僕がやっているのは古典ですから。

──まさにこの企画のテーマになるんですけど、現代の日本で描かれているファンタジー世界にはお約束というか、多くの人が共通してイメージするファンタジー像みたいなものがあると思うんです。

三浦氏:
 それはおそらく『ドラゴンクエスト』ですよね。『ドラクエ』から入ってきた人たちがファンタジー物を作ると、そういうふうな流れになるんじゃないでしょうか。

──橋野さんたちが新作でやられようとしていることは、そこをいったんリセットしてみようということだと思うんです。

橋野氏:
 三浦先生ご自身は「ファンタジーのスタート地点がゲームじゃない」とおっしゃっていましたが、『ベルセルク』が登場して爆発的にヒットしたときに、『ドラクエ』『FF』からファンタジーに入った人たちこそが、このダークファンタジーに夢中になったと思うんです。

 僕が『ベルセルク』でビックリしたのは、魔法が基本的に出てこなくて、主人公は大剣の“ドラゴンころし”を振るって、物理的な強さで状況を切り開いていく。しかも主人公はずっと試練を受けていて、普通なら見たくないものをずっと見せられている。

 そこにあったのはとにかく、『ドラクエ』や『FF』で僕らが味わったファンタジーとは、まったく違う世界だったんですね。

(画像は『ベルセルク』1巻22−23ページより)

 普通はみんな、こういうものは見たくないんだと言われるのが常識だったはずなのに、みんなが夢中になって『ベルセルク』の世界に引きずり込まれていった。その様子を僕は当時の読者として、目の当たりにさせてもらっているんです。

 なので今回、『ドラクエ』『FF』とは違う流れのなかで、ファンタジーは人にとってどういうものなのか、なぜファンタジーは人々から渇望されるのかということを考えたときに、じつは10年前、20年前に、三浦先生がすっかりそれを成し遂げられているように思うんですよ。
 僕の世代から言わせてもらえば。

三浦氏:
 たぶん世代ごとに、そのときメジャーだったものがみんな違いますから。そこで古いものが新しく見えたり、興味を感じたりということなんじゃないでしょうか。

橋野氏:
 でも懐かしさを感じながらも、その当時の流行りの漫画のおもしろさも、両方ある感じだったんですよ。

 僕は小学校の頃に『デビルマン』【※】に夢中だったんです。永井豪先生の、異世界が現実に侵入してくる怖さと興奮みたいなものを、『デビルマン』という作品で味わったんです。

※『デビルマン』
もともとは永井豪氏の『魔王ダンテ』をベースとした、TVアニメの企画として考案された。だが、1972〜1973年にTVアニメと同時進行で永井氏自身が執筆した漫画版は、デーモン(悪魔)に恐怖心を煽られた人間たちがヒロイン一家を惨殺し、ついには人類が滅亡した世界で悪魔と天使が最終戦争を繰り広げるという、TVアニメとは異なる黙示録的な内容へと発展した。その衝撃は、国内外のクリエイターたちに対して今もなお、多大な影響を与え続けている。

三浦氏:
 だから『女神転生』シリーズなんですね。

橋野氏:
 それもあってアトラスという会社に入ったんですけど。『ベルセルク』という作品にはそういった世界観に通じるエッセンスも感じていたんですよ。

三浦氏:
 僕も永井豪さんにはさんざん影響を受けましたから。

『ポケモン』と『ベルセルク』では、モンスターに対する考え方がまったく違う

橋野氏:
 じつは僕以上に、アートデザイナーの副島が『ベルセルク』の大ファンなんです。

副島氏:
 三浦先生の前だから言うわけではないんですけど、自分には何度も読み返したくなる漫画がいくつかあって、そのうちのひとつが『ベルセルク』なんです。本当に何度も何度も読み返させていただきました。じつは『月刊アニマルハウス』【※】を買っていて、第1話から読み始めたんです。

※『月刊アニマルハウス』
1989年に白泉社によって創刊された月刊マンガ雑誌。1989年10月号の同誌で『ベルセルク』の連載が開始されている。

橋野氏:
 信者が出現しましたね(笑)。

三浦氏:
 あんな分厚い雑誌を買ってたんですか!? 置く場所に困りませんでした?(笑)

副島氏:
 自分は橋野よりちょっと下の世代なんですよ。だから永井豪先生で育ってはいないんです。藤子不二雄先生の作品で育って、気がつくとロードス島にいたみたいな、クリーンなほうで育っていたので(笑)。

 だから『ベルセルク』を見たときに、イチから構築されるファンタジーの最初の部分を拝見したときの衝撃が忘れられなくて。その後で傭兵の話になったときも、中世のヨーロッパといっても王族の話だけじゃないところのリアリティに感銘を受けて。

三浦氏:
 恐縮です。『ベルセルク』を描き始める上では、さっきお話しした「むかしむかし、あるところに」をどうリアルに描くかという点で、かなり苦労したんです。

 ファンタジーの世界は想像でいくらでも作れるし、それがファンタジーの真骨頂だと思うんですけど、現実と地続きのリアルな世界を描くというのが、じつはいちばん難しくて。いろいろ資料を漁ったり本を読んだりしました。

 『ブレードランナー』でレプリカントをやっていたルトガー・ハウアーっていう俳優がいるじゃないですか。彼が主演した『FLESH+BLOOD』【※1】という、すごくマイナーな映画があるんですよ。
 レンタルビデオ屋さんの棚に置かれていて、たまたま借りたんですけど、中世の傭兵たちが主人公になっていて、その世界観にすごく感銘を受けまして。

※1 『FLESH+BLOOD』(放題;『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』)……『ロボコップ』『スターシップ・トゥルーパーズ』のポール・ヴァーホーヴェン監督が1985年に製作した、同監督のハリウッド進出第1作。『FLESH+BLOOD』は原題で、日本でビデオ化(劇場未公開)された際のタイトルは『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』。仕事を成功させたものの、領主に裏切られて無報酬で追い出された傭兵団が、復讐のために領主の息子の婚約者を奪い、城を征服するが……。中世の人々の手段を選ばない生き様が、ヴァーホーヴェン監督らしいエグみのある描写で繰り広げられる快作だ。
(画像はAmazon.co.jp | グレート・ウォリアーズ/欲望の剣[Blu-ray] より)

 中世のヨーロッパというのはこういう世界観で、傭兵たちはこんな感じで戦争を商売としてやっていたんだというのが、すごくよく描かれている映画なんです。黒ガッツ【※2】が最初に登場した頃は『マッドマックス』の雰囲気でやっていたんですけど、鷹の団【※3】の雰囲気や、彼らが生活している世界観をちゃんと描かないといけない章に入ったら、あの映画を参考にしたりしましたね。

※2 黒ガッツ
『ベルセルク』第1巻で主人公のガッツが登場した当初は、漆黒の甲冑を身につけて、人間が人ならざる存在に転生した“使徒”を狩る謎の剣士として描かれていた。この時期のガッツを三浦氏は“黒ガッツ”と呼んでいる。

※3 鷹の団
傭兵見習いとして育ったガッツは、少年時代に数々の戦場を渡り歩くなかで、傭兵団“鷹の団”を率いるグリフィスと出会う。ガッツはグリフィスとの対決を経て“鷹の団”に入団し、彼と行動を共にする。

橋野氏:
 リアリティと言えば、『ベルセルク』はモンスターの扱いがものすごく丁寧ですよね。たとえば最初のほうでゾッド【※】が出てくるくだりだと、まず最初に普通の人間たちの世界の話があって、そのなかで少しずつゾッドの存在が描かれていって、だからこそゾッドが怪物の姿に変身すると、ものすごく怖くなるという重さを感じました。

 僕らゲーム世代だと、モンスターというのは基本的に、自分の育てたユニットが武器や魔法を装備して倒すための相手として機能するものなんです。乱暴にいうと道具というか、そういった存在だったモンスターを、改めて丁寧に扱い直したみたいなところに、新鮮味を感じましたね。

副島氏:
 本当にそうですね。

橋野氏:
 人間の感じる不安や恐れみたいなものが、日本では鬼と呼ばれていたように、西洋でもそういうものを具現化するものとして、モンスターが存在していて。三浦先生が描くモンスターは、そういった正統な形のモンスターですよね……と言ったら生意気なんですけど。

三浦氏:
 誠に恐縮でございます(笑)。とりあえず自分がやったことについて語りますと、要はゲームが僕の青春時代にちょうどなかったおかげ、と言っちゃったら、ゲームを作っている方々に失礼かもしれないですけど。

 僕の青春時代にゲームがなかったせいで、モンスターがカテゴライズされて分析されて並べられているような世界観、要はモンスターの能力を数値で表すといったものが、僕のなかには浸透していなくて。そのおかげのような気がするんです。

 永井豪さんのマンガでさんざんおっかないものを見せられて育った僕が、じゃあ自分がファンタジーのマンガを描いて食っていこうと思ったときに、まず最初に考えたのは、モンスターというものの原点を、自分なりに洗い直したんですね。
 民話や寓話に登場するモンスターは、いったいどういうものとして扱われているのかと。

 それで出た答えが、やっぱり人間の恐れの具現化だったり、人間の心がおかしくなってしまう一線を越えてしまったら、それは怪物や鬼だという扱いになっていたり。そういうところなんだというのがわかったので、そこをしっかりやろうと思ったんです。

副島氏:
 なるほど、そうなんですね。

三浦氏:
 じつは『ベルセルク』の最初のアニメ【※】を作ったのが、当時ちょうど黎明期だった『ポケモン』のアニメを作っていた会社なんです。『ポケモン』みたいに明るいファンタジーと『ベルセルク』みたいなものを両方担当する会社になっていたんですけど(笑)。

※『ベルセルク』の最初のアニメ……『ベルセルク』のTVアニメ化第1作は、1997年〜1998年に『剣風伝奇ベルセルク』のタイトルで放映された。同作の制作を担当した株式会社オー・エル・エムは、1997年よりTV&劇場アニメ『ポケットモンスター』シリーズを制作している。
(画像は剣風伝奇 ベルセルク | アニメ動画見放題 | dアニメストアより)

 その当時に僕が思っていたのは、『ポケモン』と『ベルセルク』ではモンスターというものに対する考え方がぜんぜん違うなと。つまり“モンスター”というキーワードをどう受け取るかですね。

 僕はモンスターを字面通りに考えて、人間の心の闇の部分を具現化したものとして扱うのが、モンスターの正当な流れだと思っていたんです。でも『ポケモン』はそこからいきなり飛躍して、モンスターであっても可愛いという。

 実際にはいない生物で、みんなのお友達ですよ、というところにモンスターを持っていったじゃないですか。それまでの“モンスター”という言葉とは、まったく違うものですよね。
 僕の場合はそこに飛躍できなかったんですよ。というか、興味がそっちに向かなかったんです。


異世界ならではのリアリティがあるデザインの方法とは?

──副島さんが新作で、いろんなファンタジーのデザインを考えるのに苦労されていると伺っていて。

副島氏:
 異世界の住人が暮らしている部屋があったとして、そこにどんなテーブルや小物を描けば、リアリティがあるんだろう? と。

三浦氏:
 大元の基準、目指す方向がどちらを向くかにもよりますね。

 たとえば僕がやっているような、現実にあったものというやり方だったら、本当に歴史を調べなければいけないですけど。それこそ今の主流のファンタジーみたいに、異世界にその世界ならではの歴史があるというものなら、その世界のなかでデザインの変遷があって、こういうデザインがこう変化して、ということ自体を考えないといけないので。

 ニコニコで岡田斗司夫さんの番組をよく見ているんですけど、そのなかで『王立宇宙軍 オネアミスの翼』【※】を作ったときのことを語っている回があるんです。

 そこでは今使われているデザインと、その時代のデザインから一世代古いデザインがごちゃごちゃにあると、本当の世界らしく見えるということを語っていました。

※『王立宇宙軍 オネアミスの翼』……1987年に公開された、山賀博之監督による劇場アニメ。架空の惑星にあるオネアミス王国で、人類初の有人宇宙飛行を目指して設立された「王立宇宙軍」に志願した主人公シロツグと、その仲間たちの物語が描かれる。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督や貞本義行氏をはじめ、現在も活躍するクリエイターが多数参加している。
(画像はAmazon | 王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD] | アニメより)

副島氏:
 それは難しいですねぇ(笑)。『オネアミス』は素晴らしいですよね、あのオリジナルの造型は。電車の切符を買うところとか、「そこまでやるんだ!」って感心して見ていましたけど。世界のすべてを構築しようとしているという。

三浦氏:
 僕の場合は、本物を調べてそれらしくビジュアル的に並べれば済むんですけど。『オネアミス』みたいに世界をまるごと作ろうと思うと、本当に大変だと思いますね。

副島氏:
 そう思います。今の異世界物を見渡すと、スライムなんて言葉ひとつとっても共通認識のもとに成り立っている、大きな世界観のひとつのようにも見えるじゃないですか。
 そうではなくて、そこから外れたものを作ろうと考えると、そこには『オネアミス』みたいな労力が必要になってくると思います。

三浦氏:
 ファンタジーの一線を越えて、SFになっちゃうかもしれないですね。

副島氏:
 理詰めで考えていくと、そうなるかもしれないですね。『ベルセルク』では本当の中世を調べて、その対比として魔法やモンスターが出てくるというのはすごくよくわかります。最初のほうでモンスターとガッツが戦うシーンが出てきて、その後で傭兵のお話とかになると、どんどんリアルになっていくんです。

 王様の話だけじゃなくて、ファルネーゼ【※】の家の話とかが出てきたり、この世界で生きている商人のような人たちが、船ひとつを手に入れるにしてもどうするか、みたいなお話が描かれていたりして。
 そこまでリアルを描いてから、ようやくモンスターが出てくるので。いつ出てくるか、出てくるかという期待感と、実際にモンスターが出てきたときに、そうやって丁寧に描かれた市井の人たちがビックリする様を、すごく楽しみに読んでいたんですけど。

(画像は『ベルセルク』39巻150ページより)

※ファルネーゼ
大貴族ヴァンディミオン家の令嬢。幼少期の奇行により修道院に送られた彼女は、聖鉄鎖騎士団の団長に就任し、各地の異変を調査することに。そこでガッツと出会ったファルネーゼはやがて、妖精郷を目指して旅をするガッツやキャスカたちと行動を共にするようになる。

三浦氏:
 あっ、僕が影響された作品として、ひとつ言い忘れちゃいけないものに、『グイン・サーガ』【※】というものがありまして。『グイン・サーガ』はそういうところが本当によくできている小説なんですよ。

※『グイン・サーガ』……1979年より栗本薫氏によって執筆された大河ファンタジー小説。2009年に栗本氏が逝去した後は複数の著者に引き継がれており、2018年時点で正伝が144巻を数えている。架空の世界で覇を争う各国の人々、この世界に突如として出現した豹頭の超戦士グイン、そしてグインと世界の秘密を狙って暗躍する魔道師や魔物など、膨大な数の登場人物が織りなす群像劇が展開されている。
(画像はグイン・サーガ1 豹頭の仮面 | 栗本 薫 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazonより)

 主人公が旅していくと、その土地の気候とか名産とか、政治体制とかがやたらめったら詳しく書かれていて、そのなかで不思議な現象が起こるので。作られた異世界の部分もすごく良くできた上に、僕が考えるようなモンスターも出てくる話なので。あの作品はスゴイなといまだに思いますね。

 ただ僕の場合、デザインに関してはゲームのみなさんほどの苦労は実際にはなくて。漫画は最初から最後までデザインしてから作るものではないので、連載を続けるあいだにその場その場で考えているところがあって。

──というと?

三浦氏:
 最初に『ベルセルク』を始めた頃は、普通に中世物をやろうと思っていたんです。なので、中世ヨーロッパのなかでもかなり古めかしいデザインで始めたんですけど。でもお話が進んでいくと貴族が出てくるようになって。
 じつは中世の最初の頃って、貴族が使っているものと一般人が使っているものは、そんなに見栄えが変わらないんです。でもマンガでそれだと、ちょっとビジュアル的に弱いんですよね。

 なので、貴族が着ているものも小物のデザインも、最初にイメージしていた時代よりもちょっと未来のものを使わないとそれらしく見えないので……というふうに、だんだん上手く回らなくなっていくんですよね。

 なので、最初の頃の『ベルセルク』の世界観と、今の『ベルセルク』の世界観って、少々変わっちゃっていると思います(笑)。

 いちばん扱いに困ったのはガラスですね。ガラスは演出上、すごく使いたいものなんですけど、中世ヨーロッパにガラスがあると、そこでもう近世みたいな感じが出ちゃうんですよね。

 それで、貴族の屋敷にはガラスがあってもいいけど、民家だとちょっと無理かなとか、いろいろ設定を後付けして、なんとかバランスを崩さないように作っているんです。ゲームの場合は、最初に一括して設定を全部作るでしょうから、そういうことはないと思うんですけど。

副島氏:
 ガラスの話は確かにスタッフとしました(笑)。どのぐらいの大きさのガラスで、どれぐらい歪んでいると、それらしく見えるのかって。

三浦氏:
 板ガラスでちゃんと中が透けて見えると、家の中のドラマを窓越しに描いたりできるんですけど、中世ヨーロッパのガラスは瓶の底みたいなヤツだから、中が見えませんしね(笑)。

副島氏:
 確かに(笑)。見映えを優先すると、ベルサイユ宮殿みたいな感じになってしまいますよね。

三浦氏:
 今のテレビでやっているファンタジーのアニメはみんな、そういう悩みを抱えているなと、よく分かりますけどね。

──副島さん的にデザインワークで聞いてみたい話はありますか?

副島氏:
 伺いたいこと自体は、いくらでもあるんですけど(笑)。

三浦氏:
 むしろ自分の場合は、デザインをあんまり考えすぎないようにしているんですよ。誰でもパッと発想できるものがいちばん、昔の人が考えそうなもののような気がするので。あんまりいろいろとくっつけていくと、やっぱり個性が出てしまうので。

 ゾッドなんか見ていただくと分かると思うんですけど、本当に動物の部位をゴチャッとくっつけただけじゃないですか。それこそ中世というかもっと昔の、古代の人の発想ですよね。

 古代の人が考えそうな魔物の一種にしたかったので。そうなるとデザイン的にカッコ良いとかどうかより、それらしいものにしていますね。

副島氏:
 でも、それらしさというのはいちばん難しいし、悩むところだと思うんです。

三浦氏:
 わかります。『ベルセルク』はあの時代だからできたんですよ。

橋野氏:
 古代の人が感じる気味悪さみたいなものが馬として出てきたり、牛の頭として出てきたり。
 長い歴史で積み上げられた無意識の中で根付いている恐怖みたいなものを、デザインされているというよりも、意味づけで次々に投入されているような感じで。そこが永井豪先生の『デビルマン』の悪魔からも感じられるような、独特の気持ち悪さを感じましたね。

副島氏:
 たとえばガッツがファルネーゼを連れて逃げるときに、馬に襲われるシーンで、襲ってくる馬の目が横じゃなくて、前についているんですよ。本当にゾッとする感じで。あれってデザインというよりは、そのシーンで受けるイメージを絵にしている感じなので。

(画像は『ベルセルク』17巻50ページより)

 僕たちがやっているモデリングするためのデザインとか、このラインが美しいとかいったものとは、根本的に違う感じがします。

三浦氏:
 それはひとりの作業だからできるんだと思いますね。いろんな人が集まって一生懸命考えることとは、また違っちゃいますから。ひとりの人間の持っている怖いものをすくい上げるような形なので。

橋野氏:
 どういう精神状態で描かれているんですか?(笑)

三浦氏:
 意外とナチュラルにやってるんだけどなぁ(笑)。たぶん永井豪先生とかも、普通に楽しく「わーい」って描いてるんだと思うんですけど。どうなんだろうなぁ。

橋野氏:
 永井豪先生は『デビルマン』を描いている途中で、『デビルマン』の世界に取り憑かれてしまったといったような、メンタルな話もされていましたよね。

三浦氏:
 たしかに永井豪先生は、本物が見えちゃうみたいなこともおっしゃっていましたよね。自分はそんなことはないですけどね。なんだろう、たぶん無意識の中には何かがあるんでしょうけど、それは自覚できませんからね。

橋野氏:
 真夜中に狂気の中で、すごいトランスな音楽を聴きながらやっているのかと思っていました(笑)。

三浦氏:
 いえいえ、そんなことはございません(笑)。普通に楽しく描いていたら、ああなるんです(笑)。

切断した部位が回転して吹っ飛ぶ臨場感で、大剣を振るう身体感覚を表現した

三浦氏:
 さっきおっしゃられていた「『ベルセルク』には魔法が出てこない」というのは、永井豪さんや『コナン・ザ・グレート』の影響もあるんですけど、それよりもまず、肉体で戦う描写を楽しんでいる自分がいたんです。

 いったいなぜ自分がそれを楽しいのかと考えてみたら、身体感覚なんですよね。僕のお友達に森恒二君っていう不良の男の子がいるんですけど(笑)、彼はやたらとケンカばっかりやってて、アザを作って学校に来るような子だったんです。

 僕がオタク路線でずっと突き進んでいたら、それこそ『ドラクエ』とかそっちのルートに普通に入っていたと思うんですけど。森恒二君と高校時代に一緒だったので、暴力的なものが僕の身近にあったんです。

──念のための確認ですが、それは漫画家の森恒二さんですよね?

三浦氏:
 はい(笑)。それで高校を卒業する頃になると、森恒二君が今度は格闘技にハマって、僕もその練習相手をさせられたんです。
 パンチングミットを持って彼のパンチを受けたり、キックをその場でレクチャーしてもらったりして。しかも彼はそれを、すごく理屈っぽく教えてくれるんですよ。

 ストレートのパンチというのはまず足を踏み出して、それを腰で回転運動に変えて、上半身が回った身体の端っこから手を放り投げるようにして打つとか。実際にその通りにやってミットを打つと、ちゃんといい音が出たりして。

 それをやっているうちに、自分の身体がちゃんと動いて機能するということ自体が、すごく楽しいことだなと思えてきて。そういう感覚自体を、マンガのなかでちゃんと表現したいなと思ったんですね。

 じつはそういうふうに自覚する前に、マンガからそれを感じ取っていたのが、『北斗の拳』だったんですよ。『北斗の拳』で僕がエポックメイキングだと思ったのは、あのマンガって読者に向かって拳が飛んでくるんです。
 画面いっぱいに拳を描くんですよ、こっち向きに。それを見ていると「うわっ!」ていう感じがすごく伝わってきたんです。

『北斗の拳』
(画像は北斗の拳 OFFICIAL WEB SITE | 北斗の拳 公式サイト | HOKUTO-NO-KEN OFFICIAL WEB SITEより)

 読んでいて実際に殴られているような感じだとか、逆に殴っているような感じが伝わってくることに、たぶん僕は興奮していたんですよ。だから自分のマンガでも『北斗の拳』と同じようなことをできないかなと思ったんです。
 自分で身体を動かすのが楽しかったので。

 それでいろいろ考えたんですけど、いちばんの問題は、拳だといい具合にハマるんですけど、剣は刃先が長い線になるので、なかなかこっちに向かってくる臨場感が出せないんです。遠目に見ないと上手く画面に収まらないし。
 そこで考えたのが、敵を斬ったときに、その斬られた部位が回転しながら吹っ飛んでいくということで。

 『北斗の拳』で秘孔を突いて爆発するのに当たるものとして、剣で斬った感覚を表現する何か新しいネタをいろいろ考えて、斬った部位が回転するというのを描いたんです。そのへんの試行錯誤が臨場感に繋がって、読み手がライドできる感じになったんだと思います。

橋野氏:
 それで言うと、ガッツが大剣を持っているじゃないですか。本当はあり得ない大きさなんだけど、臨場感とリアリティがありますよね。

三浦氏:
 あの剣の大きさが、たぶん僕のいちばんの発明だと思うんです。要するに、筋肉モリモリで身長2メートルぐらいの男が、ギリギリ持てないぐらいの感じのものにしたかったんですよ。例えて言うと、マーベル映画のキャプテン・アメリカ【※】あたりの身体感覚に近いと思うんですけど。

※キャプテン・アメリカ……1941年に最初のコミックが刊行された、マーベルコミックを代表するヒーローのひとり。第二次世界大戦期のアメリカで、貧弱な肉体の青年スティーブ・ロジャースが、軍の超人兵士計画に志願して、屈強な肉体とシールド(盾)を武器とするキャプテン・アメリカとなった。2011年に第1作が公開された実写映画のシリーズでも、ヒーローチーム「アベンジャーズ」の一員として活躍している。
(画像はAmazon.co.jp: キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー (吹替版)を観る | Prime Videoより)

 キャプテン・アメリカってほかのヒーローとは違って、オリンピック選手に毛が生えたぐらいの強さしかないじゃないですか(笑)。普通にできそうだな、というアクションにちょっと上乗せしたぐらい。
 ガッツもそのぐらいの感じのところを目指したんですよね。

 これなら実際にできそうだな、この剣なら持ち上げられるかな、というギリギリのところで、これで敵を殴ったらどうなるのか、想像が及ぶぐらいの範疇に収めたかったんです。それであの剣の大きさになったし、あれぐらいの大きさの剣がものすごいスピードでぶつかったら、どんな部位破壊が起こるかというのを、空想ですけどシミュレーションして、それであのバランスが整ったんですよ。

橋野氏:
 たしかにガッツが持っている剣の手触りみたいなものが、その計算によって伝わってきますよね。

副島氏:
 ガッツが剣で戦っている様がカッコ良いのは、自分はなんとなく昔のレシプロ戦闘機の空中戦みたいな感じがしていたんです。

 レシプロ機の空中戦って、運動エネルギーをいかに失わないように飛行し続けるか、というのがあるじゃないですか。ガッツがいったん剣を振り始めると、あの剣はそう簡単に止めたり突いたりできるものではないですよね。
 その剣が動き続ける様をずっと追っているんだけど、それが止まらないっていう。マントの演出も含めて。しかも大砲でさらに加速してみたりとか。

三浦氏:
 よく感じてもらえて嬉しいですよ。“こっちの意図が伝わっている〜!”って(笑)。

副島氏:
 その流れの中にデザインが結果としてある、という感じがするので。参考にさせていただきたいと思いつつも、なかなか真似できないですね。

三浦氏:
 ひとりで作っているから、一個一個の意味が自然とつながってくるというか、意識的につなげるようにしているんです。
 デザインとモノの意味がまったく乖離していても、成り立つのは成り立つんですけど、僕の場合はできるだけ全部が地続きにならないかなぁと思っているんです。

 ただゲームの場合は、プロデューサーがよっぽど上手くコントロールしないと、デザイン部門の人とストーリー部門の人とのあいだで、そういった地続き感を出すのはかなり大変ですよね。

副島氏:
 そうですね。ウチの開発は意外と手狭なところでやっているので、そのへんの風通しの良さは多少はあるのかもしれないですけど。

メインキャラのデザインは意味づけから、モブキャラのデザインは世界観から生まれる

副島氏:
 『ベルセルク』の連載が長く続いているなかで、デザインの傾向が異なるキャラクターが、突然出てくることがあるんです。

 傭兵の甲冑のデザインとか、それまでの日本人が思っている騎士のイメージに比べると、あまりなじみのない無骨な形で表現されていて。リアリティがある反面、王道のカッコ良さから少し違う感じになっているなぁと思いながらお話が進んでいくと、グリフィス【※】みたいにヒロイックなデザインのキャラクターが、いきなり出てきたりして。

※グリフィス……傭兵団“鷹の団”の団長として傑出した采配を振るうグリフィスは、ガッツにとって友人であり、憧れの存在でもあった。だが、グリフィスが仲間である鷹の団全員を生贄に捧げて、人ならざる“ゴッド・ハンド”のひとりに転生したことで、ガッツはグリフィスを仇敵として憎悪するようになる。
(画像は『ベルセルク』6巻5−6ページより)

 ほかにもファルネーゼとか、日本人に刺さるようなヒロイックなデザインのキャラクターが、物語に突然現れるんです。自分はそのたびにハッとさせられるのですが、あれは偶然なんですか?

三浦氏:
 甲冑のデザインに関しては、開始当時はぜんぜん資料が手に入らなかったんです。神田の古本屋を回って、やっと何冊か中世の騎士の資料が手に入って。ガッツの甲冑から言うと、そのときに手に入れた騎士の甲冑の資料と、『コナン・ザ・グレート』の映画の甲冑が上手いこと悪魔合体してくれないかな、と思って作ったんです。

 だから、腰のあたりとかは『コナン・ザ・グレート』なんですけど、そこから上は中世ヨーロッパだったりして、それがしっくり見えるように、すごく苦労したんです。それから傭兵の甲冑に関しては、拾ってきたパーツを組み合わせて着けているような印象にしたかったんですよ。

 昔の版画家でギュスターヴ・ドレ【※1】という人がいて、その人の描く甲冑がちょうど、『ベルセルク』のザコの傭兵みたいにポンコツな甲冑で。その影響がすごく大きいんですけど。

ギュスターヴ・ドレ作「十字軍:エルサレムへの道」
※1 ギュスターヴ・ドレ……19世紀のフランスで活躍した画家、彫刻家。挿絵画家としても多数の絵画を描いており、『聖書』や『ドン・キホーテ』、ダンテの『神曲』といった作品の場面を克明に視覚化している。
(画像はThe Road to Jerusalem, 1877 – Gustave Dore – WikiArt.orgより)

 基本的には、ちゃんとした人が作ったものではなくて、拾ってきたような安っぽい感じをできるだけ出したくて。傭兵ならきっとそうなるだろうと思ってデザインしたんです。

 グリフィスは鷹のイメージを頭に入れてデザインしたので、やりやすかったですね。グリフィスの最初の甲冑は、知ってる人は知っていると思うんですけど、『ファントム・オブ・パラダイス』【※2】という『オペラ座の怪人』のロックバージョンみたいな映画があるんですけど、その映画で主人公が着ているコスチュームがすごくカッコ良かったので、それをもじらせていただきました。まだマンガが野蛮な時代だったので(笑)。

※2 『ファントム・オブ・パラダイス』……1974年にブライアン・デ・パルマ監督によって制作された、『オペラ座の怪人』をもとにしたロック・ミュージカル。レコード会社の社長であるスワンに自作の曲を奪われて、顔と声を潰された作曲家のウィンスローは、醜い顔を隠す仮面をつけたファントム(怪人)として復讐を誓うが……。本作に登場する仮面をつけたファントムの姿は、グリフィスが転生した“ゴッド・ハンド”のひとり、フェムトの外見のモチーフになっている。
(画像はAmazon | ファントム・オブ・パラダイス [Blu-ray] | 映画より)

 あとは、ファルネーゼだったら白鳥とかそういうイメージに見えればいいかなと思って。そのイメージを元に、本物の中世ヨーロッパの甲冑を少しもじりながら作っていったんですけど、そのデザインのやり方は、ゲームとかでもよくやるものですよね。

副島氏:
 じゃあ、どちらかというと自分の思い込みで、三浦先生としては必然に応じて出てきた感じなんですね。とんがり帽子の魔法使いの少女(シールケ【※】)とか、何回かに一回、人の共感に訴えるようなデザインがポンと出てきて。

 ニッチな方向からキャッチーな方向に引き戻されるタイミングがいくつかあるので、それは意図的にやられているのかなと、勝手に思っていたんですけど。

※シールケ……霊樹の森の魔女フローラのもとで修行に励んでいた、魔法使い見習いの少女。師匠の命によりガッツたちと行動をともにする。
(画像は『ベルセルク』24巻48ページより)

三浦氏:
 無意識にやっているかもしれないですけど、どうかなぁ……。物語の必然だとは思うんですけどね。ただ、今言われたようなキャラクターは、『ベルセルク』の本質に根ざしたものとして出てくるキャラクターなので、そっち寄りのデザインになるんですよね。

 シールケをデザインするときに僕が考えたのは、魔女だったらたぶん、天然素材で縫い目とかもないようなすごく粗末な服で、飾りとかもそんなにつけないんじゃないかなと思ったんです。
 だから何の飾りっ気もないデザインになっちゃったんですけど。

 要はパンケーキの素体のパン生地の部分だけみたいなデザインなんです。ゲームのキャラクターだったら、ここにいろいろと個性的なデザインを盛っていくこともできるんでしょうけど。

 でも、そうやって本質に合わせたキャラクターとして、意味づけのある状態でメインキャラクターとして出てくると、それを感じ取れるようなデザインに自然となっちゃうんでしょうね。

 逆に今は、メインのキャラクターたちがシンプルな服を着ていて、たまに出てくる騎士とか騎士団の甲冑のほうがややこしいので。ちょっと逆転してしまってますけどね(笑)。だからモブシーンを描くのがめちゃめちゃ大変です(笑)。

橋野氏:
 それは意図せず、逆になったんですか?

三浦氏:
 意図しないでやっていたら、いつの間にやら大変なことになっていて(笑)。

橋野氏:
 メインキャラクターのデザインと、モブとかそういったところのデザインのギャップを、わりと大胆につけても世界は成立するのかなと、聞いていて思ったんです。これは我々が作るゲームでも参考になるなぁと。

三浦氏:
 たぶん、モブとかザコキャラ=世界観なんですよね。

橋野氏:
 そういう意味では三浦先生のなかでは、メインキャラクターと、それ以外の世界を形作るリアルなもの、みたいな感じの棲み分けがなんとなくあるんですか?

三浦氏:
 そうですね。メインキャラクターたちのほうが自然と、ファンタジックなものが揃っちゃってますね。確かにそのとおりですね、自分でも今、気がつきました(笑)。

 意味付けから始まったキャラクターだと、見栄えも意味付けになっているから、そのぶんリアリティが削られているんでしょうね。だけど雑兵とかそのへんは、資料から来たとかそういうものなので、リアルに作って手間ばかり増えると(笑)。

橋野氏:
 すごく参考になりますね、今のお話は。

三浦氏:
 でも昭和の時代はメインキャラクターなんて、「子どもが落書きできるくらいのものがいい」と言われていたんですよね。パッと覚えられるぐらい単純な形で。

 自分も昔はウルトラマンとかすぐに落書きできたけど、今のウルトラマンはもう不可能ですよね。ましてやグリッドマン【※】なんて無理だなぁ。
 今はもう、デザインの過剰性を抑えて逆にシンプルにするのは無理なんですかねぇ。

※グリッドマン……1993〜1994年に放送された特撮ドラマ『電光超人グリッドマン』と、2018年に放送されたTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』に登場するヒーロー。ウルトラマンをはじめとする巨大特撮ヒーローの系譜に連なるキャラクターだが、アシストウェポンと合体するなど、ロボット的なディテールも備えている。
(画像は電光超人グリッドマン|ドラマ|TOKYO MXより)

副島氏:
 自分の世代的に言うと、今の複雑に描き込んだデザインよりは、なるべく引いていきたいタイプではあるんですけれども。

三浦氏:
 『ストリートファイター』とか、カプコンが全盛期だった頃のゲームのキャラのデザインって、すごくバランスが良かったような気がするんですよ。
 落書きもできるけど、すごく個性的でもあって。今は過剰になりすぎちゃってると思うんですけど、それは商品化の関係ですかねぇ。立体化して商品にするときに複雑なほうが見栄えがいい、とか。

副島氏:
 突き詰めた線の魅力というのも、当然あると思うんですけど。

三浦氏:
 難しいなぁ……。

ファンタジーの世界に入り込ませるために、受け手をいかにライドさせるか

──改めてお話を伺うと、『ベルセルク』は想像以上に正統派というか、真正面から作られたものだったんですね。ダークファンタジーだとか、人がやたらと殺されるみたいなお話って、最初に出た当時はすごくニッチなものに見えたんです。
 でも実際は身体的な感覚に根ざして、よりメジャーにということを目指して作られていて。だからこそ本当にメジャーになったんだなぁと。

三浦氏:
 自分は、特殊なことができない性分なんですよ。いわゆる鬼才と言いますか、その人独自の個性といった才能は、自分にはないと思っていて。自分が選んでまな板の上に置いた素材を、いかにそれに適したやり方で掘り下げるかというところがほとんどですね。

 だから『ベルセルク』を始めた時代には、『コナン・ザ・グレート』や『北斗の拳』といった、自分が好きな作品がまずあって。怪物とか剣士とか、それっぽい素材をまな板の上に乗っけて、それぞれの意味を自分で考えて、深めて、それでできたんですよね。
 最初に決まっていたのは「黒い剣士」「義手」「怪物と戦う」っていう、その3つぐらいしかなかったんですよ。

 「黒い剣士」というのは、ハカイダー【※1】みたいでカッコいいなと思って選んだんですけど。黒い剣士とは何だろう? と考えたときに、ニヒルなヒーローだったら復讐かなと思って。
 じゃあ復讐するキャラクターって怒っているよなと。

※1 ハカイダー……1972〜1973年に放送された特撮ドラマ『人造人間キカイダー』で初登場した、主人公であるキカイダーの破壊を使命とする人造人間。黒ずくめの外観やニヒルな言動など、特撮ドラマにおいて主役ヒーローと対立するライバルキャラクターの元祖的な存在といえる。
(画像はAmazon.co.jp: 人造人間ハカイダー ディレクターズカット版を観る | Prime Videoより)

 最近のガッツだったら「ウォー!」とか叫んじゃいますけど、ゆら〜っと怒る怒り方もあるし、内に溜める怒り方もあるし、爆発する怒り方もあるし。復讐する黒い、怒っているキャラクターをいかに描くというところに、鷹の団が登場するまではすごく終始したんです。

 「義手」は最初、ボウガンだったんです。『どろろ』『コブラ』が好きだったので、ガッツも義手にしようと思ったんだけど、でもボウガンだとちょっと、ただの隠し武器みたいにしかならないと思って。
 それで悩んでいたんですけど、先に剣のほうが決まったんですね。

 剣があのぐらいの威力だったら、反対の手もそれに相当する、それ一個でピンチを切り抜けるぐらいのものにしたかったので、それなら大砲かなと思って。

 難しかったのは、銃にするか大砲にするかで。大砲に見えるぐらいの大きさまでなんとか拡張できないかというところで悩みましたね。
 昔の漫画で『ドーベルマン刑事』【※2】とか、映画の『ダーティハリー』【※3】もそうですけど、その銃を1発撃てば状況がひっくり返ってお話のカタがつくみたいな、そんなものを仕込みたかったんですよ。

 だからそうやって選んだ一個一個をさてどうするか、どうやってバランス調整をするか、深めてみるかというところで作っていったものだから、そんなに特殊なことがパッと出てきているわけではないと思うんですね。

※2 『ドーベルマン刑事』……1975年〜1979年に『週刊少年ジャンプ』で連載された、原作・武論尊氏、作画・平松伸二氏によるポリスアクション漫画。警視庁特別犯罪課に所属する主人公の加納錠治が、愛銃のニュースーパーブラックホークで44マグナム弾をぶっ放し、事件を解決していく。
(画像はドーベルマン刑事DX版 1巻 | 武論尊, 平松 伸二, クリエイションアドバンス | ミステリー | 本 | Amazonより)
※3 『ダーティハリー』……1971年にドン・シーゲル監督によって制作されたポリスアクション映画で、クリント・イーストウッドの演じるハリー・キャラハン刑事を主人公としたシリーズ作が、全5作品制作された。ハリーが愛銃のスミス&ウェッソンM29で44マグナム弾をぶっ放す描写は、前述の『ドーベルマン刑事』をはじめ、さまざまな作品に影響を与えている。
(画像はAmazon | ダーティハリー [Blu-ray] | 映画より)

橋野氏:
 聞けば聞くほど一個一個にちゃんと意味があって、背景があって。だから納得感があるんですね。

三浦氏:
 僕自身が特殊じゃないので、僕が深めて考えたことであれば、他の人もパッと見て正しいと思ってくれると信じているんです。他の人も考えればそこに行き着くんじゃないかという、読者に対する信頼でやっているんですよね。
 すごくヘンなことを考えてみんなをビックリさせようという、芸人魂みたいなものはあんまりないですよ。

──それこそ岡田斗司夫さんの番組で、嘘と本当のバランスみたいな話があって。基本は本当がほとんどで一個だけ嘘をつく、みたいな話だったと思うんですけど。『ベルセルク』を書くにあたって、どこをリアルに描いてどこで嘘をつくといった配分は、どういう感覚でやられているんですか?

三浦氏:
 初期の頃は、最初に説明したディズニーの話ですよ。どこの国の人でも入ることのできるファンタジーというのは、固有名詞をできるだけ使わない。○○国の****年の話じゃなくて、「むかしむかし、あるところに」なら、子どもでも大人でもスポーンとすぐ入れるので、初期の頃はそのことをすごく考えて。

 そうやって入ってもらってからは、ちょっと怖い奇譚のひとつとして描ければなぁと思ったんです。今でもそのバランスをずっと踏襲し続けているので。
 ただ、主人公たちが奇妙な世界に居続けていますから、どうしても物語を追っていくと、そこの部分ばかりが目立ちますけどね。

──本当に新しい世界観を構築しようとすると、多くの人たちは最初に設定があって、最初に説明があってというのを想像しがちだと思うんです。

三浦氏:
 それってマンガだと、タブー中のタブーなんですよね。最初のページに説明がズラーッって入ると、もう誰も読んでくれないものの典型になってしまうので。

 『スター・ウォーズ』は最初に説明が出てきますけど、それこそ「むかしむかし、ある銀河系の彼方に」ですからね。だから、あんな感覚で入れるようなゲームがもしできたら、逆に今となっては新しいかもしれませんね。

──優れたファンタジーというのは、入らせ方とか、嘘と本当のバランスが本当に絶妙だからスッといくと思うんですよね。そこで最初に説明されたら、ウッと思ってしまうだろうと。

三浦氏:
 ライドできるかどうかですよね。僕はマーベル映画が好きでよく見ているんですけど、『アイアンマン』【※】とかスゴイですよ。最初に主人公が戦地に行って、そこで敵にいきなり捕われてお話が始まるじゃないですか。本当にスッと入れちゃいますもんね。

※『アイアンマン』……2008年に公開されたマーベルコミックの実写映画化で、『アベンジャーズ』へとつながる“マーベル・シネマティック・ユニバース”の第1作。巨大軍需産業の社長であるトニー・スタークは、アフガニスタンでテロリストの人質となったことをきっかけに、空中を自在に飛行できるパワードスーツを開発。スーパーヒーロー“アイアンマン”として、真の世界平和の実現に乗り出す。
(画像はAmazon.co.jp: アイアンマン(字幕版)を観る | Prime Videoより)

 現実で事件が起こって、そこからパワードスーツを作るところでだんだん現実離れしていって、いつのまにか現実の中に、ファンタジックなものが何の違和感もなくポンと差し込まれている感じというのが。

 向こうの映画でよく見る手法なんですけど、自分がヒーローになる過程をめちゃくちゃ細かく描くじゃないですか。『スパイダーマン』だったら蜘蛛に刺されて熱が出て、一晩明かす間に見た夢とかもすごく細かく描きますし。
 いきなり目が良くなってメガネが要らなくなるとか、異常に細かく描きますよね。

 『アイアンマン』も自分で一生懸命メカを開発して、トライアンドエラーを繰り返すところとかをすごい尺を取って描きますけど、あれがライドさせる仕組みだと思うんですよ。そのへんを忘れずにやると、間口の広いものになると思いますね。

 それをやった後に設定が細かくなっていくのならいいと思うんですけど、入り口から文章で入ると、なかなか間口が難しいなと。ただゲームの場合は、遊び始めた時点でもう買ってもらった後だから、あんまり関係ないかもしれないですけど(笑)。

橋野氏:
 積まれてしまうかもしれないので(笑)。

──電ファミによく登場してもらっている鳥嶋和彦さん【※】の言葉なんですけど。ゲームは操作した瞬間に自分=画面のキャラというのが紐づくので、操作した瞬間にライドできちゃうと。
 それが羨ましいというか、ゲームがマンガとは違う最強のところだとおっしゃっていましたね。

※鳥嶋和彦
1976年に集英社へ入社後、『週刊少年ジャンプ』の編集者として鳥山明氏、桂正和氏などの漫画家を育成。また、『ジャンプ放送局』『ファミコン神拳』といった企画ページも担当し、1993年には『Vジャンプ』を立ち上げた。2019年現在、『ベルセルク』の発行元でもある白泉社の代表取締役会長を務めている。

三浦氏:
 マンガや映画はそのへん、試行錯誤の歴史ですからね。

──逆に、『ベルセルク』の最初の導入をライドさせるためにこうしたんです、というのはどういったものなんですか?

三浦氏:
 『ベルセルク』を始めた頃はまだそういうことを意識していなくて、『ベルセルク』をやりながら自分で分かっていったところも多いんですけど。ガッツって、男の子が気分的に乗るマシンとしてはすごくいいんですけど、心理的な部分で共感するのは難しいんですよ。

 だから黒ガッツの頃はどうしても、第三者の目線から入らざるを得なかったんですね。必ず被害者の少女とかの目線になっちゃうんです。

 アクションとかそういうところは臨場感に乗れるように作ってあるんですけど、心理描写は分かるほうが無理ですよね。グリフィスの件が描かれるまでは、謎の男ですから。

副島氏:
 たしかに、そこまでの間は「なんでそんなにひどいことを言うの!」みたいなことを、周りがガッツに言いますよね。ガッツ自身は何も理由を説明しなくて。

三浦氏:
 だから、どちらかというと外から見るヒーローだったんですよね、最初のガッツは。それが乗っかれるヒーローになったのは、鷹の団の話になって、グリフィスとのやりとりに共感してくれる人がいて、そこでやっと乗っかれる状態になったと思うんです。

 そういう意味だと黒ガッツは、ゲームキャラっぽいところがあるかもしれませんね。外側だけかもしれないけど。

 黒ガッツのときに、魔物を退治する話を連続してやっていくうちに、型がだんだんできてきて。ガッツが魔物を追っかけていると、彼がだんだん怪物的に見えてきて、怪物のほうがだんだん人間に引きずり落とされていって。
 最後にその構図がクロスして、ガッツが怪物に見えて、その足下には人間に戻った魔物がひれ伏しているというのが、カタルシス的に「これはいい!」って思いましたね。

 だからそこの時点では、ガッツに共感する余地はあんまりないですよね。剥けば剥くほどガッツが怪物っぽいものに見えちゃうというふうになるので。

子どもの頃に楽しかった、身体感覚を肯定している

橋野氏:
 『ベルセルク』では、人間でしかないガッツと、人ではないものとの戦いの対立構図がすごく強く描かれていますよね。

三浦氏:
 そこは今でも意識しています。

橋野氏:
 なので、三浦先生の考える人らしさというか、生を受けた人間の在り方はどういうものか、それは苦も楽も全部セットだと思うんですけど、それがどういう風に行き着くのか、というのが、『ベルセルク』のテーマの根底にあるのかもしれないと感じました。

 先ほどのお話だと、三浦先生としてはやっぱり、フィジカルというか肉体感覚みたいなものを大事にされているんですか?

三浦氏:
 人間ってたぶん、子どもの頃に何が楽しかったかということに、一生左右されるものだと思うんです。すると僕らの子どもの頃って結局、公園で仮面ライダーごっこをやった世代なんですよ。あとは、アントニオ猪木やジャイアント馬場のプロレスをテレビで見て、学校で真似して技をかけて、頭から血を流したりして。

 僕自身はその感覚が一生変わらないと思うので、自分は身体感覚肯定派だと思います。だけどそれは僕のエゴで、僕の好きなものという範疇なので。
 世界はどんどん変転していきますので、いつまでその居場所があるのかなぁ、とも思ったりします。

 最初のほうの話に戻っちゃいますけど、肉体的な感覚とはまた違う、インターネットやゲームやCGがある時代の生々しさというのも、何かあるとは思うんですよね。それを作品として見つけているものは今、あるのかなぁ?

橋野氏:
 スマートフォンの画面をタッチしながら、若い人たちはそのなかでスクールカーストだとか、いろいろなリアルを感じているんでしょうけど。

三浦氏:
 そうなると手と頭だけで、それ以外の身体の部分はあんまり関係なくなってしまいますよね。

 ネットワークとかパソコンとか、ここ数十年の間に地球上で初めてできたものなので、それ以前の人類が経験したことのないものじゃないですか。その世界観をメタファー的に落ち着いて見ること自体、まだちょっと難しいですよね。
 そこにしっかり根ざした新しい何かを作れるのかと思うと、僕には難しいですね。

 逆にそういう流れがあるせいで、たとえばプロレスとかバスケットボールとかいったスポーツも盛り上がっているような気がしますけどね。世の中に身体性がなくなりかけているから、逆に身体性を駆使するスポーツ選手がすごく光って見えるというか。

 バスケットボールとか体操とかもそうですけど、スポーツの世界ではいまだにスゴイ技がどんどん出ているから、身体感覚もそれほど馬鹿にしたもんじゃないなとは思うんですけど。ただそれって、やっぱりスペシャリストの世界になっているのかなという気もしますね。

橋野氏:
 そういえば、メンタルが弱くなっている時の対処方法として、いろいろと科学的な考察をした結果、瞑想と1日10分の運動に行き着いたという話を聞いたことがあります。
 身体感覚を通じて、疑心暗鬼とか不安とか恐怖心といったものを和らげて健やかになるという話は科学的にあるので、今のお話もそれに関連するのかなと。

三浦氏:
 すごく正しいですね。じつは自分の父親が、瞑想をやる人だったんですよ。

橋野氏:
 そうだったんですか。

三浦氏:
 僕が中学生の頃ぐらいまでは、すごく精神が不安定な親で、家庭が崩壊しかかったりすることがあったんですね。それに父と母がすごく悩んで、いろいろと自己啓発的なものをやった挙句に、最後にたどり着いたのが瞑想なんです。1日に朝夕2回、瞑想するようになってから、急におとなしくなりまして、ちゃんと良い家庭に戻ったんですけど。

 だから、それはすごく正しいと思います。僕がそれに影響されているのかもしれませんね。目の前でそういう事情を見てしまったので。

橋野氏:
 すごく肉体的な行為ですよね、瞑想って。あまり試したことはないのですけど。

三浦氏:
 僕もやれって言われてやらされたことはありますけど、ちゃんとできていたかどうかは怪しいぐらいだったので。子どもでしたから。

橋野氏:
 先生はスポーツをやられるんですか?

三浦氏:
 水泳で泳いだりはしますけど、今はさっぱりで。忙しくなるとできなくなっちゃうんですよ。余裕があるときは水泳と、1日1〜2時間の散歩を交互に繰り返しています。

 水泳は楽しいですね。誰とも競わず、普通にそれこそゆっくり泳いでるだけなんですけど。それこそ1時間ぐらい泳いでいると、身体がポカポカしてきますし。

副島氏:
 散歩中は何を考えられるんですか?

三浦氏:
 最初はマンガのストーリーのこととかを考えながら歩いていたんですけど。自分はGPSも何も使わずに、道に迷うのが好きなので。迷っていると、次に何が来るかわからないじゃないですか。

橋野氏:
 わざと迷いに行く感じですか?

三浦氏:
 そうです。住宅街の適当な道に入り込んで、グルグル歩き回って、時間が来たら大通りに出てタクシーで帰ったりして(笑)。

橋野氏:
 でも、だんだん迷わなくなってきませんか?

三浦氏:
 そうなんです。だんだんと頭の中のロードマップができてきちゃって。

──脱線ついでにお聞きしますが、日々のインプットはどういうことをされているんですか?

三浦氏:
 時間はほとんどアウトプットでしか使えないんですけど、食事のときに本を読んだり。あとは思いついたらネットですぐ調べて、ちょっとメモっておいたりとかはしていますね。

副島氏:
 ネタとか描きたいものは、日々インプットしながらというよりも、わりとガッツリ持っている感じですか?

三浦氏:
 そうですね。遅筆漫画家なので、次から次へと考えるというよりは、何個かあるものを生きているうちにできるかな、というぐらいなんですよ。

 細かいディティールの部分は調べなきゃいけないですけど、大まかな部分でこれをやりたいなというのは、なんとなくありますね。それは漫画家になった頃というか、なる前かもしれないですけど、その頃からなんとなく考えているものなんです。それをちゃんと削り出して、商品にしていく作業なので。

橋野氏:
 何かしらに影響を受けることもありますか?

三浦氏:
 自分はミーハーなので、好きだったものに影響されて、それっぽいことをやりたくなるんです。『北斗の拳』が好きだから『ベルセルク』はあんな感じになっていますし。

 『サクラ大戦』を好きになって“スチームパンクっていいなぁ”と思ったから、そういうものをやってみたいという願望もありますし。そんなもんですよ(笑)。


新しいものが生まれて、それをみんなで楽しむうちに、みんなの遊び場っぽくなる

三浦氏:
 それにしても、これまでとは違うファンタジー作品を今から作るとなると、いったいどういうものになるのか楽しみですね。

橋野氏:
 たぶん「それはファンタジーではない」と言われてしまうものになると思うんですけどね、きっと。

 トールキンさんが過去の民話や伝承を集めて、今のドワーフやエルフのベースになっているものを作ったと思うんですけど。でもそれは、我々が取り組むべきものではないかなと。

三浦氏:
 ここまで世の中に浸透していると、なかなかその常識を変えるのは大変ですよね。

橋野氏:
 そうなんですけどね。僕がこれまで作り手としてファンタジーにあまり興味を示さなかったのは、エルフとかドワーフとかいう、決まった役者が揃っているところに対する疎外感みたいなものもあって。

三浦氏:
 僕らの年代だと、エルフやドワーフは、じつは近代になってトールキンによって作られたというのは、普通に知っていますよね。それが今ではその存在自体が完全に一般常識になって、若い子たちは昔話に出てくるものだと思っていますよね。

橋野氏:
 水野良先生も「変える必要はないよ」とおっしゃっていましたから。

三浦氏:
 水野先生のせいですよ(笑)。当たり前にしちゃったのは水野先生ですよね。

副島氏:
 特にエルフですよね。ドワーフのほうは昔のディズニーの映画にも出てきたりしますけど。今の若い子たちって、エルフってどういうものだと思って見ているんでしょうね。

──特別な美少女のキャラクターだと思っているんじゃないですか。

三浦氏:
 でもエルフ自体は20世紀になって発想されたものだけど、それに対してみんながつけたイメージは、本当にそれらしいものになっているじゃないですか。自然の調停者みたいなイメージを、みんな漠然と共通して持っていて。すごくもっともらしい魂が、仏が作られてから入ったんだと思います。

 ドワーフもたぶん、トールキンが発想した当時の炭鉱で働いていた子どもたちをイメージしていると思うんです。それが今のドワーフの、地面の底でキンコンカンコンやっている、ちょうどいいところに落ち着いているので。
 だから、それらしい風体のものを作ると、後付けでちょうどいい魂が入るというのは、すごくあることだと思います。

 『アイドルマスター』の同人誌を見ていても、公式の設定はちょっとしかないのに、よくここまで人間っぽくしたなぁと思いますから(笑)。

橋野氏:
 ドワーフについて僕は詳しくないのでわかりませんけど、もし仮にトールキンさんがそれを種族として扱おうとしたところには、さっき先生が言われたガッツに持たせる剣の大きさの設定にも通じる、戦略的な意味づけみたいなものがあったと思うんです。

 でも今はそれがまったく失われて、ドワーフとはこういうもので、大剣はこういうもので、みたいになってしまうと、創作が人に伝わる部分のパワーは減っているはずだと、自分としては思いたいんですよ。

三浦氏:
 それはたぶん、パイオニア的な欲求が強いんですね。

橋野氏:
 どうなんでしょう。でもパイオニア的な欲求はあまりないんです。ちゃんと意味があるものは意味あるものとしてつなげたいというところでしょうか。

三浦氏:
 なるほど。では作家ですね。

 何かが生まれて、それをみんなが楽しむうちに形だけになって、みんなの遊び場っぽくなるというのは、何事もそういう流れがあるので。そうではなくて、何か新しいものを始めたいという欲求、いちばん最初の魂が通っているものを作りたいという欲求は、すごくよく分かります。僕自身も作家なので。

橋野氏:
 そういう遊び場ができると、きっと僕はそこにいられなくなっちゃうんですよ、なじめなくて(笑)。

三浦氏:
 作ってさようならという(笑)。それもわかります。でも今の時代でそれをイチから作ろうと思うと……。

 今の時代、新しいものを作るのは不可能に近いので。とにかく組み合わせで新しく見える色取りにするのがいちばん現実的だよという話を、僕はよく若い子たちにするんです。

エンターテインメントの本質は“セックス&バイオレンス”だ

──抽象的な質問になるんですけど、自分の中にあるものを削り出していくときの感覚は、具体的にどういうものですか?

三浦氏:
 最初のアイデア自体は、ごくごく普通だと思うんですよね。さっきの話で言えば、組み合わせでこんなのをやってみるとか。あとは誰かが言ってたんですけど、昔すごく流行っていたもので、今は忘れられているものを引っ張り出してきて今やるとウケるぜ、という話を聞いたことがあって。

 たとえばアイドル物がウケてるのって、そういうところがあるじゃないですか。一時期はぜんぜんなかったのに。
 そういう元の発想自体は別に特殊なものじゃないんですけど、そのディティールを細かくしていく際に、いっぱい出たアイデアの中から取捨選択をしているかな。

 さっきもお話ししましたけど、自分のやり方だと結局、選んだものの意味の本質ってなんだろう、という方向に向かっちゃいますね。選んだものを彩り鮮やかにして、ほかのいろんなものを組み合わせるという方向に行くんじゃなくて。
 堀り進んで行く方向にしないと、さっき言った本質のいろんなギアが噛み合うような形にはならないので。

 また雑談になっちゃいますけど、有名なお寿司屋さんの店長さんが、「日本の料理はそうやって深めていくものだ」と言っていましたね。海外はいろんな食材を組み合わせてハーモニーで作るんですけど、そのお寿司屋さんが言っていたのは、「魚に面と向かって、一個のネタをどれだけ美味しく食べていただくか、ずっと掘り下げていくんだ」と。

副島氏:
 素材探求ですよね。

橋野氏:
 今度、お寿司屋さんに行こう(笑)。そういう目でお寿司を見たことがなかったので。

三浦氏:
 削って削って削り抜いて、本質まで迫っていくと、僕はセックス&バイオレンスだと思いますよ、つまるところ。それをいかに良い包装紙に包んだり、いまどきの包装紙に包んだりとかして、提供するものだと思うんです。

 人間が動物である以上、本能のそこを突かないとエンターテインメントにはならない気がするんですよ。知的なエンターテイメントもありますけどね、人間は考えますから。でもやっぱり本能って強いから。

副島氏:
 ゲームってあんまりセックスとバイオレンスを使えないんですよね(笑)。

三浦氏:
 そこを上手くオブラートに包んで(笑)。

 たとえば『カードキャプターさくら』【※】ってあるじゃないですか。あれは親が子どもに見せても恥ずかしくない立派なエンターテインメントだと思うんですけど。
 でも穿ったオタクから見れば、同性愛も入っているし、ロリコンが喜ぶあざとい要素もいっぱい入っていて、それにやられちゃった人が山のようにいるじゃないですか。ああいう形がいちばん理想の形だと思うんです。

※『カードキャプターさくら』……1996年〜2000年に『なかよし』で連載された、CLAMPによる少女漫画。TV&劇場アニメ化されて、原作と並んで高い人気を集めた。小学4年生の木之本桜が父の書庫で発見した不思議な本から、この世に災いをもたらすクロウカードが解き放たれてしまった。封印の獣・ケロちゃんに導かれた桜は「カードキャプター」として、親友の大道寺知世や香港からやってきた李小狼と共に、クロウカードの回収に奮闘する。
(画像は原作コミック -カードキャプターさくら公式サイト-より)

副島氏:
 理想の形ですか(笑)。

三浦氏:
 作家の中の正直な欲望を、いかにカッコ良い装丁で出すかということだと思うんですけどね。それを言ったら僕も、いろいろ中身がバレちゃいますけど(笑)。

──鳥嶋さんもそこは言いきってましたよね、セックス&バイオレンスだって。「今はそれを健全なものとしてやろうとするからつまらん」と。

三浦氏:
 今はやっちゃいけないことが増えているんですけど、そういうときこそ何か、新しいものを始める腕の見せどころかもしれないですね。

 日本のアダルト文化も、モザイクじゃないですか。モザイクがあっても見ている側を熱くさせるために、みんな四苦八苦していて。
 日本人はそういうものをかいくぐるのが、江戸時代から上手いですから。江戸時代って何かが流行ると、すぐ禁止令ができちゃうので(笑)。

橋野氏:
 モザイクをかけるほうが、エロスがあるんですかね?

三浦氏:
 江戸時代は本当にそうだったみたいなので。やっちゃいけないことがあるせいで、新しい表現が生まれるという。

 なぜだかわからないですけど、爆発的に広がるものっていつも、最初はエロからですよね。ビデオもそうでしたし、インターネットもたぶんそうだったんでしょうけど。
 やっぱりエネルギーが違うんでしょうね、エロは。

──本能に訴えるものの力強さというか。たぶんそれって、先ほど三浦先生が言われた、剣を振るうときの気持ち良さみたいなものと、根っこが同じなんでしょうね。

三浦氏:
 そうですね。ゲームでそれをどうやって表現するのかは、マンガ以上に倫理コードのハードルが高そうですけど。『ベルセルク』のゲームでも「血はちょっと勘弁してください」という話がありましたから。

副島氏:
 でもお話を伺って、『ベルセルク』の魅力を無意識に感じていたところが、ものすごく腑に落ちた感じがしていて。

 実はうちの奥さんも『ベルセルク』を大好きで。「『ベルセルク』を読んでいると元気が出る」って言うんですね(笑)。

 自分はデザイナーなので、緻密に書かれた絵であったり、表現とか設定とかを楽しむほうに行きがちなんですけど。家内はガッツががんばっているのを何回も繰り返し読んで、「読むたびにエネルギーをもらえる」と言っているんです。今回お話を伺って、その感想が腑に落ちた気がします。

三浦氏:
 今は逆に、感情に根ざしてそこを起点に作るというもの自体、あまり見なくなってきているので、一回りして新しいのかもしれませんね。でもゲームだと、どうなるんだろう?

副島氏:
 ゲーム制作の現場で、ひとりだけがほとばしっていても……(笑)。でも結局、創作は誰か個人のところからスタートすると思うので。

三浦氏:
 プロデューサーがひとりいて、その人のそういう感情みたいなものを共有してくれ、というふうにやるべきなのか。それともピクサーみたいに、いろんな人が話し合う機会をバンバン設けてやるべきなのか、どっちがいいのか分からないですけど。

副島氏:
 アトラスはそんなに分業が進んでいる感じではなくて、ひとつの背景をひとりのデザイナーが作っていたりするので、そうなると個人の気持ちがこもっていると思うんですね。あんまり分業が細かすぎると、そのぶん薄くなっちゃいますよね。難しいですね。

橋野氏:
 例えばですが子ども向けの作品って、わりと意識を集めなくても、次の世代に何を見せるのかという意思統一みたいなものが、なんとなくできると思うんですよ。特に子どもがいたりすれば、自分の子どもにそれを見せていいのかどうかって考えますから。

三浦氏:
 倫理というものがものすごく、考えるときの基準になりますよね。

橋野氏:
 それに対して大人向けのものだと、どういう感動を与えたいのかというのを、みんなで握る必要があるんだと思います。

 大人向けのものはやっぱり、どういうふうに生きていくのがいちばん気持ちがいいかとか、そういったことを考えなくてはいけなくて。そういう方向を表現するのにいちばん近いのが、じつは現代劇ではなくてファンタジーなのかなという気がして、今回は始めたんですけど。

 そういえば、三浦先生は現代劇には興味がなくて、ファンタジー一筋のように見えるのですが?

三浦氏:
 自分の作っているものだと、どうしても現代からは遠のきがちですね。
 大半の時間を椅子に座って集中していると、良くも悪くも現実の人間関係の時間とかがあんまり取れなくなってしまうので、過去の記憶でやらざるを得なくなってくるじゃないですか。
 今も友達はいますけど、そんなにしょっちゅう会えるわけじゃないので。
 そうなるとなかなか、現実からネタを拾っていくのが難しいですね。

 ふだんの人間関係や日常生活からネタを拾うタイプの漫画家さんもいっぱいいるんですけど。そういう方々は僕みたいに、絵に異常に凝る時間は取れないと思いますよ。
 1日24時間しかありませんからね。だから、どのスタイルになるかですよね。自分はどうしても絵が好きだというところが大きかったので、自然にこっちの流れになっちゃったんですけど。

 たぶんひとつの作品が終わった後に、次の作品を始める前にすごく長期の休養を取って、その間にいろいろとネタがたまるようなことをやればいいんでしょうけど。いかんせん、連載と連載の間がいつまで経ってもやってこないので(笑)。

ゲームハードが変わると、作品の土台になる技術が変わってしまう

──先ほどから三浦先生が言われる“お行儀の悪さ”と、マンガの面白さって、けっこうリンクしているんじゃないかと思うんです。今は“お行儀の悪さ”の幅が狭まっているというか、お行儀よくしないといけない圧力みたいなものが、会社だけじゃなくて読者やユーザーの側からもあって、それがクリエイティブの表現の面白さを損ねていないかな、という感覚があるんですけど。

三浦氏:
 それはすごくあると思いますけど、どうにも抗いようがないですから(笑)。

橋野氏:
 マンガでもそういうことは多いですか?

三浦氏:
 言葉狩りはいっぱいありますし、表現も厳しいですね。中途半端に売れている作品ほど引っかかりますよね。みんなの目について注意されちゃうので。
 新人の漫画家が、端っこのほうですごいスプラッタなことをやって、あまり注目されていないうちに売れちゃうと、そこをスッと抜けられるんですよ。『進撃の巨人』【※】がまさにそうだったので。

 あまり人の目に触れていなければ、とりあえずOKになるという。漫画業界はいまだにちょっと野蛮なところがありますから。

※『進撃の巨人』……2009年より『別冊少年マガジン』で連載中の、諫山創氏による少年漫画。人間を食う巨人が突如出現したことにより滅亡の淵に立たされて、高い防壁の内側に追い込まれた人類の戦いが描かれる。2013年より放映されているTVアニメは日本のみならず全世界で高い人気を獲得しており、ハリウッドでの実写映画化も予定されている。
(画像は「進撃の巨人」既刊・関連作品一覧|講談社コミックプラスより)

橋野氏:
 アトラスも、もともとゲーム業界のなかでは野蛮なところだったので(笑)。ファンタジーだったらまだ野蛮でいられるかなと。

三浦氏:
 そこもいろいろ言い訳にできますよね。ファンタジーだから、これは人間じゃないからって。

橋野氏:
 恐怖や不安と戦っている主人公を描いていると、日頃のそういう恐怖みたいなものに先生ご自身も抗わなければいけない、みたいなプレッシャーはないですか?
 ご自身が描いている主人公が戦っているから、自分も戦わなきゃいけないみたいな。

 『ペルソナ』のときはあったんですよ。“偉い奴らをぶっ倒せ!”みたいなゲームを作っている自分たちが、偉いヤツらにへいこらするわけにはいかない、みたいな(笑)。

副島氏:
 そんなの考えたことないですよ(笑)。

三浦氏:
 それはちょっとわかります。このキャラクターを取り扱っている以上、ここを曲げたら嘘になるというところが出てきちゃいますよね。アバターに引っ張られているのかもしれないですけど。

橋野氏:
 普通は無難におとなしくするところを、作品性の後押しで、ここはやるべきだと思ったりするとか?

三浦氏:
 意識はしていないですけど、たぶんあると思います。作っている人がなんとなく感じられる作品のほうが、長くついてくれるファンができる気がするので。ゲームもきっと、そういうところがあるんでしょうね。

──お行儀の悪さで言うと、人間って見ちゃいけないものほど見たいという感覚があると思うんです。たとえば『ベルセルク』だと、モンスターの造形が女性器を連想させたりとか。ああいうものは意図的にやられているんですよね?

三浦氏:
 さっきのセックス&バイオレンスの話につながっちゃうのかもしれないですけど。生殖器の話に限定してしまうと、やっぱり人間がいちばんビビッドに反応する部分なので、それは効果が大きいですね。

 特にキャスカの夢のシーン【※】だと、キャスカはそういう目に遭っちゃった人ですから、夢に出てくるのにはもってこいなモチーフなので。

 さっきのファルネーゼが馬に襲われる場面も、馬というのはよく男根のメタファーとして描かれますし、ああいうシーンに出すにはちょうどいい魔物でしたし。性的なこととおっかないことが混じるようなシーンでは、そういうデザインをちゃんと使うようにしようと、無意識ですけどなっていますね。

──そのへんは無意識なんですか?

三浦氏:
 たぶん無意識だと思います。永井豪さんの漫画を読みすぎているので(笑)。

 自分が食べて育ったものは出ますよね。でも、ゲームでそんなことをやった日には大変ですよね。

副島氏:
 アトラスも昔はやってましたから。人間じゃないんでって。

──なにしろマーラって悪魔がいますから(笑)。

三浦氏:
 そういえばそうですね(笑)。

橋野氏:
 でも、この10年でかなり厳しくなりましたね。最近は「発売できません」って言われますから。

副島氏:
 そう言われると、チャレンジしようという気が起きなくなりますよね。

三浦氏:
 本当に世知辛い世の中ですね。それを上手くすり抜けて、何かを感じさせないといけないのかな。

橋野氏:
 なのでさっき、その方法のヒントを知りたかったんです。倫理基準に問題なく実現できるセックス&バイオレンスを(笑)。

──ゲームやアニメに比べると、マンガは表現の自由さを守っていますよね。

三浦氏:
 アニメやゲームはあっという間にネットにも上がるし、それこそ世界の果てまで届いてしまう印象があるので。それに比べてマンガは、売れていないときには本当に数千冊ぐらいしか世の中に出回りませんから。

橋野氏:
 ゲームはハードが変わると、性能が変わっちゃうんですよ。でもマンガのフォーマットはずっと同じですよね。

三浦氏:
 いくら印刷が良くなっても同じものなので。

橋野氏:
 それは先ほどのお話にあった、寿司職人が寿司を極めるのに似ていると思うんです。でもゲームの場合は、土台となる技術が数年ごとに変わってしまうので。今度はこの技術、今度はこのツールみたいに変わるので、極まっている感じがあんまりしなくて。

 そういう意味では面白いんですけどね。毎回毎回、ガラガラポンみたいな感じになるので。
 新規参入のチャンスは常にあるんだけど、一方で技術が継承されていかないというか。

三浦氏:
 そうなると、何が継承されていくんでしょうね。キャラクターが継承されていくのかな。

橋野氏:
 シリーズ物がずっと継承されていくというか、安全牌のビジネスモデルが継承されやすくなっているというか。それでちょっと作品が弱くなっちゃうという場合もあるんでしょうけど。

三浦氏:
 昔のゲーム機ですごく流行ったものは、どこに行っちゃうのかなって思うんです。それこそシミュレーションRPGとかは、最新のゲーム機ではそんなにないでしょうけど、たとえばスマホのゲームになって生き残ったりするんですか?

──それで言うと『ペルソナ』というのは、古き良きRPGのファンだった人や、その面白さの現代版を期待している人が、ファンとしてついている気がしますね。

橋野氏:
 三浦先生の作品に影響されて、漫画家を目指している人もいらっしゃると思うんですけど。たとえば、ゲームの場合は『ペルソナ』を好きな人が、そのタイトルに携わるために入社を希望されることもあります。

 継承という意味では、好きな方が続けていってくれるのは大事なことだと思うのですが、それだけでいいのかな?と思うことはあります。

副島氏:
 ありがたいことですよ(笑)。

橋野氏:
 でもきっと、『ベルセルク』に憧れて先生のもとに来る漫画家さんもいらっしゃいますよね?

三浦氏:
 僕のスタッフでそれはないんですけど、たまに「ファンです」という漫画家になりたての人に出会ったりはしますね。でもマンガは個人でやるものだから、僕の影響そのままという感じにはまったく見えないですね。

橋野氏:
 ゲームはひとりで作れないので、マンガとは違う行儀の良さというのは、そういうところからも出てくるでしょうね。

──ひとりの狂気だけでは走りきれないということですか?

橋野氏:
 たとえば『女神転生』はこういうものだ、『ペルソナ』はこういうものだ、みたいなものを開発チームの全員が共通で持ち始めちゃうと、良かれ悪かれはありますが、なかなかそこから外れられないというのがあると思うんです。これがひとりの作家さんだったら、衝動で変えようと思えば変えられるのでしょうけど。

三浦氏:
 キリストが死んだ後のキリスト教の話みたいですよね。『ペルソナ』はずっと生き残って、それに対していろんな人がいろんな解釈をしていって。それでキリスト本人は、もういいから次のものをやりますと(笑)。

──でも『ペルソナ』自体、『女神転生』というものがあって、その違う解釈として『ペルソナ』シリーズが出てきたわけですから。さらに『ペルソナ3』という橋野さんが作った作品も、『ペルソナ2』とはぜんぜん違う新解釈になっていて。そういう感じで発展していくんでしょうかね?

副島氏:
 いずれ『ペルソナ異聞録』みたいな、また新しいものが出てくると。

橋野氏:
 三浦先生は読者の反応を作品に活かしているのでしょうか?

三浦氏:
 ファンレターとかはちゃんと読ませていただいているんですけど、それ自体を意識して反映させるというわけではないですね、千差万別過ぎて。とてもモチベーションにはなるんですけど。

 今の『ベルセルク』に関しては、やることが決まっていて、それを一個一個クリアしていくというような段階に入っちゃっているので。なのでむしろ、自分の今の思いとかをそのまま乗っけられるものが、逆にひとつほしいぐらいです。

──ゲームの仕事をやってみたいと思ったことはありましたか?

三浦氏:
 『ベルセルク』のゲーム【※】が作られたときに少し参加させてもらって。あのときはキャラクターのデザインと、最初のゲームではシナリオも自分で書いたんですよ。それはそれですごく楽しかったですけどね。でも今は時間が……(笑)。

※『ベルセルク』のゲーム……1999年に発売されたドリームキャスト用ソフト『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章』、2004年に発売されたPS2用ソフト『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 聖魔戦記の章』、2016年に発売されたPS4/PS3/PS Vita用ソフト『ベルセルク無双』と、『ベルセルク』はこれまでに3度ゲーム化されている。このうち『ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章』では、三浦氏がシナリオ原案とキャラクターデザインを担当している。
(画像はAmazon | ベルセルク 千年帝国の鷹篇 喪失花の章 | ゲームソフトより)

 結局、マンガの延長に近いことしかできないんです。ストーリーとキャラデザぐらいですから。
 ストーリーのあるゲームというものには手を出せるかもしれませんけど、次から次へと進化していくゲームの新しい形には、自分が対応できるかどうか分からないですね。

海外から見た『ペルソナ』は、ちょっとヘンなゲームだと思われている

三浦氏:
 おふたりが今作られている新作のターゲットは、どちらになるんですか? やはり日本の若い子向けになるんですか、それとも世界を視野に入れているんですか?

橋野氏:
 そこはあんまり意識していなくて。ちょっと変わっていれば日本でも世界でも面白がってくれる人がいるのかな、みたいな感覚なんですよ。この人たちはこれが好きだから、みたいに決めつけて考えすぎるのもよくないので。

三浦氏:
 韓国や中国は欧米の文化でウケるものを計算に入れて、映画とかいろんなものを作っているじゃないですか。でも日本のエンターテインメントでは、そっちに向かっているものって、ほとんどない気がするんですよ。

橋野氏:
 日本でもそういうゲームを作っていた時期があったはずです。でもなかなか上手くいかないケースもあって、試行錯誤も多かったと思いますね。

──今はどちらかというと、日本のクリエイターはヘンに世界のマーケットを意識せずに、自分たちが作りたいものをちゃんと作り切ろう、みたいな感じになっていて、そうやって作られたものが海外でも当たり始めている状況ですね。
 そうやってヒットした作品のひとつが『ペルソナ』シリーズだったりするので。『ペルソナ』は日本が舞台で、日本の高校生が主人公で、それで世界で270万本ぐらい売れていますから。

三浦氏:
 『ペルソナ』が海外で売れた理由は、ビジュアルのデザインなんですか? それともゲームの内容なんですか?

副島氏:
 どうなんでしょう(笑)。

橋野氏:
 見た目を褒めてもらえることもあるし、中身を褒めてもらえることもありますね。

三浦氏:
 海外の『ペルソナ』を遊んでいる人たちはゲームマニアなんですか? それとも一般の人とまで言えるほどなんですか?

橋野氏:
 日本で言うと洋ゲーファンみたいな感じじゃないですかねぇ。もちろん、今はあまり洋ゲーという括り方がされなくなってきていると思いますが。

 日本のゲームが好きな人たちは海外にも昔からいらっしゃるんですけど、最近は一般のゲームプレイヤーにも日本のゲームをやってもらえるようになって、それで少し数字が良くなってきているというのもあると思います。

三浦氏:
 そうなんですね。

副島氏:
 絵を描いている身としてなんとなく感じるのは、ゲームというより、アニメーションやマンガの輸出が昔より進んでいる感じがするんです。『セーラームーン』『ドラゴンボール』あたりから。

 そういったものを欧米の人たちが普通に目にして、向こうでも馴染みがあるようになってきたので、日本人向けに作ったゲームもある程度許容されるようになったのかな、という感じがするんですね。

──逆説的ですけど、アニメーションやマンガが広く輸出されて、みんながそれになじんだ結果、日本人向けに作った作品を、海外でもそのまま受け入れる層が増えたという感じですね。

副島氏:
 『ペルソナ』の翻訳を見ていると面白いんですよ。「Senpai」とか「○○Chan」とか、日本語の発音のままで翻訳されているんです。日本のアニメやライトノベルが好きな人なら「先輩」という言葉は知っているし、該当する英語もないから、ということらしいんですけど。

三浦氏:
 たとえばNetflixで配信されている海外のドラマとか、日本人向けにぜんぜんアレンジされていないじゃないですか。それでも楽しく見ている人が日本でも大勢いるから、それと同じことなんですかね?

橋野氏:
 たぶん、向こうのゲームと同じような感覚で日本のゲームもやっているというよりは、もっとヘンなものだと思われている気がします。少なくとも『ペルソナ』に関しては(笑)。学校で全員が制服を着ていて、放課後は一緒に街で遊ぶみたいな学校生活とかも含めて。

 グラフィックも、海外のCGを真似しようとしても負けてしまうだけなので、違うところで勝負しようと。UIもスタイリッシュに動かそう、こっちなら自分たちでも動かせるから、みたいにやっていたら、向こうの人から見ると「なんでここがこんなに動くの? ヘンなゲームだなぁ」と、結果的にそれがユニークに映ると。
 海外に追従しないことが逆にユニークに映って、それが向こうの人に受け入れられる、みたいな感じなのかなと思うんですね。

三浦氏:
 なるほど。それを聞くと、自分たちが正しいと思うことをやり通すしかないですよね。

副島氏:
 我々が西洋ファンタジーのファンで、やっと趣味の西洋ファンタジーを作るぞ、となったら、向こうでは箸にも棒にも引っかからないものになってしまうのが目に見えているので。

橋野氏:
 ただの追従じゃなくて、自分たちのアイデンティティを持った上で、海外を意識するというのが重要なんじゃないかなと。

三浦氏:
 どうやって生き残るか、みんな考えていますよね。生き残らなきゃというのを考えないといけない、今の日本の状況が困りますけど。

副島氏:
 『ベルセルク』も海外に輸出されていると思うんですけど、そこで何か気づいたことってありますか?

三浦氏:
 逆に今のお話を聞いて、『ベルセルク』はその条件に当てはまっているのかどうか、よく分からないんですよ。完全に洋物ですし(笑)。
 だから僕自身も海外版が出たときに、どう受け取られているんだろうか? というのはよく思っていました。

 海外の人が作った忍者映画みたいな感じで受け取られているんじゃなかろうか、と思って描いているんですけど、向こうのファンで『ベルセルク』のタトゥーを入れちゃっている人とかもけっこういますし。
 そこまで入れ込むということは、キワモノではなくてちゃんと届いてるのかなと。

 僕が推測したのは、日本人って歴史が好きじゃないですか。戦国武将の話とか。
 海外はもしかしたら歴史好きが少ないんじゃないかな? って。学のある人じゃないと、自分のところの歴史とかも、そんなにしっかり知らないんじゃないの、っていう。
 『アルプスの少女ハイジ』が、スイスで自国製のアニメだと勘違いされていたという話があるじゃないですか。ああいうパターンなんじゃないかなと。

副島氏:
 そのあたりの感覚が、自分はちょっと怖いんですよ。たとえば日本人だと、戦国時代の兜と平安時代の兜と江戸時代の兜って、一目見ただけでだいたい分かるじゃないですか。西洋の甲冑も、向こうの人にそれぐらいの違いが分かるのだとすると、デザインする側としては相当に気を遣わないといけないという恐怖感があって。

 でも今のお話を聞いて、ちょっと安心しました。安心してはいけないんですけど(笑)。

三浦氏:
 ディズニーの映画を見ていても、そのへんはけっこういい加減だったりするので。

副島氏:
 あれはアメリカだからなのかな、とも思うんです。

三浦氏:
 あぁ、そうかもしれないですね。

副島氏:
 このあいだインターネットで海外の反応を日本語に翻訳しているページを見たら、ヨーロッパの兜の系譜が描かれた図について、議論をしている外国の方たちがたくさんいて。「ウチの国の**世紀のこの兜がいちばんカッコイイ」とか、そんなことを言われたら、もう僕らがデザインできないなと(笑)。

三浦氏:
 すごい知識のあるマニア層と、ぜんぜん気にしない人たちとに分かれていて、マニアな人たちは人数的にはそんなに多くない気がするんですよ。ただ最近はインターネットがあるせいで、あっという間にツッコむ人たちもいるとは思います。だから『ベルセルク』の場合は、ただただ偶然的に助かったんじゃないかなと思いますね。

“セックス&バイオレンス”の一段下に、パーソナルな本当のことが隠れている

──そろそろお時間ということで、まとめのコメントを伺いましょうか。

橋野氏:
 ファンタジーのゲームを作るということで、1年くらい前に作家の水野良先生とお話をさせていただいたときは、まだシナリオができていなかったので、本当にここで何かを得て、参考にしようという感じだったんですけど(笑)。
 今はシナリオが固まっているので、三浦先生のお話を伺っていても、自分たちが間違えていないだろうかと不安で。今ここで新たな気づきがあっても、もう取り返しがつかないんですよ(笑)。

 でも作家の方とお会いすると、今回は特に感じたんですけど、やっぱり意味づけとか筋の通し方の部分ですよね。いろんなパーツをひとつにつなげていくことの大切さが、『ベルセルク』を読み返しても思ったし、それについて直接お話も聞けたので。
 そこは間違えずに取り組めているんじゃないかなと、私事ながら思っています。

 あとは、どうしても僕は「セックス&バイオレンスですよ」って言葉が印象的で(笑)。三浦先生がこれだけ言っているのはきっと、逆にそれだけじゃないという思いがあるはずなんです。

三浦氏:
 セックス&バイオレンスって、要するに味付けの部分ですよね。お客さんはその味付けで「美味しい」と言ってくれるんですけど、旨味とか味わいの部分というのが、そのもう一段下にあると思います。

 今回は話に出なかったですけど、鷹の団時代の人間関係【※】って、僕の実際の経験をアレンジして出てきているものですから。それ自体にまったく嘘はなくて、本当にあったことの脚色版みたいなものなので。

 本能に根ざしている、誰にでも反応してもらえるセックス&バイオレンスでお客さんを呼び込んで、それで読んでもらったら、作者のパーソナルに根づいた本当のことが入っていますよ、という。
 片方ずつでも成り立つとは思うんですよ。私小説みたいなものもあるし、本当にただの娯楽としてのものもあるので。でもそのふたつが合体していると、よりパワーが出るんじゃないかと思います。

※鷹の団時代の人間関係
鷹の団を率いるグリフィスと出会ったガッツは、圧倒的なカリスマを持つ彼に対する憧れと、その裏返しであるコンプレックスの狭間で苦悩する。三浦氏は鳥嶋和彦氏との対談で、ガッツとグリフィスの複雑な関係が、高校時代からの友人である漫画家の森恒二氏と自分の関係をモデルにしていると語っている。

橋野氏:
 1年以上前に新作の制作を始めたときに、「ファンタジーは大変だよ」と周りがみんな言うんですよ。
 ということは今までに経験したことがないような、世界の隅から隅まで完璧に構築する、みたいなものが待っているんじゃないかと、1年以上前は思っていたんですけど。
 でも、そんなことはできるわけもなくて。しかもゲーム開発は人数もたくさんいるので、そんなものを全員で共有化できませんしね。

 だから今、先生のおっしゃっていた軸みたいなものを、わりと愚直に、全員で共有できるものは共有しつつ入れていけば、それはひとつのカオスなのかもしれないけど、カオスなりに筋の通ったものになるのかなと思います。
 そのあたりはこの対談のシリーズで、だんだんほどけてきた感じですね。

三浦氏:
 でも『ペルソナ』を見ていて思うんですけど……。

橋野氏:
 違うことを言われそうでイヤだなぁ。いつものパターンだ(笑)。

三浦氏:
 『ペルソナ』って、キャラクターひとりひとりのトラウマを解消する話じゃないですか。ひとりひとりのスタッフの方が個々のキャラクターを担当して、そのスタッフさんたち自身のトラウマの部分がキャラクターに入っていれば、それこそスゴいことになりますよね。

橋野氏:
 筋が通るというか、いい意味でカオスというか。

──副島さんはいかがでしょう?

橋野氏:
 ファン臭がスゴかった。こんなにハキハキと、楽しそうに。ふだんの取材だとこうじゃないのに(笑)。

副島氏:
 ファン臭はなるべく出さないようにしていたんですけど(笑)。

 自分が好きな作品だからこそ、それがどういったモチベーションで作られているだとか、どこを大事にしてそこから掘り下げてみたといった、いろんなお話を聞かせていただいて。それをゲームのデザインに活かしたいなと思います。
 ただ、同じような文法ではいかないでしょうから、今日のお話をどう活かすのか、方法を持ち帰っていろいろ精査したいと思います。

三浦氏:
 たまにこうやってインタビューを受けると、自分のなかの整理整頓になりますね。いつもひとりでジーっと座っていると、ボヤけていくので。初心に帰るのに良い席でした。

橋野氏副島氏:
 今日はありがとうございました。

三浦氏:
 こちらこそありがとうございました、楽しかったです。(了)


 当たり前のことではあるがすべてのフィクション、特にコミックやアニメ、ゲームのようにあらゆる事象が(たとえCGであっても)人間の手で作り出される作品は、どの描写にも必ず制作者の意図がなんらかの形で託されているはずだ。

 三浦建太郎氏は、その点に真摯に向き合い、バトルシーンでの肉体の動きからモブキャラクターのデザインに至るまで、作品の隅々に作者の意図を行き渡らせることにより、『ベルセルク』という大河ファンタジーの世界を築き上げている事実が、今回の鼎談で語られている。
 それは同じクリエイターである橋野氏や副島氏にとっても、共感するところが多かったのではないだろうか。

 ファンタジー企画という点で今回の鼎談の内容に改めて注目するならば、特に興味深いのは、異世界を描くファンタジーだからこそ求められるリアリティとは何か、そしてそれをファンタジーになじみのない受け手にまでどう伝えるか、という話題だ。
 三浦氏は受け手を「ライドさせる」、生物の本能に訴える「セックス&バイオレンス」といった刺激的な言葉で、鮮やかに語ってくれている。

 そういった点を追求した上で、先行するコミック・映画や身体感覚の気持ち良さといった三浦氏独自の感性が加わって誕生したのが『ベルセルク』であり、その結果として日本に広く定着したのが、ダーク・ファンタジーというジャンルなのである。

(C)三浦建太郎/白泉社, all rights reserved.

『ベルセルク』公式サイトはこちら「PROJECT Re FANTASY(プロジェクト リファンタジー)」公式サイトはこちら

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ライター
伊藤誠之介
過去には『電撃王』『電撃姫』で、クリエイターインタビューや業界分析記事などを担当。現在は『電撃オンライン』『サンデーGX』などでゲーム記事を執筆中。また、アニメに関する著作も。
Twitter:@ito_seinosuke
聞き手
TAITAI
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。
元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
編集
なかJ
「電撃セガサターン」、「電撃PS2」、「電撃オンライン」、「電撃レイヤーズ」、「iモードで遊ぼう!」、「mobileASCII」、「デンゲキバズーカ!!」と数々の媒体を渡り歩いて来た40代ファミコン世代の編集者。好きなハードは「ファミコンバージョンのゲームボーイミクロ」。
Twitter : @nkjdfng

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