1982年放課後、ヘタレ男子と“文科系野球部”の思い出

7月11日(木)11時0分 文春オンライン

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【出場者プロフィール】小貫 正貴(おぬき・まさたか) 横浜DeNAベイスターズ 54歳 川崎生まれの横浜育ち。東京の編集プロダクションに入社するも、都市情報誌の編集スタッフとして大阪、福岡で30代を過ごす。現在は編集プロダクションを経営。2015年から横浜ウォーカーにてベイスターズの連載と開幕特集を担当。


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 川崎生まれの横浜育ち、横浜大洋時代からのベイスターズファンだ。29歳で大阪へ転勤し、15年ほど関西に住んだ。1998年のリーグ優勝の瞬間は、甲子園のスタンドで迎えることができた。まさか自分が生きている間に、ベイスターズの優勝を見ることができるとは思わなかった。それほどこのチームは弱かった。


級友のカバンから出てきた野球カードに釘付け


 横浜大洋ホエールズのファンになったのは、1982年、高校2年生の時だ。僕は部活動に所属していない、ヘタレ男子グループの一人だった。きっかけは仲間内の一人で、野球好きのコデラ君が持っていたプロ野球のカードゲームだった。


 タカラから発売されていたそのカードは1チーム30選手がセットになっており、セ・パ12球団分がそれぞれ販売されていた。1チーム500円だったと思う。コデラ君は「中日が優勝したらみんなにトンカツをおごる」と豪語するほどのドラゴンズファン。中日と、巨人のカードを持っていた。


 カードのオモテ面には選手の写真と名前、前年度の成績など。ウラ面には2つのサイコロによる36通りの組み合わせと、すべての出目に「ホームラン」「ライト前ヒット」「ショートゴロ」といった打撃結果が割り当てられていた。レギュラークラスの選手だと、ヒット以上が10〜15個。率にすると.278〜.417。ゾロ目に長打が配置されていたのも印象的だった。僕以外にも数人が興味を持ったことから、ある日の放課後、コデラ君が遊び方を実演して見せてくれることになった。


机の上のカード選手が生き生きとプレーを始めた


 机の上に向かい合って9枚ずつの選手カードが並べられる。中日は田尾、平野、谷沢、大島といった面々。対する巨人は松本、篠塚、原、中畑……。原や中畑の名前は知っていたが、谷沢や大島は聞いたことがなかった。


「ピッチャー第1球を投げました!」。2つのサイコロが転がる音を合図に試合が始まる。偶数ならストライク、奇数ならボール。このゲームでは1球ごと、ワンプレーごとにサイコロで結果がジャッジされる。コデラ君は一人で両チームを操作。実況を交えながらルールを説明していく。教室の窓からは野球部の練習の声と、金属バットの音がかすかに聞こえてくる。妙な臨場感。


「篠塚がセンター前ヒット! ではここで二塁ランナー松本のホーム突入を選択します」。コデラ君の口上は、実にうまかった。三塁ベースを勢いよく蹴る松本の姿が脳内で再生される。セーフもアウトも出目次第。僕らは机の上の動かぬ選手たちに見入り、サイコロが振られるたびに歓声を上げた。


 その日の帰り道、僕たちはおもちゃ店へ向かった。6人いる。セ・リーグ球団がちょうど揃う。道すがら誰がどのチームを買うかを話し合った。ちょっと強引なサカイ君は真っ先に巨人を選んだ。ひねくれ者のコーノ君は阪神、松岡弘のサインを持っているイーノ君はヤクルトだ。コデラ君は当然中日、僕は大洋を選んだ。その昔、母が川崎球場で働いていたと聞いていたからだ。気弱なサトー君は残った広島になった。


セ・リーグ6チームによる「文科系野球部」が活動開始


「文科系野球部」と命名したのは僕だ。もちろん正式な部活動ではない。体育会系どころか、どの部にも所属していない自分たちを皮肉ったネーミングだ。


 コデラ君がローカルルールを作った。1シーズン3試合ずつの総当たり戦で各チーム15試合を戦う。3連戦が終わるごとに休養日として1日カウントする。先発した投手は中4日空けないと投げられない。つまり先発投手は最低4人確保しなければならない。わが大洋は遠藤一彦、平松政次、野村収、門田富昭でローテーションを組んだ。コデラ君のアドバイスで斉藤明夫は抑えに回った。


 コデラ君は野球全般の知識が豊富だった。打順を組むに当たっては「1番打者は足の速い選手、2番はバント成功率が高い選手がいい。一番いいバッターは4番に置いて、3番は打率重視、5番は長打力のある選手」とアドバイスをしてくれた。


 1番センター屋鋪要、2番レフト中塚政幸、3番ファースト マイク・ラム、4番サード田代富雄、5番ライト マーク・ブダスカ、6番セカンド基満男、7番ショート山下大輔、8番キャッチャー福島久晃。


 これが、僕が最初に組んだラインナップだ。その日帰宅して、初めてプロ野球中継をじっくり見た。現実世界では1番ショート山下、2番センター長崎啓二だった。納得できなかった。カードゲームでは、1番センター屋鋪にこだわることにした。



最初に組んだラインナップは「1番センター屋鋪要」だった ©文藝春秋



好きになったチームは恐ろしいほど弱かった


 実際にプレーしてみてわかったことは、大洋がものすごく弱いチームだということだ。選手カードの能力は前年1981年のデータが反映されている。この年の大洋は42勝80敗でダントツ最下位。優勝した巨人とは31.5ゲーム差。5位の中日にすら15.5ゲームも離されていた。チーム最多勝は遠藤の8勝。最高打率は長崎の.292。カードゲームでも最下位が定位置で、せいぜい5位がやっとだ。


 しかし1982年の現実世界のプロ野球は少し違った。大洋は順位こそ5位だったものの、斉藤がセーブ王、長崎が首位打者を獲得。遠藤も14勝を挙げた。この年、TVKで中継されたホームゲームはほとんど見たと思う。現実のペナントレースと、架空のカードゲームが絶妙にシンクロして、選手の特徴や野球の知識が自然と頭の中に入ってきた。


 ちなみにこの年のセ・リーグを制したのは中日だった。勝利数は2位巨人の方が多かったが、引き分けの分、中日が勝率で上回ったのだ。巨人ファンとなっていたサカイ君は「ズルイ」と不満そうだったが、コデラ君は「ルールはルールだから」といさめた。そして貯金をおろし、僕らにトンカツをごちそうしてくれた。「約束は約束だから」と、いかにもコデラ君らしかった。


 カードゲームでは勝敗以外の記録もつけるようになり、打率や防御率の計算もした。優勝争いから脱落しても、個人タイトルに楽しみを求めた。相手と利害が一致すればトレードも行う。一時期、わがホエールズのローテーションに大野豊が加わったこともあった。


 過去年度のカードにも興味を持つようになった。ほんの少し前まで松原誠という大打者がいたこと、平松が球界を代表する投手であること、三振王の田代が過去に3割30本を打っていたこと。中塚や高木嘉一も素晴らしかった。


「今はこんなに弱いけれど、全盛期のメンバーが集まったら優勝できるじゃん!」。時空を超えたラインナップを組んでは、一人でニヤニヤした。チームへの愛着は日に日に増していく。強いとか弱いとかいう問題じゃない。もはや横浜大洋ホエールズは僕のチームなのだ。


もしも今、あのカードゲームがあったなら


 終焉は突然やってくる。いや、最初からわかっていたことだ。文科系野球部は高校卒業をもって解散した。卒業式の日に最後のプレーを楽しんだ。「これでおしまい」と少し寂しくなったことを覚えている。大学2年までは下宿仲間と遊んだりもしたが、その回数も徐々に減っていった。中継はよく見ていたから、野球熱が冷めたわけではない。関わり方が少し変わっただけだ。


 大洋のカードは、過去も合わせて8年度分くらい持っていたと思う。しかし引っ越しのたびに紛失し、今は手元に一つも残っていない。調べてみると1998年まで販売されていたらしい。奇しくも横浜ベイスターズが優勝した年だ。前年のベイスターズは2位だから、歴代最強のチーム構成だったはずだ。買っておけばよかったと悔やまれる。ヤフオクで検索してみると6250円で落札されていた。


 今はスマホのアプリで、選手の動きを忠実にトレースした野球ゲームがたくさんある。しかし僕の中で、リアルさでタカラのプロ野球カードを超えるゲームはない。もし今、あのプロ野球カードがあったら。筒香は、宮﨑はどう表現されていただろう。そんなことを想像するだけで楽しくなってくる。


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(小貫 正貴)

文春オンライン

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