最初の性の思い出が、罰の記憶と重なってしまった──「作家と90分」村山由佳(後篇)

7月14日(土)11時0分 文春オンライン

※ 前編 より続く


幼い頃、母の「足切ってもらおうな」という言葉が怖くて失禁した経験


——読む人が 『ミルク・アンド・ハニー』 の奈津さんに気持ちを寄り添わすことができるのは、彼女が単に性と快楽に貪欲なだけじゃないからですよね。加納というライターに指摘されるように実はセックスに対して罪悪感があることや、その時つきあっている男性と創作が結びついている点など、人格面で隠された部分が見えてくるのもまた興味深かったですね。



村山 性格とセックスってダイレクトに繋がるものなんだな、というのは、書けば書くほど思うようになっていきますね。自分自身の性格上とか、ものの考え方の問題点って、性愛にもやっぱり出るんですよね。なんでもかんでも母のせいにするつもりはないのに、これもやっぱり分析していくと母に辿り着いてしまうというか。


 前にもたしか 『放蕩記』 に書きましたが、私の場合、幼稚園の頃、何も分からずに気持ちいいからといって御座布団を足の間に挟んでいたら母が逆上して、黒電話を握って主治医の先生に電話するふりをして「足切ってもらおうな」と言ったんですよ。それが怖くて怖くて失禁した経験があって、最初の性の思い出が罰の思い出と重なってしまったんです。その後も、私自身が女っぽくなると「いやらしい」と言われたし、性的なものは全部「ふしだら」なものでした。結局、女である自分をうまく認められないまま、これは人に隠さなきゃいけないものだと思ったまま大人になったんですよね。そうじゃないんだ、そこから自由になっていいんだと思うようになってからも、なお無意識下の深いところで引きずるものですね。だからセックスの時も、深く感じるためにはこれは自分の意志じゃないんだというエクスキューズが必要になる。



村山由佳さん ©石川啓次/文藝春秋


性は子どもを産むことに直結する場合のみ女性に許されるのか


——だいたい、10代のうちは性的なことを「はしたない」と言われ、20代以降は急に「結婚しろ」「子ども産め」と言われるギャップってすごいですよね。


村山 本当にそうですよね(笑)。女性が自分から欲しちゃいけないかのように植え付けられるのもそう。求められて、それを幸せな気持ちで受け入れて、そして子どもを産んでという。そこに直結するものじゃないと性はいけません、みたいなものが強烈な形であったものですから。そこまで強烈でなくても、性というものに対する、ちょっと鬱屈した感じとか、罪悪感とか、そういったものを分かってくださる女性読者もいらっしゃるんじゃないかなって思います。


——さきほどちょっと名前を出しました、風俗ライターでありノンフィクション作家の加納さんは強烈な人物ですね。彼とのメールのやりとりがもう、ものすごくて。奈津さんは結局、ちゃんと言葉を操れる相手じゃないと難しいんですよね。


村山 そうですね。ここだけの話、加納も、それとここに出てくるセバスチャンも実在したんですけれど……。


——え! なんと!


村山 (笑)。そう、セバスチャンは見栄えのよい男でしたけれど、本当に女子高生かなって思うような顔文字を使うメールで(笑)。最初は「言葉を持たない動物と恋愛するってこういう感じかな」って思って新鮮だったんですけれど、やはり持続性はないですね。


——加納さんとのメールの応酬もかなりリアルな部分があるのでしょうか。 


村山 内容は相当いじりましたけれど、メールでやいやいお互いに煽り合うというのは実際にありましたね。 『ダブル・ファンタジー』 の時に目上の演出家の志澤とのメールのやりとりにほぼ1章分費やしてあったので、今回は逆に、自分のほうがキャリアがあって、相手が小説家になりたいとか、文章を書きたいという立場という二人にすると、第1作と対照的になるかなあという思いもあって書きました。





何を書いても「作家の家族は大変デスネ」とだけ言っていた亡父


——加納のこともあって、この後どうなるのと思ったら、「背の君」が現れますよね。村山さんご自身がよくツイッターに「背の君」と書かれているので、「これはあの人か!」と思いました(笑)。彼の存在があったからこそ、この続篇を書こうと思えたわけですよね。


村山 そうですね。文春さんに「続篇を書きます」と言った時に、彼にも「書いていいかな」と聞いたんです。そうしたら、「そうして(出版社から)書いてほしいと望んでもらえるのはめっちゃありがたいことやねんから、何なりと書いたったらええがな」って言われて。「書くからにはええ加減なもの書くなよ」と言われて、「じゃあ全部きっちり書かせていただきます」という感じでした。


——連載中、読んでいらっしゃったんでしょうか。


村山 たまに読んでいましたけれど、かといって別に内容に口出すわけじゃなかったです。そこはありがたかったです。亡くなった父もそうでしたね。『放蕩記』の中に父親が出てきて、娘に自分の浮気を告白するような場面があって、現実の父はそういうところも全部読んでいましたけれど、言うことはいつもひと言だけ。「作家の家族は大変デスネ」って(笑)。最後の「ですね」がカタカナな感じで、カッカッカッカと笑いながら。それは助かりました。



本を好きになったのも、書くことが好きになったのも、今は認知症になった母のおかげ


——お母さんは現在、認知症なんですよね。


村山 そうです。母が元気なまま分からなくなってくれたおかげで、書けることがものすごく広がったので。それは物書きの私にとってはとてもありがたいことでした。ありがたいというのもどうかなと思いますが、母は今、わりと幸せそうにしているんですね。少女に戻った状況です。施設の方たちにもよくしていただいています。そういう意味で「お母ちゃんありがとう」って思いますね。



 私が本を好きになったのも、書くことが好きになったのも、母のおかげですからね。それは本当に感謝しています。文章の手ほどきをしてくれたのも母でしたが、小説を書くことが母から自由になる場であったのも確かで、そこは表裏一体になっているんですけれど。あの母でなかったら、今私はものを書いていないと思うので、それはありがたいなと思います。


——そこでひとつもわだかまりを口にしないところが村山さんだな、と感じます。


村山 『放蕩記』に書いたり『ミルク・アンド・ハニー』に書いたりと、小説で母のことを書いてきた末に今の心情があるんじゃないかなと思うんです。やっぱり『ダブル・ファンタジー』を書いていた頃はまだきつかったですね。あの連載中に担当者に「なんで奈津は省吾に対してこんなに気を遣うんでしょうね」と言われたんですよ。「年も離れていない旦那さんの言うことを、なんでそんなに何も抵抗せずに受け入れられるんでしょうね」って言われて、「えっ、普通そういうものじゃないの?」って訊き返したら、「普通じゃないですよ」って。「根っこはどこにあるんでしょう?」って言われた時にはじめて、ああ、奈津と省吾の関係は、私と母親の関係と同じなんだ、と。私と最初の旦那さんとの関係もそうでしたけれど。母親のもとを逃げだしておいて、同じようなタイプの男の人と結婚しちゃったというか。逆にそういうふうに相手をモンスターに育ててしまったところもあったと思います。


水川あさみさん主演でドラマ化された『ダブル・ファンタジー』


——WOWOWで『ダブル・ファンタジー』がドラマ化され、お母さん役が多岐川裕美さんですね。


村山 監督の御法川修さんが、私の過去作品まで読んで「村山さんの評伝が書けるくらい勉強しました」って言ってくださって。脚本を読んで一番感動したのが、『ダブル・ファンタジー』と『放蕩記』が一部合体していることでした。母親役の多岐川裕美さん、超絶怖いんですよ(笑)。奈津は水川あさみさんで、省吾は眞島秀和さんで「お前よくそういうこと言えるな!」とか恫喝するくせに一変して泣き落としにかかるのがまた怖くて(笑)。田中圭さんが岩井先輩役です。こちらがまた本当にエロティックで素敵で。



青春や恋愛を爽やかに描く作風からの急激な変化


——デビュー作 『天使の卵』 以降しばらくは、青春や恋愛を爽やかにあるいは切なく描いた作品が多かったと思うんです。直木賞を受賞された 『星々の舟』 (03年刊/のち文春文庫)の家族一人一人の話でも過酷な体験が描かれますが、やはり周囲が作風の変化に驚いたのは2009年の『ダブル・ファンタジー』。なぜあのタイミングでああいうものを書こうと思われたのか、と。


村山 あれは最初の旦那さんのところから家出したタイミングだったんです。ちょうど鴨川から出奔したタイミングで、「週刊文春」で連載を始めましょうという話になって。まだ題材が決まらないでいる頃に編集者と、いわば省吾のモデルとなった人物のことや志澤のモデルになった人物のことを話していたら、ふっと沈黙する瞬間があって。何秒かの後で、「これ書こっか」「書いちゃいましょうよ」って(笑)。その時にもう『ダブル・ファンタジー』というタイトルも決まっていた気がします。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ダブル・ファンタジー」というアルバムの話もしていたんだと思う。レノンの息子に対するハッピーな曲が入っているなと思ったら、次にオノ・ヨーコの前衛的な歌が入っていて、「あなたがほしい」という感じで喘ぎ声みたいなものも入っているんですよね。音楽性の違いというより、愛し合っている男女でも、これだけ違うものを見ているというのがすごいよねっていう話が出て、それで本のタイトルもこれでいこう、と決まったんです。



——連載開始から、これまでの村山さんの読者を含め、すごく反響があったのではないですか。


村山 ありました。どうせそういう話を書くんだったらと思って、連載第1回の最初の1行が〈男の臀とは、どうしてこうも冷たいのだろう。〉ですからね。よせばいいのにネットの掲示板を見に行って、その都度ものすごくへこんで帰ってきていました。でも見ているとだんだん、書いている人ってだいたい決まっているんだなと分かってくるし、これだけ文句言うのに毎号読んでいるなんて、実は好きなんじゃないのかな、とか思えてきて(笑)、もういいやって思えるようになりました。途中からは覗かなくなりましたね。


 それまでに書いていた、切なくてどこかで泣けて、最後にカタルシスのある青春恋愛小説も私自身が読んで好きなタイプの小説ですし、これからも書くと思いますが、でも「自分はずっとこれでいくのか?」という気持ちはあったんです。一番そのことでぶつかったのが、最初の旦那さんでした。彼は今までの読者を裏切るのかというふうに言っていて、私は売り言葉に買い感情で、性格が邪魔して言葉には出せないので“買い感情”なんですけれど、失うことを恐れていたら何も書けなくなってしまう、という思いがすごくありました。振り返ってみるとたぶん、それは正しかったんだろうなと思うんですけれども。


母を悪く書くことへの世間のタブー意識が3年間で変化した



——『ダブル・ファンタジー』以降、どんな変化がありましたか。


村山 『ダブル・ファンタジー』は叩かれるだろうと思っていたけれど、『放蕩記』があんなに叩かれるとは思っていなかったんですよ。本当に意見が真っ二つに分かれました。「よくぞ書いてくれました」という人と、批判的な人がいて。当時は母親を悪く書くことはまだタブーだったんですね。田房永子さんの『母がしんどい』もまだ出ていなかったし、せいぜい佐野洋子さんの『シズコさん』があったくらい。だから「村山さん、よく書いてくれました」と言ってくださったりサイン会で自分のことを語りながら涙するような妙齢の女性がいっぱいいた半面、「村山さんは子どもを産んだことがないからお母さんのありがたさが分からないんだ」という方もすごくいっぱいいたんです。どうしてこんなふうに母親を書くんだっていう。だから要するに何をどう書いても叩かれるんだったら、叩かれてなんぼだな、後ろ指さされてなんぼだなって思うようにもなりましたし。


——格好いい。


村山 でも、単行本が出て文庫が出るまでの3年間でずい分変わったんですよね。それが如実に分かるのが、単行本時のレビューと、文庫本が出た時のレビュー。明らかに温度差があるんです。


——それによって、新たな読者も獲得したし。それに長く書いている作家のファンの話を聞いていると、作者と一緒に読者も成長し、変化していっているんだなと思います。


村山 本当にそうならありがたいですね。『ミルク・アンド・ハニー』もね、途中まで読んで「嫌だな」と思って本を閉じてしまったということにならないといいなと思うんです。お願いだから、最後まで読んで、今回は、っていう。全然違うところに辿り着くから、って。


実生活が満ち足りてしまうと書けなくなるのではないかという恐怖感がずっとあった


——そうですよね。『ダブル・ファンタジー』のラストとも全然違いますしね。この2作って登場する男性のタイプも違うし、性愛のバリエーションの部分も面白く読めますけれど、さまよってさまよってさまよって、探し当てるものがある話なんですよね。それが実体験に基づいているっていうのが驚きなんですけれど(笑)。


村山 まあ、“背の君”の嫌な部分は今回書いていませんからね(笑)。


——奈津はその時々の相手との関係と、執筆姿勢が密接につながっていますが、村山さんもそうだとすると、今後どのようなものをどんなふうに書いていくのかなあ、と。


村山 実生活が満ち足りてしまうと書けなくなるのではないかという恐怖心がずっと私の中にもありました。ハングリーで、常に薄い刃の上に裸足で立っているような状況でないと、ヒリヒリするものは書けないんじゃないのかな、っていう。それであえて行ってはいけない方向に行ってみたり、たまたま駄目なほうへ行ってしまった時も「これでまた書ける」と思ってみたりを繰り返してきたんです。最初の夫といた鴨川を出奔したのは、幸せすぎて書けなくなった部分があったからです。でも、今、実生活がこれ以上ないくらい安定した状況なんですが、それで自分の何かが鈍ったり書きたいものが見つからなくなったりしているかといえば、そんなことはなくて。なんというか、背後のことを気にせず前を向いていられるという。そういう安定をはじめて得たな、と感じています。



“背の君”からのアドバイス


——悲劇的な事件に見舞われた少年少女のその後を描く 『嘘』 (17年新潮社刊)で、村山さんがヤクザの内実を生々しく描かれていて驚きましたが、あれは背の君のアドバイスがあったんですよね?


村山 そうです(笑)。ちなみに『ミルク・アンド・ハニー』では彼の背中の刺青の模様は変えました。「どんなデザインがいい?」って聞いた上で(笑)。



——(笑)。ところで、『嘘』では映画の「スタンド・バイ・ミー」が念頭にあったとおっしゃっていましたよね。その次のブラック企業の問題を扱った 『風は西から』 (18年幻冬舎刊)では映画「エリン・ブロコビッチ」が頭にあったとか。『ダブル・ファンタジー』や『ミルク・アンド・ハニー』はそうした頭にあった映画はなかったとは思いますが…。


村山 そうですね、今回は映画をイメージするというよりは、自分の目が見て感じてきたことをどう言葉に書いていくか、でしたね。


——『風は西から』でブラック企業を書こうと思ったのはどうしてですか。


村山 最初は「『プラダを着た悪魔』みたいなお仕事小説を書いてほしい」と言われていたんです。「書いたことがないのでいいね」と返したのが発端だったんですが、ちょうどその頃に過労自殺の事件があったんです。その裁判についても本が出て。それで亡くなった方の尊厳を守るために闘い続ける女性の話が浮かびました。なにより、ブラック企業の問題や過労死の問題を聞くたびに強く思うのが、なんで、特にネット社会で、亡くなった方がこんなに石を投げられるんだろうということ。「弱かったからだ」「逃げられたはずだ」みたいなことを言われてしまう。「あなたその人のことをどれだけ知って言ってるの」って思ったんですよ。自分自身の想像力の乏しさを顧みもしないで、よくそういうことが言えるなっていう。その怒りみたいなものがずっと自分の中にあったものですから。追い詰められた人が他のことが考えられなくなったり、判断を誤ったり、逃げられなくなっていったりという状況も全部込みで書きたかったんですね。そういう事件のことをニュースで見た時は他人事に感じるかもしれないけれど、小説として書かれたものに感情移入して読んだとしたら、他人事じゃなくなるんじゃなかろうかと。フィクションは時に事実を超えると信じているので。それができるのがフィクションの力だと思うんですよね。それをちょっと証明したかったというのがあります。



——最近を振り返ってみても刊行点数が多いですけれど、今後は……。


村山 7月に中央公論新社から 『燃える波』 という小説が出ます。「婦人公論」に連載していたもので、また嫌なモラハラ夫が出てくるんです。編集部からは「村山さんって、嫌な夫を書かせたら世界一ですね」と言われました(笑)。まあ、復讐の気持ちではなく題材として面白いので。同工異曲と思われたくはないですけれどね。それと、秋に猫についてのエッセイを出しますね。



——WEBで連載している「 猫がいなけりゃ息もできない 」ですね。村山さんは今、軽井沢で猫たちと暮らしていますが、はからずも長年寄り添ってくれた〈もみじ〉の病気が見つかって、今年の3月に見送るまでを書くことになりましたね。


村山 担当が若い女性なんですけれども、あの時期に「鬼のようなことを言うとお思いでしょうが、今の気持ちを全部書いておいてください」って言ってくれて。こんな強烈なこと忘れっこないよと思っていたけれど、今その時のメモを見直すと、書いておいてよかったと思うんですよ。その時でないと言葉にならなかったことって、これだけあるんだなと思って。


私のやってきたことから言い訳をとっぱらったら伊藤野枝になる


——改めてまとめて読んだら絶対にまた泣いてしまう……。そして「小説すばる」では、伊藤野枝を主人公にした小説の連載が始まったところですね。


村山 はい。集英社の若い担当さんたちと話していた時に、栗原康さんの『村に火をつけ、白痴になれ——伊藤野枝伝』という本の話になったんですね。「ぶっとんでいて面白かった」「村山さんが伊藤野枝を小説に書いたら絶対凄いものになるはず」って言われて、それでまず『村に火をつけ、白痴になれ』を読んだら本当に面白くて。辻潤だ、平塚らいてうだ、大杉栄だっていう人たちと出会って、7人の子どもを産んで、28年の人生を駆け抜けて、最期は憲兵に拷問されて殺される。どういう人生だよって思ったんです。女としては、私がやってきたことから言い訳をとっぱらったらこの人になるんじゃないかと思うくらい、重なる部分もいっぱいありました。私は子どもを産んでいませんけれど。


——言い訳をとっぱらったら、というのは。


村山 伊藤野枝も子どもを置いてきたりと相当ひどいことをしてきたけれど、遺された文章には、自分のしてきたことへの後悔が切々と書かれていたりはしないんですよね。自分がやらなきゃいけないことに対する意思が表れている文章や、大杉栄との幸せな生活を大事に思ってしまう自分と、社会主義運動をする自分との間の揺れる気持ちを書いたものはあるんですけれど、これだけ後悔のない人も珍しいなって。


 私より前にこの人を書こうと思ったのは誰だろうと思ったら、瀬戸内寂聴さんが『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』という作品を40代から50代の頃に書いていらっしゃるんです。惹かれるものが似ているんだなと思いました。私は『死せる湖』という寂聴さんの文庫本の解説を書かせていただいたんです。そこにも書きましたが、寂聴さんにはすごくシンクロする思いがあって。そういう寂聴さんが伊藤野枝を書いていらっしゃるんだと思った時に、思わず武者震いしたんですね。全然違うもの、もっと小説寄りのものになると思いますけれど、書いてみたいなと思ったんです。


 それも今、安定しているからですよね。実生活がぐちゃぐちゃだったら、伊藤野枝みたいな大きい題材に向かっていこうという気持ちにはなれなかったと思うんです。物書きになって25年ですけれど、本当に今までにない感じで創作しているなという実感がありますね。それが吉と出るか凶と出るかはもう作品を見ていただく以外にないので、分からないですけれど(笑)。



読者からの質問


◆シリーズの続編はいつでるのでしょうか。ずっと待っています。このまま打ち切りなどということはないでしょうね。全く情報が発せられないので心配です。(50代・男性ほか多数)


村山 今必死に書いています! なんとしてでも今年中に出そうと思っています。あと少しだけ待ってください。


◆私は今、友達との関係に悩んでいます。その人とは高校からの友達で、大学でも仲良くしていました。コースが違うので2年生からだんだんと一緒に受ける授業が無くなっていき、今は全く無い状況です。一緒に授業を受ける機会が無くなるにつれてLINEやメールを無視されることが増えていき、今は会っても全く声もかけられず、無視されています。自分にはそのようなことをされる心当たりが無いので、これからどのように行動していけば友達とも関係を修復出来るか、教えてください。(20代・女性)


村山 相談者さんにとってとっても大事な相手なんでしょうね。それにもよるとは思うんですけれど、人間関係というのは全部を積み重ねて一生生きていくことはできないので、どこかで消えていく人もいますし、関係が終わる人もいます。持続していく関係のほうが、奇跡のようなことですから。相手にも選択の自由はあるので、もし相手が関係を持続しようと思わなくなったとしたら、それはしょうがないことかもしれないですね。本当にその人と関係を紡いでいきたいという積極的な思いがあるなら、「なにか怒っていることあるの?」と訊いてみるなど、行動を起こせばいいと思います。LINEとかでなく、直接会った時にね。


「命とられるわけじゃない」と「ま、いっか」


◆座右の銘はありますか?(20代・女性)


村山 「命とられるわけじゃない」(笑)。あとは「ま、いっか」のふたつくらいですね(笑)。


◆『ミルク・アンド・ハニー』で主人公はある種の幸せを得た結末だと思います。男と女は同じものを見ることができたのでしょうか。それともやはり違うものを見続けているが、それでも幸福感は得られるという事なのでしょうか。男女の違いと主人公の幸福感についてどう決着したと考えているのか、お話し頂けると嬉しいです。(40代・女性)


村山 ベン図ってあるじゃないですか、円の交わるあれ。前回は本当に交わらなかったベン図が、今回はいくらか交わったんだろうと思うんですね。男女に限らず、他人同士ではピッタリ重なることはあり得ないと思うので、ベン図の交わる部分が得られたということだけで、ハッピーエンドと言っていいんじゃないかなと思うんです。この物語では、重なった部分に精神性と肉体性のどちらもが含まれている。どちらかを諦めたわけじゃない、ということかなと思います。


◆キリン先輩との友情の縁は切れてないといいなって思うのですが、どうなんでしょうね。(40代・女性)


村山 切れてないと思いますよ。武が焼きもちやいているんじゃないでしょうか(笑)。


◆女性を描くときには、具体的なモデルがいらっしゃるのですか。自分以外の女性については、恋愛に関してはまるで想像がつきません。(50代以上・女性)


村山 うーん、あまりモデルはいないです。自分の感覚をモデルにすることはありますけれど、実在の誰かをモデルにすることはなく、むしろ理想を追うことならあります。


◆『放蕩記』はほぼ自伝ですが、それ以外でご自身に似てると思われてる登場人物がいたらお教え下さい。(40代・女性)


村山 歩太ですね(〈天使〉シリーズの主人公)。


生まれ変われるなら違う人生を生きてみたい。全然違う小説を書けると思うから


◆ 作品を書かれている際に、村山先生が意識されていることはあるのでしょうか……? もしあれば教えてください。(20代・女性)


村山 登場人物との距離感です。自分に近い分なら近い分だけ距離を取らなくちゃという意識が働きますね。


◆そろそろ不倫を非難する時代は終わり、セックスもコミュニケーションの一部として、認知されるようになるんじゃないかと思っています。夫婦だけで、経済活動、共同生活、子育て、性生活全てを担うことに疑問があります。できる人ができる時にできることをやれば、離婚しなくていいし、自由な結婚生活を送れると思っていますが、どう思われますか? 私は、複数の男性に「私」をシェアしているっていう感覚があります。そうすれば、夫婦関係で性生活を無理にしなくていいし、相手が結婚を望まない独身男性なら、その人も満たされます。物も人も、「所有」関係から「共有」関係になっていってる気がします。(40代・女性)


村山 とても合理的な考え方だと思うんですけれども、あなたはそれを自分の夫に言えますか。言えて、夫の方が納得してくださるのであれば、それはとても幸せな形だと思うんですけれども、世の中のほとんどの問題は、それを連れ合いには言えないことなので。それは自分可愛さでもあり、相手への思いやりでもあり。だからなかなか理論通りに現実は進まないですよね。そこに小説が生まれる余地があるんだなとも思っています。


◆もう一度自分に生まれたら、同じ道を歩くと思いますか?(30代・女性)


村山 もう一度自分には生まれたかないですねー(笑)。生まれ変わるなら違う人生を遊んでみたくないですか? そうしたら全然違う小説を書けるようになると思うので。


◆AV男優さんが出てくるシーンがありましたが、そのための取材をされたのでしょうか? そして誰かモデルになるような男優さんがいらっしゃったのでしょうか? 以上です。よろしくお願いします。(40代・女性)


村山 相当ビデオを観ましたよ、勉強のために(笑)。イメージを固めなくちゃいけないので。あまり男優さんがマッチョだと、奈津がそっちに走ってしまいそうだったので、ソフトな感じの方を念頭において書きました。


家を建てることと小説を書くことは似ている


◆私の友人で、恋愛小説なんてくだらないという人がいます。その人は美人でお金持ちの旦那さんもいて、絵に描いたような幸せな身の上。彼女は恋愛小説など、実生活でモテない女の慰みの書とでも言わんばかり。確かに私は、彼女に比べてモテるわけではありませんが、若い時から由佳先生の恋愛小説に救われ、勇気づけられてきた身としては何ともショックで……。先生のお考えをお伺いできればと思います。(30代・女性)


村山 現実で充足できる人に関しては、そっとしておいて差し上げたいです(笑)。余計な刺激を与えるべきじゃないと思うから。でも私が、なぜ恋愛小説とカテゴライズされるものを書くかというと、人間の針がレッドゾーンにまで振り切れるのって、恐怖か恋愛か悲しみか、その3つくらいじゃないかと思うからです。恋愛を書いていると、本当に人間の極限状況が含まれてくる。それを好んで読んでくださる方というのは、人生をよく知っている方じゃないかな、と。ひとつの現実で満足する人もいれば、いろんな想像力を養いたい人もいるわけだから。読んでくださる方は、それはありがたいです(笑)。


◆作中、奈津が「自分の中に何人もの自分がいて、それぞれを満たそうとすると一人では足りず、別々の相手が必要になってしまう」と気づく箇所が心に突き刺さりました。家族愛、恋愛、性愛、自己愛、満たされたいものは確かに別々の次元で存在していると本作を読んで感じました。どれを優先するのが幸せになれるのでしょうか。奈津にとっての武は、どの自分を最も満たしてくれる存在なのでしょうか。お答えいただけるととても嬉しいです。(20代・女性)


村山 経済でないことは確かなんですよね。なのでひとりの人物で、精神性と肉体性の充足感をおぼえられることが一番幸せなのかな。奈津にとっては、ですが。


 たいていの場合は家族愛になると性的なことがなくなってしまったり、精神性を重要視して性的なことがなくなったりということがあるんですが、そこが奇跡的に同居するといいですよね、難しいかもしれませんが、性というのは身体だけじゃなくて心の繋がりでもあるから。


◆『ダブル・ファンタジー』で村山さんを知って以来のファンです。村山さんのお住まいと作品についての質問です。鴨川の農場や現在の軽井沢の邸宅など、広く特徴のあるお住まいですが、住まいが作品に及ぼす影響はありますか? 私も50代なのですが、シンプルライフ流行の昨今、これからの村山さんの住まいの考え方が知りたいです。(50代・女性)


村山 家を建てることと小説を書くことはすごくよく似ているんですよね。外からどう見えるかとか、どこの構造を強化すべきか、とか。明るい場所に出る前に、わざと暗い通路を作る、とか。それが楽しくて、家を作り終えると引っ越したくなるという、普請貧乏だったんですよ。でも今の家はもともと写真スタジオで、宿舎も兼ねていたので広すぎて。まだまだ直すところがあるので、サグラダ・ファミリアを設計したガウディみたいな感じです(笑)。まだしばらくは遊べますが、自分でもちょっと過剰だとは思いますね、家に関しては。断捨離とかは絶対に無理です。



何も経験していない10代の文章に「この一行は私からは出てこない」と思う


◆私は将来作家を目指しているものなのですが、経験を通した上で作品を書くことが重要だとよく耳にします。『ダブル・ファンタジー』を含め今回の作品にも過激なシーンが多く、想像で書くには難しいことのように思われますが、村山由佳先生もそういった経験があり、作品に反映させているのでしょうか? もしも想像で書いているのなら、どのようにしたらこのように現実味を帯びさせるような書き方が出来るのか教えて欲しいです。(10代・男性)


村山 脳内で組み立てたことでも、それを文字にする時に、本当に痛みを感じたり苦しかったり憤りを感じたりということがありうるんですよね。なので、それはすでに実体験であり、自分の思いついたことであるんです。その時の圧のかけ方みたいなものによって、現実でないところでも現実と遜色なく並べることができると思います。確かに経験値があったほうが強いでしょうけれど、足りない部分は表現の仕方の工夫で結構補強できますよ。だって私自身、10代の人が書いた、その時しか書けないような小説に負けたって思う時があるわけだから。小説すばる新人賞の選考なんかをしていると特に思うんですけれど、「この一行は私からは出てこないわ」っていうのがあるんです。経験していないはずの10代の人から、そういう一行が出てきたりするわけなので、経験だけが強いわけではないです。


◆本を読んでいる時、集中力が欠けたり理解できないときに、少し前から読み返す事があります。しかし、村山由佳先生の文章は「すとん」と真っ直ぐに素直に入ってきます。とても読みやすく、物語に集中出来ます。文章の書き方で気をつけていることや、コツがあれば教えていただけると嬉しいです。(30代・女性)


村山 それを言っていただけるのはありがたいですね。そう読めるように、つまり何も引っかかりがなくどんどん沁み込んでいくよう工夫して書いているつもりなんです。一番気をつけているのは、工夫の跡が見えないようにすることです。「この部分がうまいなあ」と思わせるのは、そこが突出しているということだから、失敗なんだろうなと思っています。


男に嘘くさくなく「愛してるよ」って言えるのは、今がはじめて


◆とてもアバウトな質問で申し訳ないのですが、先生が思う恋と愛の違いはなんでしょうか? お答えいただければ幸いです!!(10代・女性)


村山 可愛いなあ(笑)。私自身もね、男の人に嘘くさいなと思わず「愛してるよ」って言えるのは、今がはじめてなんですよ。なので、あなたの歳から分かろうとすることが間違いです(笑)。「愛とは」「違いとは」といった、「とは」という、全員に共通した定義ができるようなものってないと思います。たとえば「その人のために死ねるのが愛」と言われても、「私は養わなきゃいけない猫がいるし、そういうわけにはいかない」って思うんですよね。だから「その人のために死ねるのが愛である」と言われると、私のは愛ではないんだなと思う。ただ、「その人と生きていきたいな」と思うというのは、やっぱり愛なのかなと。


◆小説を書こうと思っていて、途中までは書けたのですが、その先がなかなか進みません……村山さんはこういう時どうしていますか?(20代・女性)


村山 逆に小説家になりたいという人に何かひとつアドバイスを、と言われる時に必ず言うのが「最後まで書きなさい」ということなんですよ。未完の大作がどれだけあっても、どこにも応募できないので。


 途中で引っかかって先に進まなくなったとしたら、何かが間違っているんです。すごく簡単なことを言えば、私が途中まで書いてこれ以上進まないと思ったら、主人公の名前を付け替えるだけでもずいぶん違います。そんな些細なことであっても、間違っていると先に進まないんです。だから、もう一回全部バラして考え直してみたら、今度はうまくいくかもしれないですね。


奈津は龍になれたのでしょうか?


◆小説を書く時に見えているものってあるのでしょうか。たとえば、映画を見ている感じとか、もしくはすべてが立体的で、あたかも別の世界にいるような感じとか。(40代・男性)


村山 ラストシーンがパーンと映画みたいに見える時がありますね。途中の一場面だったりすることもありますが。頭の中で無声映画がカタカタと流れていて、ちょっと待って、これ小説になる、という時はよくあります。でも映像から入ると小説は長くなりますね。映像的なものを全部文章にしようとすると長くなるので。


◆『ダブル・ファンタジー』のなかでキリン先輩と香港で文鳥占いする場面がありますよね。そこで奈津は「普段のあなたはおとなしい蛇のようだが、本当は猛々しい龍の力を秘めた人」と言われます。『ミルク・アンド・ハニー』で、奈津は蛇から龍に変わることができたのでしょうか。(50代・女性)


村山 龍になったというか、彼女の中にもともと龍がいたと思います。それで、龍をありのままの龍でいさせてもらえる環境を得たのかな、と。わざわざ押し込めずにすむようになったのかなと思っています。




村山由佳(むらやま・ゆか)

1964年生まれ、東京都出身。立教大学文学部卒業。2003年 『星々の舟』 で直木賞受賞。09年 『ダブル・ファンタジー』 で柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞をトリプル受賞 。




(瀧井 朝世)

文春オンライン

「記憶」をもっと詳しく

「記憶」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ