西陣織のルーツは応仁の乱? 激戦の発端にタモリも「変な戦」と呆れ

7月14日(日)5時1分 しらべぇ

タモリ

13日に放送された『ブラタモリ』(NHK)では、タモリ一行が京都府の西陣を訪問した。

西陣は、高級織物「西陣織」の産地としても有名。今回は、そんな西陣織という織物がなぜ西陣で作られたのか、そのルーツを辿る一方で、とある戦いが視聴者の間で話題となった。

 

■西陣と呼ばれるようになった理由

西陣は、室町時代の後期、東軍と西軍が京都の市内全土を焼け野原に変えた戦「応仁の乱」で、西軍の大将・山名宗全の陣地があったことからそう呼ばれるようになった。

そもそも、応仁の乱が起きた発端はご近所同士の家督(相続)争いだった。周りを巻き込み大きくなったこの戦は、結局、勝ち負けもなく終わったのだという。

この応仁の乱について、タモリは思わず「変な戦だよね、やっぱ全部変だもん応仁の乱は」と、コメントした。

 

■西陣織のルーツとは

応仁の乱で京都が戦場となったことで、住民達の多くは逃げ出してしまったという。その一部が向かったとされる大阪府堺市は、当時、貿易が盛んな港町で世界最先端の織物技術に出会うことができた町だった。

戦が終わり再び京都に戻った住民達は、この技術を生かして織物産業に取り組んだ。これが西陣織の始まりと言われている。

 

■内輪揉めが原因の戦に視聴者も

たった7メートルの川を挟んで激戦が繰り広げられた応仁の乱。しかも、その発端がご近所同士の家督争いだったことが明らかになり、視聴者からは「迷惑な話」「人騒がせ」といった声が上がった。

規模の大きい戦だと想像できる応仁の乱の原因が、じつはご近所争いだったことに衝撃を受けた視聴者。

タモリが言うように「変な戦」だった応仁の乱だが、高級織物の西陣織が生まれたきっかけでもあるため、歴史の上で語り継がれる戦だったことには違いない。


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(文/しらべぇ編集部・綿 つゆ子



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