俳優・秋野太作 役の大小は、役者の評価とは関係ない

7月16日(月)16時0分 NEWSポストセブン

俳優・秋野太作が若き頃を振り返る

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、ユニークなキャラクターで映画やドラマ、演劇だけでなくバラエティでも人気の俳優・秋野太作が、たった3人しか合格しなかった俳優座の座員になったころについて語った言葉をお届けする。


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 秋野太作は一九六三年に俳優座養成所に入所、役者としてのキャリアをスタートさせる。


「僕の父は銀行員だったんだけど、戦前から剣舞をやっていて、自宅を道場にしてお弟子さんもとっていたの。それで僕も子供の頃から仕込まれて、週末になるといろんな舞台に立たされて踊っていたんですよ。


 でも、演劇をやろうとは思っていませんでした。高校を出たら働こうと思っていたから。ただ、就職するにしても将来を見通せなくて。それで自衛隊に入ろうと思って飛行機乗りを育てる学校を頑張って受けたら合格して。でも、生来『回れ右』とか『前へ倣え』とかが嫌いなんだ。それで、俺に合うか不安で。駒込から横須賀まで入学手続きに行くんだけど、駒込駅のベンチで座ったきりになって。それで、すごすご家に帰っちゃった。


 その後で日大の法科に行くことにして、校舎のある神田近くの古本屋街を歩いていた時に知ったのが新劇でした。


 新劇雑誌が目にとまって、そこに養成所の紹介があって。これが楽しそうなんだ。タイツはいて足あげて踊っていて。何より驚いたのは学校を出れば俳優さんになれるということ。


 元々、自分が何に向いているかと考えていた時に、物を取引して金儲けするのは苦手だと思ってはいたんですよ。でも、人間には興味があった。人間を見つめて、追求していくことに。


 それで『こっちだな』と思って興味をもって六本木の俳優座劇場に芝居を見に行ったら、東野英治郎さん主演で地味な芝居やっていたんだ。こういう地味な世界なら僕も仲間に入れてもらえるかと思ったのね」


 三年の養成所期間を経て俳優座の正式な座員になる。同期で合格したのは原田芳雄、栗原小巻と秋野の三名だけだった。


「養成所は面白かった。狭い中で何人もが顔をつきあわせながら、しかも俳優の修業だから泣いたり笑ったりを曝け出して人間同士をぶつけ合わせる。みんな人生を賭けてきているから、競争も凄い。だから厳しいんだ。小野武彦なんかジャリッパゲができたくらいで。精神を病んだ人もいた。普通の学校とは違う。


 僕は養成所に入ったら自活するつもりだったけど、アルバイトしながら通っていたら落ちこぼれると思った。それで親父に頼んで援助してもらったんだ。余ったお金でモダンバレエも習ってね。他のみんなも何か習っていましたよ。いかに出し抜いてやろうか、という世界だから。バレエはセミプロくらいまでになって、おかげで卒業公演の時はみんなで踊るシーンでセンターをやらせてもらえました。


 それから、他のみんなは大きい役を狙って揉めていたんだけど、僕は小さな役をやることになって。それで同情してもらって二役やれたんだ。それも小さな役なんだけど、その時の一言のセリフで演出家と原作者の田中千禾夫さんが泣いてくれて。それで受かったんですよ。


 原田芳雄は主役、栗原小巻も大きな役。その二人と一緒に僕が合格したんだから、役の大きい小さいとか、実は役者の評価とは関係ないんだよね」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。


■撮影/横田紋子


※週刊ポスト2018年7月20・27日号

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