「演劇界の巨星」浅利慶太さんは演劇に興味を持っていなかった

7月20日(金)7時14分 アサジョ

 7月13日、劇団四季創設メンバーで演出家の浅利慶太氏が85歳で死去した。各局のニュース番組やワイドショーは、浅利氏のこれまでの功績を紹介。7月18日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日)でも、過去のインタビューや取材映像を交え、浅利氏の人生を振り返った。

「浅利氏といえば、いわゆる商業演劇のベースを形作った祖とも言える人です。学生時代に劇団四季を立ち上げ、70年代にはチケットの売り上げが落ちたことから路線を変更。80年代にはミュージカルのロングランで成功してからは、ミュージカルのみならず、長野オリンピック開会式の演出や中曽根康弘元首相のブレーンなど、様々な分野で手腕を発揮していました。そのなかで印象深いのは、浅利氏がもともとは演劇にまったく興味がなかったと明かしたこと。

 浅利氏が演劇と出会ったのは高校時代。戦後、マッカーサーの指示で学生は部活をしなければいけないということになり、たまたま高校の担任教師の誘いで、教師が顧問をしていた演劇部に入ったのが始まりなのだと言います。それまで体育会系の運動部だった習性で、演劇にはまったく興味がなかったものの、先生の勧めを断るという発想がなかったのだとか。演劇部で裏方をやり、ものを作る面白さ、演劇の面白さに目覚めたのだというのです」(芸能ライター)

 マッカーサー元帥が進駐し、日本の高校生に部活を義務づけなければ、演出家・浅利慶太は誕生せず、劇団四季もなかったのかもしれない。

(伊藤その子)

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