佐藤優・片山杜秀対談、失墜の財務省や日本型ファシズム語る

7月22日(日)7時0分 NEWSポストセブン

靖国神社に参拝する陸軍兵士たち 共同通信社

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 平成も残すところ10か月。閉塞感が漂う平成後期を象徴するように、様々な事件が立て続けに起こっている。とりわけ官僚たちの不祥事が目に付く。日本を支えてきたトップエリートはなぜ失墜したのか。作家・佐藤優氏と思想史研究者・片山杜秀氏が「ファシズム」という切り口から現代日本を読み解く。


佐藤:官僚たちの職業倫理に、国民から疑いの目を向けられるような事件が相次いでいます。官僚の中の官僚と呼ばれる財務官僚トップの福田淳一前事務次官は、女性記者に「おっぱい触っていい?」「手、縛っていい?」と迫る音声データを公開されたにもかかわらず、本人はそれを認めなかった。


片山:これまでの官僚の不祥事と位相が違う事件でしたね。その前後には、モリカケ問題で佐川宣寿前国税庁長官や柳瀬唯夫元首相秘書官が国会でいい加減な答弁を繰り返した。次々明るみに出る高学歴エリートの不祥事に、この国はどうなっているのかと暗澹たる思いがしました。


佐藤:しかも北朝鮮情勢が大きく動いていたさなかに「言った、言わない」「会った、会わない」で国会を空転させたわけですからね。彼らの罪は重い。


片山:一連の騒動で私が思い出したのが、旧海軍もですが、特には旧陸軍の文書ですね。「無敵皇軍」ですから「絶対に勝つ」という前提ありき。「負ける」ことを内心考えていても、そう赤裸々には書けないので、深読みしないと意味不明で、端から見ると何を言っているのか分からない。


佐藤:事実や論理よりも気合いが議論を左右する。意味が分からなくなるのは当然です。


片山:そう考えると「記憶にない」とひたすら繰り返す秘書官も「言った覚えはない」と一貫して否認し続ける財務次官もやっていることは陸軍の軍人とさして変わらない。官僚制と無謬性と「必勝の信念」の組み合わせで、回転して止まれなくて自壊してしまう。


佐藤:旧陸軍もいまの財務省も、国家最大のエリート官僚集団です。なぜエリート官僚が理解しがたい事態を招くのか。私はこうした社会状況を読み解くために、片山さんの『未完のファシズム』(※)に注目しているんです。


 片山さんは「戦前日本のファシズムは“未完”、すなわち中途半端な形にならざるをえなかった」と結論付けています。なぜ戦前の日本のファシズムは、未完に終わったのか。そこが旧陸軍の暴走や現在の財務省の問題につながるのではないかと。


【※『未完のファシズム』/2012年に新潮社より刊行。「1945年の滅亡」までの道のりを、「持たざる国」という切り口から読み解く。満洲国をもって「持てる国」にしようとした計画や、「持たざる国」ゆえに跋扈した精神主義など、「持たざる国」からの脱却は様々な形をともなったが、結局、明治憲法や天皇制と相容れず、戦前の軍人たちが抱いた夢は、崩れ去ることになる】


◆なぜ「未完」か


片山:ファシズムは、第一次大戦後のイタリアで、ムッソリーニの「国家ファシスト党」の政治運動や思想を示す言葉として登場しました。ファシズムという言葉が持つ本来の意味は「束ねる」ことですね。


佐藤:ムッソリーニは、国家の介入によって国民を統合し、資本主義が生み出す貧困や失業などの社会問題を解決していこうとする政治体制を構築しました。


 戦前の日本が西欧列強に追いつくために、天皇を中心として国民の力を一つに束ねるという考えは一定の説得力を持った。しかし日本型のファシズムは「未完」のまま終わる。まずそこからお話しいただけますか?


片山:日本における未完のファシズムについて考える上でのポイントは二つ。天皇と「持たざる国」ですね。


 幕末、日本は近代化に舵を切りました。すぐに西洋列強に対抗するには、自らを彼らの似姿にするしかない。しかし日本は領土も狭く近代工業化に必要な資源にも乏しい。そこで頼れるのは人の力しかない。倫理と道徳と教育ですね。「持たざる国」である日本は、国民の力を効率的に束ねることで「持てる国」に対抗しようとした。


佐藤:後発の帝国主義国で、かつ「持たざる国」だった日本はそうするしかなかったわけですよね。


片山:そこでの切り札が天皇です。たとえばドイツだと、プロイセンが対外戦争に勝利することを繰り返して、そのプロイセンを核にバラバラだった諸邦と民族を束ねた。でも日本はペリー来航以来、西洋に全く勝利できない。束ねる実力者がいない。そこで長く無力であり続けていたけれど、神話に守られた天皇で束ねようとした。実力で束ねられないなら、神話と復古と伝統で束ねようということ。これは成功しました。でも中心が無力になった。そこに逆らうと痛い目に遭う。


 たとえば昭和の戦争期に近衛文麿は大政翼賛会を作って日本のナチスにしようとした。大政翼賛会総裁はヒトラー並みの実力をもって軍も内閣も議会も抑える。それでこそ「持たざる国」を厳格に最大効率で束ね、「持てる国」に張り合える。近衛なりに正しい。大政翼賛会は非常時独裁の思想の表現です。でもすぐ骨抜きにされた。日本の束ねは天皇だ。しかもそれは無力の束ねだ。天皇の下にヒトラーは要らない。近衛はこの日本的政治原理に押しつぶされ、大政翼賛会は弱い組織に化けてしまいました。


佐藤:それに加えて当時、総理大臣の権限が弱く、内閣と枢密院が対等の関係にあるという権力が分散する仕組みも邪魔をして、国民を束ね切れなかった。


 私にとって日本のファシズムは竹馬のイメージなんです。「持たざる国」がムリをして、どんどん高い竹馬に乗って、最後には匠の技みたいにバランスを取っていたんだけど、転んで大変なことになった(苦笑)。


片山:普通は転ばないくらいの高さで止めておくという微温的な結論に落ち着くはずですが、「持たざる国」が「持てる国」と張り合うにはそんなことは言っていられなかったのでしょう。


佐藤:ここで私が注目したいのが「持たざる国」が生んだ日本独自の精神主義です。その一端が、宮崎駿さんの『風立ちぬ』にあらわれている。主人公の堀越二郎は美しい飛行機を作りたいと零戦などの開発に邁進する。映画では、飛行機に魅せられた純粋な設計者として美化されていますが、実際は馬力のあるエンジンを作れないから軽い飛行機を作るしかなかっただけです。それを美しいという言葉でごまかした。


片山:資源がないから、装甲を薄くして小型化する方に力を注いでいく。結果、スピードは出るけれど、簡単に撃ち落とされる。でも美しいからそれでいい。


◆念力主義の行き着く先


佐藤:経済的に厳しいアフリカや中南米の小国も持たざる国だと言えますが、こうした美学や精神主義が跋扈していない。日本特有のものではないかと思います。


片山:小林秀雄や保田與重郎も美が最終的な判断基準でしょう。政治や経済や科学技術が美学に立脚すると、社会科学的な合理性が超克される。戦争には勝敗についての合理的予想が不可欠と思いますが、そこに美醜という基準が入り込んでしまう。負けても潔ければ美しいからよいではないか、なんて話になる。しかも日本の場合は、「持たざる国」としての身の程をわきまえるにしては、人口が中途半端に多いんですね。


佐藤:そう思います。だから日本は、括弧付きの「持たざる国」なんです。


片山:太平洋を挟んでアメリカがあって、隣が中国で、北にロシアがいる。それなりに「持てる国」とも言えるはずなのに、周囲が大国ぞろいなので、相対的には、どこまで行っても「持たざる国」になる。


佐藤:日本語圏のマーケットだけで、経済発展できるだけの人口がいた。だからガラケーやハイブリッドカーに代表されるように、世界的な潮流とは別に独自の定向進化を続ける。なまじ人口が多いから客観状況を無視した主観的な願望で、物事を決めていく念力主義とも呼べる考え方に陥ってしまったのでしょう。


片山: その念力主義の行き着く先が旧日本軍の玉砕の思想ですね。アッツ島守備隊の司令官は「心臓が止まったら、魂魄を以て敵中に突撃せよ」と訓示しました。


佐藤: なかには石原莞爾のように日本が「持てる国」に成長するまで、長期の戦争をしてはダメだと考える軍人もいた。しかしそんな主張は受け入れられず「持たざる国」のまま戦争に突入してしまった。


片山:「持たざる国」なのだから、陸海の共同作戦の思想が軍に育ってよかったのに、そうならなかった。陸軍と海軍が別々にお互い秘密に原爆研究をしていたのがこの国です。


佐藤:陸軍と海軍ではねじの大きさも違って、部品の互換性もない。情報も共有していないから海軍が敵軍の軍艦と間違えて、陸軍の船を撃ったなんて事故も起きた。象徴的なのは、陸軍が航空母艦を造ったこと。世界の軍事史で、航空母艦を持った陸軍は旧陸軍だけだと思いますよ。


片山:海軍が非協力的だからそうなってしまう。


佐藤:限られた資源を総動員するといいながらも、極端なセクショナリズムがそれを妨げるわけですね。


片山:そのセクショナリズムを越えようとすれば、天皇を使うしかない。無力の天皇を実力者に仕立てる。天皇は形式上では軍も行政も統率できるというのが明治憲法上の建前でした。


 しかし、仮にその天皇大権を行使して、陸海軍と軍需関係の行政と企業と科学技術者を大同団結させ、天皇が率先して最高の性能で部品の規格も統一された戦闘機を造ったとしましょう。でもその飛行機で負けたら天皇の責任になる。やはり天皇は無力でいてくれないとうまく行かない。それが国体の護持ということです。


佐藤:問題なのは、示し合わせてやっているわけでなく、なんとなくそうなってしまうことではないですか。


 軍に限った話ではないんです。1941年に教会を全部集めて結成された日本基督教団も形としては束ねられているんだけど、日本基督教団一部が日本基督教会で、日本基督教団二部がメソヂスト教会で……と部制の縦割りで元の組織がそのまま残っていた。


片山:なんとなくそうなってしまうというのが重要ですね。陸軍に比べて合理的なイメージの海軍もそうです。普通、海軍が陸軍の輸送船を護衛するものだけれど、それをしたがらない。


佐藤:輸送艦の護衛なんて、海軍には下品なことだったんでしょうね。潜水艦の役割を他国と比較すると旧軍の輸送に対する考え方が分かります。ドイツの潜水艦「Uボート」は補給を断つために英国の輸送船をターゲットにしていました。でも、旧日本海軍の潜水艦が狙うのは基本的に航空母艦か戦艦。弱い輸送艦を狙うのは武士道に反する、卑怯だという美学で動いていた。


片山:物資や兵士の輸送を軽視するのも「持たざる国」の一つの特徴です。資源も物資も乏しい日本には、兵站を持って長期で戦争をするという発想がなかった。だから必要な食量や物資を現地で調達するという場当たり的な現地調達主義でアジアに展開していった。


◆外務省の現地調達主義


佐藤:実は私もその現地調達主義を体験したことがあるんですよ。1992年、私は外交官としてCSCE(現在のOSCE・欧州安全保障協力機構)サミットでヘルシンキに出張しました。たくさんの要人が訪れているからホテルが高騰して1泊8万円もする。でも、規定の宿泊費は2万数千円しか出なかった。


片山:差額は自腹ですか?


佐藤:フィンランドの日本大使館の連中が「差額は才覚でなんとかしろ。カジノもあるぞ」と言うんです。最終的にカジノで勝って、ホテルに宿泊できたからよかったのですが。本来行政法では予算措置がない出張命令は〈重大かつ明白な瑕疵がある〉から従わなくてもいいんです。でもそれを強いる雰囲気も、従わざるをえない風土もあった。


片山:カジノで負けていたらどうなっていたんですか。


佐藤:玉砕するしかなかったかもしれませんね(苦笑)。出張すればするほど、持ち出しが増えて赤字になる。旧軍の兵士はこういう状況で、送り出されていたんだろうな、と思いました。


 実際、戦争が激しくなり、そうした精神主義が行きすぎた結果、玉砕が行われるようになりました。


片山:「玉砕思想」を説いた陸軍の軍人思想家に工兵隊出身の中柴末純がいます。物質的に戦う前から勝利を約束された「持てる国」でも軍隊や国民の戦意がなければ、戦争を続けられない。つまり「持てる国」の戦意を挫けば「持たざる国」にも勝ち目が出てくる。そこで中柴は日本人が積極的に死んで見せればいいと主張した。


佐藤: 玉砕する日本人の姿を見た敵は恐れおののくだろうというわけですね。


片山:そうなんです。


佐藤:私が玉砕思想の名残を感じたのが、バブル期の「24時間、戦えますか」という栄養ドリンクのCMです。本当に24時間戦ったら死んでしまうけど、あれが受け入れられて流行する素地が日本社会にはある。


片山:一番、「持っていた」はずのバブル期のCMですら、こうなのですからね。


佐藤:さきほどのガラケーの話ではないですが、日本型のファシズムは玉砕思想を内包するまでの独自進化を遂げました。これを戦前の話と捉えるのは誤りです。日本のファシズムを考えることは、いまの日本社会が内包する問題を読み解く一つの鍵になるはずです。


【プロフィール】

●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。国際情報誌『SAPIO』連載5年分の論考をまとめた『世界観』(小学館新書)が発売中。


●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。


※SAPIO 2018年7・8月号

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