104歳の箱石シツイさん、聖火ランナーに。今も理容師として店に立ち続ける理由

7月26日(月)14時30分 婦人公論.jp


70年間「理容ハコイシ」を営みつづける箱石シツイさん(撮影:本社写真部)

足腰しゃっきり、話は淀みなく、ユーモアもたっぷり。時には白衣を着て、理容師の仕事も──。そんな104歳のスーパーおばあちゃんが栃木県の山間に暮らしている。健康長寿の秘訣はいったいどこにあるのだろうか(構成=山田真理 撮影=本社写真部)

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聖火リレーでは、200メートルを夢中で走った


まあ今日はこの画面越しにお話しするのですか?(※この日はオンラインのビデオ会議ツールを使った取材を実施) 最近はコロナのことがあって、人とお会いできないのが寂しいことですね。

お引き受けした聖火リレーのランナーも、コロナで1回延期になりましたでしょう。それまで1年間、1日も欠かさず練習をしてきましたから、最初はがっかりいたしました。この年齢ですから、翌年になっても走れるかしらと心配で。でも全国から「がんばって」という励ましのお便りやお電話をいただき、自分としても「お引き受けしたからには何としてもやり遂げなくては」と、また1年、一所懸命に練習いたしました。

3月28日の聖火リレーは、夜の8時近くにスタートしました。この日は雨も風も強くて、顔にあたると痛かったですよ。レインコートの裾が足にまとわりついて走りにくくてね。でも沿道でたくさんの方が応援してくださったので、200メートルを夢中で走りました。

最後は台に上って次の方に聖火をお繋ぎするのですが、5段あった木の階段の幅が狭いのと、雨で濡れていたのがちょっと怖くて。降りるときは息子(長男の英政さん)の手を借りて後ろ向きになったのですが、皆さんにお尻を向けることになって申し訳ないことでした。

この年になるまで元気でいる秘訣といっても、自分ではよくわからないのですよ。一つあるとすれば、30年以上続けている自己流の体操でしょうか。朝7時ごろに起きて着替えをしたら、体温を測って、それから始めます。

小学校の体育館の周りを、1000歩あるく


それぞれの動きを無理なくゆっくり行いますので、全部をやり終わるまで1時間近くかかります。それから朝ごはん。食事は塩辛が苦手なくらいで(笑)、何でもよく食べますよ。2年前に息子夫婦と同居するまで60年以上一人暮らしでしたから、それまでは全部自分で作っていました。

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今は嫁が気を付けてくれて、たとえば朝はピーナツバターを塗ったパン1枚と魚肉ソーセージ1本、温野菜サラダに、純ココアときなこを入れたヨーグルトなどをいただきます。昼も納豆や冷奴、夜には魚と肉を交互に食べるなどタンパク質はしっかり摂らせてもらっています。

庭の畑では、農家をしている実家から分けてもらった苗を植えて、トマトやサラダ菜など季節の野菜を育てています。白菜なんか顔より大きく育って、実家に住む姪が「農家が負けるくらいだね」と褒めてくれたものです。そういう採れたての野菜をたっぷりいただくことも健康の秘訣かもしれません。

それから毎食後に飲んでいるのが、息子の考えた煎じ茶です。アザミとミョウガ、ツユクサを煎じて合わせたもので、飲むとぼーっとしていた頭がしゃきっとするように思います。昨年、特許が下りて、「散草茶」という名前で今年から販売も始めました。

朝ごはんの後、少し休んでから家の外を歩きます。この先にある、廃校になった小学校の体育館の周りを、「1、2、3、4」と数えながら1000歩まで歩くことにしているのです。聖火ランナーの練習では、トーチと同じ重さ(約1.2キロ)の棒を、本番のときのように肩の高さに掲げて歩きました。

最初に持ったときは「重いなあ」と思いましたよ。私は現在も理容師の仕事を続けていますが、理容師は普段からあまり重い物は持たないのです。重い物を持って疲れると、手が震えてしまいますでしょう。カミソリや鋏を持つ手が震えては、お客さんに怪我をさせてしまうかもしれない。ですから聖火ランナーに決まってから2年の間は、予約以外のお客さんは、なるべく受けませんでした。

理容師は、修業を始めてから今年で90年。生まれ故郷の那珂川町に「理容ハコイシ」を開いてから70年近くになります。自分でも、よくここまで続けてこられたものだと思っています。

夫が召集され、東京も空襲がひどくなり…


私は1916(大正5)年に、大内村谷川(現在の那珂川町)の農家に5人きょうだいの4番目として生まれました。上の姉2人も90歳を超えてから亡くなりましたから、長寿の家系なのかもしれません。私は身長が138cmと、当時としても小柄だったのですが、足は速かったんですよ。近くの3つの小学校が合同で開く運動会でも、種目の最後に行われる徒競走の学校代表に選ばれて、1等賞を取ったものです。

小学校を出た頃に、「何か手に職をつけよう」ということで、最初は村長さんの奥さんから和裁を習いました。その後、近所の人から「東京に行って床屋の修業をしてみないか」と誘われて、14歳のとき東京の店に修業に出ました。ちょうど満州事変の頃です。

同じく理容師の夫(二郎さん)と22歳で結婚して新宿・下落合に店を構え、娘と息子も生まれて。けれども息子が生まれた翌年に夫が召集され、東京も空襲がひどくなってきたので、2人の子どもと故郷の那珂川町へ戻ってきたのです。

戦争が終わってからは毎日、「今日こそ夫が帰ってくるんじゃないか」と思って待ち続けましたが、結局8年も経ってから戦死公報が届きました。幼い頃に罹った病気で障害を抱えた長女と、まだ小学生の長男を抱え、母子3人でどうやって生きていこうかと絶望的になったこともあります。そんなときに自分を支えてくれたのが、「手に職」を持っていたことでした。

いつのまにやら100歳を超えていた


自宅兼店舗で開業すると、「東京で修業した理容師」と評判になって、おかげさまでお店は大繁盛。一番忙しかった頃には、お客さんの顔に蒸しタオルを乗せている間に、立ったまま昼食をかきこんでお店に戻るほどでしたね。

理容師は立ち仕事ですので足腰に負担がかかりますし、さっきお話ししたように手先が衰えて震えるようなことがあれば、仕事は続けられません。ですから男性でも女性でも、60歳過ぎに引退なさる方が多いのです。

それが私の場合、おかげさまで体のどこも悪くならないで。自分としては当たり前に続けてきたつもりですが、いつの間にやら「100歳を超えた理容師がいる」と話題にしていただくことが増えました。


2年前にリフォームして1席になったが、今も予約客を中心にお店に立つ。赤紫色の壁紙がおしゃれ

テレビなどでも紹介されると、全国からお客様がみえるようになりました。近隣の郡山や白河、茨城だけでなく、東京や神奈川、千葉、埼玉からも。遠くから来られてお断りするのも申し訳ないので、事前にご予約いただいた方に限ってお受けするようにしています。

飛び込みのお客様にお知らせするため、お店の前には「今月は臨時休業」と札を下げています。この書き方だったら、翌月をお休みするときも、わざわざ変えなくていいから便利でしょう。(笑)

いつもにぎやかな「谷川サロン」


近所の常連の方も、定期的に来てくださいます。そういう方たちとあれこれお話しするのも、この仕事ならではの楽しみですね。私とだけでなく、お客さん同士もカットを待つ間に仲良くおしゃべりして。お店と自宅の居間が隣り合っているので、そこにポットを用意して「あなたはお茶にする? コーヒー?」なんていつもにぎやか。

町の人から「谷川サロン」なんて呼ばれていたんですよ。近所のお友だちとも、きょうだいのような、親戚のような親しい関係。「ちょっと遊びに来ない?」と声をかけると、「すぐ行きます!」と来てくださる方が多くて、それも幸せなことだと思っています。

ですから宇都宮に住んでいた息子から何度か「いっしょに住もう」と誘われても、「私は大丈夫」と断っていました。孫やひ孫の顔をいつも見られるのは嬉しいけれど、勝手知ったる暮らしや仕事、お友だちと離れたくなかったのです。それでとうとう息子夫婦が折れて(笑)、私が102歳のときに、那珂川町でいっしょに住んでくれることになりました。

同居するなら家の中を片付けなければと思って、物置の中からいろいろ出して居間へ積んでいたんです。そこへいつものように、店で使って洗濯したタオルを取り込んで床へ放り出して。次に自分の衣類を抱えて戻ってきて、タオルの山に足を掛けたとたん、足を取られてすとーんと転び、家具にわき腹をぶつけてしまったのです。救急車で運ばれた宇都宮市内の病院で、肋骨が2本、折れているとわかりました。

でもね、お医者さんも驚くくらい治りが早かったんです(笑)。レントゲンを見ながら先生が、「おお箱石さん、もう骨がくっついてる。明日退院してもいいですよ」って。毎日の運動と食事、立ち仕事で骨が鍛えられたおかげでしょうか。

109歳まで頑張らなくては


聖火ランナーは、町の職員さんから「応募してみませんか」とお話をいただいたのがきっかけでした。最初は、とんでもない、私には無理とお断りしたんですよ。そうしたら次は、町長さんがお見えになって(笑)。「箱石さんはこの町の誉れだ」なんておっしゃったものだから、後に引けなくなったというのが本当のところです。

最初の1年、延期後の1年は、とにかく病気をしないように、転んで怪我をしたりしないように気をつけて過ごしました。

聖火リレー当日、ゴールで出迎えてくれた人の中に、姪の姿もありました。近所に暮らし、とても仲が良く、美味しい物を作ると持って行ったりして、毎日のように互いの家を行き来していました。農家ですから足腰も丈夫で、87歳になっても元気でしたし、走り終えた私を「おばちゃん、おめでとう」と笑顔で迎えてくれたんです。それがその日の夜に帰宅して家のこたつで寝入ったまま起きてこず、ドクターヘリで病院に運ばれましたが、脳内出血ということでそのまま亡くなってしまったの。

子どもみたいに思っていた姪でしたし、それはもうショックでね。これまでつらいことがあっても涙をこらえてきましたが、初めて私、人の前で声を上げて泣きました。2年間毎日気を張って練習してきた疲れと、当日の緊張と、それから解放されたこと。それに続いてお通夜と葬儀でしょう。いろんなことが重なって、もう何だかしょんぼりしてしまって。食べられないし、夜も眠れないし。息子たちも心配するくらい、様子がおかしかったようです。

でも病院で検査をしてもらっても、体に問題はなし。初めて脳の検査もしてもらいましたが、この年齢なら多少は縮んでいるはずの脳にも異常は見当たらなかったそうです。とはいえ息子夫婦が心配をして、「食べたくなくても食べないと」とすすめてくれるので、少しずつ食事も口にできるようになりました。それから2ヵ月と少し。最近ようやく、前のように元気になってきたと思います。こうして皆さんに、自己流の健康法のお話などして「参考になります」と言ってもらえると、嬉しくなりますね。


長年続けた体操の効果で、背中も腰も曲がらずシャキッとしている

お聞きしたところでは、108歳まで仕事をしたアメリカ人の男性が世界最高齢の理容師としてギネスブックに載っているそうですね。その方を超えるには、私も109歳まで頑張らなくては(笑)。これからも健康に気をつけ、お店に立ち続けていければ幸せです。

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