「なぜ産んだの?」元KARAク・ハラ“日記”に書かれた”浮気母”への懊悩《実兄が公開》

7月29日(水)19時0分 文春オンライン

「ハラ、大丈夫。辛くない。大丈夫」−−。


 韓国JTBCの時事番組「イ・ギュヨンのスポットライト」は7月23日、こんな文言が綴られた日記帳の一部を公開した。日記の主は、昨年11月24日に28歳で自ら世を去ったク・ハラ。2010年代前半、日本で最初のK-popブームをリードしたグループ「KARA」の元メンバーだ。死を選んだ理由には、うつ病、ネットのバッシング、親友の死、そして元恋人とのトラブルなどが挙げられていた。



ク・ハラの日記を紹介するキャスター(JTBC「イ・ギュヨンのスポットライト」7月23日放送分より)


 没後すでに半年以上が経ったが、彼女の遺族はいまもその死を巡るトラブルに苛まれている。最大の要因はク・ハラの生母、ソン某氏だ。JTBCがボカシ加工つきで公開したク・ハラの生前の日記には、こんな言葉も残されていた。


「私を産んだソン◯◯」


「あんたのせいで私はこんな状態だ」


「私が小さい頃から私と一緒にいながら浮気して」


「こんなことなら、捨てるなら、なぜ産んだの」


ク・ハラ9歳の時に家出した生母ソン氏


 ク・ハラは1991年1月、韓国南西部の光州市に生まれた。兄弟には2つ上の兄、ク・ホイン氏がいる。家族の暮らし向きは楽ではなく、2人は早くから祖母に育てられた。やがて兄が11歳、妹が9歳の時、母親のソン氏が家出。父親は、各地の工事現場を転々とするようになった。


 幼い頃から歌と踊りが好きだったク・ハラは、全州芸術高校に進学。父親は乏しい収入のなかから何とか教育費を仕送りしたが、ク・ホイン氏によれば「学費が高すぎて結局ほかの学校へ移った」という。そのク・ホイン氏は当時、ガソリンスタンドの住み込み店員をしながら学校へ通っていたそうだ。


「男性関係が複雑」だった生母


 2006年、父親とソン氏が正式に離婚。同時にソン氏は、2人の親権を放棄した。父親は今回JTBCの取材に応じ、ソン氏の「男性関係が複雑だった」と語っている。ク・ハラがKARAメンバーとしてデビューしたのはその2年後、2008年のことだ。


 父親についてク・ホイン氏は「それでも親として責任を取ろうとした人」と話すが、兄妹とは一定の距離があったらしい。やがて2011年には祖母も他界し、兄妹は互いを唯一の家族と思っていたわり合った。


 ソン氏は家出以後、2人の子供にほとんど連絡すら寄越さなかったという。そんな母子がようやく再会したのは、2017年。うつ病を患っていたク・ハラが、治療の一環として母親と会うよう医師から勧められたのが理由だ。


 だがこの再会も、ク・ハラが望んだ形とは違ったらしい。同行した人物が前述の番組で明かしたところによると、ク・ハラは母親との温かい会話と抱擁を期待していた。だがソン氏は大勢の親戚や知り合いをその場に呼び、有名人の娘を自慢するかのように振舞ったそうだ。この再会の後も、母子の関係は特に変わるところがなかったという。


ク・ハラの遺産相続を巡って裁判に


 約20年間、すすんで子供と関わりを持とうとしなかったソン氏。その態度が変わったのは、ク・ハラが他界してからだ。ソン氏は葬儀に押しかけて自分が喪主を務めると言い張り、ク・ホイン氏とひと騒動起こした。出棺の翌々日にはソン氏の弁護士2人がク・ホイン氏を訪ね、ク・ハラが所有していた不動産の半分を相続すると伝えたという。


 子供や配偶者のないク・ハラの遺産は実の父母に50%ずつの相続権があり、親権の放棄も欠格事由とならない。だがソン氏の相続を容認できないク・ホイン氏は今年3月、光州家庭裁判所に相続財産の分割審判を求める訴訟を提起した。


 ク・ホイン氏はさらに同月、相続の欠格事由に「扶養義務を著しく怠った者」などを加えることを骨子とする民法改正案、通称「ク・ハラ法」の制定を求める立法請願を国会に提出している。もちろんこの改正法が成立しても、事後法となるためク・ホイン氏の裁判には影響しない。だがク・ホイン氏は「妹の死が無駄にならないよう、私たち家族のようにこうしたことに苦しむ家族がこれ以上増えないことを願う」と述べている。


インタビューで語られた「母の言い分」


 立法請願はオンラインで10万人の同意を集めると、所管の常任委員会による審査に回される。「ク・ハラ法」はこの要件をクリアしたものの、継続審査になって事実上の廃案とされた。だが6月に与党議員が代表発議を行い、現在は新しい国会での議論を待っている状態だ。


 7月1日には、ク・ホイン氏がソン氏を相手取った裁判が始まった。ク・ホイン氏はまたこの裁判とは別に、ソン氏に養育費を請求する訴訟を起こす意思も明らかにしている。


 こうしたク・ホイン氏側の姿勢に対し、ソン氏もようやく初めてメディアで口を開いた。冒頭でふれた時事番組でインタビューに応じ、これまでの報道に対する弁明を繰り広げたのだ。


 葬儀も終わらないうちに弁護士を手配していた点について、ソン氏は「斎場の外で泣いていたら姉から電話があり、(弁護士を探すよう)勧められただけ」「娘が死んだのに、相続とかお金のためではない」と説明。養育を放棄した点については、「子供を育てたくない親はいない」「(自分も子供を)育てたかったが、そういう状況ではなかった」と語った。家出した理由は自分の浮気ではなく、夫の暴力のためだったと述べている。


 家出以来ずっと2人に連絡を寄越さなかったのは、「公共料金や電話代なども払えず、電話が切られていた」「(暴力を振るう元夫が)怖かった」からと話した。ただしク・ホイン氏は同番組中で、「父親とは同居していなかったのに、(怖いというのは)話が矛盾している」と、不快感を表している。


 一方、生母のソン氏はまた番組を通じて、相続を受け取ったら弁護士費用、養育費を除いた残りを社会に寄付するとの提案も伝えた。


日記に書き残されていた「母」への思い


 ソン氏は2017年の再会を引き合いに出して「(カネのために)自分が突然現れたわけではない。ハラのほうから私に会いに来た」と語り、母娘間の愛情を強調した。こうした主張に対して紹介されたのが、ソン氏の浮気をなじるク・ハラの日記だ。ク・ハラはまた日記で父親を「お父さん」と書く代わりに母親は名前で呼び、両者への距離感の違いを際立たせていた。


 公開された日記にはまた、愛情への飢えを窺わせるこんな一節が含まれている。「私という存在が面倒臭いのか。私は誰? 私は何をしなくてはいけない? 私は誰なんだろう。私は愛されてもいいのだろうか。愛さなくてはいけないのだろうか」。


 一方でク・ハラは、次のような一文も残した。「私はお母さんに会いたい。恋しいし、お母さんを感じたい。ずっと喉の奥に飲み込んで吐き出さず、そのまま閉ざしていた。誰よりも切実に感じたい」。


 又石大学・心理相談担当学科のキム・テギョン教授はJTBCの番組で、ここで「お母さん」と呼ばれているのはソン氏個人のことでなく、「我々が一般に抱く休息所のような母親のイメージがより強いのではないか」との見方を示している。


 ク・ハラが求めてやまなかったこの「母親」への思いが、ソン氏に届く日は来るのだろうか。


(高月 靖/Webオリジナル(特集班))

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