朝ドラ『おかえりモネ』が描く森や海の力。〈焦らなくてもいい、ゆっくりでいいんだ〉の意味とは

7月30日(金)12時0分 婦人公論.jp


サヤカさん(右)から森の仕事について教わるモネ。(NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』場面写真 (c)NHK)

7月3日には熱海市の伊豆山地域で線状降水帯による豪雨で土石流が発生。7月28日には1951年からの統計依頼初めて、台風8号が宮城県の石巻市付近に上陸した。年々激しさを増す猛暑や豪雨に、自然環境や気候の変化を実感する人も多いのではないだろうか。東日本大震災の被災地に生まれ、林業に携わるうちに気象の仕事を目指すことになった主人公を描く朝ドラ『おかえりモネ』は、木や森の大切さ、自然や気象と人間の関わりなどをテーマに描かれている。長年農業や森林について取材してきた作家・森久美子さんに、モネが携わった木の仕事や森の大切さについて寄稿してもらった

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海育ちのモネが、山で成長していく


連続テレビ小説『おかえりモネ』(NHK総合/月曜〜土曜8時ほか)の開始から2ヵ月が経った。主人公・百音(モネ・清原果耶)の成長を楽しみに、毎朝テレビをつける。

私は古民家情報誌『じゃぱとら』に、「木は生きている」というタイトルの小説を連載している。地域の風景や文化を残そうという思いで、国産の木材を使った住宅を建てたり、古民家を再生したりする大工や建築士たちが主人公の物語だ。地域愛、森林、木工品……「おかえりモネ」は、「木は生きている」の題材と重なる点も多い。

宮城県気仙沼の離島・亀島で育ったモネは、東日本大震災の日、高校の合格発表を見に仙台に行っていた。そこにいなかったせいで、津波に遭った家族の辛さや、身近な人を失った友人たちの悲しみをわかってあげられていないと、モネは気に病んでいる。震災から3年が経過した2014年春、高校卒業と同時に逃げるように気仙沼を離れた。

海の町から山の町・登米へ。モネは森林組合で、見習い職員として働き始める。下宿先は、祖父の知り合いで登米の山主であるサヤカさん(夏木マリ)の家だ。海育ちのモネには、山や森林についての知識がまったくない。サヤカさんや森林組合の人たちに教えられて、森林は河川を通じて海と繋がっていることに気付いていく。

サヤカさんの山には、成長に時間がかかる特徴を持つヒバの木がある。伝統芸能の登米能の舞台で笛を吹くサヤカさんは、将来能舞台の修繕をする日が来たら、樹齢300年のそのヒバを使ってほしいと考えているようだ。モネに山を案内したサヤカさんは、ヒバに手を当てて言った。


モネの故郷・気仙沼の朝焼け(写真提供:写真AC)

樹齢300年のヒバが、役目を終えて静かに横たわる


「ヒバは、雨、風、雪に耐えながら、長い時間かけてゆっくり成長するから、この子はものすごくいい木なの」

生きる目的を見つけられなくて苦悩するモネを、励まそうと思って言ったのだろうか。サヤカさんはこう続けた。

「焦らなくてもいい、ゆっくりでいいんだ」

樹齢300年といっても、強い生命力を感じる立派な木に見える。しかし、寿命がくる前の良い状態の時に伐採するほうが、木を生かすことになる。サヤカさんはヒバの木を50年もの時間をかけてゆっくり自然乾燥させて、次世代に引き継ごうとしていた。

7月14日の放送で、サヤカさんが大切に思っていたヒバの木を伐採するシーンがあった。朝から泣かせないでほしいと思うのに、ブーンと音を立てて、チェーンソーがヒバの木肌に目を立てた瞬間から、私は泣けて仕方がなかった。

傾き始め、やがて倒れるヒバの木。でもなぜか、木は悲鳴を上げるのではなく、倒れることを受け入れているように静かに横たわった。

私はサヤカさんの年齢に近い。サヤカさんがそうであるように、私も自分の人生が終盤に差し掛かっているのを十分に知っている。だから知らぬ間に、伐採されるヒバの老木に自分を重ね、テレビの画面に引き込まれた。喜びと悲しみを、もし「量」で換算するとしたら、ほんのちょっとだけ喜びの量が多いおかげで、私は今日まで生きてこられた。それが幸せだと感じているから、いつかこの木のように、お役御免の日が来たら、静かに横たわれるのではないかと思った。

木材の強度は100年かけて1.1から1.2倍に


「木は生きている」の登場人物たちは、材木屋に木を保管するスペースを取ってもらい、時間をかけて自然乾燥していると、取材の際に語ってくれた。木材の強度は100年かけて1.1から1.2倍になるという。伐採されて根が土から離れても、木は生きていて強くなっていく。

大工たちは国産の自然乾燥の木材を梁や桁、柱などの接合部に、「継ぎ手」や「仕口」といった凹凸加工を手刻みでほどこしている。そのような伝統的な工法で骨組みをつくった家は、年月を経て変化する木材がしっかり組み合わされているため、耐震性も高くなると聞いた。

執筆にあたり私は、北は北海道から南は鹿児島県まで取材に行った。東北ではヒバ、西日本ではスギやヒノキの林を見学し、年月を重ねてこそ魅力を増す木材につい勉強させてもらっている。吉野スギの産地として有名な奈良県川上村を訪れた時には、スギやヒノキの産地となったのは室町時代で、1500年頃に人工植林が始まったとことを知った。

安土桃山時代に豊臣秀吉が築いた、大阪城や伏見城などの多くの社寺建築に、吉野のスギやヒノキが用いられたという。苗木を植え、日当たりが良くなるように木が育つ環境を整えて、長いスパンで丁寧に木を育ててきた林業家たちが、優良な木材を生産してきた歴史がある。

森林と河川と海との深い関わり


しかし現在の日本の木材自給率は37.8%(2019年)で、やや増加傾向にあるものの、輸入木材の利用量がかなり多いのが現実だ。また、最近は大雨による洪水や土砂崩れなどが頻繁に起きている。「木は生きている」に登場する山間部に住む大工の一人が、洪水を防ぐためには、適正な伐採と植林で森林の保水機能が発揮できるように整備していくことが重要だと言っていた。そして、建設業が林業と製材所と連携し、地域の木材を使うことによって、環境を守っていきたいと意気込みを伝えてくれた。

取材で地域の森林を歩くと、土壌がふかふかしているのを感じた。森林土壌は、上に蓄積している落ち葉が適度な空間を作り出す腐食層があって、土の密度が低くなっている。スポンジのような感じらしい。その適度な空間に水を吸い込むことができるというシステムで、森はたくさんの水を蓄えておくことができるのだという。

逆に言えば、森林がなくなると水を蓄えられず、雨水が直接河川に流れ込んでしまうため、土砂崩れや洪水の原因になることもある。

モネは森林組合で働くうちに、このような森林と河川と故郷の海との深い関りを知ったのだろう。東日本大震災の時に何もできなかったと思っていたモネが、自分も人の役に立ちたいと考えて行動に移していく。

伐採したヒバの木が、50年後、100年後に誰かの役に立てばいいと願っているサヤカさんの思いを察し、モネは保管場所を探す。登米の気象災害の歴史やデータを見て、神社だけは水害等に遭っていないことがわかった。

神社の宮司さんに、「先人たちが残したものがあると、私たちは安心できる」と言って保管をお願いするシーンに、モネの成長ぶりが描かれている。

サヤカさんが言った「ゆっくりでいいんだ」という励ましを、モネは受け止めて第一歩を踏み出した。

舞台を東京に移して気象予報士として働き始めたモネが、空と海と山の繋がりをどのように伝えてくれるのかが楽しみだ。

婦人公論.jp

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