横浜流星&川口春奈W主演『着飾る恋には理由があって』から紐解く現代の「幸福論」とは?

7月30日(金)21時30分 海外ドラマboard

4月期の火曜ドラマとしてSNS上で大きな話題となり、先月放送を終了した『着飾る恋には理由があって』。本作からは、「孤独」、「運命」、「幸福」など人生について毎話ごとに多くを考えさせられた。筆者が選んだこの3つのキーワードを手がかりに、現代人にとっての「幸福論」としての本作を紐解いていく。

■孤独を受け入れる生き方

(C)TBS

誰もが「かけがえのない人」を求めている。人生とは、ある意味ではその誰かを探し求め続ける旅のことなのかもしれない。なぜなら、人は「人間」という字の通り、人と人の間に存在し、自分一人では生きていけないからだ。だが、その事実に固執するとかえって生きづらさを覚える。一人である「孤独」に対する恐怖が募り、一緒にいてくれる誰かを見つけることに躍起になるあまり、かけがえのない人を求めることがオブセッションのようになる。それが大きな負担となりはじめる。気持ちばかりが焦る一方で心は満たされずに、孤独は肥大化するばかりだ。そんな現代病への処方箋として、本作『着飾る恋には理由があって』は有効であったと改めて思う。
「同じ屋根の下、“うちキュン”ラブストーリー」である本作にとって重要なギミックとなったのがシェアハウスでの共同生活だ。その発起人である料理研究家の早乙女香子(夏川結衣)が、最終話でくるみ(川口春奈)に放った一言はまず第一の特効薬となる。お互いの生活リズムのすれ違いから結婚生活が破綻した元夫の礼史(生瀬勝久)が香子に復縁を求め、次第に気持ちが揺れはじめた香子が最終的に選んだのは、自分ただ一人で生きることが今は幸せであり、これ以上の幸せが望めないというものだった。そんな香子に対して、くるみは、一人で平気かと問う。「私には私がいるから平気」という自立した女性の簡潔で美しい一言。香子はほんとうに強い人だと思う。自分の最大の理解者は自分でしかない。ならば、その自分がいる限り孤独は実は孤独ではなくなる。誰かが隣にいないことを自覚する方がよっぽど孤独なのである。そしてこの孤独を受け入れた生き方をライフスタイルとして貫くのが、ミニマリスト・シェフの駿(横浜流星)に他ならない。

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「自分の価値は自分で決める。誰にも左右されない」という信念を持つ駿は、自分の価値は自分が一番よく知っていて、現実と理想の狭間で悩むような無駄な逡巡に興味はない。必要最低限の生活を営む彼からすれば、日常がすでに理想の生活でさえある。しかしその一方で、他者からの深入りを避け、飄々としたコミュニケーションスタイルでやり過ごそうとする態度にとって、精神的な孤独は避けられても、他者との共生という人間本来の生き方が欠落している。同じ屋根の下、ルームシェアをするなど駿の生き方に反することでもある。香子の言葉は、長年の経験から、他者との暮らしに疲れた者が出したひとつの回答であるが、駿の場合ははじめから他者との関係性を断ってしまっている。駿が何かと明るく振る舞う程、彼が自分に嘘を付いていることは見え透いている。では、人の幸福は誰かとともにいることでほんとうに得られるものなのだろうか。

■運命の相手はほんとうにいるのか?

(C)TBS

ところで、第1話冒頭で、バスの車内で突発的な衝突からはじまったくるみと駿の関係性は、あの時点ですでに「運命の相手」だったということなのだろうか。運命の相手、あるいは「赤い糸」のストーリーは、古代ギリシアの哲学者プラトンの『饗宴』中で、悲劇詩人アガトンの祝宴で喜劇作家のアリストファネスが披露した愛の神「エロース」に関する小話に起源を持つものであり、神話世界でのファンタジーが現代まで脈々と語り継がれてきた。それがファンタジーである限り、現実生活では運命の相手を前提として人間関係がはじまるのではなく、ある日常の些細なことから関係を深めていき、いつしかお互いがお互いを運命の相手であったと後の時点で認識するものでしかないのだ。
それを踏まえると、ルームシェアという空間は、運命の相手探しではなく、いつかそうなるかもしれない可能性を秘めた相手との関係性を深めていくには最適な場である。同じ屋根の下、親密な時間を共有すれば、嫌でもコミュニケーションは取らなければならない。分かりえない人とは分かり合えないのだと豪語していた駿がまさかくるみと分かり合えるようになって、恋人関係になっていくとは、人と人との出会いと結びつきの奇跡ではないだろうか。駿の従兄弟で心理カウンセラーの陽人(丸山隆平)と彩夏(中村アン)との関係性にしても同様で、この共同空間が結果的に運命の相手としての強い結びつきを生み出したのだ。
その結びつきを生んだのは、これまでのコラムでみてきた通り、言葉によるコミュニケーションによるものであった。もし仮に運命があるとすると、分かり合えないことが運命付けられた者同士は根本的に分かり合えないことになってしまう。分かり合う可能性が「0」で、分かり合えない可能性が「100」である。つまり、運命とはこの「0か100」かの限界値を設定する作為的な断定でしかない。あらゆる物語の英雄たちが英雄的なのは運命に逆らおうとする人間らしい抵抗を繰り広げるからだ。分かり合えない関係からはじまったくるみと駿が日常の共同生活の中でお互いの価値観を確かめ合いながら、根気よくコミュニケーションを続けた。二人の関係値は決して「0か100」かでは割り切れない。割り切ろうとする人間が行き着く「孤独」はその人の精神を確実に蝕み、赤い糸で結ばれた運命の相手というファンタジーに逃避することになる。だからこそ言葉の力を信じて、相手の立場を考え、「対話」する力が求められる。そのためには、香子のように自分自身が自立していなければならない。自立していない者同士の関係性は、結局のところ、お互いに依存し合う惰性的なものでしかないからだ。

■自分のための幸福を求めて

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バイヤーとして世界を飛び回るカリスマ的存在である祥吾(向井理)に大きな憧れを抱いたくるみは、祥吾が代表を務める企業に念願の就職をするが、彼女は常に誰かのために働いてきた。キャリアップとしては自分のためかもしれないが祥吾を喜ばせるために日々の業務に励んでいた。くるみが運営するInstagramにしてもフォローワーを伸ばし、トップインフルエンサーに上り詰めることで祥吾を喜ばせ、さらにはフォローワーを喜ばせる。だがそれがいつしか彼女に虚無感を抱かせ、投稿したブランド品の盗作疑惑騒動に巻き込まれるかたちで炎上すると、彼女の精神状態は限界に達する。追いつめられたくるみは、会社を辞める選択を考えるが、正義感の強い彼女は会社やフォローワーの迷惑になると考えてさらに自分を追いつめた。だが、こんな時こそ自分のための幸福な道を考えてみる必要があり、それが自立した人間としての人生への責任の取り方である。
ある新人アーティストに「Love Yourself」というシングル曲がある。この歌詞の美しさは、自分のことをまず第一に愛していなければ、他の誰かを愛することなんて出来ないというところにある。自分自身を愛することからしか何もはじまらない。駿や祥吾は、くるみに対してそれを一番伝えたかったのだと思う。誰かのために生きているというのは、実は自分の弱さを隠すための口実にすぎない。「あなたのため」という理由付けはいくらでもあり、本人の勝手な都合でしかない。自分のために生きられない人が誰かのために生きるなんて二の次だ。自分のための幸福を求める態度は、決してひとりだけで孤独に生きることではなく、ほんとうの人生のスタート地点にすぎないのだと強く主張しておきたい。

(C)TBS

それは決して孤独な道ではない。自分が幸福になれば、必ずそれを分かち合う存在が現れる。ある日、その道をともに歩んでくれる存在が不意に訪れるかもしれないのだ。いつも隣にいる相手が、後から考えるとそれは運命の人だったかもしれないというくらいが丁度良い。そしてその人がかけがえのない伴侶となることに、気がつけるかどうか。この可能性を広げることが人間力だ。くるみと駿が伴侶のようになるためには、すれ違いの連続と果てしない対話(コミュニケーション)が必要であった。偽装疑惑で人生にはじめて絶望したくるみは、逃避したい一心から駿の北海道行きに同行しようかと考えるが、踏みとどまり、祥吾のようなバイヤーになる夢を突き進む道を選んだ。焦らずに自分の道を着実に一歩一歩歩んでいけば、気づけば誰かが隣にいてくれて、その人を人生の伴侶として発見したくるみと駿。二人はお互いの手をとりあいながら同じ道を進んでいく。時にその歩調が合わないこともあるかもしれない。そんな時にこそ、言葉によるコミュニケーションが必ず二人の関係性を強化する。最終話で互いの溝を埋めるのが「頑張れ」という一言だけであったことがどれ程感動的だったか。あの瞬間、くるみと駿は最強の二人になった。自分にとっての幸福があり、それが相手にとっての幸福のエールとなるような関係性。『着飾る恋には理由があって』は、孤独な運命を背負う全ての現代人のための「幸福論」としてあったのだと思う。


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