ファイターズ・吉川光夫の不器用なルーティンを見て思う、「応援する」ことの不思議さ

8月2日(金)11時0分 文春オンライン

 今日は吉川光夫がファイターズ復帰後、2度目の先発を任された夜だ。7月30日、楽天16回戦。負けてしまった。吉川は4回、82球投げて被安打3、失点2の敗戦投手。下水流昂に移籍後初の2ランを喫してしまった。これで0勝2敗。まぁ、楽天の弓削隼人が被安打2の初勝利&初完封を飾ったから、今日は1点取られてしまえば負けだった。ファイターズはノーチャンスだ。


 試合が終わって何がいちばん印象に残ってるかというと、西川遥輝、中島卓也の貴重な2本のヒットではない。好リリーフを演じたロドリゲスのツーシームでもない。もちろん相手方の弓削のピッチングや下水流のホームランでもない。


 吉川光夫の不器用なルーティンなのだ。


 僕は理由がわからないのだが、吉川光夫がマウンドに立つと目がクギ付けになる。その威力満点のストレートに魅せられているからでもあるが、実はそれ以上に投球前の所作に見入ってしまう。



吉川光夫がマウンドに立つと目がクギ付けになる ©時事通信社


打者1人迎えるごとに繰り返すルーティン


 吉川は打者を迎える前に小さく屈伸を入れる。屈伸というより(飛び上がっていないのだが)感覚的にはジャンプを入れてるのかもしれない。グラブをセットしたみたいに持って、軽くジャンプ。あれはリセットしてるのだと思う。


 高校野球でピンチの場面、伝令がマウンドに走り、監督さんの指示を伝える。で、たまに伝令とバッテリー、集まった内野手全員でぴょんとジャンプすることがあるじゃないか。身体をリラックスさせる。状況を整理し、チーム方針がはっきりしたのだから、ピンチに焦る気持ちはいったんリセット。そのためのぴょん。


 その不器用なルーティンを律儀というのか生真面目というのか、あるいは強迫神経的にというのか、打者1人迎えるごとに繰り返すところが僕にはたまらない。高校野球のナインだって、ぴょんはピンチの場面しかやらない。吉川は僕の心の深いところまで届いてくるのだ。あれは惹きつけられる。自分が自分でもどうにもならない人の「信仰みたいなもの」といったらいいか。


 吉川はノーコン病でキャリアを失いかけた投手だ。高卒ルーキーでいきなり4勝、その後、鳴かず飛ばずの時期を過ごす。ストライクが入らない。あれもイップスのひとつだったんだと思う。読者はストライクの入らない投手のみじめさを知っているだろうか。その切なる「信仰みたいなもの」の切れっ端を見つめたことがあるだろうか。彼らはあらゆることを試してみるのだ。グラウンドの白線をまたぐ足。呼吸法。フォームの変更。投球板を踏む位置。マウンドの掘れた穴の確認。スパイクのヒモの結び直し。ロジンバッグの粉まぶし。帽子のひさしの角度調整。それらあらゆる努力が突然の乱調でご破算になる。突如、ストライクが入らなくなって自分でもどうにもならない。


 僕はどうしようもなく好きなのだ。ストライクの入らない投手というものが。あるいはストライクの入らない恐怖と戦っている投手が。それは僕自身の記憶の古層とつながっている。例えば小学生のときの自分だ。2年生くらいの頃、通学のとき腕組みしながら歩くクセがついて2か月直らなかったことがある。今日はダメだやめようと思っても、腕組みしたくてたまらなくなる。腕組みしないと落ち着かない。一応、クセが直ってからもふっと腕組みしたい衝動にかられた。あんまり深く考えないようにしてそのうち平気になったのだが、あれはどうにもならなかった。



ふと思い出した女子プロレス観戦中の出来事


 吉川のルーティンに見入るうち、つい先日、女子プロレスを見に行ったときのことを考えていた。スターダムという団体のご招待を受けて、南伸坊さんご夫妻と後楽園ホールに出かけたのだ。まだリング照明が煌々と点く前、南さんと隣り合って席についた途端、「あー、痛い、痛い、痛い」「嫌だ、あー、嫌だ、嫌だ」とひとりごとを言う人に気がついた。ちょうど僕らの前列ひとつ横にずれた位置、大柄の30代くらいの男性。「あー、痛い、痛い、痛い」を最初に聞いたときは具合が悪いのかと思った。急病だったら走って助けを呼びに行かなくては。南さんも心配そうにのぞき込む。だが、どうも急病ということではなさそうなのだ。


「あー、痛い、痛い、痛い」「嫌だ、あー、嫌だ、嫌だ」、割合と大きな声なのだ。それを彼は呪詛のように繰り返している。僕は胸が痛んだ。細かいことはわからない。発達障害みたいなことなのかうつ病のようなことなのか。とにかく不快なのだ。この世界が苦しいのだ。すごくストレートな表出だ。思ったことを口に出してしまう。口に出さずにいられない。僕の心の深いところまで届いてくる。自分が止められない人。苦しくてたまらない人。


 前列、隣りの席の2人組のプロレスファンが係員を呼んだ。どうにかしてくれ、うるさくてたまらない。「あー、痛い、痛い、痛い」「痛い、嫌だ、嫌だ、痛い」、大柄な男は呪詛を続ける。うるさくって試合見るのに差し支えるだろう、どうにかしてくれ。そういうクレームだった。が、係員はどうにもできない。たぶんバイトだ。呪詛の男を座席から排除するという判断がバイト係員にはできない。結局、あいまいなことを言ってどっかへ行ってしまった。


 そして前座アイドルの歌が始まり、強烈なライトが灯って試合が始まる。選手登場曲。派手な入場コスチューム。ギミック。決めポーズ。打撃技。スープレックス。受け身。トペ・スイシーダ。場外乱闘。フォール2.5秒。リングをばんばん叩き、煽る若手たち。マイクパフォーマンス。南伸坊さんが「あ、言わない」とつぶやいた。前列男性の呪詛が止んでいた。彼は夢中でレスラーたちを目で追う。隣りの2人組は係員に対応を求めなくてもよかったのだ。止まるから。世界が彼にもたらす不快、痛みを唯一、救ってくれるのが女子プロレスだから。


「応援する」という行動の不思議さ


 たぶんそういうことだと思ったのだ。


 僕はけんめいに不器用なルーティンを繰り返し、それでも打たれて負けてしまった吉川光夫の姿をHDDで再生する。そして「応援する」とか「推す」とかいう行動の不思議さを思う。僕らは普段、あんまり深く考えないからこっちが一方的に主体で、「推し」は一方的に見られ、愛でられ、あるいは評価され、ディスられたりもするような客体だと思って暮している。だが、そうだろうか?


 僕も世界が不快で、痛くてたまらなくて、泣きそうだとしたら? 「応援」しているとき「推し」ているときだけ、楽になれる、助かるのだとしたら? 野球がなかったら他にどうしようもないじゃないか。そう思うと吉川光夫は確実に僕を助けてくれている。数字の上の2敗なんて小さなことだ。


 女子プロレス会場の前列にいたのは実際のところ、僕なのだ。世間体を気にして口を閉じているが、僕なのだ。「痛い」「嫌だ」と言わないだけだ。僕は吉川に勝ってほしい。そしたらきっと心の深いところで幸せだと思う。


◆ ◆ ◆


※「文春野球コラム ペナントレース2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/13106 でHITボタンを押してください。





(えのきど いちろう)

文春オンライン

「吉川光夫」をもっと詳しく

「吉川光夫」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ