武田鉄矢が語るたのきん、近藤の人気で田原の目の色変わった

8月3日(月)7時5分 NEWSポストセブン

たのきんトリオはドラマ『3年B組金八先生』出演後にブレーク。武田鉄矢は3人の育ての親とも言える

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 数々のスターを生み出したジャニーズ事務所だが、その歴史の中で絶対に避けて通れないのが『たのきんトリオ』だ。


 当時、ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦(た/トシちゃん)、野村義男(の/ヨッちゃん)、近藤真彦(きん/マッチ)の3人による『たのきんトリオ』。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系、1979年)の第1シリーズ出演後にブレークし、ジャニーズ事務所社長だった故ジャニー喜多川さん命名した。1枚のシングルも出さないまま、1983年8月、大阪球場で解散コンサートを行った。


 そして、『3年B組金八先生』とは、1979年から2011年まで32年にわたり、断続的に第8シリーズまで放送された学園ドラマ(TBS系)。第1シリーズの最高視聴率は39.9%。武田鉄矢(71才)演じる教師・坂本金八が15才の妊娠という衝撃的なテーマを扱い、社会現象にもなった。たのきんトリオをはじめ、以降のシリーズでは亀梨和也、風間俊介、浅野忠信、上戸彩、高畑充希など多くのスターを輩出した。


 武田鉄矢に、たのきんトリオの思い出を語ってもらった。


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「1979年に始まった『3年B組金八先生』シリーズは、累計8作で、教え子は200人!」と、武田は胸を張る。たのきんトリオの生みの親が故ジャニー喜多川社長なら、武田は育ての親で、ブレークの陰の立役者といえる大きな存在だ。


「そもそも、すでに生徒役のオーディションが終わっていたところに、無理矢理ジャニー社長が10人くらいのメンバーを連れてきて、たまたまその中にいた3人がプロデューサーの目にとまり、追加で生徒役に選ばれたんです。それが彼らでした」と、武田は当時を振り返る。


「近藤は、ちょっと角刈りで、やかましくてね。人が寄ってくるとワンワンワンってよく吠える秋田犬みたいな子。


 田原は、彼だけ役柄より実年齢が2才上で、教壇から見ていても、やっぱりそれが嫌だったんじゃないかな。周りについていけないっていう大人の顔をしていました。そして、クニャクニャで、デレーっとしてるのがヨッちゃん(笑い)」(武田・以下同)


 3人が出演した第1シリーズで当初注目されたのは杉田かおる(55才)だった。


「当時は、子役から活躍していた杉田かおるが15才で妊娠するという難しい役を演じていて、ベテランの赤木春恵さん(享年94)らを相手に一歩も引かない見事な演技をする中で、それ以外の生徒役の子たちは、自分たちをガヤ専門だと思っている…そんな演技格差に悩む日々でしたね」


 その“ガヤ意識”を取っ払ったのが、近藤真彦だ。


「15才の妊娠というセンセーショナルな内容で、少しずつ視聴率が上がり始めて、そこから後半につなげるために、7話はいわば息抜き的な回で、近藤がメインの話だったんです。だから、スタッフ全員が視聴率は落ちると思っていたのに、反して、その回だけバーンと19.9%に跳ね上がっちゃって。そこからクラス全員の“ガヤ意識”がガラリと変わりました。もう、バラしても怒んないだろうな…いちばん変わったのが田原の目の色です。所詮10代のガキですからね、教壇からはよく見えるんですよ(笑い)」


 ところが、近藤の活躍で変わったのは、生徒たちの意識だけではなかった。


「その回以降、朝、荒川の土手ロケに行くと、6時半くらいから人影が並んでるんですよ。聞けば、近藤の人気がすごいことになってるって。最初は10人くらいだったのに、撮影終了の頃には、あの土手の道全部に女の子がズラーっと並んで(笑い)」


 ほかにも1人、近藤の成長に魅せられていた人物がいた。


「前半はひとり飛びぬけて演技がうまいために、周囲の学生たちとの距離が大きかった杉田が、近藤の回以降、楽しそうにクラスに溶け込み始めたんです。これはもう本当に驚きで。全員の意識の高まりでクラスに一体感が出たんでしょうね」


 実際、杉田は2017年11月28日に放送された情報番組『ビビット』(TBS系)に出演した際、いまでも近藤のことを役名の“清くん”と呼んでいると話し、「恋心まではいかないんだけど、かっこいいな〜っていうのがあって」と告白。クラスに打ちとけていたのがわかる。


 1980年3月まで放送された金八先生の視聴率はうなぎのぼり(最終回は39.9%)。爆発的な人気を得た3人は同年5月、たのきんトリオを結成する。“たのきん”という名は、 ジャニー喜多川さんの発案だ。もともとこの3人をグループとして選抜したわけではなかったことから「悪ガキトリオ」「新々御三家」「金八トリオ」など、新聞や雑誌によってさまざまな呼称で呼ばれていた。田原は後に自著でこう語っている。


「たのきんトリオの響きはどこかおっちょこちょいなイメージがあり今でこそ言えることだけれど、僕個人はあまり嬉しくなかった」


 キラキラ王子様の田原らしい言葉だが、武田はそれがよかったのではないかと言う。


「“たのきんトリオ”って名前、力が抜けてますよね。彼らがお金持ちの子供が通う有名私立中学校出身じゃなくて、下町の公立校・桜中学から生まれたのもよかったんじゃないかな」(武田)


 下町生まれのスターの人気は、そこから加速し、社会現象と化していくのだ。


※女性セブン2020年8月13日号

NEWSポストセブン

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