辻村深月「母の望む進路を取らなかった娘の一人として。子どもたちには〈選択する自由〉を」

8月4日(水)17時32分 婦人公論.jp


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親の中にある2つの思いと、それに気づいた娘が抱く罪悪感。小説家の辻村深月さんが、自身の親子関係を振り返りつつ、親子を描いた著書『青空と逃げる』に込めた想いを綴る(2018年寄稿のエッセイを再掲)

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私はおそらく、「母の望む娘」ではなかった


社会的に見れば、私は、親から「自立している」娘ということになるのだろう。

故郷の山梨を大学進学のために一度離れ、就職を機に再び山梨へ。その後、地元でOLをしながら書いた小説で賞をとり、退職して専業作家に。今は山梨を離れ、東京で結婚し、2人の子どもがいる。経済的に親を頼ることはほとんどないし、時折子どもの面倒は見てもらうものの、基本的には親とは別れて暮らしている。世の中ではおそらくこの状態を「自立」と呼ぶ。

私の本を書店で見かけた母の友人などは、母に「立派なお嬢さんですね」と声をかけてくれたりもするようだが、そういう話を聞くたびに、私は、はてそれはどうだろうか、と思う。

なぜなら、私は、自分が母にこうなることを望まれたとはまったく思えないからだ。私はおそらく、「母の望む娘」ではなかった。

県外に進学する際、私は父から「県内の大学じゃダメなのか」と聞かれた。正確には「お父さんにそう聞かれたよ」と母が私に言ってきて、つまりそれは両親に共通していた思いのようだった。経済的な理由というよりは、娘が家を出ていくさみしさがそう言わせたのだと思う。そして、これは、多くの親の本音なのかもしれない。

母の望む進路を取らなかった多くの「自立した娘」


子ども──特に、娘に対し、その「自立」を望みながら、自分の近くから離れないでほしいと「自立しない」ことを望む。正反対の二つの気持ちが、おそらく、世の中の多くの親──特に母親たちの中にある。

近くにいれば育児や家事を手伝える、自分と同じような仕事を選べばアドバイスができる。子どもによかれと思って「自分と同じ道」を望む気持ちが親にはある。逆に、知らない土地で子どもが暮らすこと、自分によくわからない仕事につくことの方には不安がある。不安だから、時に「心配」という言葉で子どもの選択を狭めてしまったりもする。

遠まわしな言葉と意思表示で「遠くへ行かないでほしい」と伝える両親の気持ちに、私はできるだけ気づかないふりをして、親元を離れた。私のその選択を、さみしく思いつつも表立っては反対せず、送り出してくれた両親には感謝している。しかし、私の中には今も罪悪感のような思いが燻り続けている。私のことを「立派なお嬢さん」と呼ぶ母の友人が、故郷に残った子どもと同居していることの方こそを、私の母は望んでいたのかもしれない。

私に限らず、母親とは違う人生を歩み、母の望む進路を取らなかった多くの「自立した娘」が、この感覚を持っているはずだ。


『青空と逃げる』(著:辻村深月/中公文庫)

この春、『青空と逃げる』という本を刊行した。ある事情があって東京を追われた親子2人の逃避行の物語で、主人公は、38歳の母親・早苗と、小学5年生の息子・力。2人の目線で交互に描いている。

3年前〔編集部注:2015年〕、『読売新聞』で連載が始まった時には年上だった早苗と私は、今、同じ年だ。当時まだ保育園の年少さんだった私の息子も、この春には小学生。他人事のように思っていた彼女たち親子に、著者の私生活が追いついた。

刊行に際し、原稿を読み返すと、自分が彼女たち親子をどうしたかったのか、どこにつれていきたかったのかが、今になってはっきり見えてくる。


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彼らに「選べる自由」を与えたかった


私はおそらく、彼らに「選べる自由」を与えたかった。のっぴきならない状況で、早苗と力は次から次へ居場所を追われ、逃げていく。そこには選べる自由など皆無で、ただもうそうするしかないから、より過酷な道だとわかっていてもそれを選ぶほかない。

これは、物語だけでなく、多くの家庭で、いろんな場面で起こっていることではないかと思う。これではいけないとわかっていても、そうするしかないから選んでしまう。選ばざるをえなくなる。貧困や束縛、暴力や虐待、支配。多くの問題が、そこから生まれていく。後から振り返って結果だけ見れば、どこかで止められなかったのかと誰もが思うが、只中にいる当事者たちは、もうそれしか選択できなかったということが、現実にある。

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私の子どもはまだ6歳と2歳。子どもの「自立」を考えるにはまだ早いが、それでも、自分が母親としてどうありたいか、『青空と逃げる』を書きながら、見えてきた気がする。

それは、子どもたちに「選択する自由」を常に渡してあげたい、ということだ。親の気持ちがたとえどうであったとしても、彼らの前には、自分で選べる可能性を広げて、それを見守りたい。どうしてほしい、という親の希望が、彼らを縛ったり、苦しめたりしないように。

その先に、美しい青空が待っていると信じて。

婦人公論.jp

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