『シン・ウルトラマン』庵野秀明とウルトラマンの浅からぬ関係とは

8月5日(月)18時22分 マイナビニュース

円谷プロダクション、東宝、カラーによる劇場映画『シン・ウルトラマン』の製作が1日、公式に発表され、その直後から特撮ファン、映画ファンから大きな反響が巻き起こった。

2016年に公開され、空前の大ヒットとなった『シン・ゴジラ』で脚本・編集・総監督を務めた庵野秀明氏と、監督・特技監督の樋口真嗣氏がふたたびタッグを組んだ『シン・ウルトラマン』では、企画・脚本を庵野氏が、監督を樋口氏が手がけることが明らかとなっている。
○怪獣ブームを巻き起こしたウルトラマン

庵野氏は1960年5月22日生まれ。1966年7月17日に第1話を放送した『ウルトラマン』を6歳のときに観たことになる。『ウルトラマン』およびその前身となった『ウルトラQ』(1966年)は、『ゴジラ』(1954年)『モスラ』(1961年)『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)などの東宝怪獣映画で手腕をふるった世界に誇る特技監督・円谷英二氏が、来たるべき"テレビ時代"を見越して1963年に設立した「円谷特技プロダクション」とTBSで共同製作した"連続テレビ映画"である。

『ウルトラQ』が始まるまで、怪獣が大好きな子どもたちの興味は毎年夏と冬に公開される東宝の怪獣映画に集中していたそうだが、毎週テレビ放送され、しかも毎回異なるユニークな怪獣たちが登場する『ウルトラQ』が放送されてからは、怪獣がより子どもたちにとって身近な存在となり、これがきっかけとなって全国的な"怪獣ブーム"が巻き起こったという。そして『ウルトラQ』の大好評を受けて始まった『ウルトラマン』は、前作以上に「怪獣の魅力」を強く打ち出す方針が定められ、バルタン星人、レッドキング、ゴモラ、ゼットンなど、50年以上もの歳月を経た現在においても子どもたちから愛され続ける驚異的な人気(怪獣)キャラクターが生まれている。『ウルトラマン』および『ウルトラセブン』(1967年)、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)といった「ウルトラマンシリーズ」と呼ばれる作品群は、70年代全般にわたって平日夕方、あるいは早朝に再放送が行われ、しかも人気作品ゆえにヘビーローテーションで放送されることが多く、オンエアで観た世代だけでなく、再放送でウルトラマンを初体験した幼い世代からの支持をも集めていった。
○ウルトラマンに憧れて

雑誌やWEBでのインタビューで、庵野氏は少年時代に強い影響を受けた作品として『ウルトラマン』と後続の「ウルトラマンシリーズ」のタイトルを挙げることが多く、実際にも『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)をはじめとするいくつかの監督作品で、ウルトラマンとウルトラマンシリーズを連想させるかのような描写が見え隠れしていた。もっとさかのぼれば、庵野氏のアマチュア時代の代表作のひとつとして『帰ってきたウルトラマン』(DAICON FILM製作/8mm映画)という、そのものズバリの作品が存在している。

1981年に大阪で開催された「第20回日本SF大会」=通称「DAICON 3」で、今なお伝説的に語り継がれている「オープニングアニメ」を作った青年たちが、SF大会から離れて独自の映像製作チームとして立ち上げたのがDAICON FILMであり、『帰ってきたウルトラマン』は1982年の東京開催「第21回日本SF大会」=「TOKON 8」での上映作品として『愛国戦隊大日本』『快傑のうてんき』と共に製作が行われた。

東映の特撮アクションドラマ『快傑ズバット』(1977年)のパロディである『のうてんき』、そして『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)をはじめとする「スーパー戦隊シリーズ」全般のパロディ(撮影当時は『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)が最新作だった)の『大日本』と同様に、『帰ってきたウルトラマン』も8㎜フィルム撮影による"パロディ"作品として製作されたのだが、ストレートにパロディ元の作品を"笑い"の方向へ寄せていった2作品とは異なるアプローチが行われた。

『帰ってきたウルトラマン』(DAICON FILM版)の総監督を務めた庵野秀明氏は1980年に大阪芸術大学映像計画学科に入り、そこで8㎜の短編映画を作ることになった際、かねてから温めていた「誰かが眼鏡をかけると、目から変身して別な誰かに……」というアイデアを活かして『ウルトラマン』という作品を製作した。

ウルトラマンといっても特撮セットやウルトラマンのスーツなどは作らず、近くの広場でウインドブレーカーを着た長身で眼鏡の若者=ウルトラマン(庵野氏)がジャージを着た若者(宇宙人)と格闘するといったシンプルな作品だが、本家円谷プロの『ウルトラマン』を徹底研究し、猛烈な愛を捧げている庵野氏だけあって、本家を模したカメラアングルや高速度撮影(スローモーション)、独特の効果音というテクニックにより、庵野氏がなりきった"ウルトラマン"がいかにもそれっぽく見えるものだったという。

さらに翌年、庵野氏は同じコンセプト(庵野氏自身が"変身後"のウルトラマンを演じる)で、科学特捜隊基地やジェットビートル、怪獣のぬいぐるみなどを即興で作り上げ、前回よりもデラックスな作品ということで『ウルトラマンDX』と題した作品を作り上げた。時期的にはちょうど『DAICON3オープニングアニメ』の製作とバッティングしていたころだという。

これら、庵野氏が学生時代に作っていた短編『ウルトラマン』『ウルトラマンDX』を、とてつもなくパワーアップさせてリメイクした作品こそが、DAICON FILM製作の8㎜映画『帰ってきたウルトラマン』だったのだ。
○帰ってきたぞ『ウルトラマン』!

設定は、1971年に円谷プロが製作した『帰ってきたウルトラマン』のものを踏襲しつつ、メカニック描写やMAT隊員コスチュームの部分に『ウルトラセブン』風味を注入し、極めてシリアスで重々しいムードを盛り込もうとしている。意識的に照明を落としてコントラストを強め、作戦本部の受話器のスキマ越しに隊員の顔を入れ込むなど、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』(1968年)で特撮ファンをうならせた名匠・実相寺昭雄監督からの影響が強く受け取れる画面作りを多用している。1979年8月発売のLPレコード「テレビ・オリジナルBGMコレクション/冬木透作品集」(日本コロムビア)に初収録された『帰ってきたウルトラマン』のNG主題歌「戦え!ウルトラマン」(1コーラスバージョン/作詞:東京一/作曲:すぎやまこういち/歌:団次郎)をオープニング主題歌にしたことも、観る者に強いインパクトを与えていた。

ストーリーは、隕石の中から出現した増殖怪獣バグジュエルとMATチームの戦闘が描かれた後、バグジュエルを殲滅するため核兵器の使用を決断するイブキ隊長と、これに反対するハヤカワ隊員(実はウルトラマン)の苦悩……という非常にシリアスな内容。アマチュア映画であるため役者の演技やセリフ回しに少々難はあるものの、作戦本部のリアリティや発進するマットアロー1号をはじめとするメカニック群の緻密さ(メカがすべてペーパークラフトで作られているというのも凄い)などは、うるさ型の特撮ファンたちを黙らせるのに十分な空気を築き上げていた。"東京に核兵器を落とす"という最終局面に対し、主人公がなんとしてでもこれを阻止するべく奔走する……というのは、オリジナル『帰ってきたウルトラマン』第6話「決戦!怪獣対マット」および『シン・ゴジラ』にも通じる内容であるし、外敵からの攻撃を強靭なバリヤーによって防ぐバグジュエルの戦法は『エヴァンゲリオン』における"ATフィールド"を連想させる。

このようなガチガチのリアルでシリアスな世界で進められていた『帰ってきたウルトラマン』に、いきなりとんでもない"異物感"がもたらされる瞬間、それこそが「ハヤカワ隊員がウルトラ・アイ(黒ブチ眼鏡)をかけてウルトラマンに変身、巨大化」するシーンであった。あの有名な「右手を大きくあげてグングン巨大化していくウルトラマン」のカットから、両手を前に出して空を飛行する姿、ウルトラブレスレット(腕時計)を投げる動作、怪獣を見つめる朴訥そうなまなざしに至るまで、すべてが"庵野ウルトラマン"によって演じられているのだ。

元ネタの8㎜短編を知っている人なら「ああなるほど」と納得し、笑いが起こるかもしれないが、SF大会や他の上映会などでいきなりこの作品を観た人は「なんでこのウルトラマンは素面なんだろう」と驚き、激しく戸惑ってしまうかもしれない。しかし、前半でのリアルかつシリアスなムードをまったくゆるめるつもりがないスタッフによって描き出される庵野ウルトラマンの巨大感、重厚かつダイナミックなアクションを見ていくうちに、観客はみな「彼もまた立派な"ウルトラマン"である」と認識していくようになる。

こだわりにこだわりぬいた"ウルトラマンごっこ"の行きついた先は、アマチュア8㎜映画の限界に挑んだかのような大特撮作品だった。DAICON FILM版『帰ってきたウルトラマン』には、総監督・庵野秀明氏、特技監督・赤井孝美氏をはじめとする1982年当時の"若き映像クリエイター"たちの情熱と才能が焼き付けられている。

ウルトラマンにいまだ熱烈なる愛情をそそぐ庵野氏が企画・脚本を手がけ、盟友・樋口真嗣氏が監督を務めるこんどの『シン・ウルトラマン』は、果たしてどのような内容になるのだろうか。公開予定とされている2021年には、きっと多くの特撮ファンの期待に十分応えられるような作品が観られるに違いない。

マイナビニュース

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