暴力団、八百長、突然の引退……元妻が明かす“天才横綱”輪島大士の壮絶な真実

8月9日(金)11時0分 文春オンライン


 かつて北の湖と一時代を築いた昭和の名横綱・輪島大士。昨年の10月に亡くなった彼の生き様を、元妻・中島五月氏のモノローグの形で綴った『 真・輪島伝 』が話題を呼んでいる。著者は2007年に「週刊現代」で大相撲の八百長疑惑を告発したノンフィクション作家・武田賴政氏。花籠親方(元幕内・大ノ海)長女である中島氏の視点で描かれる本書から、第3章「輪島との結婚と花籠襲名」の一部を特別公開!



◆◆◆


輪島と広島共政会


 輪島と広島の共政会との結びつきは、本人いわく最初は自民党のさる代議士からの紹介だったそうです。


 共政会といえば、東映の『仁義なき戦い』でも描かれた広島抗争の一方のモデルとしてつとに有名です。


 その共政会の当時理事長だった山田久さんが、3代目の会長に就任したのは、輪島が花籠部屋に入門したのと同じ1970年。前年に拳銃で撃たれて重傷を負った山田会長は、共政会の内部抗争に端を発する、いわゆる「第3次広島抗争」という戦いの渦中にありました。


 他の組を巻き込んで長いこと報復合戦が続きましたが、その年の5月に両者は和解となり、共政会は統一されて広島の街に平和が訪れました。


 トップに立った山田会長は、1987年にお亡くなりになるまで共政会に長く君臨し続けたのです。


 輪島が父を巻き込むトラブルになりかけたのは、第3次広島抗争の最中のこと。ある銃撃事件が起きたとき、仲裁に入った山田会長が輪島のしこ名入りの浴衣を身にまとっていて、その姿がテレビのニュース番組で大映しになったのです。



輪島大士 ©朝倉宏二/文藝春秋


 父はたまたまその映像を見ており、そこで初めて輪島と山田会長との関係を知ったそうです。相撲協会のなかにもこの映像を見た親方がいて、父に連絡をしてきましたが、広島の関係スジからも時を経ずして父に連絡が入りました。


「輪島は山田さんと、どがぁ関係ですかいの」


 抗争の最中ですから、電話の声音は真剣です。返事次第では花籠部屋に押しかけてくるやもしれず、そうなればマスコミを騒がせ相撲協会にも累が及ぶ事態となります。


 父が輪島に質したところ、山田会長との関係は大タニマチというほどではないとのことでしたが、宴席に呼ばれ、ご祝儀を頂いたこともあったようです。しこ名入りの反物は、その際に贈ったとのことでした。


 それは稽古場で「泥着(どろぎ)」と呼ばれるもので、稽古後や取組直後に羽織る普段使いの浴衣です。横綱・大関をはじめとする幕内の関取衆は、毎年夏になるとその反物をいくつもこしらえて、タニマチや親しい人たちにご挨拶がてら差しあげるのが習わしなのです。


 山田会長は「輪島」の名の入った反物を浴衣に仕立て直して身にまとい、横綱の威光を背に、命がけで組織を治めたのでしょう。


 父だってかつて巡業部長をしていましたから、そちらのスジの方々とのお付き合いはもちろんあります。この件はいろいろと手を回して丸く収めてしまいました。


 相撲と暴力団の関係については、父から少しだけ聞いたことがありますが、古くから両者は本場所興行や地方巡業を通して深い関係にあったそうです。


 そもそも巡業を相撲協会の全力士が一堂に会す形式に改めたのは、本場所が年6場所開催となった1958年ごろのことです。


 それ以前は本場所開催が年に2、3回しかなかったことに加え、一場所の興行日数も今よりもっと短かったため、その収入だけでは相撲部屋を経営していくことは困難でした。



 そのため各部屋の稼ぎの多くはもっぱら全国各地を巡回興行することで得られていたのです。本場所の合間を縫って行う巡業は、師弟関係が同じ系統の部屋同士が組んで行うのを常とし、看板力士がいれば興行成績だけでなく、ご祝儀の収入も見込めます。


 そしてこれら利益を分け合う各グループを、父が現役でいたころは「組合」と呼んでいました。「二所ノ関組合」だったり、「出羽海・春日野組合」、「高砂組合」等々、たくさんあったそうです。


 巡業形式が組合別ではなくなった後も、それらは歌舞伎や落語など他の伝統芸能と同じように、「一門」と呼びならわす派閥のようなものとして残りました。


 現在の日本相撲協会は、これら一門を5つに統合し、それぞれから選出された親方衆が過半数を占める、「理事会」によって運営されています。


 戦後の花籠部屋が二所ノ関部屋から独立したとき、当時の父は部屋独自の興行で生計を立てようとしていたのですが、若乃花という人気力士が登場するまで切符はなかなか売れなかったそうです。


 地方で相撲興行を開催しようとすれば、その興行権を買ってもらう「勧進元(かんじんもと)」を求めて、地元の興行師と懇意になる必要があります。興行師はその土地の有力者との利害を調整し、チケットを売りさばいて利益を得ます。


 大相撲と共生関係にある彼らは、あらゆるトラブルを処理する地域の顔役を兼ねていることが多く、その実態が暴力団そのものだったり、またはそれに関係する人たちであったりすることが多かったのです。



 巡業部長をしていた父は、山口組3代目組長の田岡一雄さんには興行面でずいぶんと助けてもらったようで、関西方面におもむけば必ずご挨拶に伺い、正月には田岡さんからの年賀状がわが家に欠かさず届いていました。


 それだからか、お相撲さんには博打好きが本当に多い。師匠のなかには勝負勘を養うためだといってそれを奨励する人までいます。



 巡業地の支度部屋で花札に興ずるのはお相撲さんを取り巻く風物詩ですが、やがてそれは競馬や競輪、競艇などの公営ギャンブルに高じていきます。それに止まらず、繁華街の裏カジノなどにも出入りするようになれば、それら鉄火場を支配する広域暴力団とのお付き合いも生まれます。身のほどを知らなければ破産する力士も出てくるわけです。


 輪島と広島の暴力団との関係も、そういった過去の因習のなかから生まれたことなのです。この大相撲の社会が生計を立てていくためには、かつてそういった組織が必要だったときもあったのだと、私は理解しています。


 実を言うと、結婚前に輪島に連れられて、ご挨拶のため山田会長を訪ねたことがあります。広島駅に着くと会長が差し向けたリムジンに出迎えられました。そこから港に直行し、岸壁に接岸している船に乗り込むと、極上の牡蠣が振る舞われました。


 夕刻になって繁華街に繰り出したのですが、通る道の角々にはすべて組員の方たちが立って警戒しています。まさしくヤクザ映画のなかに迷い込んだかのようでした。


結婚という親孝行


 輪島の金銭感覚や職業倫理は、相撲社会の来し方とはまったく関係ありません。もちろん山田会長からの薫陶などでもありません。つまり相撲部屋に入門してからそうなったのではなく、生まれながら大きくズレていたようにしか思えないのです。


 どうして私がそんな輪島と結婚する気持ちを貫くことができたのか、それを自分自身突き詰めて考えてみれば、つまり父親孝行をしたかった、ということに行き着くのだろうと思うのです。


 そこにはやはり「花籠名跡」の継承問題がありました。戦中から戦後にかけて父と母が大変な苦労をし、その後も手塩にかけて大きくした相撲部屋です。それを中島家以外の者に継がせるのは嫌なのだろうなと、私は察していました。


 でも輪島は夜の銀座の有名人ですし、常識ではかることのできない男ですから、すんなり家庭に入るとは思えませんでした。


 私は父に、「あの人と結婚しても大丈夫かしら」と不安な気持ちを正直に打ち明けました。


 すると父は「いいかいメイ」と言って、こう諭(さと)されました。


「サラリーマンと結婚したら、好きなものを食べたり飲んだりする生活なんてできないんだよ。この花籠にいるからこそお前にも贅沢をさせてやれるんだ。そこのところをよく考えないといけないよ」


 そして呟くようにこう言いました。


「あいつだって髷(まげ)を切れば変わるさ、決して悪いやつじゃないんだから」



 お相撲さんが女性にモテるのは、チョンマゲを結っているときだけだと、父はそう言いたかったのでしょうし、やがて土俵を去るときがくれば、次は指導者として地に足のついた生き方をせざるを得なくなるに違いないのだと——。


 私は父の言葉をそう解釈して輪島と一緒になることを決意したのです。


 父は娘の私を心から愛してくれていました。物心ついたころから地方場所にも一緒に連れて行くほどで、それこそ顔じゅう舐められるのではないかと思うほどの子煩悩ぶりでした。アメリカに旅立つときなど、「行かないでくれ」と言って空港で泣かれてしまい、閉口したほどです。


 輪島との結婚は、父の言う「贅沢な生活」を維持したいからでは決してありません。もちろん生きていくうえでお金は必要ですが、それが目的では不純というもの。単純に、この花籠部屋を継ごうと考えたのです。


 でもそう勧める父に従ったのは、それまで父の庇護のもとから離れたことなどなかった私がそこから抜け出ようなどと考えも及ばなかったという以上に、空港での父の涙が、ずっと私の心に染み込んでいたのかもしれません。


 でもいつかあの世でお父さんに再会したら私は言いたい。お父さん、結局この結婚は失敗したお見合いみたいなものだったね。あの人は何も変わらなかったよ。本当に、本当に大変だったのよ、と。



安倍晋三も招いた大披露宴


 輪島との結婚式は1981年1月29日のこと。大安の木曜日です。私は27歳、輪島は33歳のまだ現役の横綱でした。


 結婚披露宴が行われたのは東京プリンスホテルの「鳳凰の間」。前年の11月には俳優の三浦友和さんと歌手の山口百恵さんの挙式も行われた大宴会場です。


 スポーツ紙などによると、結婚式にかけた費用は1億5000万円、招待客は約3000人と報じられましたが、すべて父と輪島とで準備が進められていたので、私は式の詳細などさっぱり知らされていません。あれよあれよという間に当日を迎えてしまったというのが実情なのです。


 最初は各一門の親方衆を中心とした相撲界のみの披露宴にするつもりでしたが、お世話になっている後援会の方々に不義理をしてはいけないという思いに加えて、芸能人や有名スポーツ選手好きの輪島が、お声をかけるうちにどんどんと規模が膨れあがっていったようなのです。


 披露宴にお招きした方々は多士済々です。



 当時、輪島の後援会長をされていたご縁で、自由民主党の安倍晋太郎先生ご夫妻には媒酌の労をとっていただきました。披露宴に先立つ結納式は中島家で行われ、ご夫妻とともに当時お父様の秘書をされていた安倍晋三さんも阿佐谷に見えられました。


 結納は滞りなく終えられたのですが、当日は緊張しきりで、どんな会話をしたかなどほとんど憶えていないのです。ただ息子の晋三さんがお父様とともに終始笑顔でおられたことだけは記憶にあります。


 あとは元総理の福田赳夫先生。それから当時の横綱審議委員会委員だった稲葉修先生(元法相)もお招きしました。お相撲とお酒が好きで、花籠部屋にもよくお見えでした。トレードマークの羽織袴を召してうちの部屋にやってくると、一気に上がり座敷に灯りがともったようで、稽古場の雰囲気がパッと明るくなります。


 わが家でお食事していかれますが、楽しくお喋りをして、最後はいつもベロベロに酔っ払ってお帰りになります。私はそんな稲葉先生が大好きでした。結婚式のときは前年の選挙で下野されていましたが、以前と変わらず意気軒昂なのが嬉しかった。


 輪島の大タニマチといえば、佐川急便の佐川清会長と福島交通の小針曆二社長がいます。



 どちらにより肩入れいただいたかといえば、小針さんのご長男の小針美雄さんがことに熱心でした。私たちが結婚したころはまだ羽振りがよかった福島交通ですから、後に経営破綻することなど想像もできませんでした。


 芸能界では勝新太郎さん、萬屋錦之介・淡路恵子ご夫妻、森繁久彌さん、芦田伸介さん、十朱幸代さん、小林旭さん、松方弘樹ご夫妻、関口宏ご夫妻、石坂浩二・浅丘ルリ子ご夫妻、ハナ肇さん、柳家小さん師匠、ディック・ミネさん、五木ひろしさん、千昌夫さんご夫妻などです。


 披露宴にご招待するに際して、事前に何人かご挨拶に伺ったのですが、石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんご夫妻は素敵なカップルでした。


 広尾の大きな邸宅にお住まいで、ローストビーフの作り方を石坂さんに教えていただきました。「いい肉を使わなくっちゃだめなんだよ」と仰います。料理の腕前はプロ級で、とにかく美味しかった。


 傍らの浅丘さんが「兵ちゃん(本名・武藤兵吉)の作るものはなんでも美味しいから」と仰っていたのをよく覚えています。


 石坂さんは多芸多才で、結婚のお祝いに横綱の絵を描いていただきました。博識で世間の様々なことをご存じの石坂さんとお付き合いしているのだから、もっといろんなことを教えてもらえば、輪島も知性や教養を磨けるのになぁと思ったものです。


 五木ひろしさんとも親しくしていました。輪島と同じ「ひろし」つながりで、結婚前からよく五木さんの自宅のパーティに満ちゃんの子供たちを連れて行ったみたいです。そう、後の若貴兄弟です。



金田正一と田淵幸一


 また、プロ野球の金田正一さんとの親交は深く、ハワイに行ったときも、向こうでご飯をご馳走になったりするなど、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。金田さんは輪島を語るうえでも重要な方です。


 世間では輪島の金遣いの荒さは金田さんからの影響だと言われることもあったようですが、金田さんのお人柄やお金の使い方を見ると、私にはそうは思えないのです。


 金田さんは決して派手な生活をしろとだけ話したのではなく、贅沢をするぶん、一生懸命に働かなければならないという、金田さんなりの豪快な生き方を語られたのだと思うのです。


 ところが輪島はどうもそれをはき違えて、高級な外車に乗り、銀座で遊び回るという華美なところだけを実行してしまったと思うのです。もし金田さんに質せば、絶対に「わしゃ、そんなことは言っとらん!」とお怒りになるはずです。


 その一方で困った関係だったのは、西武ライオンズの田淵幸一さんです。



 田淵さんと輪島は、たぶん銀座の飲み屋で知り合ったのだと思うのですが、いったい誰に言われたのか、田淵さんは交際中の私たちをけしかけ、結婚させようとしていました。


 あるとき当時の田淵夫人から突然電話がかかってきました。


「田淵幸一の妻の博子でございます」と言うと、しきりに輪島の長所をまくしたてるのです。こう仰いました。


「私たちは輪島さんの人柄をよく知ってますが、ほんとにいい方なんですよ。五月さん、もしお嫌いじゃなければぜひ一緒になられたらいいと思う」


 田淵博子さんのことはテレビや雑誌でお顔は拝見していましたが、それまで一面識もない女性です。ずいぶんとお節介な人だと思いましたが、なんとその電話を境にしょっちゅう中島家を訪れるようになったのです。そしてそのたびに私の両親と親しげに話していきます。


 ご主人の田淵幸一さんも、試合が終わった後に輪島と示し合わせて都内で食事をし、最後は銀座に繰り出していたようです。こうして田淵家と中島家は、見かけ上はいわば家族ぐるみのお付き合いとなったのです。


 ところが私たちの結婚が具体化し出したころ、今度は逆に田淵さんご夫妻の関係が怪しくなってきたのです。


 ある日の深夜のこと、田淵さんからうちの実家に突然電話がかかってきました。


「うちの博子はそっちにいませんか?」


 奥さんが家を出てしまったようで、ずいぶんと慌てていました。そんなことが何度かあって、ついに離婚調停へと進んでいくわけですが、田淵さんから輪島にたびたび相談の電話がかかってくるので、ついにうちの父が怒ってしまった。


「これから幸せになろうっていう娘がいるのに、よりによって離婚相談だなんていったいどういうつもりなんだ! こっちを巻き込むなと言っておけ!」


 そう輪島のマネージャーに怒鳴りつけていました。


 すったもんだの挙げ句、私たちの挙式が行われた同じ1月に、田淵夫妻の離婚は成立しました。新しい生活に臨もうという私にとって、田淵さんと言うと、そんな縁起の悪い記憶しかありません。



結婚の2か月後に横綱引退


 私たちの披露宴は見栄ばかりが優先されていました。それを象徴するように、私のエンゲージリングは借り物でした。


 輪島のマネージャーをしていたのは日大相撲部の後輩ですが、その彼が知り合いの宝石商から借りてきたのが、5カラットものダイヤモンドリングでした。そんな大げさな指輪ですから、式が済んだらさっさと返してしまいました。


 結婚披露宴は輪島の故郷でも行いました。式は七尾のしきたりにのっとったもので、輪島の親族だけでなく、地元後援会員も列席された豪勢なものでした。けれどこれも輪島の地元後援会がスポンサーとなっているので、輪島の負担額はゼロです。



 それら2回の結婚披露宴で得られた収入は、すべての支払いを終えた後に父から預金通帳でもらいました。口座の残額は2000万円。そこから500万円を輪島の実家に贈ったのです。


 ところがあとで聞いたら、輪島がそれをすべて回収してしまったそうです。


 2月のハワイへの新婚旅行も、費用はフジテレビの『スター千一夜』という番組の制作費から出ています。


 それは関口宏さんの司会でゲストに石坂浩二さんを迎え、旅先とスタジオを衛星でつなぐという企画でした。日程はわずか4泊で、付け人や床山さんのほかにテレビクルーも帯同するわけで、いわゆるハネムーンにはほど遠い“新婚旅行”だったのです。


 とにかく見栄っ張りだけど身銭を切らないのが輪島です。


 でも2月といえば、次の3月場所が行われる大阪入りを目前に控えています。そんな時期にハワイに行くのですから、もう端っから相撲をとる気などなかったのです。


 しかも結婚してからというもの、毎晩飲みに出かけ、家に帰ってくるのは牛乳屋さんと同じくらいの明け方です。これは相撲を続ける気がないんだなと私は感じました。


 案の定、輪島は大阪場所2日目の土俵を最後に引退してしまいました。


 初土俵から11年、68場所目のことでした。横綱在位は47場所、幕内優勝は通算14回で歴代3位(現在は7位)という成績でした。学生出身力士が横綱になったのは史上初のこと。その記録はいまも破られていません。でも、もっとやれたはずなのです。



 父はよくこう言っていました。


「あいつは稽古すればもっと強くなるのになぁ」


 先述したように、銀座のホステスの島津樹子さんに入れあげ、食事も喉を通らないくらい思い詰めたときに父は輪島に引退を迫りました。とにかく改心して相撲に専念してほしかったからなのですが、父の思いは届きませんでした。


 叱られたその場では反省の姿勢を見せるのですが、輪島は結局まったく変わらなかった。父の嘆きも輪島が引退するころには口にしなくなっていました。それでも14回も優勝してしまうのですから、やはり輪島は天才だったと言うべきなのでしょう。


 引退した理由は力の衰えももちろんあったのでしょうが、具体的なきっかけとなったのは父の停年で名跡の継承が具体化したこと。現役を続ける意欲がそれですっかり失せたのです。


 父にしても、場所後の3月22日には65歳を迎えており、協会を勇退することが決まっていました。部屋を残すためには、そこで名跡の継承が必要となるわけです。


 輪島による花籠名跡の継承は既定路線であるうえ、何より部屋の師匠はすぐに必要だったことから、引退即襲名の運びとなっていたのです。



病床の父と輪島のハガミ


 父をめぐる事情はもうひとつあります。すでに病魔に蝕まれていたのです。


 以前から腰の痛みを訴えていた父は、大阪場所が始まる直前に大阪大学医学部附属病院に行って検査をしてもらったのですが、診察が終わるやすぐに家族が呼ばれ、行きつけの東京の病院で再検査してほしいと言われ、レントゲン写真を持たされました。


 御茶ノ水の東京医科歯科大学医学部附属病院で行った精密検査の結果は膵臓癌。もともと糖尿病を患っていた父は、すでに癌細胞は全身に転移しており、末期で余命いくばくもないという医師の言葉に私は目の前が真っ暗になりました。


 まだこれから輪島にいろいろと教えてもらわなければならないことがたくさんあったのですが、とにかく緊急に入院する必要に迫られました。


 輪島が花籠を襲名したのは、父の誕生日の10日前でしたが、父はすでに御茶ノ水の病院でベッドの上でした。



 上階の特別室に見舞いに行くと、帰りは必ず出口まで降りて見送ってくれました。私の姿が橋を渡って見えなくなるまで父はずっと立ち続けていました。


 ちょうど桜のきれいな季節で、ドラマのように花びらが舞い落ちるのを見あげながら、どうか奇跡が起こりますようにと祈ったものです。


 実はこの3月場所中に継母が宿舎の階段を踏み外し、大怪我をして東京の病院に入院していました。このため医師から父の容体や今後の治療方針を聞くのは私の役目となったのです。


 輪島にも当然父の容体を伝えました。ちょうど場所後の巡業に参加していたので簡単に帰京するわけにはいかないことは理解できましたが、結局あの人は父が亡くなるまで、一度しか見舞いに訪れませんでした。


 それどころか、輪島はマネージャーを通して私にこう言ってきました。


「どうしても金が必要だから預金通帳の全額を融通してもらえないか」


 大切な結婚式のご祝儀を用立てるというのに、マネージャーはその使途を知らないと言います。


 私はなにを言っているのかと憤り、病室で父に相談するとこう言われました。


「どうせ出すなら気持ちよく出してやれ」


 輪島は七尾の実家から回収した500万円を含め、合わせて2000万円ものお金を、後に聞いたところによれば、なんと2か月で使い果たしてしまったのです。


 思い返せば、80年11月場所後にも同じように金を無心してきたことがありました。


 輪島はこの九州場所で現役最後の14回目の優勝を飾ったのですが、千秋楽の数日後、私が両親と3人で福岡から羽田空港に戻ると、先に帰京していた輪島がリンカーンコンチネンタルで空港まで出迎えにきていたのです。


 こんなことはそれまで一度もなかったことなので、不思議なことがあるものだと怪しんでいたら、案の定、その場で輪島は父に「ハガミ」を入れてきたのです。


「ハガミ」とは「端紙」と書く相撲界の隠語で、「端紙を入れる」とは金の無心を意味します。輪島が言う金額は百万単位だったようです。



 横綱がわざわざ空港までやってきたのは、高額なハガミをするために、空港まで出迎えて親方の心証を良くしようという魂胆なのでしょう。


 結婚披露宴のご祝儀2000万円を含め、後にこれらのお金の使い途を関係者から聞きました。


 つまりは八百長相撲の清算金だったのです。


 どうも輪島は一場所に何番か白星を買っていたようなのです。稽古不足の輪島ですから、横綱として15日間の場所を戦い続ける自信を持てるわけがありません。そこはお金の力で星を融通してもらっていたということなのでしょう。


 星の取り引きはケースバイケース。譲ってもらった星は負けて返すか、金で解決するのですが、横綱は買い取りが常識だといわれます。輪島は11月場所後の巡業で、1年分を精算しようとしたとしか考えられないのです。


 入院中の父は、輪島が病室に来ないことにひと言も愚痴をこぼしませんでした。髷を切った輪島はいずれ必ず生まれかわってくれると信じていたか、あるいはもう諦めきっていたのか、ついにそれを確かめることはできませんでした。




INFORMATION


 女性と金、そして麻薬に八百長。堕ちた天才力士、横綱・輪島は果てしない欲望の底なし沼で、どんな地獄を見たのか? 本書の発売を記念して、武田賴政氏と森功氏によるトークイベントが、8月23日(金)に新宿「Live Wire HIGH VOLTAGE CAFE」で行われます。参加申込の方法など、詳細は下記ページよりご確認ください。

http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=144432206





(武田 頼政)

文春オンライン

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