なぜ人は打率4割を超えられないのか——上原浩治氏が教えてくれた「切り替え」の意味

8月9日(日)12時0分 文春オンライン

 去年のこと。上原浩治氏と対談した。


 実は私と上原氏は同学年である。同じ大阪出身で、同じく大学浪人を一年間経験した。同じでなかった点は、子どものころから上原氏は阪神ファンで、私が巨人ファンだったことだ。


 ゆえに、巨人に入団した上原氏がはなばなしく活躍する様に私は目を細め、まるで我がことのように誇らしく思い、同い年の選手がペタジーニを敬遠する悔しさに涙する姿を見て、衝撃を受けた。ルーキーなのにかっこよすぎだろう。それに引き替え、大学を1年留年し、部屋でのんべんだらりとしているだけの己の情けなさといったら——。


 あれから、20年が経過した。


 まさか、あの日ののんべんだらり太郎が、上原氏と対談する日がくるなんて想像もしなかった。



上原浩治氏 ©文藝春秋


なぜ打率4割でシーズンを終えることができないのか


 お会いした上原氏は大きかった。何となく、その細身に見えるフォルムから、170センチ台後半の身長かな、と勝手に思いこんでいたが、185センチのたいへんな偉丈夫であった。この全身を覆う筋肉が、たった1個のボールを18メートル先のキャッチャーミットへ収めるために全力で収縮し弛緩するのだと想像するだけで、得も言われぬ迫力を感じた。


 もちろん互いに初対面だったが、対談は和気藹々と進み、1時間以上話し合ったあたりで記事にすべき分量は確保できたとのことで、しばしの雑談タイムと相成った。


「何でも聞いてください」


 と上原氏が笑顔で誘ってくれたので、それならば、と以前から疑問に思っていた、


「なぜ、人間はどうしたって打率4割でシーズンを終えることができないのか。ピッチャーの目線から、その4割を超えない不思議をどう考えますか?」


 という質問をぶつけてみた。


 はーん、と小首をかしげたのち、


「それは——、日をまたいで、切り替えられてしまうから、じゃないでしょうか」


 と上原氏は明快な口調で答えた。


「切り替えられる?」


 この対談に挑むに際し、私は上原氏が現役引退を決断するに至るまでの軌跡を綴った『OVER 結果と向き合う勇気』(JBpress BOOKS)という著作を読んだ。そのなかで特に印象的だったのが、深夜0時になったら必ず気持ちを切り替える。その日の試合で起きた、いいことも悪いことも忘れる、というメンタルのコントロール方法だった。


 そうなのだ。


 悪い試合をしたときは、切り替えるしかない。引きずったって、何もいいことなんてありゃしないのだ。


 でも、わかってできるものでもない。もしも、自分が救援投手として9回裏に登板し、サヨナラホームランを浴び、ファンの罵声を浴びながらベンチに戻った日には、半年は引きずる自信がある。とてもじゃないが、その数時間後の午前0時にきっかり切り替えるなんて、できっこない。それができるには、普段から頭の中で物事を整理し、あふれ出す感情を冷静に客観視できる訓練を積んでいることが必須だろう。切り替えにも心の技術が必要で、かつ頭のよさが求められるのだ。


想像以上に難しい「好調をキープする」という作業


 この、上原氏が著作で語る「切り替え」についての印象が深かっただけに、


「なぜに4割バッターと、切り替えの話がリンクするのだろう」


 と頭に「?」が浮かんだ。


「打率4割ということは、1試合に3打席なら2安打、4打席なら2安打、5打席なら2安打——、これを毎日維持し続けないとダメということですよね」


 と上原氏が続けて語る。


「そうなりますね」


「たとえばですけど、ものすごく調子がいい日があって、その日に一気に10打席とか立てるなら、固め打ちで打率8割とか、あり得ると思うんですよ。でも、実際は4打席くらいでその日のゲームは終わり、次の日がくる。区切られてしまうんです。日をまたぐと人間の調子は少しずつ変わりますから、打てない日も出てくる。続けられないわけです」


「3打数1安打なら、続けることができるということですか?」


「続けられます。それだって3割3分3厘だから、年間に2〜3人しか達成できない、すごい数字ですけど」


 つまり、上原氏は人間が一日一日、新たな営みを迎える以上、時間の経過とともに、精神の切り替えもおこなわれ、自然と調子も変わっていく。大げさに言うならば、人が生きる限り、喜怒哀楽の集合である調子は上下動し、それゆえにバッターは4割に届かない、と分析したわけである。


 プロのアスリートではない我々は、「調子」を継続的なものとして考える習慣を持たない。


 好調をキープするという作業は、想像以上に難しいのだろう。人間は日々、さまざまな感情を切り替えながら生きている。たとえば、昨日はラーメンだったから、今日は丼、明日はそばにしよう——、この何てことのない気分の切り替えだって、ひょっとしたらバッターの選球眼に影響を与えることがあるかもしれない。


 朝食には必ずカレーライスを食べることで有名な、上原氏と同じく偉大なメジャーリーガーがいた。あの朝カレーも、実はルーティーンを守ることで、なるべく日常に変化を起こさせない、少しでも好調を維持せんとする努力の一環だったのかもしれない。


 対談から、半年と少しが経った。


 今でも、この4割談義を思い出しては、「頭よかったなあ、コージ」とその印象を振り返るわけだが、日米をまたにかけて得た膨大な経験に裏打ちされた明晰さを、指導者というかたちで巨人に還元してくれたらなあ、とついつい夢想してしまう私である。


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(万城目 学)

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