オンライン授業を続ける大学は学費を減免すべきと考える理由

8月9日(日)16時5分 NEWSポストセブン

キャンパスでの交流が学生にもたらすものは大きい(イメージカット)

写真を拡大

 コロナ禍はすべての人々のライフスタイルに大きな影響を与えているが、なかでも見過ごされている感が否めないのが大学生をめぐる処遇である。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。


 * * *

 コンテンツ配信サイトのnoteに、7月26日、「大学生A」さんが、「大学生は世間から舐められている」という題名で投稿した文章がある。まず、そこからの引用を読んでいただきたい。


〈大学生だけが自粛から抜け出せないままでいる。小中高も再開、旅行もオッケーなのに大学に行くのはダメ。後期オンライン授業が次々決定し、大学生は孤独に一年間パソコンとともに過ごすことを強いられている〉


〈オンライン授業があるならいいじゃないかという現状を全く理解していない方からのお声も頂く。オンライン授業はあくまでも一時的なものであるし、動画を見て感想文をひたすら書いたり、説明もろくにせずに課題だけを大量に出して、提出物などが返却されないために自分がどう評価されているかも分からないこの状態が一年? みなさんが思っている以上にオンライン授業の質はよくないですよ(すべてではないと思いますが)〉


 コロナ禍において、日本の大学生はどんな状況におかれているのか。この原稿を書くにあたり、ネット上に存在する彼らの声を片端から読んでみたのだが、上記の「大学生A」さんの嘆きは、その代表例だと感じた。今の日本の大学生の多くは、オンライン授業に縛られ、提出物に追われ、孤独な毎日に相当参っている。


学問を与えてくれるのは誰か


 特に、大学1年生が気の毒だ。入学後、一度も大学キャンパスに行ったことがないという学生が大半で、オンライン授業しか受けていないから、当然のことながら大学の友達が一人もできていない。


〈いったい自分はなんのために大学生になったのだろう……〉


 そんなふうにうな垂れる1年生がそこらじゅうにいる。せっかく合格って、入学した大学なのに、そこで大学生になったという実感が未だにない。そりゃそうである。大学での学びというものは、授業だけで得るものでは決してない。同級生や先輩など、同じ学生同士の人間関係を通じて学んでいくものだからだ。


 私は、大学でもいわゆる「人生勉強」が大事だと言いたいわけじゃない。そうではなくて、大学で扱う「学問」は大学の先生方が教えてくれる以上に他の学生が、結果的に与えてくれるものであることを確認しておきたいのである。


 具体的にいえば、単純な話。大学キャンパスで人間関係ができれば、ほぼ自動的に知の競争が始まる。なんということのない世間話であったとしても、その話しぶりで相手がどれだけ知的な人間なのか、測り合い、競い合うのが大学キャンパスという場所なのである。


 学友Aが自分の知らない言葉を使った。その言葉を知らない自分を隠しつつ、負けちゃいられないぞとAの話に食らいつく。学友Bが教科書ではない本を読んでいた。知らない著者だし、ちょっと難しそうな本だ。これはヤバいぞ、追いついてやるぞ、と自分もこっそりその本の読破を試みる。


 あるいは、理屈っぽい学友Cがいる。そのCと、性格的には正反対そうな軽いノリの学友Dが話しこんでいる。「なんの話?」と声をかけてみたら、「ちょっとね」とDにかわされ、二人の話はヒートアップする。だんだん抽象的な内容になっていく。その時、自分は「これが、議論ってものか……」と知る。


 そんなこんな青臭い知的交流ができるのが、大学という空間なのだ。そこには知のライバルの友達がいて、その友達に負けたくないから、いや、同等レベルの仲間になりたいから、学生たちは学ぼうとする。先生に言われなくても、読書や議論を自分から始めて、知識を増やし、思考の幅を広げ、それまで知らなかった世界を獲得する。


 大学の先生が魅力的な人で、その人間性に惹かれて、少しでも近づこうと学問に励む場合もある。でも、それは実際のところ稀な出会いであって、大学で誰が一番自分を知的に成長させてくれるのかと言ったら、同じキャンパスで学び合う友達なのだ。


オンライン授業では埋め合わせられない価値


 だから私は、大学選びはできるだけランクの高いところを目指せ、と言う。そのほうがやっぱり知的な刺激を与えてくれる友達ができやすいからだ。また、大学キャンパスはなるべく学年割れや学部割れの少ないところがいい、と言う。そのほうが多種多様な友達と出会え、自分の世界を広げやすいからである。


 大学生活においては、そういうことが授業内容なんかよりずっと大事なんだよと私は思うわけだが、その大切な機会をコロナがごっそり奪ってしまっている。それはオンライン授業をいくら改善して、より良きものにしたとしても、埋め合わせられない価値である。


 WITHコロナ時代の新しい大学教育の形として、オンライン授業の可能性をポジティブに追求しようと言う大学関係者や論者がよくいるが、今の日本の大学生に必要が必要としているのはそこではない。オンラインはあくまで補完的なものであり、授業は対面式で行うのが基本だ。その授業に出るため、学生たちがキャンパスに集まり、その出会いの中で前述したような知的学び合いが発生する。そこまで提供できてはじめて、年間100万円以上もの学費を支払う価値のある大学教育といえるのだ。


 だから、秋から始まる学期は、できるだけ多くの大学が、できるだけたくさんの対面授業を開いてほしい。「密」の問題から大教室の講義が難しいのなら、少人数制の授業は対面が原則、感染が怖いという学生はその授業にオンライン参加できるなど、としてほしい。


 ところが、コロナ感染が発生した場合の世間の目が怖いからか、冒頭の「大学生A」さんが書いていたように、〈後期オンライン授業が次々決定〉している。対面授業の実施を検討している大学も、実習、実験などの一部の授業のみ再開といったところばかりで、どうにも及び腰だ。知的な学び合いが発生するような場の再生には、ほど遠い感じだ。


 であるならば、学費を減免すべきである。急なオンライン対策などで出費の多い大学側が負担できないというのなら、国が支払うべきではないだろうか。学生さんたちの立場になってみれば、それぐらいの助成があって然るべし。だって私ら、通信制大学に入ったわけじゃないのだから、という心境なのではないだろうか。

NEWSポストセブン

「オンライン」をもっと詳しく

「オンライン」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ