55年前のヨット単独航海「太平洋横断ひとりぼっち」#1

8月13日(日)17時0分 文春オンライン


 1964年の東京オリンピック前に海外旅行ができるのは、相当な社会的エリートであった。オリンピックの2年前に、小さなヨットで太平洋を渡ってアメリカに行こうと考えるのは、相当に破天荒なしわざである。


 当時、ヨットによる出国は認められておらず、堀江氏はパスポートもビザも持たずにいわば“密出国”の形で船出をした。このため、日本の領海からの脱出に際して、そしてアメリカ到着が近づくとしきりに心配しているが、アメリカ人はまことにあっけらかんとしており、この勇敢な冒険家をあたたかく迎え入れている。いかにも移民国家のアメリカらしい。


 このエキサイティングな手記は読者からの支持を集め、1962年の「文藝春秋読者賞」にも選ばれた。


 文中、ヤマ括弧〈〉で囲まれている部分は、航海日誌そのままの原文である。


出典:「文藝春秋」1962年11月号



オフクロがポロリと涙



5月12日(土)=第1日


 朝から雨。今夜の出発は、どうかと気づかわせた。が、次第に天候は回復したので、予定どおり、出ることにした。


 午後8時45分、ムアリング・ロープ(もやい綱)をはずす。飛び出したとおもったら、無風状態に入る。その後、西宮灯台を通過するまでに、1時間20分を要した。〉



堀江氏は出発時23歳だった ©文藝春秋

 家を出るとき、オフクロが横をむいて、ポロリと涙を落とした。気がつかなかったことにする。


「120日までは心配いらへんで。9月いっぱいは、黙って辛抱してや」


 といいわたす。


 2時すぎ、最後の荷物を持って家を出る。店(堀江商会。自動車修理工場)のもんに、


「ちょっと、西宮まで送ってんか」


 車を出してもらった。なにも知らせてないから、ノンキなことをしゃべりながら、運転してくれる。


 きょう決行ときめたのは、きのうだった。もうジリジリしていたのだ。ほんとなら、4月そうそうには出たかった。いろんなことがあって、半月近く延びている。ウカウカしていると、天候が悪くなる。来年まで延期になったりしては大変だ。


 ボットム(船底)の防虫塗料だけは、塗っておきたかった。ベイン・ラダー(風向によって、自動的に角度をとる舵)も、とりつけていきたかった。でも、ぜいたくはいえない。


 先輩や知人、友だちには、4月になってから、ひとわたり会ってある。もちろん、さりげなくだ。ひょっとしたら、今生の別れ。そんなつもりではない。しばらく顔を見られないからという気持だ。


 積み荷を終ったころ、奥井さんと竹内さん(ともに関西大学ヨット部OB。共有艇「サザン・クロス」の兄貴分)がきてくれた。阪神の西宮駅前で、ご馳走になる。焼飯を食べた。実はスシがほしかった。しかし、ナマモノで腹をこわしては損だ。我慢する。


 ハーバーにひきかえして、“お父ちゃん”(「サザン・クロス」号のこと)のおなかにもやってあった「マーメイド」をはなしてもらう。2人は陸に帰る。ゆっくりとセール(帆)を張った。


 竹内さんの車のヘッド・ライトが、こっちを照らしている。奥井さんが写真をとった。


 さア、いこう。しかし、風がない。「マーメイド」は“お父ちゃん”から離れようとしない。「サザン・クロス」に乗って、突き離した。カッコ悪いったらない。


 1センチも進まない。エンジンのない悲しさだ。イヤになってしまう。しようがないから口笛で「ビヨンド・ザ・リーフ」を吹いた。


 ヘッド・ライトが消えた。いつまでもつけていたら、バッテリーがあがるからな、と考える。2人はまだ見送ってくれているのか、帰っていったのか。暗いのでわからない。ぼくがこんなところでアグラをかいているんじゃあ、送るほうだって気がぬけるだろう。早く帰ってくれるといい。


 スクラップ船の足舟【あしぶね】(船の繋留地点まで乗員を運ぶポート)が、うしろを通る。そのおこぼれ波を頂戴して、ノロノロ進んだ。泳ぐより遅い。太平洋どころではない。しょっ鼻からこれではと、ジリジリする。


 さまざまの荷物のほかに、所持金が日本円で2000円。沿岸でつかまったときの用意だ。これだけあれば、家へ電報も打てるし、帰りの旅費にもなるだろう。


 安全圏に離脱するまでは、日誌にアメリカの「ア」の字も書かない決心をきめた。これも、ふんづかまったときのためである。へたに威勢のいいことなど記入してあったら、犯意とかの証明になる。すべてアッサリいくに限る。


 しかし、できれば堂々と出発したかった。5年間というもの、あらゆる手は打った。アルバイト運転手になって、トラベル・サービスに勤めたのも、合法的な出国手続をさがすためだった。が、やっとつかめたのは、八方ふさがりだという一事。


 いつまで経っても、西宮灯台の「ワン……ツー……スリー……青!」(4秒ごとの青光)が、視界から去らない。



だれとも会いたくなかった



5月14日(月)=第3日


 午前5時ごろ起きる。北から順風が吹いているではないか。それ、いけッ。セール(帆)を上げ、アンカー(いかり)もとりこむ。


 午前11時、友ケ島水道を通過。そのあと風が弱まる。


 午後3時30分、風Sに定まり、風力3ぐらい。ボート・タック・クローズ・ホールド(右舷に帆を出して、風上へ斜めに登る走法)で、セルフ・ステアリング(自動操舵)にセット。


 雨が降りはじめた。


 雨もりが、キャビンのまん中あたりに1カ所。ポタリ、ポタリ。たいしたことはないが、気になる。


 それにしても、西宮—友ケ島間を38時間。時速1ノットも出なかったとは、ちょっと情ない。


 あまりの強風に、マストが折れるかと心配だ。が、ここで折れるのなら、なんとか逃げられるだろう。トライスルは使わないことにする。


 ストーム・ジム(荒天用の前帆)にし、メンスル(メイン・セール。主帆)をリーフ(縮帆)しているのに、ヒール(傾き)は30度以上をマークしていた。波が高く、船体にぶちあたる。波音は、外板をバラバラにするかとおもわれた。


 それにアカもり(浸水)がひどい。コックピット(操舵席)の上で大波がくだけ、人間もろとも、海のなかへ引っぱりこまれそうだ。


 船酔いのひどさは、お話にならない。吐くものがなくなり、ついに胃液に血がまじる。先輩の奥井さんをおもいだす。〉



©iStock.com

 人目をさけてセーリングをつづける。紀伊半島の先端にある田辺がこわい。田辺保安部は行動力も強いし、可動半径が広い。ここでカンづかれては運のつきだ。


 一般船舶の報告というのも、警戒しなくてはいけない。オセッカイな船長が、保安庁へ連絡するかもしれない。だれとも会いたくなかった。


 時計は日本時間で押し通すことにする。持っている天測略暦が日本時間だからだ。世界時間を使うと、ややこしくなる。


 クォーター・バース(キャビン内の両舷にある板敷。寝台【ねだい】に使う)は、まだ片づいていない。疲れたので、ゴチャゴチャの上に寝る。嵐のため、ローリングが目まぐるしい。ぼく自身がオモリのひとつだから、そのたんびにスターボード(右舷)に寝たり、ポート(左舷)にひっこしたり……。ヒールを避けたくなると、針路に直角に寝たりした。


 スリーピング・バッグ(寝袋)の使いかたも工夫する。チャックをしめて、中にもぐっていたのでは、イザというときに飛び起きられない。毛布を敷ぶとんにし、チャックを開いたシュラーフ(スリーピング・バッグ)を掛ぶとんに使う。すそのほうは筒になっているので、足を突っこむ。こうすれば、爪先が冷えない。足には、木綿の紺足袋をはきっぱなしにする。ゴム草履によく合う。


 枕はライフ・ジャケットである。積載量にかぎりのあるヨットでは、ひとつの品をいくつもの目的に使わなくては、もったいない。


 肩のすぐ上に、コンパス(羅針盤)をおく。寝ていても、ちょっと首をまわせば、方角がのぞける。


 ヨットは進まなかった。まるで、かせぎが少ない。借金がたまっていく感じだ。


 アカがジャンスカ入る。簀板【すいた】をはずして、バケツでくみ出す。外へこぼそうとしたら、手もとが狂って、キャビンにぶちまけた。ゆれがひどい。


 夜、またアカくみでヘマをやった。スライディング・ハッチ(キャビンの天蓋)のニスに、ランタンの灯が写っている。それを空と錯覚して、バケツをぶちまけた。頭からザンブリとかぶる。




5月17日(木)=第6日


 朝5時半、コンパスを見ると、ポートに(左に)まわっている。こりゃ、いかん。さっそく、テイラー(舵柄)をくくりなおす。マグロ船が横に近づいてきて、いろいろ話してから、去っていった。〉



 こっちがチョロチョロしているもので、気になったにちがいない。よってきて、


「どこまでいくんだ?」と声をかける。


「八丈島や」


「どこからきた?」


「大阪」


 尋ねられるばかりではつまらない。こんどは、ぼくのほうから、


「カツオ船か?」


「いや、マグロだよ」


「船籍はどこ?」


「和歌山だ」


 おたがいに、相手のサイドを足先で突っぱりながらの対話だ。むろん、あてないためである。


「そんなヨットで、八丈までいけるのかい? あぶねえな。ちょっと風が吹いたら、ひっくりかえるぜ」


 実は、八丈どころではない。おかしくなる。


「八丈から、どこへまわる?」


「横浜へいく」


 別れしなに、写真をとってやった。


「できたら送ってくれ」


「ヨッシャ」送るのは、だいぶ後になるだろう。


これが網膜に映った最後の陸地になる



5月21日(月)=第10日


 午前6時、雨があがる。風も微風を送ってくれる。逃がさぬよう、直接、手でティラーをとる。


 午後になってから、4隻の汽船に会う。バウを伊豆のほうにむけて走った。


 9時ごろ、御蔵島と八丈島のあいだをぬけたようすだ。保安庁の報告だと、ことしの黒潮は、二つの島のあいだを、北東に流れてるそうだ。しかし、太陽も落ちているので、セーフティ・ファースト(安全第一)をねらい、その南のリーフ(暗礁)のないところを通った。


 小生にとって難関とおもわれた伊豆七島も、これで突破だ。


 右手前方に月がいる。天上には北斗七星。ポラリス(北極星)はま横に光る。追手(背後)に順風を受け、ツイン・ステースル(2枚の前帆)をいっぱいにしめこむ。右手にティラーを持ち、左手でチーズをかじる。ラジオから、ハワイヤンとモダン・ジャズが流れる。


 ひとつの勝利を手にしたような、満足感をおぼえた。〉



 八丈は見えなかった。御蔵も見えぬ。この辺には灯台がない。目にしたのは、御蔵の南西にある荒岩だけだった。これが網膜に映った最後の陸地になる。


 島のあいだを通過しながら、針路の正しかったことに、気をよくした。位置がつかめると、グンと自信がつく。闇のなかで、ゴロゴロとあるはずの暗礁を、うまくぬけた。爽快な勝利感だ。


 本土から八丈までセールしてきたヨットは、いままでに1隻しかない。が、それは4人でだ。シングル・ハンド(正確には、シングル・ハンデッド。単独行)では、ぼくがはじめてである。


 ちょっと、鼻が高くなりかける。しかし、「マーメイド」の目的は、太平洋横断じゃないか。まだまだ、スタート・ラインにもついていない。こんなところで、気をゆるめては大ごとだ。気持をひきしめる。


 デイト・ライン(日付変更線)を出発点と考えることにした。まだ、まだ遠い。 船に会うたんびに、いちいちバウを北にむけて見せる。ジェスチャーである。いきたいほうに走っていて、怪しまれては困る。敵が遠くなると、もとにもどす。またやってくる。ふたたび、ポーカー・フェースをつくる。めんどくさいこと。しかも、この辺は北寄りの黒潮が流れている。おかげで、だいぶ北によってしまう。バカを見た。たぶん、10カイリの赤字とおもわれる。



後部ガラスが、みじんに破れ飛んだ



5月24日(木)=第13日


 午前5時、アンフロイド・バロメーター(気圧計)は1000ミリバールを割る。外は、風波がグングン激しくなった。セールをあげて走っては危険だ。


 胴体にライフ・ライン(命綱)をまきつけて、デッキに出る。スターン(船尾)から、50メートルのロープをのばして、セールをおろした。それでも、ボートは波に立たない。(直角にならない)で、さらに、40メートルのアンカー・ロープにアンカーをつけて、スターンから流す。


 アカもりがひどい。ローリング、ピッチングがきつい。ピンのボルトが千切れそうにふるえる。


 午前11時、991ミリバールを記録。すると、風は弱まり、太陽が出るではないか。台風の眼にきたらしい。いまのうちに写真をと、大いそぎで波のいろいろを20枚近くとる。


 しかし、それもつかの間。南無妙法蓮華経! 南無妙法蓮華経! そう唱えるしか、いまできることはない。ボートはバラバラに解体する寸前とおもわれる。


 そうおもった瞬間、横から巨大な波がぶちあたった。ドッと海水が流れこむ。これで、わが生涯も終りか。つづいて、もうひとあたり。スターボード(右舷)側の後部ガラスが、みじんに破れ飛んだ。


 あわてて、板をあてて釘を打つ。そのうえを、ビスでとめる。クタクタだ。おまけに、毛布もスリーピング・バッグもズブズブ。千切ったパンをミルクにつけたみたいになっている。着がえも、ほとんど水びたしだ。


 寒さと、空腹と、船酔いに参りながら、アカをくみ出す。神に祈るばかりである。


 夜に入って、気圧はいくらかあがった。が、風波はおなじだった。〉



©iStock.com

 全行程中の最悪の日だった。


 スターボードのクォーター・バースで寝ていたら、いきなり、水がガバッとなだれこんできた。頭から足の先まで、全身ズブぬれになる。とっさに、もうあかん! 沈没したと直観した。船底をやられたか。


 しかし、あわてて見まわすと、寝ていた上の窓ガラスが破られている。キャビンいっぱいの破片だ。ヨッシャ! とばかり、板を押しあてる。


 ドンピシャリの板があったのである。いうなれば、金毘羅さまのご利益だった。


 正月に、林さん(ヨット仲間)夫妻が乗組んだヨットとつれだって、「マーメイド」は金毘羅へセーリングでいった。高松に上陸して、バスで琴平へ。林さんたちはおサイ銭をあげたが、ぼくは割愛しておいた。


 えらいケチン坊みたいで恥ずかしい。しかし、太平洋横断をひかえているので、1円のお金も惜しかった。


 その帰りだ。50フィートのヨットが、ロープを切って流れてきて、横ッ腹にぶつかった。ポート(左)の窓が、2枚とも割れた。おサイ銭をシブチンした罰だったかもしれない。ともかく、ほってはおけないので、板で応急処置をした。


 帰ってから、すぐに修繕をしたのは、むろんである。が、板はそのまま積んであった。だから、窓にはキッチリ合っている。おかげで、太平洋上、うろたえずにすんだ。


 さすがに、金毘羅さんは航海安全の守り神だ。


 アンカーはダンホース(形の名前)を流す。それもスターンからである。教科書では、たいてい、バウから引けと書いてあった。が、そうすると、うまくない。自分式に、スターンから流す。太平洋の波には、これがむくようであった。




5月25日(金)=第14日


 それでも、嵐は終わった。どうやら、命は助かった。しかし、スタートしたばっかりなのにこれでは、ゆく先どうなるかと、まったく不安だ。


 船のなかは、もうグジャグジャ。ステップのツール・ボックス(道具箱)にしまってあったものが、バウに転がっている。ポート(左)の棚に入れてあったはずが、スターボード(右)の棚から出てくる。手品みたい。オドロキである。


 でも、からだが弱っているので、整理は簡単にしておいて休んだ。〉



 荷物のアクロバットには、あきれかえる。右の棚から左の棚へ、左から右へ、品物が空輸されているんだから……。おもいちがいのはずはない。ちゃんと分類して入れといたんだ。それがミックスしてしまっている。


 たぶん、一度下に落ちて、それからむこうに入りこんだのではあるまい。じかにジャンプしたと見当がつく。だって、ぼく自身、ゆれのひどいときには、あおむいて寝ているのか、横むきになってるのか、うつむけなのか、さっぱりわからなかった。第一、天地がハッキリしていないのだ。


 それにしても傑作なのが、ツール・ボックスの中身である。これはフタのない箱みたいなものだ。上から落とすようにしなくては、なかに入れられない。だのに、バウへ飛んでいる。まったくのマジックだ。ぼくはいろいろ推理した。


 太平洋の波は巻き波である。漫画に出てくるあの形だ。ネコの爪みたいな形になっている。片側から、直角に近いくらいの角度で、グッと盛りあがる。のぼりきったところは、山のテッペンのようなトンガリだ。それが反対側に曲っている。そして、そこまでしかない。


 テッペンの下はガランドウである。絶壁なんてもんじゃない。逆にのめりこんでいる。波にのしあげたボートは、垂直に空中をダイビングする。


 ジャンプしかかる瞬間、うしろへ流しているアンカーの力が、グッと加わる。逆落としになろうとするボートの尻を、アンカーが下からひっぱることになる。艇体は、そこで、ガクンと首を上に振る。


 そのときではないだろうか? ツール・ボックスのなかにある荷物が、垂直にはねあがったのは……。そうとしか解釈できない。それでなくては、へさきに引っ越す道理はなさそうだ。ぼくが横になっていたのも、ほうり投げられないためだった。


 船酔いというヤツは、なんともしんどい。滅入って、だるくて、なにをする気にもならない。


 バウにスッ飛んでいる本を、拾いにいこうとおもう。が、ま、あとでいいだろうと、すぐにブレーキがかかる。きょうこそは……あしたこそは……けっきょく、かわいそうな本は、10日もバウから拾われずじまいだった。白状すれば、ぼくは船酔いにヨワい。


(堀江 謙一)

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