そして甲子園球児たちは、他競技でトップアスリートになった

8月13日(月)11時0分 文春オンライン

「アカン。この人、ハンパないわ——」


 学生時代にアメリカンフットボールに打ち込んでいた頃、富士通フロンティアーズというチームの練習に参加させてもらったことがあった。フロンティアーズと言えば、日本一に何度も輝いた社会人リーグの強豪で、当時も多くのアスリートが所属していた。


「高校時代は3番手ピッチャーだったんだよ」


 中でも衝撃を受けたのは、植木大輔という日本代表選手の動きだった。



富士通フロンティアーズ時代の植木大輔さん ©AFLO


 身体は決して大きくはない。だが、スピードもパワーも異次元。何より驚かされたのは全身がバネの塊のような瞬発力だった。「こういう人が日の丸を背負うんだなぁ」と妙に納得した記憶がある。


 だが、そんな身体能力のインパクト以上に驚いたのが、練習後の雑談で彼が漏らしたこんな一言だった。


「高校時代は野球をやっていたんだけど、3番手ピッチャーだったんだよ。甲子園までは行けたんだけど、1回もマウンドには立てなかったなぁ」


「ウソだろ」と思った。


 これだけの能力のある人でも試合に出ることすらできないなんて——。「高校野球」という世界には、どんな化け物がいるんだろうか?


甲子園の土を踏めるのはほんの十数人


「僕の時代の近江高校野球部は、部員も100人以上いましたからね。1番手、2番手の投手は各プロ球団も注目の選手でしたから、レギュラー争いは厳しかったですよ」



 今、38歳になった植木は、自身の高校時代をそう振り返る。


 滋賀県出身の植木は、中学時代は軟式野球に打ち込んだ。だが、チームは市大会で敗れるレベルで、野球は高校では続けるつもりはなかったのだという。


「最初は高校へ行かずにボクシングで世界チャンピオンを目指すつもりだったんです(笑)。でも、いろいろあってそれが頓挫して、たまたま近江高校に入学した。最初の1カ月は帰宅部だったんですけど、当時の野球部の監督やクラスメイトが経歴を知って声をかけてくれて」


 当初はその部員の多さや、先輩たちの身体能力の高さに驚いたという。近江高校は、今年の夏の甲子園(100回記念大会)にも出場し、1回戦で優勝候補の一角とされていた智弁和歌山から勝利を挙げている。


「常連校と言っても、甲子園の土を踏めるのはほんの十数人。1年生だった1996年にチームが出場した夏の甲子園で運よくボールボーイをやらせてもらって、それで球場の雰囲気を感じて一気にやる気に火がついた感じでした」



チームは春・夏ともに甲子園に出場したものの


 166cmの小柄な身体に宿った負けん気の強さが呼び起され、そこからは必死に練習を積んだという。普通の選手が10km走るところを20km走る。持ち前の気持ちの強さをマウンドでも発揮する。そんな地道な努力も実を結び、2年生からはベンチ入りできる3人目の投手に選ばれた。


 だが、同時に感じることもあったという。


「やっぱり僕から見ても1番手、2番手の投手は球が違いました。プロのスカウトが来る時もありましたが、まずは2人が投球練習をして、それから僕という感じ。2人との間には線が引かれていた感じがありました。そこはシビアな世界だなと思いましたね」


 3年時もチームは春・夏ともに甲子園に出場したものの、植木は故障もあり、マウンドに立つことはできなかったという。


「2年生の秋大会では凄く良い投球ができたんですが、そこでの無理もあってケガをしてしまったのが大きかったですね。最後の夏もベンチ入りはしたんですが、甲子園のマウンドに立つことはできませんでした」



野球は「センスのスポーツ」


 その後は当時の野球部監督の勧めもあり、大阪産業大学でアメリカンフットボールを始めると、その才能は開花。大学のオールジャパンに選ばれるなど、躍進を果たした。


 大学卒業後の社会人でも活躍を続け、前述のように09年から11年までは日本代表にも選出。海外勢を相手にも低く、強烈なタックリングを見せるなど、日本チームの中でも特筆すべき結果を残した。


 そういった経験を経た上で、植木には思うことがあるという。


「野球とアメフト、2つのスポーツを経験して思ったのは、アメフトは努力による伸び幅が大きい。一方で野球は『センスのスポーツ』だということです。例えば時速150km近い速球を打つときに、数センチのミートポイントの差を調整するというのは、身体能力ではなく感覚能力だと思うんです。


 高校時代を振り返っても、身体能力は僕よりはるかにすごい選手がたくさんいました。でも、それと野球が上手いというのはまた全然、別の話なんです。そういう部員の中には試合に出ることなく終わってしまう選手もたくさんいましたけど、彼らがもし、僕のように別の競技に目を向けて挑戦できていたら、すごく活躍した人もいるんじゃないかと」



俊足外野手から日本屈指のトップスプリンターに


 実はこうした思いを持つ元高校球児は、植木だけではない。


「高校時代の福井商には本当に運動能力のすごい選手がたくさんいましたね。毎年、立ち三段跳び等の身体測定をするんですけど『絶対に抜けないだろ』というOBの記録もたくさんあった。ベンチ入りできなかった選手の中にも『もしアイツが陸上競技をやっていたら、凄かっただろうな』と思うチームメイトはたくさんいます。どうしても野球は指導者との相性もありますし、アスリートだから活躍できるというわけでもないと思いますから」


 こう語るのは06年、07年と福井商高時代に2年連続で夏の甲子園に出場した村田和哉だ。



 俊足の外野手として2度ともベンチ入りを果たした村田はいま、陸上競技の100mで10秒29という自己記録をもつ日本屈指のトップスプリンターになっている。海外の大会でも優勝するなど、一線級での活躍を続けている。


「中学時代に軟式野球の福井県選抜として、日本一になることができたんです。そのメンバーで『絶対に甲子園に行こう』ということで福井商に進学しました。だから、僕の中では甲子園が最大の目標で、それを達成して燃え尽きてしまったんです。それもあって大学で野球は続けませんでした」


「“走る”ってこんなに頭を使うものなんだ」


 法政大に進学した村田は普通の大学生活を始めた。


「でも、目標のない生活に退屈さを感じてしまって。高校で野球をやっていたときから足には自信があったので、陸上競技に挑戦しようと思ったんです」


 そうして東京のクラブチームで競技としての陸上をはじめた村田だったが、1カ月足らずで大きな壁にぶつかったという。


「“走る”ってこんなに頭を使うものなんだと衝撃を受けたんです。それこそ高校時代の野球部は80人以上部員がいるような強豪で、みんな身体能力はもの凄かった。他にも全国大会に出場するような部も多い高校でしたが、それでも陸上部に負けるイメージは全くなかったんです。それだけに本格的な陸上競技に触れて、驚かされた部分は多々ありました」



 それでも経験の少なさを補って余りある才能はすぐに花開く。陸上を始めて1年目には、リレーで日本選手権に出場するまでに成長した。大学卒業後は地元・福井の企業に就職して競技を続け、12年の秋には現在所属している実業団のユティックに移籍。14年には100mで福井県記録も樹立した。


 陸上をはじめてからはまだ8年目だが、29歳になる今年は勝負の年だと笑う。


「野球と陸上だと、やっぱり個人競技の分、陸上の方が緊張するかもしれません。野球はチームみんなでやる分、重圧も分散される。野球の経験が陸上に活きているところもありますね。スタートの時なんかは『野球だったら牽制を気にしないといけないけれど、陸上は音を聞いてスタートするだけだ!』と開き直れるとか、主に精神的な部分が大きいですけど(笑)」



高校時代に別の競技に触れることができれば……


 植木と村田は、育ってきた背景も野球をやっていた時代も違う。だが、話を聞いてみて、両人が口をそろえたのが「高校時代に別の競技に触れることができれば良かった」ということだった。


 植木は言う。


「例えば野球は冬の期間は基本的に走り込みが練習の中心になります。だったらラグビー部の練習に参加して、新しい動きを試しながら走った方が良かったなとか思いますね。僕は個人的に格闘技が好きだったので、結構自分でそういう情報も調べてウエイトトレーニングなんかもしていましたけど、ほとんどの部員は野球一色になってしまっていた。そういうのはすごくもったいなかったなと、今は思いますね」


 村田もその意見に同意する。


「陸上競技って股関節をいかに使うかがすごく重要なんです。その使い方次第でスピードも上がるし、スプリント能力も向上する。でも、高校時代にそういう走りの専門的な考えって全然なくて。そういう知識は陸上競技を経験したことで得られたし、もし当時から知っていたら……と思いますよね。『野球しかない』と視野を狭めるんじゃなく、他の競技を試すことで、野球に活きる部分もあったと思います。そういう知識があればもっと活躍できたチームメイトもたくさんいたんじゃないかと思うんです」


 植木も村田もいわゆる「エースで4番」というようなチームの主軸ではなかった選手だ。それでも、別の競技では特筆に値する成績を残してきた。2人の他にも14年の春の甲子園で優勝した京都・龍谷大平安高で三塁コーチを務めた佐々木翔斗は現在、競艇(ボートレース)で活躍。神奈川・桐光学園高時代の02年に春・夏連続で甲子園の土を踏んだ北村晃一はプロゴルファーとして躍進するなど、同様の例は枚挙にいとまがない。これは、高校野球をプレーする選手たちがもつポテンシャルの高さを示しているように思う。


10万人以上の部員は一度も試合に出ない



 日本で“甲子園”というのは特別な場所だ。


 数ある競技の中でも、野球人気は今でも根強く、甲子園を目指す高校の硬式野球部員は約17万人もいる。


 一方で、そのうち10万人以上の部員は競争に敗れ、一度も試合に出ることなく高校での競技を終えることになるという。また、仮に高校時代に活躍したとしても、その先のプロ野球や大学、社会人野球で競技を続ける者は決して多くはない。


“甲子園”という蠱惑的な舞台があるからこそ、そこから先に夢を描くことができない選手が、数多くいるのだ。そんな選手たちにもし、他の競技に触れる機会があったなら、もしかしたら幻の日本代表やメダリストが誕生していたのかもしれない。


 もちろん、本人が納得して裏方としてチームに尽くすことで学ぶことは多いと思う。野球という競技一本に打ち込むからこそ、得られるものもあるだろう。決して一元的にそのことが悪いことだとは思わない。


 ただ、もしも自分の限界に悩む球児がいるとしたら。もし、グラウンドに立ちたくても立てない球児がいるのならば——。


 選手自身も指導者も、ほんの少しだけ視野を広げて他の競技に目を向ける。そんなきっかけがあってもいいのではないだろうか?



植木大輔(うえき だいすけ)

1980年8月3日、滋賀県生まれ。小学校1年生から野球をはじめ、近江高時代に春・夏の両甲子園に出場。大学からアメフトをはじめ、日本代表に。富士通を経て、人材会社に所属。そのかたわら『Daddy Park Training』というトレーニング団体を主催する。



村田和哉(むらた かずや)

1989年8月30日、福井県生まれ。小学校でソフトボールを始め中学時代には軟式野球で日本一に輝く。福井商業高で夏の甲子園に2度出場した。法政大在学中に陸上を始め、地元企業に就職後、2012年にユティックに移籍した。




(山崎 ダイ)

文春オンライン

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