「俺は求めるよ、1点差を」3期目も変わらない原監督の“攻めの言葉”

8月13日(火)11時0分 文春オンライン

 巨人の救援陣の失点が目立っていた今年4月、スポーツ紙のサイトに載った原辰徳監督の談話(4月18日、共同通信配信)が目に留まった。「逆に望んでいかないと。俺は求めるよ、1点差を」。


 この人らしいなと思い、担当記者として取材した第1期政権の1年目がよみがえってきた。何かを回避しようという発想がないのだ。問題に向かって飛び込んでいかなくては打開できないという姿勢も、それを言葉にするところも変わっていない。



今年7月に61歳となった原辰徳監督 ©文藝春秋


言葉の背後に攻めの姿勢がある


 監督としての第一歩を踏み出した2001年の秋に「言葉に出さなければ、通じないことは多い。自分の意思をより強い言葉で伝えたいし、伝えないといけないと思う」と語った。国民的英雄、長嶋茂雄監督の後を受けての就任で、何をやっても「ナガシマでない」というだけでブーイングを受けそうだった。だが言葉を慎重に選ぶより、強い言葉を発信し続ける道を歩んだ。そして1年目で日本一となった。


「攻めの言葉」が特徴だ。言葉遣いが激しいという意味でなく、言葉の背後に攻めの姿勢がある。今回でいうなら、救援陣の調子が上がらない時に、なるべく前半でまとまった点を取っておかなくては、などという発想にはならない。救援の立て直しは避けて通れないもので、だったら今すぐそこにぶつかっていこうというメッセージを発するのだ。


「接戦」という抽象的な言葉ではなく、「1点差」という数字で語るのも原監督の言語感覚だ。担当記者時代の夏の日を思い出す。東京都内の運動公園を散歩する原監督に巨人の監督の重圧について聞いたときのことだ。「批判は覚悟の上だよ。世の中の人がどんなに味方してくれてもな、最大で49パーセントなんだよ」と笑顔で即答された。


 普通なら「半分は批判」と言うはずだ。ポジティブな勢いを伴った独特の言語感覚が新鮮だった。これは名言だ、と別れてからすぐにメモした記憶がある。だが残念ながらこの言葉を使った記事は残っていない。独特の言い回しを「分かりにくい」とデスクが受け付けなかったのか。あるいは私が大事に取っておいて結局使わずに終わってしまったのか……。


「火中の栗」拾い続ける


 原監督が巨人を率いるのは3度目で、通算13年目となる。2003年秋に自ら退いたが、その2年後に請われて復帰。2015年の退任時は、当時の白石興二郎オーナーが「新しい風を」と話したが、60歳でのシーズン開幕となった今年、4季ぶりにチームに迎えられた。


 過去12年で7度優勝の手腕が求められているのはもちろんだが、「火中の栗を拾わないではいられない」性格を親会社に見抜かれているようにも見える。




WBC指揮で喜びを発散させていた


 球団外でも「火中の栗」を拾ったことがある。2008年、翌年開催の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督候補だった故・星野仙一氏が就任を固辞。そこで引き受けたのが原監督だった。王貞治監督が率いた第1回大会は日本が優勝。「世界の王」の後を受けて連覇を期待される重圧は大きかったはずだが、代表を指揮する原監督はむしろ喜びを発散させていた。自信があったのだろう。狙いを言葉にして次々と発するスタイルが短期決戦のために招集されたチームに合致した。ダルビッシュ有投手の抑え起用など柔軟な采配で連覇を果たした。


 今年7月30日の広島戦で、原監督は通算1000勝を記録し、ソフトバンクの王球団会長が祝福の談話を寄せた。第1回WBC監督として後輩を見守ってきた王会長は本質を突いている。「批判をみんな嫌がるけど、彼は人の批判を気にせず『自分がやんなきゃいけないことをやる』という信念を持って、やり通していることが立派」。王会長の目に今の原監督がこのように映るなら、それは初めて監督となった時から変わっていない証だし、第3期政権でも黄金期をつくるということだろう。



“迷言”が注目されるが……


 ネット上では独特の言い回しを捉えて原監督の“迷言”が注目されることがあるが、実は長嶋監督のように次々とビビッドな言葉が出てくるわけではない。記者として私が感じたのは、行動をともなう言葉の面白さだった。例えばヘッドコーチ時代のことだ。原コーチは阪神の野村克也監督とよくグラウンドで談笑していた。野村監督はヤクルト時代からたびたび長嶋監督を“口撃”しており、巨人の関係者が近寄ることは少なかったし、野村監督も相手チームに対しては近寄りがたい雰囲気を発していた。


 だが、原コーチにそんな雰囲気は影響しなかった。まず長嶋監督の下へ行き「監督、ノムさんにあいさつ行ってきます」。長嶋監督も「おう、よろしく」と応じていたという。ヘッドという肩書だけでなく、他のコーチとは次元の違う雰囲気があった。


 名監督と言われる人は皆「行動の人」だ。原監督も例外でない。目の前に懸案や気になることがあれば、そこに向かって飛び込んで対処する。ただ原監督が特別なのは、行動の人であることを言葉で高らかに宣言するところだ。選手時代には自分に向けての言葉だったのかもしれない。それが監督としては、選手を前のめりに走らせる武器となっている。


 原監督に初めて言葉を掛けられた日のことを記しておかなければならない。選手時代は、対戦相手の担当記者として見ることしかなかった。1997年の3月、米大リーグの春季キャンプが行われていたフロリダ州で、初めて接する機会があった。


 あいさつをする私の丸刈り頭に手を伸ばして「これ自分で刈ったの?」と言ったのが、当時NHKの解説者だった原監督の第一声だった。頭に手を置かれたまま「いえ、床屋です」と答え、笑いが止まらなかった。その2日前、フロリダ東岸の田舎町で驚くほど雑に頭を刈られたばかりだったからだ。名監督となる人の「行動」と「言葉」に触れた瞬間だった。



(神田 洋)

文春オンライン

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