池田勇人元首相の所得倍増計画 東京五輪と貿易自由化がテコに

8月13日(木)7時5分 NEWSポストセブン

1964年には東海道新幹線が開通(写真/共同通信社)

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 安倍晋三首相は憲法改正や安全保障では祖父の岸信介首相を“お手本”にしながら、経済政策は祖父のライバルだった池田勇人・元首相の「所得倍増計画」を真似した。その池田は東京五輪、首都高、新幹線など、派手な公共事業のイメージが強いが、そこにはある信念があった。政治ジャーナリスト・武冨薫氏がリポートする。(文中一部敬称略)


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 池田の所得倍増計画は、農業の近代化から、産業配置や道路や鉄道、発電所などのインフラ整備、住宅政策、社会保障とそのために必要な予算までが緻密に組み立てられ、日本の経済社会構造を「復興から成長へ」と転換させる長期計画だった。


 その大きな柱が、戦後の国土計画の骨格となった「全国総合開発計画」(1962年)だ。


 東京(京浜)、名古屋(中京)、大阪(阪神)、北九州を結ぶ「太平洋ベルト地帯」に重化学工業地帯を形成するプランで、この4大工業地帯の周辺に鉄鋼、石油化学コンビナート、発電所がつくられた。池田時代に東名、中央などが次々に着工されてベルト地帯を結ぶ高速道路網が広がり、東海道新幹線の建設が進んだ。


 開発のテコとなったのが1964年の東京五輪だった。五輪の開会式を控えた10月1日には、羽田からメーンスタジアムの国立競技場に近い渋谷まで首都高が開通し、同日、新幹線が開業した。


 池田は明確に、五輪は日本を「復興から成長」へと向かわせる仕掛けだと位置づけていた。


 安倍首相も東京五輪を誘致し、新国立競技場を建設し、リニア新幹線を着工させた。だが、池田と違って日本をどこに向かわせるかのビジョンは国民に伝わってこない。


 池田が遺したものはハードだけではない。もう一つの柱が貿易自由化である。津島雄二・元厚生大臣は、「池田内閣の政策で日本経済の発展に最も寄与したのが開放政策でした」と語る。


「海外との人とモノの往来を自由化し、国際的な開放経済体制に移行させた。その一環で、池田さんは各省庁から国際的な仕事が得意そうな官僚を大使館の書記官として派遣し、海外事情を学ばせ、人脈づくりをさせた。私はパリの在フランス大使館の書記官となり、OECD(経済協力開発機構)の日本代表部職員を兼務した。当時は日本企業もまだ体力がなく、海外には出られなかった。そのため我々が日本企業の相談役も果たしました。現在、多くの日本企業が海外市場で稼いでいるが、池田さんの開放政策と制度づくりがあったから、日本は貿易大国になれた」


 池田は東京五輪(1964年)を花道に病(喉頭がん)で退陣したが、池田の成長路線に乗って日本の国民総所得は実質ベースで倍増の目標を達成し、1968年には日本のGDPは米国に次ぐ世界2位となり、「東洋の奇跡」と呼ばれた。


 特筆すべきは、その間、賃金が物価以上に上昇を続けたことだ。高卒初任給(月給)は1960年の8200円から1965年に2倍の1万6000円、1970年には額面で3倍の2万8000円へと増えている。池田が公約した「月給2倍」はそれ以上の効果を上げ、国民の生活は豊かになり、カラーテレビ、クーラー、マイカーの“新・三種の神器”が手に届くようになった。


※週刊ポスト2020年8月14・21日号

NEWSポストセブン

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