村田沙耶香インタビュー「バイトは週3日、週末はダメ人間です」 #1

8月20日(日)17時0分 文春オンライン

——受賞作『コンビニ人間』は自身のコンビニでのアルバイト体験を元に書かれたとのことですが、選考会の当日もお仕事をしていたそうですね。


村田 普段どおり朝8時から午後1時まで、もりもり働いていました。選考会のあった火曜日はおにぎりやポテトチップスなど新商品が店頭に並ぶ日で、いつもよりやるべきことが多いんですよ。新商品を棚に並べたり、ポップを入れ替えたりと、けっこう忙しい日でした。


 その後、編集者さんと合流して、カフェで結果を待ちました。


——受賞の連絡が来たときは、どのような気持ちでしたか?


村田 初候補での受賞でしたし、すぐには信じられず、何を言われたのか覚えていないんです。一緒に待っていた編集者さんに「おめでとうございます」と声をかけられても、「聞き間違いかもしれないです」って言ってしまったぐらい(笑)。ただ、帝国ホテルの控え室に来るようにと言われたことだけが記憶に残っていて、指定された部屋の名前を頭の中で何度も繰り返していました。会見場に行ってからも夢みたいで、ずっとフワフワした気持ちでした。


村田沙耶香さん(右)と、直木賞を受賞した萩原浩さん ©文藝春秋

 お祝いの会には、仲のいい西加奈子さんや中村文則さんから、初めてお会いした田中慎弥さん、金原ひとみさんまで、たくさんの作家の方々が集まってくださいました。先輩受賞者には「しばらく忙しいから肉を食っておけ」と言われ、ローストビーフを注文していただきました。


 家に帰ると、洋服も脱がずにベッドに倒れこむようにして寝てしまいました。2時間ほどで目が覚めた後、ようやく「受賞した」という実感が湧いてきて、その後は興奮してまったく眠れなかったです。


——色々な方からお祝いのメッセージが送られてきたのでは?


村田 前の前の店長や、もっと前の店長からお祝いのメールを頂戴しました(笑)。今回の受賞でバイトも休まざるを得ず、今の店長には「ご迷惑をかけてごめんなさい」とシフト変更の相談をしました。そうしたら「こういう『迷惑』はかけてもらって嬉しい迷惑ですので気にしないで下さい」という返事を貰いました。若くて頑張り屋さんだとは思っていましたが、「わあ、店長ってこんな人格者だったんだ」と気付かされました。作中の店長とは性格は全く違います。当たり前ですけど。父からは「対応が大変だろうが、冷静に対処するように。安物のワインを買って待つ」と、メールが来ました。


——クールなお父様ですね。


村田 父は真面目で働き者で、単身赴任している時期も長かったのですが、夏休みには両親の実家やキャンプに連れて行ってくれるなど、家族サービスも沢山してくれました。母は本好きでとても優しい専業主婦です。兄は6歳年上なので、一緒に遊ぶというよりは子守のような感じだったかもしれません。非常にホッコリとした家族でした。



大玉送りで運動会が中断


——小さい頃はどんな子供でしたか?


©文藝春秋

村田 高校生で東京に引っ越してくるまでは、千葉で育ったのですが、本当に変なことを考える子でした。


 幼稚園に入る前に暮らしていた家が木造のボロボロの社宅だったんです。ボットン便所だし、ネズミも平気で出るし。「うちは貧乏なんだ」と子どもながらに強く思っていました。だから、家族だというだけの理由で、私にわざわざお金を使って食事や寝床を与えてくれることが本当に申し訳なかった。お菓子を買ってもらったりすると、良心の呵責にさいなまれました。


 大人からしたら扱いづらい子どもだったと思います。幼稚園の運動会で大玉送りがあったのですが、先生が「大事な大玉だから乱暴に扱ったら駄目だよ」と一度言ったのを気にして、私は本当にそっとそっと運んだんです。でもあまりにもゆっくり丁寧に扱いすぎて、運動会が中断してしまい、私の大玉送りを皆で見守る会、みたいになってしまったんです(笑)。


——本は小さい頃から読んでいたのですか?


村田 母や兄の影響でよく読んでいました。家の2階の小さな物置のような部屋に本棚があって、母と兄の本が並んでいたんです。母はアガサ・クリスティーなどのミステリー小説が、兄は星新一さんや新井素子さんなどのSFが好きで、私も借りて読んでいました。


 小学校3、4年生の頃に一番読んだのは、少女小説です。空想癖もあり、ロマンチックな話に憧れて「少女小説家になりたい」と思い、自分でも小説を書き始めました。タイムマシンが出てきたり、サンタの男の子と恋愛をしたりする物語でした。


 最初は手書きでしたが、小学校6年の時にはワープロで書くようになりました。欲しがっていたら母が「私も使うから半額を出してあげる。あとはあなたの貯金から半分出しなさい」と買ってくれたのです。のめり込むように書き続けました。


——それ以来ずっと小説を書きつづけて来たのですか?


©文藝春秋

村田 中学生まではそうでした。中学時代は、他の子ができる普通のことが、なぜ自分はできないのだろうと悩み続けていて、その思いを小説で吐き出していました。小説だけが人目を気にせずできる唯一のことだったので。親に麻薬を盛られて中毒者になって……というような、暗い話ばかりを書いていました。


 でも高校受験で一旦中断したら、まったく書けなくなってしまいました。それには山田詠美さんの作品と出会ったことが大きかったと思います。高校生になり『風葬の教室』を読んだとき、あまりの文章の美しさに衝撃を受けたんです。それで私も自分の美しい文体を手に入れて、純文学を書きたいと思った。同じ作品を1週間に3回も読むぐらい好きでした。でも当たり前ですけど、いきなり山田さんのような素晴らしい文章が書けるわけがありません。


 良い友だちにも恵まれ学校生活は楽しかったですが、小説が書きたいけど書けないというつらい時期でもありました。それでも作家になる夢は捨てきれず、玉川大学文学部の芸術学科に入りました。


(#2に続く)


出典:文藝春秋2016年9月号



( 「文藝春秋」編集部)

文春オンライン

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