ベイスターズ・今永昇太の魂の快投を機に振り返る「1−0完封勝利」という価値ある記録

8月20日(火)11時0分 文春オンライン

 もしこの先、ベイスターズがどんな結果に終わろうとも、僕たちは8月18日の今永昇太の姿を忘れることはできないだろう。140球、被安打5、10奪三振、1−0の完封勝利。序盤にピンチを招くも次第にギアを上げ、8回には西川のピッチャーライナーをグラブで叩き落すように捕って吼え、志願して9回もマウンドへ。最後、會澤から三振を奪うとグラブをバンバンと何度も叩いて雄叫びを上げた。前登板の11日に5回3失点で降板し、そこから連敗が始まっただけに今永は特に気持ちが入っていた。


 この日の今永はどれだけアドレナリンが出ていたのか。その様子はテレビ画面からもビンビンに伝わってきたし、ハマスタにいた人ならもっとヒシヒシと感じられたはず。特に9回表、マウンドに向かった際の球場全体の今永コール。アウトを取る度にウオオオと沸き上がる怒号のような歓声……。今永の魂がチームと、スタンドと、全ベイファンをひとつにした単なる1勝以上の価値がある一戦だった。


 キツい暑さの下、すでに126球投げているエースが山﨑康晃という鉄壁のクローザーがいるにもかかわらず、1−0の9回にマウンドに上がりビシッと締める。今永自身もヒーローインタビューで触れていたが、まるで高校野球のようなこの展開は、ひとつ間違えれば高いリスクを背負ってしまう。だからこそしっかり抑えた今永に心を揺さぶられるのだ。



18日の広島戦 完封勝利を挙げ、戸柱恭孝と抱き合って喜ぶ今永昇太


1−0の完封勝利を記録した投手たち


 近年はリリーフなしの1−0完封勝利というのはかなりのレアケースで、今季はライオンズの多和田真三郎が4月12日に記録したのみ。ベイスターズでは2015年6月30日に久保康友が中日戦で記録して以来だ。今永は今回で通算5度目の完封だが、1−0は初となる。


 1950年に始まったホエールズ〜ベイスターズと続く歴史の中で、1−0の完封勝利は今回の今永を合わせて162試合ある。そのうちリリーフなし、1人で投げ切ったのは78試合。過去にどんな投手がこの記録を成し遂げたのか? 少し振り返ってみよう。


 2002年以降長らく暗黒期に入ったベイスターズだが、クアトロKに山口俊、そして今のヤスアキとリリーフ陣が比較的揃っていたこともあり、1人1−0完封勝ちはやはり少ない。近年で1−0完封勝ちが6試合と最も多かった17年もすべて継投で、久保康友の前は14年9月30日タイガース戦の山口俊、その前は12年9月7日カープ戦の国吉佑樹まで遡る。ゼロ年代は09年にS・ランドルフ、07年に三浦大輔、02年にS・バワーズが達成している。あなたは森祇晶政権時代に崩壊した先発ローテを守った男、バワーズを覚えているだろうか。



90年代 左腕エース・野村弘樹の奮闘ぶり


 00〜01年に在籍した小宮山悟は両年とも3完封をマークし、それぞれ1−0を1試合ずつ。さすがは「投げる精密機械」である。1990年代後半は大魔神・佐々木主浩がいたため99年9月19日の三浦大輔が唯一で、優勝した98年も1−0が5試合あるが、すべて佐々木が最後を締めている。また94年9月23日には加藤将斗がジャイアンツ・桑田との投手戦を制し、最後はサヨナラで1−0完封。加藤と聞くと武治が思い浮かぶファンも多いと思うが、ベイスターズ初期の期待の左腕、将斗も忘れてはならない。


 この時期で特筆すべきは左腕エース・野村弘樹の奮闘ぶり。15勝を挙げた91年はカープ戦2試合、17勝で最多勝に輝いた93年にはジャイアンツ戦とカープ戦で1試合ずつ1−0完封を達成している。野村の1−0完封通算4度は90年代以降チーム最多。また90年には右腕エース・中山裕章がシーズンに2度マークした。


 80年代の絶対的エース・遠藤一彦はさぞかし1−0完封も多かろう……と思いきや82年に2試合、83年と86年の1試合ずつの計4度。しかし遠藤の場合は11回を完封しながらの引き分け(86年6月28日ドラゴンズ戦)や、同じく11回を1失点完投しての引き分け(85年7月9日カープ戦)といった惜しいケースが多々ある。


投高打低傾向が強かった60年代後半〜70年代


 少ない援護を必死に守り抜いた60年代後半〜70年代のエース・平松政次はそのイメージ通りに1−0完封を6度記録。72年9月11日阪神戦では延長14回を完封しながら0−0で引き分けている。この時代は投高打低傾向が強く、2−1や1−2、0−1で決着が付く試合が多かった。また73年にはシーズン3度の1−0完封(高橋重行2完封、小山正明1完封)をマークしたが、3試合ともヤクルト戦で、相手はいずれも安田猛が1失点完投という珍しいケースだった。


 そして秋山登、稲川誠、島田源太郎ら強力投手陣を擁した50年代後半〜60年代は秋山が通算9度、稲川が通算5度、島田と鈴木隆が通算3度の1−0完封をマーク。秋山の9度は球団史上1位、稲川の5度は史上3位で、50年代にはホエールズ初期の主力投手、江田貢一が4度記録している。さらに大洋ホエールズ初優勝時の1960年日本シリーズでは、継投による1−0完封が4連勝中2試合もあった点も見逃せない。


 競った試合でもチャンスを何度も逃しているとフラストレーションがたまるが、18日のような緊迫した投手戦は野球の醍醐味。そんなどうしても1点が欲しい展開で、途中出場から初球を振り抜いてホームランを打つJ・ロペス。「この1点で勝てる!」と思わせてくれた頼れる男のゆっくりベースを回る姿も、今永の鬼気迫った表情と共にずっと脳裏に残っているに違いない。


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(黒田 創)

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