年収300万円、15年前は低収入だったがいまやマシな時代

8月20日(日)7時0分 NEWSポストセブン

平成史について語り合う佐藤優氏(左)と片山杜秀氏

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 証券会社や銀行の破綻……「絶対にありえない」とされていたことが相次いで起こった1990年代後半。思想史研究家の片山杜秀氏と、元外交官・作家の佐藤優氏が、バブル崩壊後、急速に日本に「貧困」へ向けて助走していた時代を振り返った。


片山:平成史を語る上で欠かせないトピックがIT化です。インターネットが爆発的に普及するきっかけが、1995年11月のWidows 95日本版の発売でした。


佐藤:私がロシアから帰国した1995年当時、外務省では1人1台ノートパソコンを持っていました。


 ただし外とインターネットで繋がるパソコンは1台だけ。ワープロソフトはマイクロソフトのWordではなく、国産の一太郎を使っていました。


片山:私たちの仕事で言えば、Windows 95の発売で原稿のやりとりをメールで行うようになりました。私は「近代化」が遅れていたので、1999年頃までなおファックスで送稿していましたが(笑)。Windows95の登場と同時期、携帯電話の小型化も進みました。


佐藤:ポケベルに代わり、値段が安く地下鉄の駅でも電波が通じるPHSが流行しましたね。


片山:高校生はみんなPHSを持っていました。ケータイとネットの普及で、女子高生の売春である援助交際が話題になりました。


 援交はあの時代の象徴として語られますが、売春が突然低年齢化したわけではありません。援交も1980年代の夕ぐれ族(愛人バンクの一つ)の延長線上にあるものでしょう。


佐藤:援交が流行した当時、バブルは弾けてはいたものの「貧困」という言葉はまだ出てきていない。ただし、このあたりから国民の年収が下がり続け、2003年には森永卓郎さんが書いた『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーになった。


片山:それがいまや年収300万円だったらまだいいという時代ですからね。


 バブル崩壊の傷の深さを感じさせたのが、破綻した住宅金融専門会社に政府が6850億円の公的資金の注入を決めた1996年の住専問題です。


 高度成長期からバブル期までは「良い就職」ができれば生涯安泰という思想が信じられていました。市川崑監督の1960年前の映画『満員電車』では、主演の川口浩が新卒でビール会社に就職するといきなり生涯年収の計算をしだす。そこから何歳で結婚、何歳で持ち家とみんな計算できる。


 しかし1997年11月に山一證券、三洋証券、北海道拓殖銀行と立て続けに潰れた。終身雇用の安心感と年功序列の秩序感はあそこで喪失しましたね。


佐藤:なかでもインパクトが大きかったのは、北海道拓殖銀行の破綻です。銀行が潰れるなんて、戦後の日本では絶対にありえなかった。さらに翌年には長銀も経営破綻してしまう。


片山:護送船団方式という言葉に象徴されるように、戦後の日本は銀行も企業もみんな足並みを揃えて落伍者が出ないように要領よくやってきた。しかしそんなやり方が通用しなくなった。新自由主義を推し進めた小泉政権への助走期間と言えるでしょうね。


●かたやま・もりひで/1963年生まれ。慶應大学法学部教授。思想史研究家。慶應大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞受賞。近著に『近代天皇論』(島薗進氏との共著)。


●さとう・まさる/1960年生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主な著書に『国家の罠』『自壊する帝国』など。共著に『新・リーダー論』『あぶない一神教』など。本誌連載5年分の論考をまとめた『世界観』(小学館新書)が発売中。


■構成/山川徹 ■撮影/太田真三


※SAPIO2017年9月号

NEWSポストセブン

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