関ヶ原子孫座談会 徳川、大谷、石田、小早川末裔が“和解”

8月22日(火)16時0分 NEWSポストセブン

武将の子孫たちが集結(右から徳川氏、小早川氏、大谷氏、石田氏。撮影/塩原洋)

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 ここで会ったが417年目──司馬遼太郎原作の映画『関ヶ原』が8月26日に公開となり、1600年に行なわれた“天下分け目の戦い”に改めて注目が集まる中、合戦で火花を散らした戦国武将の子孫たちが集結した。時代と恩讐を超えた歴史的会談が実現したのである。


 日本列島が猛暑に見舞われた8月某日、本誌は「関ヶ原サミット」を開催すべく、都内某ホテルの一室に戦国武将の子孫たちを招聘した。


 出席メンバーは、東軍の大将・徳川家康の子孫である徳川宗家18代目当主・徳川恒孝氏(77)、東軍に寝返ったとされる“関ヶ原のキーマン”小早川秀秋の子孫・小早川隆治氏(76)、対する西軍を率いた石田三成の子孫・石田秀雄氏(67)と参謀・大谷吉継の子孫・大谷裕通氏(61)の4人だ。


 座談会では、石田三成の子孫、秀雄氏が「私は秀秋に恨みなどありません」と胸の内を明かすなど、意外にも和やかな雰囲気に。終盤は戦国武将の子孫ゆえに起きたエピソードで一同はおおいに盛り上がった。


大谷:僕は子供の頃、自分が大谷吉継の子孫ということを知らなかったんです。でも近所に加藤清正の子孫がいた。彼は学校で先生から「あなたは清正公の子孫なんだから、しっかりしなさい」と叱られててかわいそうでした(笑い)。


徳川:私は、徳川の将軍15代の名前を答えるテストで、どうしても1人だけわからなかったので、「恒孝」って自分の名前を書いて出したことがあります。そうしたら「君ができなくてどうする」と先生に怒られたことがございます。


一同:はっはっは(笑い)。


徳川:学習院を卒業後、私は日本郵船に入社して海外を飛び回っておりました。古い会社ですのでわりとそういった偉人の子孫はゴロゴロいらっしゃいまして。田安徳川家(江戸時代中期に分家した徳川氏の一支系)の松平宗紀さん(現・越前松平家20代目当主)も同じ会社だったのですが、2人とも特別扱いされることなく、バンバン叱られました。


大谷:しかし、「徳川」の名前は大きい。僕は金融機関に勤めながら、国内外で古武道を教えているのですが、外国の人たちの間でも「ショーグン・トクガワ」の名前は有名だった。


徳川:それはひしひしと感じます。日本郵船時代にニューヨークに駐在していた頃、こちらから「徳川の子孫だ」と売り込んだわけでもございませんのに、周りの人から「ヘイ! ショーグン!」と声をかけられるようになりまして。その時は私もいい気になって「イエス!」って答えていたけどね。


一同:はっはっは(笑い)。


小早川:今回は初めて皆さまにお会いできて、色々とお話を伺えて幸せでした。石田さんから“お許し”もいただけましたし。


石田:同じ西軍だった大谷さんとは新年会をやったりと顔を合わせる機会が多いのですが、これからはこのメンバーで一緒に酒を呑む、なんてのも良いですね。


徳川:では、これにて和解、ということで。


一同:はっはっは(笑い)。


※週刊ポスト2017年9月1日号

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