前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る

8月22日(木)7時0分 NEWSポストセブン

藤圭子さんへの忘れ得ぬ愛を語る前川清

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 かつて作家・五木寛之氏に「“演歌”でも“援歌”でもない。“怨歌”である」といわしめた歌手・藤圭子(享年62)。彼女が儚く散ったあの日から、はや6年。生きていれば今年9月にデビュー50周年を迎えていた。6度目の命日を前に、元夫でもある歌手・前川清が再び知った彼女の魅力。短くも1970年代の歌謡界を共に過ごした日々を語った。


「歌いながら、やっぱり彼女のドスのきいた歌声と独特の世界観って凄いなぁと改めて感じさせられました」


 そう語るのは、歌手の前川清(71才・以下「」内同)。先月発売された自身のカバーアルバム『マイ・フェイバリット・ソングス〜ジャパニーズ〜4』のなかで、元妻の藤が1972年に歌ったヒットナンバー『京都から博多まで』をしっとりと歌い上げている。


「この曲が流行っていた頃って、ちょうど藤さんと結婚していた時期。一緒に歌番組に出演したりして、目の前でよく聴いていました。だから、耳が覚えている。自分ではもうちょっとうまく歌えると思って、あえて音源は聴かずに収録に挑んだんですが、思っていた以上に難しかったですねぇ」


 これまでライブなどで同曲を歌ったことは何度かあるが、CDに録音するのはこれが初めて。


「歌というのは、歌っている人が亡くなった直後は頻繁に流れるけれど、1週間もすると遠ざかっていくじゃないですか。でも、彼女のよさであるとか魅力だとかは忘れてもらいたくない。別れはしましたけど、彼女に対しての思いっていうのはそりゃあ、ありましたからね」


 ファンだった人に、少しでも喜んでもらえたら、当時の藤圭子の姿を思い出してもらえたらうれしい…。そんな思いから収録を決めた。


◆若き大スターとの結婚 多忙極まる新婚生活


 48年前の6月、前川と藤の婚約発表に世間は沸いた。


「ボクが22才で彼女は19才。お互い、好きだという気持ちは当然あるけれど、実はどうしても夫婦になりたいというわけではなかったんです。ただ彼女は、当時、恩師で事務所の社長でもある作詞家の石坂まさをさん(享年71)の自宅に住み込みをしていたので、隠れて会ったりするのはなんだか嫌だね、と。だったら、一緒になった方がいいかもねっていうのが結婚に至った理由でした」


 当時は歌謡曲全盛期。藤も、前川がボーカルを務める内山田洋とクール・ファイブもオリコンヒットチャートの上位ランキングの常連だった。


「芸能界でも彼女のファンは多くて、婚約発表後に野口五郎くん(63才)から“なんで前川さんなんかと〜!? ボク、好きだったのに〜”って言われて、“いや、ごめん、ごめん”って謝ったこともありました(笑い)」


 晴れて夫婦となれば堂々と人目を気にせずにいられる。そんなふうに淡く、まだ幼い恋の延長線上での決断だった。ふたりは1971年8月2日、前川の故郷、長崎・佐世保の小さな教会で式を挙げた。


「最初は入籍だけで済まそうとふたりで話していました。でも、結果的には大人の事情っていうものがありまして(苦笑)。ハワイでの新婚旅行中、都内に戻っての披露宴もずっとマスコミのかたがたが付きっきり。ハッキリいって、結婚式自体が仕事でしたね」


 振り返れば、結婚生活自体、実態のないものだった、と前川は語る。


「彼女も飛ぶ鳥を落とす勢いの人気歌手でしたし、ボクたち内山田洋とクール・ファイブも毎日、歌番組をいくつもハシゴ。朝から晩までテレビ局を何局もまわってね。もう、どれが生放送でどれが収録なのかもわからない状態。ふたりともひたすら一生懸命に歌って家に帰る…そんな生活でした。思えば、夫婦水入らずでゆっくり語り合う時間なんてなかったですね」


 その年の大晦日、『NHK紅白歌合戦』では夫婦揃って初の競演が目玉となるはずだった。だが、年の瀬も間近にして、前川が自然気胸で緊急入院。急遽、藤が前川に代わってクール・ファイブと共に歌った。


「今思えば、そういう運命だったんでしょうね。ずーっとすれ違い。だから結婚生活も、たった1年で終わってしまいました」


 1972年8月12日、おしどり夫婦と呼ばれたふたりの電撃離婚会見。これもまた、「(離婚の理由は)ありません」と、掴みどころのないものだった。


「ボク自身も結婚生活を振り返ってみても“なんだったんだあれは?”って思いますもん。ただね、1年間の結婚生活のなかで、彼女には1円もお金を出させることはなかったですよ」


 それは、九州男児の意地のようなものだろうか? 「いやいや、そうじゃない」と、前川が大きく首を横に振る。


「それぐらいしかボクが彼女にしてあげられることがなかったんです。だから、ずっと後になってのことですが、彼女が“清ちゃんがいちばん優しかった”と言ってくれていると人づてに聞いた時はうれしかった。素直にね。


 でも、裏を返してみれば、それはボクたちの間に何にもなかったからこそ出た言葉であって。恨み、つらみ、差し障りも何にもないからこそ、そんなふうに思ってくれたんだと思います」


 だが、売れっ子同士の早すぎた結婚、そして離婚劇は、少なからずそれまでの音楽活動に影を落とした。内山田洋とクール・ファイブは『そして、神戸』などのヒット曲に恵まれるも、2年連続で紅白不選出。一方、藤も今ひとつヒットが続かず、1974年には喉のポリープ手術というスランプ状況に陥った。藤が芸能界引退を考え始めたのはこの頃からだともいわれている。


◆藤の死の知らせを聞いたとき、前川は…


 6年前の8月22日。それはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的な訃報だった。早朝の東京・新宿。藤は居住していたマンションの13階から飛び降り、62年の人生に自ら幕を閉じた。


“藤圭子、自殺”この報道に、都内でコンサートのリハーサル中だった前川は耳を疑ったという。


「ショックだったのはもちろんですが、長年、海外生活をされていた藤さんが日本で暮らしていたことも知らなかったので。


 ただ、こんなふうにも感じたんです。“ああ、彼女らしいな”と…。“らしいな”というのは不謹慎かもしれません。けれど、どこかで彼女が平穏な老後を送り、布団の上で静かに息を引き取るという姿をイメージできなかった部分もありました」


 圧倒的な歌唱力と存在感、儚さと数奇な人生。それらをすべて背負っていたのが、歌手・藤圭子だった。


「だから、強烈なインパクトを残してこの世を去っていったということはとても切ないのですが、彼女らしくもあると感じもしたんです」


 前川が藤の曲をライブ会場で歌うようになったのは、4年前から。三回忌を迎える頃、最初に選曲したのが彼女のデビュー曲『新宿の女』だ。「藤圭子という女性には“新宿”の二文字がよく似合います。銀座でもない、六本木でもない、新宿がしっくりくる。そして…終の住処となった場所も新宿でした」


 以来、年に1度、藤の歌を歌い続けている。今回、初の収録となった『京都から博多まで』も歌唱した。


 実は、この曲にはこんなエピソードが残されている。1980年1月に放送(収録は前年12月)された『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)で、なんと離婚後7年ぶりに、前川と藤が共演しているのだ。


 歌手生活を引退し、海外へと渡る決意をした藤が、芸能界最後の思い出にと熱望し、萩本欽一(78才)の粋な計らいで共演が実現したという。コントでは、藤が萩本家を訪ね、そこへ前川が「後川清」を名乗って登場する。「照れ屋な歌手・前川清の友人として、彼の代わりにバラの花を届ける」という設定だった。


 前川がバラの花束を藤に差し出すと、お互い照れくさそうに笑いながら、アドリブまじりのトークを展開。日本を離れ、アメリカという土地で新たに出発をすると表明した藤。そんな彼女を送り出す激励の意味もこめ、前川が歌ったのが『京都から博多まで』だった。初々しくも睦まじい、心の底で信頼し合っているふたりの姿から“もしや復縁?”との噂すら上がったほどだった。


◆別々の道を選択したから、歌姫が誕生した


 この話を前川に振ると…、


「えっ? ボク、歌ってましたっけ。覚えてないなぁ。まあ、もしも、今の年でお互いに独り身であったなら、もっとわかり合えたかもしれませんね。でも、そういう運命の流れがあったからこそ、宇多田ヒカルさん(36才)という歌手がこの世に誕生したわけですよ」


 1998年、宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』は900万枚突破という日本新記録を打ち立てた。そんなわが娘の類まれな才能を全力で後押ししてきたのが母である藤だった。


「宇多田さんがデビューする前、1度だけ藤さんから電話がかかってきたことがあるんです。“娘は天才なのよ”って。それから間もなくして凄い歌声の若い娘がいるなと思っていたら、それが藤さんのお嬢さんだった。独特な声質がソックリで驚きました。歌っている時というよりも、しゃべっている声が。CMで宇多田さんの声が流れた時、思わず振り返ってしまいますもんね」


 昨年5月、芸能生活50周年を記念したシングル『初恋 Love in fall』を発表した前川。偶然にも宇多田が同月にリリースした新曲のタイトルも『初恋』だったことには心底驚いたらしい。


「こっちは“得した! 誰か間違えて買ってくれないかな?”(笑い)なんて冗談を言ってましたけど、向こうは迷惑しているかも…。でも、これも何かの縁かもしれませんね」


 巡り合わせといえば、8月は前川にとってさまざまな思い入れの重なる月なのかもしれない。


「藤さんと結婚したのも、離婚をしたのも8月。そして、藤さんが亡くなったのも8月。奇しくも、ボクが生まれたのも8月。今月、19日に71才になりました。たまたまなのかもしれませんが、どこか不思議なものを感じなくもありません。今年もボクをはじめ、多くのファンの皆さんに藤さんを偲んでもらいたいですね」


■取材・文/加藤みのり


※女性セブン2019年9月5日号

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