年間3万人が訪れる岩手県大槌町「風の電話」 設置者の思い

8月24日(金)7時0分 NEWSポストセブン

岩手県大槌町の「風の電話」

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 岩手県大槌町に、電話線に繋がらないダイヤル式の黒電話が置かれる「風の電話」というものがある。その「風の電話」がなぜ設置され、いまも人々が訪れるのかについて、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が綴る。


 * * *

 風の便り、風のうわさという言葉があるが、「風の電話」とはよく名付けたものだ。この電話は電話線につながっていない。だが、人から人へ、記憶から記憶へ、言葉から言葉へ、そして、この世からあの世へと、目には見えない風を介して、たしかにつながっている。


 岩手県大槌町にある鯨山の麓に、ポツンと据えられている「風の電話」。これを佐々木格さん(73歳)が設置したのは、幼いころから慕っていた従兄を、がんで亡くしたことがきっかけだった。逝った人と遺された人がつながる場をつくりたい、と考えた。


 そんな矢先、東日本大震災が起こった。大槌町でも大きな被害に見舞われた。死者行方不明者1285人のうち400人以上の方が今も行方不明のままだ。


 震災の翌月に完成した「風の電話」は、急速に知られるようになった。突然の別れを強いられた人たちが心の中の相手と対話するために、全国から訪ねてくる。その数は3万人を超えるという。


 電話ボックスに備えられたノートには、たくさんの人の思いが綴られている。



「母さん、どこにいるの。親孝行できずにごめんね。会いたいよ」


 おそらく津波に遭い、ご遺体が見つからないお母さんを偲んでいるのだろう。


「お父さん、たくさんのありがとうを込めて。お母さんと私たちのことを見守っていてね」


 震災とは関係なく子どもを亡くした人の記述もある。


「明日は(子どもの)誕生日、風の電話を通して、お誕生日おめでとうが言えました。ありがとう」


 ぼくも「風の電話」の電話ボックスに入ってみた。狭い空間がとても心地よい。自分の発した言葉に包まれ、不思議な気分になる。受話器を上げて耳に当てると、向こう側にだれかがいるような気がした。それは、20年前に他界した父のようでもあり、過去のぼく自身のような気もした。


 佐々木さんと初めて話したのは、『日曜はがんばらない』(文化放送、毎週日曜午前10時〜)だった。どんな思いで「風の電話」をつくったのか、電話で話を伺った。



 その後、ぼくは6月のある一週間を「東北応援週間」と勝手に決めて、被災地を訪ねた。4つの高校で、「教科書にない一回だけの命の授業」をしたり、南三陸や気仙沼大島にボランティアで元気づけの講演を行なったりした。


 その合間を縫って、「風の電話」まで足を延ばした。同行者は、陸前高田や南三陸に住む医療介護の専門職の人たちで、津波で夫を亡くした看護師もいる。彼らが交代で車を運転してくれたのだ。


 現地に着き、驚いた。「ベルガーディア鯨山」と名付けられたプライベートガーデンの、実に広大で、美しいこと!


 大きな石を組み上げたロックガーデン、季節の草花が咲くハーブガーデン、ローズガーデン、コニファーガーデン……。「風の電話」はほんの一部で、その周りに豊かで居心地のいい世界が広がっていたのだ。


 2012年に完成した「森の図書館」は、数年がかりで石を積み上げてつくった。絵本のなかにある世界観を、そのまま実現したような雰囲気である。


 こうした美しい建物とガーデンを、佐々木さんがほぼ一人でつくったと聞き、さらに驚いた。美しい石組みを見ながら、どうやって一人で積み上げたのか、佐々木さんの考える力とそれを実践する力に感嘆するしかなかった。


 それにしても、なぜ、佐々木さんはこんな広大なガーデンをつくろうと思ったのだろうか。



 彼は中学卒業後、釜石の製鉄会社で働いてきた。しかし、昭和の終わりごろ、鉄の産業が斜陽に。佐々木さんも、会社が新規事業として始めた食品関係の会社へと派遣させられた。


 おもしろいのは、食品会社で魚屋から包丁の扱い方を教えてもらい、マスターしたところだ。食品会社の経営に、包丁さばきは必要ないのだろうが、そこは佐々木さん、自分の手を動かして形にすることを通して、モノゴトの本質を理解するところがある。地頭がいい人だ、と感じた。


 彼は、社員440人のリーダーを務め、年商20億円の事業に仕上げていく。製鉄会社の新規事業は難しいと聞くが、珍しく黒字に転ずることができたという。そんな佐々木さんだが、51歳のとき会社に執着することなく、早期退職する。会社の人間関係でおもしろくないことがあったようだ。


 その3年後、1000坪の山林を買う。隣の土地も買ってほしいと言われ、さらに1000坪買い足した。その広大な山林を切り拓き、都会で暮らす息子や孫たちが帰ってくることができる「地図にない田舎づくり」を始めた。


 人はいったい何歳くらいから、次世代のことを意識しはじめるものだろうか。子どもや孫たちの世代に何を遺すべきか。そのために、自分は何をすべきだろうか。そうした自問は、己の価値観や倫理観を突き詰めなければ見えてこない。体力や経済的なことを考えると、佐々木さんのように50代という人はきっと多いだろう。



 佐々木さんの言葉で、いいなあと思う言葉があった。


「曲がりまっ直ぐ、でこぼこ平ら、貧乏豊かな生活」


 人生は、曲がっていたり、でこぼこしていたりしてもいい。風に乗って、はるか上空から俯瞰してみれば、何となくまっすぐで、平らに見える。そうした人生の振幅も含めて、豊かさの一部なのだ。


 ガーデンの一角にはカフェがあった。コンテナを改造してつくったという素敵な空間だ。にこにこ顔の佐々木さんご夫妻が迎えてくれ、同行した人たちとともに、ぼくの70歳の誕生日を祝ってくれた。


 ケーキにキャンドルを灯して、ハッピーバースデーの歌。ちょっぴり照れ臭くもあったが、懐かしいふるさとに帰ったような安心感に包まれた。


●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『人間の値打ち』『忖度バカ』。


※週刊ポスト2018年8月31日号

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