脚本家・早坂暁さんが遺した1000文字に込めた平和への祈り

8月26日(日)16時0分 NEWSポストセブン

故・早坂暁さんが故郷・松山の子供たちに託した渾身の願いとは

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 国民の8割が戦後生まれの現代日本において、戦争の悲惨さを知る人は少なくなっている。自らも戦争を経験し、吉永小百合(73才)が胎内被爆をした芸者を演じた『夢千代日記』(NHK)をはじめさまざまな作品を通して平和の大切さを伝えてきた脚本家の早坂暁さん(享年88)も、昨年12月に亡くなった。彼が最期に残したメッセージは、平和への祈りと次世代への愛が込められたものだった。


「深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」


『全国戦没者追悼式』にて噛みしめるように読み上げられた、天皇陛下のお言葉。陛下の深い一礼をもって、平成最後の終戦記念日が静かに終わった。73年が過ぎ、太平洋戦争の記憶は歴史上の出来事になりつつある。その凄惨さや命の大切さを語り継いできた体験者も次々と鬼籍に入る現代、自殺で自ら命を落とす若者や、わが子を虐待によって死に追いやる親も少なくない。


 戦争体験が風化するにつれ、生きる尊さが失われる中で、『あなたたちに伝えたいこと』と題した1000文字が多くの人の胸を打っている。


『夢千代日記』(NHK)や『花へんろ』(同)をはじめ、ドラマや映画の脚本家や小説家として活躍した故・早坂暁さん(享年88)が、故郷である愛媛県松山市の北条北中学の生徒たちに宛てた “最期のメッセージ”だ。


「宿題や授業で使ったプリントを持ち歩くためのクリアファイルの一番上に入れて、毎日学校に持って行ってます」


 丁寧に折りたたまれた一枚の紙を手に、楠岡菜月さん(14才)が言う。


「友達とけんかしちゃったり、家族に八つ当たりしちゃったりしたときに取り出して読み返すんです。『あなたたちの前には未来と大きな可能性があります』という言葉を読むと気持ちが落ち着いて、勉強、がんばろうと思える。最近、周りの人にも少し優しくできるようになった気がします」


◆吉永小百合がファクスの前で原稿を待っていた


 思いの込もったメッセージが松山市に届いたのは、昨年の10月。依頼した『北条地区まちづくり協議会』広報部の西山陽一朗さんが言う。


「地域活性化の1つとして、若い世代にももっと早坂先生を知ってほしいと、著作や功績を展示する特別展を企画しました。それを聞いた地元の中学生たちが先生のことを調べて授業で発表したいと見学に来ることになり、ならばご本人から若い世代に、少しでもメッセージをいただけないかと思い、お願いしました」



 当時、いくつもの仕事を抱えていた早坂さんだったが、ふたつ返事でOK。しかし、いちばん近くで寄り添う妻の由起子さん(58才)には一抹の不安があった。


「早坂は、“遅坂”とあだ名がついたくらい、筆が遅い人なんです」


 遅筆ぶりは俳優たちの間でも有名で、主演した『夢千代日記』に惚れ込み、「この作品は私の宝物」と公言していた吉永小百合や、「私という役者の80%は早坂さんの作品でできている」と言う桃井かおりをはじめ、俳優たちはみな締め切りを過ぎてからファクスで1枚ずつ送られてくる原稿を、スタジオで固唾をのんで待っていたという。


「今回はたくさんの中学生たちが待っているから遅れるわけにはいかない。いつもは本人が手書きで原稿を書くのですが、この時は夫が言うことを私がパソコンに打ち込んで、ふたりで何度も見直し…と二人三脚で仕上げました」(由起子さん)


 夫婦の共同作業によって届けられた言葉に地元は歓喜した。


「一言でもいただけたら嬉しいな、長くても50文字ぐらいだろうなと考えていたんです。ところが届いてみると、1000文字もの壮大なメッセージ。先生はここまで故郷の後輩たちのことを思っていらしたのか、と感銘を受けました」(西山さん)


《僕の名前は、四国遍路をしていたお坊さんに付けて貰いました》


 早坂さんが生まれ育ったのは、四国の寺を回る“八十八か所巡り”の遍路道沿いにある商家。自身も幼少期に母に連れられて“お遍路”をした経験がある。四国を歩き回り、地元の人の温かさに触れた早坂さんは、その経験から助け合うことの大切さと故郷の素晴らしさを知るようになった。


「口癖のように『世界中のどこを探しても故郷の海ほど素敵な場所はない。最後は故郷に戻って暮らそう』と話していました。海に沈む夕陽と、名物の鯛めしや貝が大好きで、何度訪れたかしれません」(由起子さん)


 故郷愛は、手がけた作品にもにじみ出ている。四国の遍路道に立つ商家での出来事を描いた『花へんろ』は自身の体験や両親がモデルになっており、盟友だった故・渥美清さん(享年68)が主演した『田舎刑事』(テレビ朝日系)も松山市が舞台になっている。故郷でロケをする際には実家を楽屋代わりにすることもあり、それゆえ“故郷愛”が俳優にも伝播することがしばしばあった。


「その1人が、渥美清さんです。プライベートの旅行でも桃井かおりさんや他の俳優さんと一緒に訪れていました。渥美さんは北条の海に浮かぶ鹿島を第二の故郷と呼び、俳句に詠むほど愛したそうです」(由起子さん)



 故郷の美しさと同時に、早坂さんが次世代に伝えるべく尽力したのは、戦争の悲惨さだった。


 終戦を迎えたのは海軍兵学校に在学中の16才のとき。実家に帰る途中、原爆投下により廃墟と化した広島市内を目の当たりにした。


「何ひとつ残っていない廃墟の中に何百、何千という無数の青く小さな火が燃えていた。折からの雨で死体から流れ出たリンが燃えているんです。ショックでした。地球が終わるときはこんな光景なのではないかと思いました。そんな中、どこからかかすかに聞こえてきた赤ん坊の声。死と隣り合わせのこんな状況で、新しい命が生まれている。いつかこのことを書かなくてはと思い続けていました」


 そう語っていた早坂さんは、ドラマ『夢千代日記』の他にも、映画『きけ、わだつみの声 Last Friends』では特攻隊として命を落とした大学生の叫びを伝えるなど、作品に平和への祈りを込めていた。


「今、8月6日や9日、15日が何の日なのか知らない子供が増えていると聞きます。それは知ろうとしないのが悪いのではなく、私たちが伝えきれていないのでしょう。早坂も、二度と戦争を起こしてはいけないという思いが強かった。『人がいちばん学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合うかということです』という言葉には、平和への祈りが込められていると思います」(由起子さん)


◆早坂さんのように、人の心に突き刺さる文章を書く仕事をしたい


 メッセージを受け取った北条北中学校の松浦英樹先生が言う。


「中学生は、人とかかわることが増え、自分と人との距離感に悩んだり、劣等感を感じたりする多感な時期です。そんな“ゆらぎ”の中にいる子供たちにとって、早坂さんの言葉は非常に思いやりのあるものでした。このメッセージに心動かされたたくさんの生徒がお礼の手紙を書きました」


 妻の由起子さんは手紙を受け取ったときの夫の表情が脳裏に焼きついているという。


「子供たちからの手紙というのは、とても新鮮だったのだと思います。消しゴムで何度も消しては書き直した跡もあり、“おお!”と声を上げながら、手紙に目を通していました(笑い)。大好きだった駅伝のように、自分が投げかけた言葉を中学生にしっかりと受け取ってもらえたのが嬉しかったのでしょう。会って言葉を交わすことができていたらもっと喜んだと思います」


 しかしメッセージを書いた2か月後の12月16日、早坂さんは腹部大動脈瘤で急逝。


「外出先で町に飾られていたクリスマスツリーを見上げて『きれいだねえ』と言って数歩進んだら突然パタンと倒れて…抱きかかえた私の腕の中で、そのまま帰らぬ人になりました」(由起子さん)



『これが最後の手紙だと思いますと、とても残念です』と追悼の手紙を書く生徒たちもあまりにも急な事態に、驚きを隠せなかった。


 直接会うことはかなわなかったが、由起子さんは今年2月、松山を訪ね、夫に代わり生徒たちと対面を果たした。


「生徒の皆さんからの質問に答えたり、早坂が好きだった金子みすゞさんの詩『蜂と神さま』の話をしたりと、素敵な時間でした。ここ北条はとても夕陽がきれいなところだけれど、このきれいな夕陽や、今ある環境を当たり前と思ってはいけない、一日一日を大切に生きていってほしいと伝えました」(由起子さん)


 北条北中学の渡部真美子さん(14才)は、早坂さんの言葉が将来を照らす光になった。


「中学生になってから、命って何だろうとか、生きるとはどういうことなのか、とかモヤモヤして悩むようになりました。考えすぎるあまり、時には死にたいとすら思うこともあった。でも『人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生き物です』という言葉が心に突き刺さって、モヤモヤが晴れた。これまでは将来のことなんて考えたこともなかったけれど、今では早坂さんのように、人の心に残るような文章を書く仕事をしたいと思っています」


『あなたたちに伝えたいこと』

早坂暁


 あなたたちは、自分がどのようにして生まれてきたと思いますか?もちろん、お父さんとお母さんがいないと生まれてきません。

 いや、うちはお母さんだけだよ、お父さんだけなんだ、という人もいるかもしれません。

 でもあなたたちがお母さんのおなかに宿ったときは、一人ではなかったはずです。


 お父さん、お母さんにはその両親がいて、それはあなたたちのおじいさんやおばあさんだけど、そのまたおじいさん、おばあさん…。

 その数は五代前までさかのぼると、単純計算で約六十人、十代前だと何と約二千人になります。

 その一人でも欠けたら、今あなたたちはここに存在していません。


 つまり、あなたたちが生まれたのには、大きな大きな意味があるのです。

 あなたたちは、誰もがすべて、かけがえのないひとりひとりなのです。


 そして、あなたたちは、自分の名前について聞いたことがありますか?

 自分の名前にどういう意味があるのか、どういう気持で名付けられたのかを知るのは、とても大切なことです。もし、まだ知らない人がいたら、今日帰っておうちで聞いてみて下さい。

 ちなみに僕の名前(富田祥資=よしすけ)は、四国遍路をしていたお坊さんに付けて貰いました。

 僕(早坂)は、生まれたときにとても体が弱く、お医者さんから十才までは生きられないだろうと言われました。


 お医者さんからも見放され、もうお大師さまにおすがりするしかないと考えた母親は、何とか助けたいと、小さな僕を乳母車に乗せて四国遍路に出ました。

 大人でも大変なお遍路です。今のように車も電話もありません。もちろんコンビニもありません。そんな時代に乳母車を押して四国を歩き通すのはさぞかし大変だったと思います。

 途中、いろんな人に助けて貰いました。山の上の札所に行くときは、知らないおじさんがおぶってくれ、海辺ではお接待で漁師の女の人のお乳を貰ったりもしたそうです。

 母親だけではとうてい四国を回れなかったでしょう。いろんな人に助けて貰いながら八十八カ所を回ることができたのです。

 そのおかげでしょうか、僕は八十八歳になった今も元気です。

 人は人と結びあい、触れ合わなくては生きていけない生き物です。たった一人では生きていけません。人が一番学ばなければならないことは、どうやって助け合い、どうやって分かち合うかということです。


 あなたたちの前には未来と大きな可能性があります。

 どう生きてどんな人生にするのかは、自分自身で切り開くことができるのです。

 ひとりひとり、何をしたい人間になるか、何ができる人間になるかを考えて、これからの人生を歩んで行ってほしいと思います。


※女性セブン2018年9月6日号

NEWSポストセブン

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