慰安婦少女像のどこが「表現の不自由」なのか 呉智英氏疑問

8月26日(月)7時0分 NEWSポストセブン

「表現の不自由展・その後」は展示中止となった(共同通信社)

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 あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の中止騒動は、なかなか収束の気配を見せない。評論家の呉智英氏が、表現の自由・不自由とは本来、どういったものなのか、事例をあげながら解説する。


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 八月一日から始まったあいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展」騒動が今も続いている。議論の中心にあるのは慰安婦を象徴する「少女像」だが、これ、いつ表現が不自由になったのか。


 少女像はソウルの日本大使館前に二〇一一年から堂々と設置されている。しかも公道にである。これ以外にも韓国各地に、さらにアメリカやドイツにもいくつか設置されている。日本でも、公道や公有地は当然駄目だが、韓国大使館の玄関や会議室なら設置は自由である。個人の家でも全く自由だ。二〇一二年に東京都美術館で開催された国際交流展だけが、特定の政治思想に関連するとして、これを撤去した。国際交流の本義にも反するはずだ。要するに、趣旨が違うから撤去したのである。


 こうした少女像のどこが「表現の不自由」なのか。津田大介ら破廉恥な運動家連中がわざわざここで表現の不自由を作り出したのだ。ありもしない交通事故を作り出す「当り屋」商売と同じである。


 本当の「表現の不自由展」なら、是非やってもらいたい。本欄でも指摘してきたように、戦後七十余年一貫して表現が不自由になっているからだ。いくつか例を挙げる。


 舟越保武(ふなこしやすたけ)は二十世紀日本の美術界を代表する彫刻家である。子息の舟越桂も著名な彫刻家だ。その舟越保武の最高傑作『病醜のダミアン』が、これを所有する埼玉県立近代美術館で公開展示できなくなった。一九八四年のことである。その後、鑑賞希望申請者のみ別室で鑑賞できるようになった。十五年後に『ダミアン神父像』と改題してやっと公開展示が可能になる。


 これは病気への偏見を助長し差別しているという声が出たからである。舟越の制作意図とは正反対の“抗議”に屈服したのだ。


 最近「戦争絵画」に関心が集まっている。先鞭をつけたのは「芸術新潮」一九九五年八月号だ。私はそこで小早川秋聲(しゅうせい)『国之楯(くにのたて)』を見て衝撃を受けた。ページを開いたまま五分ほどじっと見つめていた。軍服姿の戦死者の遺体の顔が日の丸で覆われている。荘厳と悲哀が見る者を圧する傑作であった。昭和十九年作のこの名品は「天覧を拒絶された」と説明にある。むろん反戦平和主義者たちも戦争絵画を忌避し『国之楯』を知らなかった。右からも左からも表現の不自由が続いた。


 マンガは今や日本を代表する芸術となっている。文化庁も一九九七年、マンガやアニメを「メディア芸術」と位置づけ支援を開始した。海外の著名な美術館でもしばしば日本マンガ展が開催される。


 こうした中、国内はもとより海外でも人気が高いのが、勇壮な筆致と激しい作劇法を特徴とする平田弘史である。しかし、その初期代表作『血だるま剣法』は一九六二年刊行後“封印作品”となり、実に四十二年後の二〇〇四年まで日の目を見ることがなかった。自慢ではないが、私が詳細な解説を付けて復刊にこぎつけた。


 表現の不自由と戦ったことがない奴らが当り屋稼業をやっている。


●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。


※週刊ポスト2019年9月6日号

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