芸人総勢42組が私に語った“超赤貧物語”「バイきんぐのアルバイト時代」

8月29日(土)9時57分 アサ芸プラス

 その芸人ブーム以降、「バイト芸人」って言葉が生まれたくらいに食えない芸人がゴロゴロいる。今や、プロダクション所属の芸人を合計すると1000組を超えるほど芸人氾濫の時代だ。

 インタビューした中で、下積み中に最も多くバイトしてきた芸人といえばバイきんぐ。コンビの性格の違いは、職種と辞め方にも出るようで‥‥。

「全部で8種類。ピザの宅配に、オシャレなパスタ屋。コンビニは2店舗合わせて7年やりました。いちばん長く続いたのはコールセンター。商品に対するクレーム処理で、僕は謝り方が上手なんです」(西村瑞樹・38)

「僕は全部で16種。コンビニは最短記録の2時間で辞めた。接客が無理で。その後はクリーニング屋、ビル清掃、マンションのポストに入れるポスティングと極力、人と接しない仕事ばかり(笑)。僕はすぐにムカついちゃう。引っ越し屋の時にヤンキー上がりの横柄なバイトがいて、『段ボール箱の持ち方が違うんだよ!』とかイチイチ絡んできたから、作業服をそいつに投げつけて帰った(笑)」(小峠英二・39)

 ふたり合わせて24種もすごいが、下積み16年ってのも驚きだ。

 辛いバイト経験が多い中、簡単そうでおもしろそうなバイトをしていたのは、平井堅のパロディネタで活躍したヒライケンジ(43)。

「『できるだけ楽しよう』と思う性格だから、商品モニターの会社に登録してビールや菓子の感想を書いたり言ったりするバイトしてた。味以外に『パッケージが古臭いですね』とかも。30分でだいたい4000円くれた」

 食ったり飲んだりして感想を言うだけなのだが、詳しく聞くと、電話で依頼されたその日にバイト先まで行けないとダメだったらしい。常にヒマしている芸人ならではのバイト! ただし、自分がダメ出ししたお菓子が、後に自分より大ヒットしたとも言う。「売れるって大変ですね」としみじみ語った哀愁漂う顔が印象的だった‥‥。

 修業を兼ねたバイトもある。話すのはホリ(38)だ。

「スナックやキャバクラで、モノマネの流しもやりましたね。ランジェリーパブでモノマネやったこともありますよ。着替えはキッチン。ポテトフライが揚がってる横で衣装に着替えてた。モノマネしない時間は、店の奥で待機してる下着姿の女の子と一緒に待機。これは修業にもなりましたね」

 余談ですが、インタビューした芸人の中で、いちばん礼儀正しく受け答えしてくれた人がホリさんでした。それまで面識がなく、取材後も何のやり取りもなかったのに、突然オレのフェイスブックに〈お誕生日おめでとうございます(笑う顔文字)〉とメッセージをくれた。とても律儀な方で、うれしかったなぁ。

 酒の席でのバイト兼修業を積んだモノマネ芸人は多い。一方、漫才師だって、人のコネで金持ちの酒席に出向き、即興ネタをやって小遣いをもらって生活苦をしのいだ猛者もいる。

 響のふたりは芸人仲間に「寿司屋で金持ち3人が宴会やるから行かない?」と誘われ、金持ち相手に一発ギャグ大会。それで“アドリブ力”をつけ、ご祝儀の10万をみんなで分けたという。修業して、金もらって、たぶん寿司まで食えたなら最高ね。そんな昭和的な生き方が芸人大量生産の時代によみがえっていたようだ。

◆プロフィール 松野大介(まつの・だいすけ) 1964年神奈川県生まれ。85年、ABブラザーズとして「ライオンのいただきます」(フジテレビ系)でタレントデビュー。テレビ、ラジオに多数出演。95年、小説「ジェラシー」が文學界新人賞の候補になり、同年に小説家デビュー。98年、芸人小説のさきがけ「芸人失格」が話題に。著書多数。夕刊紙・日刊ゲンダイにテレビコラム掲載中。現在はウェブマガジン「小説マガジンエイジ」にて「愛の沖縄WandeR LAND」を毎週掲載(無料&登録ナシ)

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