「バッカヤロー」の絶叫を岡本喜八は戦争に放つ!——春日太一の木曜邦画劇場

8月29日(火)17時0分 文春オンライン

1968年作品(116分)/キングレコード/3800円(税抜)/レンタルあり

 岡本喜八監督は生涯で計八本もの戦争映画を撮ってきた。


 戦争を多く描いてきた理由を、彼は自著「マジメとフマジメの間」(ちくま文庫)で次のように述べている。「ささやかな戦争体験だったけど、私にとっては痛烈だったから」


 実際に同著には彼の「痛烈」な戦争体験が記されているのだが、そんな目に遭いながらも映画では戦争の悲惨さを正面から描かず、喜劇的に演出しようとしてきた。その理由も同著の中でこう述べている。「そんなある日、はたと思いついたのが、自分を取りまくあらゆる状況を、コトゴトく喜劇的に見るクセをつけちまおう、ということであった」「戦争は悲劇だった。しかも喜劇でもあった。戦争映画もどっちかだ。だから喜劇に仕立て、バカバカシサを笑いとばす事に意義を感じた」


 そんな岡本喜八ならではの、戦争と戦争映画に対する視線が如実に表れているのが、今回取り上げる『肉弾』である。


 舞台は太平洋戦争末期の鳥取。本土決戦の際に爆弾を抱えて敵戦車に突っ込む「肉弾」となるべく訓練に勤しむ青年「あいつ」(寺田農)の日常が、シニカルな笑いをちりばめつつ淡々としたタッチで描かれていく。まず驚かされるのは、「あいつ」の風貌だ。エラの張った痩せ細った顔に丸ブチ眼鏡——監督自身そのものなのである。それだけではない。年齢も「肉弾」を命じられるのも、全てが当時の監督と同じに設定されていた。つまり岡本喜八は「あいつ」の姿に戦時中の自身の姿を仮託していたということになる。


 そして、本作には喜八作品では珍しい場面が描かれている。彼の作品の登場人物は、自らの感情を声高に叫ぶことは滅多にしない。あくまでクールな描写の中で心情は描かれる。だが本作の後半で、その不文律が壊されてしまう。


「あいつ」は「うさぎ」と名乗る少女と恋に落ちる。だが彼女は、空襲により悲惨な死を遂げた。そのことを知った「あいつ」は絶叫する。「バッカヤロー!!」と。


「感情的な絶叫」という普段は使わない手段を、自身を仮託している主人公にあえてさせている点に、この一言に込めた監督の想いの強さが痛切に伝わってくる。同時にその強い想いを込めた一言が「バッカヤロー」という、一見すると軽く感じられるフレーズだというところは、悲劇を喜劇として笑い飛ばそうとする岡本喜八らしくもある。


 そう考えると、軽いけれども切ない、この「バッカヤロー」という言葉が、一連の戦争映画での監督の一貫したスタンスに思えてきた。彼はいつも映画を通して戦争に「バッカヤロー!!」と叫びたかったのではなかろうか——と。


(春日 太一)

文春オンライン

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