山口組大分裂 名古屋の「本家」に関西の幹部組長らが反発か

8月29日(土)7時0分 NEWSポストセブン

 創設100年を迎えた山口組に亀裂が走った。8月27日朝、兵庫・神戸市灘区の六代目山口組の総本部に、次々と高級車がすべり込んだ。乗っているのは山口組傘下の組長たちだった。

 

 この日、総本部では緊急の幹部会が開かれ、全国から直参(じきさん)と呼ばれる傘下団体の組長が集まった。そこに顔を出さなかった組長が10人以上いた。彼らこそ山口組の「分裂」を企てたグループだった。

 

 集まった幹部たちはすぐに彼らの処分を検討した。「その場で絶縁5人、破門8人などが決まった」(捜査関係者)とされる。この捜査関係者が続ける。

 

「これで抗争が始まるのは避けられない。山口組は全国に傘下団体を持つ。関西だけでなく各地で血が流れることになる」

 

 この“クーデター”は、なぜ起こったのか──。警察庁によれば、六代目山口組は2014年末の時点で、構成員・準構成員などを合わせて約2万3400人。全国の暴力団の43.7%を占める国内最大の暴力団組織である。

 

 それを主導するのが司忍(本名・篠田建市)組長の出身母体であり、愛知・名古屋市に本部を置く弘道会だ。その体制に不満を抱く勢力もあった。ある傘下団体幹部がいう。

 

「先代の渡辺芳則五代目が神戸の山健組だったように、それまでは関西から組長が選ばれてきた。司六代目は関西以外の組織で初めてトップに立った。

 

 山口組には『本部』と『本家』という考え方がある。本部は神戸の総本部で、本家は組長の出身組織。つまり現在の本部は神戸で本家は名古屋になる。それに違和感を覚える直参は少なくない。山口組は日本中に組員を抱えるが、やはり中心は関西であるべきだという考え方は根強い」

 

 今回のクーデターで、処分を受けたのは、ほとんどが関西を本拠とする組長だった。その面々は六代目山口組の中枢を担う幹部ばかりだった。反旗を翻したのには、彼らなりの理由があったようだ。 


「六代目は組の統制をことのほか重んじていた。直参は関西に来たら必ず本部(神戸)に顔を出さなければいけない決まりがあった。大阪にいても挨拶をするためだけに、神戸まで車を走らせる。


 上納金制度も厳しかった。組の規模によって違うが、おおよそ月に80万円。それ以外にも本部が販売するミネラルウォーター、石鹸や歯ブラシなどの日用品の購入の強制、各組長の誕生日会へのお祝い金など、とにかく金銭の支払いが発生する。暴排条例(暴力団排除条例)などの締め付けでヤクザのシノギが限定されて稼げない時代だけに、厳しい上納に不満を抱く組は多かったようだ。

 

 雑貨屋のようなシノギしか認めず、しかもトラブルは起こすな。これでヤクザといえるのか?」(同前)


 そんな思いが五代目時代を懐かしく思う一部の直参組長たちの間ではくすぶり続けていたようだ。とりわけ造反組を刺激したと囁かれているのが、跡目問題だ。別の傘下団体幹部が語る。


「今年の夏前、司六代目が七代目に弘道会の幹部を指名しようとしているという情報が出回った。これには、“次は関西に実権が戻ってくる”と思っていた直参たちが猛反発。さらに、将来的には本家を名古屋に移動させる案があるという話も出た。それからしばらくして、この脱退騒動が起きた。造反した組長たちには、“名古屋から山口組を取り戻す”という思いがあるはずだ」

 

 奇しくもクーデターが勃発した翌日の8月28日は、18年前(1997年)に五代目山口組の若頭だった宅見勝・宅見組組長の射殺事件が発生した日だった。

 

「大黒柱だった宅見若頭の死は、それまで主流派だった関西系の勢力が弘道会に取って代わられるきっかけになったと見る直参もいる。その意味でも、このタイミングで関西の直参たちが新組織を立ち上げるという話には因縁を感じざるを得ない」(関西に拠点を置く山口組傘下団体の元幹部)


※週刊ポスト2015年9月11日号

NEWSポストセブン

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