比べて観た『ロケットマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』 “5つの相違点”が意味するもの

9月1日(日)11時0分 文春オンライン

 昨年11月に公開され、古くからのクイーン・ファンを熱くさせたのみならず新しいファンをも生み出し、日本での興収130億円超、世界興収9億365万ドル(900億円超)のメガ・ヒットを記録した『 ボヘミアン・ラプソディ 』。そんな同作を手掛けたデクスター・フレッチャー監督が次作に選んだのが、エルトン・ジョンの半生を描いた『 ロケットマン 』だ。



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どうしても『ボヘミアン・ラプソディ』と比べて観てしまう


 観る前に抱いたのは“果たして『ロケットマン』は『ボヘミアン・ラプソディ』を飛び越えることが出来るのか?”といった少しばかり歪んだ期待。あちらはフレディ・マーキュリーを主人公にしているもののクイーンでグループ、こちらはエルトン・ジョンでソロ・アーティスト。それを鑑みずとも両作を比較して観るなんて間違っているのかもしれないが、どちらもロック史を語るうえで欠かすことのできないイギリス出身の超大物だし、70年代にスターダムを駆け上がって現在も大活躍しているし、劇中にも登場するマネージャーだったジョン・リードは両方のマネージメントを手掛けていたわけだし……なんてところから、こうした目線でもって鑑賞してしまったわけだ。



外へ前へと向かうフレディ 内へ内へと突き進むエルトン


 で、ここでいきなり率直な感想を述べさせていただくと、飛び越えてはいない。というより、飛んでいこうとする方向がまったくもって違っていると言ったほうが正しいか。『ボヘミアン・ラプソディ』は波乱万丈ではあったものの、まさに「ドント・ストップ・ミー・ナウ」を地でゆくフレディの外へ前へと向かっていく姿勢、最後で待ち受ける大合唱必至のライヴエイドの再現でアゲにアゲまくって幕を閉じる。『ロケットマン』は、エルトンが内へ内へと向かって突き進んで悶々とした果てに大爆発する内省的エンタテインメントに仕上がっていて、そこがきちんと魅力になっており愛すべき部分となっている作品なのだ。




『ボヘミアン・ラプソディ』のような伝記ドラマではない


 80年代初頭のエルトンが、ステージ衣装のまま中毒者のリハビリ施設に飛び込んで軌跡を振り返るオープニング。『ボヘミアン・ラプソディ』も1985年7月13日のライヴエイド当日という“現在”から70年代の“過去”へと飛んでいく導入だったことから、「今回もあの感じでいくのか……」と思ったところで、エルトンが故郷であるロンドン郊外ピナーの住宅街に飛び出して少年時代の彼=レジナルド・ドワイトにバトン・タッチしながら「あばずれさんのお帰り」を歌って踊りまくる。



 ここでフレッチャー監督は『ボヘミアン・ラプソディ』のような伝記ドラマではなくミュージカルのスタイルを取ったのかと驚かされ、この眩い調子のまま弾けていくのかと思いきや、一転してレジナルド・ドワイトのすべてと決別してエルトン・ジョンとして生まれ変わりたいと願うまでに至った内気で劣等感だらけだった彼の悲壮で暗鬱とした物語が繰り広げられる。


 不仲だったうえに、息子に愛情を注ごうとはしなかった両親。「うちの家系だから20歳で禿げるわよ」との母親からのショッキングな予告とその到来。自身のセクシャリティに対する混乱と葛藤。スター歌手エルトン・ジョンとなってから待ち受ける、その座を維持することの重圧。盟友にして相棒、そして想い人でもあった作詞家バーニー・トーピンへの叶わぬ恋。恋人兼マネージャーとの愛のない日々。アルコールへの依存とドラッグの過剰摂取、人気低迷、まさかの女性との結婚と離婚……。



 サクセス・ストーリーに影や負は付き物だが、あまりにそれが多いうえに赤裸々だ。しかもレジーからエルトンとなって以降は、錯乱と現実が入り交じるファンタスティックかつドラッギーな語り口にもなっていく。まさにロケットのごとく凄まじい速さで音楽シーンの頂点に上り詰め、これまた猛烈な勢いでドン底へと落ちていった、どうかしているにもほどがある栄枯盛衰を味わったエルトンの胸の内と頭の中を観る者に追体験させようとするのだ。これは製作総指揮を務めたエルトンが公言しているが、これまでの自分を美化することなく曝け出したい強い想いがあったからこそといえる。


エルトンを熱演する運命にあったタロン・エガートン


 だからといってミュージカル・パートが霞んでしまうことは決してない。その功労者はエルトンを演じ、全ミュージカル・パートを吹き替えなしで歌って踊り切ったタロン・エガートンだと断言できる。パブで「土曜の夜は僕の生きがい」を歌い出すや、店から遊園地へと飛び出して50名のダンサーをバックに踊り、またパブへと戻る凄技をワンカットでやり遂げるシーンは、まさに本作の大きな見せ場といっていいだろう。『ボヘミアン・ラプソディ』のラミ・マレックは、歌唱シーンの多くを吹き替えにすることでフレディの所作と話し方の再現の追求に注力したが、エガートンはひたすら歌うことでエルトンに近づいていったのだ。



 5カ月におよぶピアノとボーカルのレッスンを経てエルトン役に臨んだわけだが、そもそも彼は王立演劇学校の入学オーデションで「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」を歌って合格、ゴリラの少年ジョニーの声を務めたCGアニメ『 SING/シング 』(16年) では本作でも超重要な場面で流れる「アイム・スティル・スタンディング」を熱唱、敏腕エージェントを演じた『 キングスマン:ゴールデン・サークル 』(17年)では本人役で顔を出しているエルトンとも共演して既に旧知の仲。まさにエルトンを演じるのは必然にして運命だと言わずにはいられないキャスティングで、そこにもグッときてしまう。



個性が衝突し融合するクイーン ふたりでひとりのエルトン


 また、実在のミュージシャンを主人公にした音楽ドラマとしての醍醐味も忘れていない。その最たるものがバーニー・トーピンと共に名曲「ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」を作り上げるシーンだ。作曲できないバーニーが、作詞をしないエルトンに手渡すコーヒーと卵の染みが付いた紙に書かれた歌詞。そこにはバーニーのエルトンに対しての固い友情と信頼、エルトンが秘めているバーニーへの恋心が同居している。まさに“僕の歌は君の歌”。この場面があることで、全編にわたってエルトンが歌う彼の人生と心情に沿った曲の歌詞がバーニーによるものなのだと気付き、その奇跡としかいいようのないシンクロぶりにとてつもなく感動してしまう。『ボヘミアン・ラプソディ』ではメンバー4人のバラバラな個性の衝突と融合が数々の名曲を生んでいくが、『ロケットマン』ではふたりでひとりともいうべきエルトンとバーニーの類まれな関係と作曲方法が明かされる。



 できるだけ史実を再現することにも気を配っていた『ボヘミアン・ラプソディ』と違って事実との差異も多いことも気にはなるし、苦悩する姿には自己憐憫に浸り過ぎなのではと感じる部分もある。エルトン・ジョンの製作総指揮だから“僕の映画は僕の映画”になっているのは、当たり前といえば当たり前かもしれない。さらに言うならばエルトンのような才能も富も名声もない者には、スターの気持ちはどうしたってわからない。それでも彼が“ここではないどこかへ”や“今の自分ではない誰かに”といった誰もが抱く願望を持っていたことは痛いほどわかるし、それを知ってほしいエルトンの叫びみたいなものは刺さってくるし、染みてくるのは確かだ。



『ボヘミアン・ラプソディ』を飛び越えているいないかはともかく、少なくとも『ロケットマン』は観る者の胸にしっかりと着地するはずだ。




(平田 裕介)

文春オンライン

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